第六節
広大で静謐な空間を支配していた夜を歩く者たちの王者の一角が炎に消えて、しばし時間が経過した。
その間地下墓地の探索を行い、これ以上の脅威が無い事は確認した。それが出来るのはエンジエルとダイ・オフたちだけで、エンジエルは事のついでに、貴族たちから嵩張らない程度の宝飾類を失敬している。盗賊として当然の話であり、特に誰に報告するでも無く、ひと財産築き上げた。
建前はある。いつまでも、デュースに集る訳には行かないからね。本音はこうだ。うは、お宝ゲット♪
さすがに不謹慎過ぎるので、言葉にも態度にも表さない。ひと通り探索を終え、サダルスたちの遺したランタン、松明も集め灯りを確保し、気を失ったままのラヴェンナを心配して、神妙な顔で寄り添っている。心配しているのは本当でもあるし、まさかエンジエルがひと仕事終えて来たなどとは、イリアス辺りは絶対に気付かないだろう。
すでに小一時間ほどは経過し、トールスは兄たちを簡素にだが葬った。腰には、三本の短剣が挿してある。兄たちが予備兵装として腰に差していた物を、せめてもの形見として故郷へ持ち帰る為だ。肉親の生首など正視に堪えないものだが、イリアスの心配を余所に、トールスは取り乱す事が無かった。凄絶な体験を経たからか、兄たちの死に顔が意外なほど安らかだった為か。
遺体は、首と胴を揃えて、主を喪った石棺の一部を利用して横たえた。このような場所では他にどうする事も出来ぬし、遺体を持ち帰るなど不可能だ。ここには、棺があって司祭もいる。志半ばで落命した冒険者の弔いとしては、むしろ上等な方だろう。
トールスは、逆に心配になるほど落ち着いているが、けじめが付いた故である。簡素であっても、弔ったと言う事実が心を落ち着ける。世の儀式の類いは、そうして心を落ち着けて、伏せた視線を前に向かせる事が出来る。葬送とは、これからもまだ生きて行く生者の為の儀式なのだ。ただ形式的なだけで無く、それなりに意味があるものだ。
「……ぅ……うぅん……」
「ラヴェンナ!……ラヴェンナ、大丈夫?」
ようやく目を覚ましたラヴェンナは、しばらく焦点の合わぬ視線を彷徨わせていたが、心配そうに見下ろす天使を捉えた後、その傍らにも目を向け、
「……エンジエルさん……お婆ちゃん……」
エンジエルが介助し、ラヴェンナはゆっくり半身を起こし、そのまましばし呆とする。傍目には判らないが、体の状態と記憶の確認をしているのだ。
「だ……大丈夫ですか?ラヴェンナさん。」
と言う、イリアスの呼び掛けを無視したのは、あくまで思考が確認作業へ向いていた為である。数秒してから立ち上がり、
「……助かったわ。ありがとう、でゅ……ダイ・オフ。背中を打ったけど、炎に焼かれずに済んだみたいね。」
「ん?……あぁ、さっきトールスにも話しといた。気を回す事ぁ無ぇよ。それに、咄嗟にデッド・エンドを投げ込んだのはデュースだ。俺じゃ無ぇ。」
「そう……ありがとう、デュースさん。お陰で助かりました。」
「ちっ、随分態度が違ぇな、おい。」
「……それで、どうなりました?」
周囲を見回すラヴェンナ。少し斜め上の虚空を見上げた後、
「……凄いですね。たったひと太刀、ですか。」
それにはデュースが、拾っておいた戦斧を片手で差し出しながら、
「いや、斬っただけでは再生くらいしたかも知れん。ダイ・オフの炎が焼き尽くしたんだ。」
それを両手で受け取りラヴェンナ、
「そう……なんですか。……ダイ・オフさんも、お婆ちゃんが言うより凄い人なんですね。」
「ちっ、お前のお婆ちゃんは、俺をどう言ってたんだか。とにかく、もう脅威は存在しねぇようだぜ。不穏な空気は、奴と一緒に消えちまったよ。」
その言葉に、ふたり――三人の話に耳を傾けていたイリアスは、初めてカタコンベ内の空気が先程までと違う事に気付いた。今残っているのは、地下特有のじめじめとした寒いくらいの空気感だけだった。
「それじゃあもう、不死の怪物はいないんですね。」
「あぁ、そうだな。後は……」
言って、カタコンベの奥に視線を向けるダイ・オフ。
「……古代魔族の遺産……ですか?いえ、それは遥か上空でしたね。」
「あぁ、その通り。この先から感じるのは、別の魔力の塊だ。俺と同じ、かなり上等な魔導器があるに違いねぇ。」
デッド・エンドが答えを示した。やはり在ったのだ。古代魔族の遺産とは別に、もうひとつ魔導器が。
「先程の不死の魔導師は……」
「守護者だろう。ここ貴族墓地とは別に、件の魔導器を隠しておく場所があり、そちらを護っていた。カタコンベの封印が破れ、侵入者を感知し迎撃。と言ったところか。」
「……そうですね。私が死者たちと戦っている間、あの骸骨――リッチですか。すぐには現れませんでした。デュースさんの言う通り、奥に別の部屋でもあるんでしょうね。」
皆の視線が、カタコンベのさらに奥へと注がれる。すでに脅威は存在しない。ダイ・オフほどの男がそう断言したにも関わらず、イリアスは思わず生唾を呑み込んだ。
「それじゃあ行きましょ。まだ、ここから先が本番なんだから。」
エンジエルが明るい声を上げ、軽やかに歩き出す。これから、厄介この上無い、魔法と対峙する事になる。まだまだ気が抜けないからこそ、肩の力を抜いて事に当たらなければならない。あくまで、必要なのは程良い緊張であり、体が強張ってはいけないのだ。
先を歩き出したエンジエルにデュースとラヴェンナが続き、少し遅れてイリアスが続く。しばらく兄たちの石棺の傍で佇んだ後、トールスも後を追った。
カタコンベの最奥部、石壁に精緻な彫刻が刻み込まれた、絢爛たるアーチが一行を出迎えた。
しかし、善く善く見れば、その精緻な彫刻は何かの紋様に見え、エンジエルには見覚えがあるように思えた。実際に同じ物を見たと言う事では無く、似た物を見たと言う感覚。デッド・エンドに確認を取るまでも無い。これは、魔法的な何かだ。散々見て来たエンジエルは、何と無くそれが判って来たような気がした。
「どうやら、こっちはこっちで、魔法的に封印でもされてたのかもね。これ、魔法的な何かでしょ?」
「へぇ、判るのか。確か、普通の盗賊だったよな。と言うか、俺の時代にも魔法知識を身に付けた盗賊なんていなかったと思うが。」
「ダイナスで散々見て来たからね。何と無くよ。」
「ふむ。ま、直接呪文を唱える魔法と違って、魔導器や封印の類いは、魔力を宿す為の呪紋を刻んだり装飾を施したり、魔力を秘めた魔法石なんかを埋め込むものだ。つまり、見た目で判断可能って事だな。俺たち吸血鬼ハンターも多くは魔法なんて使えねぇが、そこんところは魔法知識で補ってたからな。経験を積んでけば、お前らもその内、魔法に対抗出来るようになるだろ。」
デッド・エンドも、自身は魔法使いでは無い為、直接魔法の事を知悉している訳では無い。魔剣に生まれ変わった事で身に付いた魔力に、未だ戸惑っている最中だ。しかし、眷属風情では無い真祖たる吸血鬼は、程度の差こそあれ皆魔法使いでもある。ハンターたる者、狩る為にも自衛の為にも、魔法知識は必修と言えた。
「それじぁあ、入れないの?」
ラヴェンナが疑問を口にする。
「え?ううん、そんな事無いわよ。今の話だと封印されてたって事で合ってると思うけど、今は封印解けてるわよね?」
「リッチだ。奴が迎撃の為に、自ら封印を解いたのだろう。多分、本来の客人――貴族たちが墓参する時は、正規の手順で封印を破る事無くカタコンベへ入れたはずだ。」
「なるほど。あたしたちは侵入者だから、排除しようとした訳ね。」
デュースの推測に、エンジエルは納得した。
「リッチほどの魔法の使い手であれば、自ら再封印する事も容易いのだろう。だが、結果的には助かったな。奴が出て来てくれたお陰で、俺たちも中に入れる。今は破魔の魔導器の類いを、持ち合わせていなかったからな。」
古代魔族の遺跡を探索しようと言うのだ。本来であれば、ダイナスで使った破魔の短刀のような魔導器のひとつやふたつ、用意しておくべきである。
しかし、今の人間族の領域内では、魔導器はとても希少な代物だ。そう都合良く、魔導器を商っている店など見付からない。少なくとも、ダイナスからここ旧ボードウィン男爵領までの道中、魔導器を商う店があるような大きな街には立ち寄れなかった。
「ただ、もしかすると、今のダイ・オフなら封印くらい斬れたかもな。」
「あん?どう言う事だ?」
「ここに来て、動く死体を信じさせる為に炎の魔法を使って見せただろう。その時気付いたと思うが、以前より炎の威力が増していた。きっと、デッド・エンドの魔力伝導率が高いのだろう。」
「魔力――伝導率?」
「あぁ、義父の魔法剣よりも上等だからな。ダイ・オフが持つ魔力を、多分ほぼそのまま魔法へと変換してくれるんだ。今までは魔剣の質の問題で威力が抑えられていたものが、デッド・エンドによって解放された。そんなところだと思う。」
一見すると独り言のように、デュースとダイ・オフが会話をしている。普段、心の中のスポットの内と外で会話を行うが、デュースが声に出して話していたところにダイ・オフが疑問を投げ掛けた事で、今は実際に口を使っての会話となっている。事情を知らぬ者が見ればおかしな光景だが、今ここにいるのは事情を知った者だけだ。
「確か、ダイナスのお城では、ダイ・オフは封印を斬ろうとしなかったわよね。あの時は、封印を斬れるとは思ってなかった訳よね。」
「おう、さすがにそれは無理だと思ってたし、事実無理だぜ。」
「でも、今なら斬れるの?」
「多分な。封印を解くならともかく、壊すなら結局は強度の問題だ。もちろん、魔法としての強度だ。義父の剣では剣自体が耐えられなかったろうし、ダイ・オフの魔力も抑えられて弱くなっていたはずだ。だが、デッド・エンドは強力な魔法剣だ。デッド・エンド自体の魔法への攻撃能力に加え、制限を受けないダイ・オフの魔法の炎が合わされば、並みの封印など壊せてしまうんじゃないかな。どうだ、デッド・エンド?」
「ふむ、その通りだな。俺はエンジエルたちが城を探索してる間の事は知らんから、どう変わったかも判らん。だが、今のダイ・オフだったら、かなり強力な封印でも無い限り、斬り捨てられるだろ。デュースが言った通り、所詮強度の問題だ。O・D・Iや話に聞いた時の精霊ほど特別なもんになると話は違うが、並みの魔導師が施した程度のもんなら、今のダイ・オフを止められねぇよ。」
言われて、デッド・エンドをその手に掲げ持ったダイ・オフが、しげしげとその刀身を眺める。
「へぇ……お前、本当に凄ぇ魔剣なんだな。」
「ふ、今更解ったのかよ。……ま、俺様もまだ、魔剣としての自分を把握し切れてねぇけどよ。」
それは事実であり、それはつまり、まだまだ眠った真価が隠されているかも知れない、と言う事でもあった。
「良し。それじゃあ、先に進むわよ。この先何かあっても、ダイ・オフが対応出来るかも知れないわね。」
再び背にデッド・エンドを戻して、
「任せとけ。壊すのは元々得意だ。」
エンジエルを先頭に、一行は再度、アーチの奥の闇へと溶けて行った。
その先は、アーチと同じ大きさの通路がしばらく続き、一本道の奥にドーム状の空間を備えていた。エンジエルがそのドームに足を踏み入れた途端、ドーム内が淡い緑色の灯りに照らされた。見れば、壁や天井に緑の炎が灯っており、その色からしても、自然の炎とは思えなかった。ドーム内を照らす、魔法の灯りであろう。
そこに、それは在った。
ドーム中央に鎮座するは、黒い箱である。黒い箱としか形容し得ない代物だった。類似の存在を探しても、これと言う物が思い付かない。敢えて言うならば、黒い箱なのだ。
その黒い箱は、ドーム内の緑光を照り返さぬ不思議な材質で出来ていて、人ひとりがすっぽり収まる大きさである。表面にはびっしり紋様が刻まれており、それが魔導器である事を窺わせた。
箱――とするならばおかしな特徴があり、其処彼処に短い棒が生えている。
そしてもうひとつ、まるで脈動するように、ブゥゥム、ブゥゥム、と低く唸るような音を立てていた。
「……間違い無ぇな。凄ぇ魔力を感じるぜ。」
ドームに緑光が灯った瞬間、エンジエルを庇うように透かさず前へ出たデュース。脈動と共に発せられる強力な魔力の余波に充てられ、ダイ・オフが確信を漏らした。
「危険が無いとは限らん。皆はそこで待っていろ。」
ダイ・オフの確信を共感し、デュースが皆を制止する。
「で、でも……」
「こいつぁ、完全に魔法案件だ。残念ながら、お前にゃどうにも出来無ぇ。デュースの言う通り、そこで待ってな。」
デッド・エンドを背より抜き放ち、ダイ・オフもエンジエルを制しながら、一歩一歩とその黒い箱へと近付いて行く。ブゥゥム……ブゥゥム……近付く毎に、脈動から感じる波が強くなり、何某か抵抗のようなものも感じ始めた。正眼に構えたデッド・エンドの刃がその抵抗の波を斬り割いたものか、何とか体は前へと進み続ける。
目の前にすると、構えたダイ・オフの胸辺りの高さであり、横幅は二mくらい。いくつも生えた棒は五cm程度か。しかし、これをどうすれば良いものか。そもそも、この魔導器が古代魔族の遺産を宙へ舞い上げている魔導器かどうかも判らない。
「どう思う?……この棒か?」
デュースと会話した後、ダイ・オフはデッド・エンドから左手を放し、短い棒の一本に軽く触れてみる。
「ちょっとぉ。大丈夫なのぉ?」
ドームの入り口から様子を窺っていたエンジエルが、ダイ・オフに声を掛けた。正体の判らぬ魔法の品に、簡単に触れても良いものなのか。待機組には不安しか無かった。
「ちょっと待ってろ!……あぁ、確かに動かせそうだ……が。」
デッド・エンドを構え直して、ダイ・オフはうんうん唸り始める。
「どーしたのー?」
エンジエルの呼び掛けにすぐに応えず、しばし黙考した後、
「エンジエル!こっちへ来てくれ!」
「え!?……良いのー?」
「俺の背中に隠れるようにして来い!盗賊の意見が聞きたい!」
「……判ったー!」
距離にすれば四~五mだが、脈動する唸り音が邪魔をして、声を上げねば会話にならない。細かい相談をするにも、近付く必要はあった。
エンジエルは腰から得物を抜き放ち、ダイ・オフに倣って構えながら後に続いた。エンジエルの得物はただの短剣なので、魔法的な抵抗を斬り裂く事は無いだろうが、ダイ・オフが何故そうしたのか判らぬ上で、同じ行動を取った。今回意味は無いとして、それは危機管理として正しい。
エンジエルの体はダイ・オフの背中にすっぽり隠れるだけに、言われた通り後を追う事で抵抗を受けずに辿り着いた。そして、背中越しに魔導器を覗き見る。
「盗賊の意見って……あぁ、この……棒?動くの?」
「あぁ、多分な。不用意に弄くる訳にも行かねぇから、まだしっかり動かした訳じゃ無ぇけど、固定されてねぇようだ。」
「ふ~ん、そうなんだぁ……」
空返事をしながら、エンジエルはじっくり魔導器を観察する。魔法的な機構、機能は良く判らないが、魔導器も本体は器物として製作する。形から判る事もある。
「これ、多分、棒を操作するんだわ。表面の魔法的な紋様だけど、棒の部分は他と違って、溝みたいになってる。単純な縦横斜め、押し引きじゃあ無さそうだけど、この棒で操作する仕組みなんだと思うわ。」
「やはりそうか。とは言え――だな。」
「あぁ、やっぱりデュースにも判らないか。ダイ・オフにも……判る訳無いわね。」
「あぁん?どう言う意味だよ、おい。」
「構造的に操作出来そう。これはあたしとデュース、ふたりの意見は一致よ。でも、どの棒をどう動かすとどうなるのか、までは判らないでしょ。と言って、これだけの数の棒と、複雑に分岐した溝を見るに、魔力を感じるからってそれだけであんたにだって判らないでしょ。操作手順。」
「お、おう、そう言う意味か。あぁ、全っ然判んねぇな。」
「威張らないでよ。……デッド・エンドも……」
「……一応、それらしい魔導器の操作方法の知識はある。」
「え、判るの?」
「いいや。さすがに、これほどの規模となるとな。制作者にしか判らんだろう。」
「だよねぇ。」
棒の数は、十本では収まらない。棒によって、上下左右斜め、複数の方向へ動かせそうである。一体、何通りの操作手順が存在するだろう。何手動かせば良いかも判らないのだ。それこそ、作った本人にしか判らないだろう。だからと言って、適当に動かしてみたら罠なり防衛装置が作動するかも知れない。
「お手上げだな。」
デュースが結論を口にする。
「……どうするの?最悪、あたしたちは遺産を諦めてこの地を去る、って選択も可能だけど、そしたら村の人たちは……」
永遠に、生と死の狭間を生きる事となる。新たな犠牲者も増えるだろう。放置は下策――と言って、一体何が出来るのか。
「ごめんだね。俺は諦めねぇよ。」
「でも……」
「方法はある。危険な賭けだがな。」
デュースの結論には、先があった。
「どう言う事?」
「壊すのさ。封印同様、解くより壊す方が簡単だ。今のダイ・オフなら、多分壊せる。こいつは、古代魔族が作った魔導器だろうが、遺産では無い。数段、格は落ちるだろう。」
「壊す……でもでも、大丈夫なの?強力な魔導器なんでしょ。下手したら、大爆発!……なんて事に……」
魔導器は、誰でも簡単に作れるような、単純な代物では無い。複雑な構造を持ち、その中を魔力が駆け巡っている。破壊により経路を飛び出した力の奔流が、爆発を引き起こしてもおかしくは無い。
あくまでエンジエルは、ダイ・オフの炎の魔法のイメージから爆発を連想したに過ぎないが、それは的を射ているのだ。
「……可能性はあるが、多分それは大丈夫。デッド・エンドも同意見だ。」
「そうなの?」
「あぁ。こいつは古代魔族の遺産なんて物を、空高く舞い上げてんだろ。魔力はそれに使ってんだから、仮に暴走を引き起こしても、爆発すんのは空の上じゃねぇかな。ま、もちろん推測であって、絶対じゃ無ぇけどな。」
「む~ん……」
腕を組んで考え込むエンジエルだったが、すでに答えは決まっていた。……他に選択肢など無いのだった。
「オッケー、判ったわ。他に選択肢なんて無いし、村の人たちも放っとけない。やりましょ。」
「ふん、俺様はお宝をみすみす逃すつもりは無ぇだけだがな。」
「エンジエル。念の為だ。入り口まで退避していてくれ。」
「……了ぉ解。……気を付けてね。」
名残り惜しそうにデュースの背中を見詰めながら後退を始め、エンジエルはラヴェンナたちの元へと戻って行った。
エンジエルがドームの入り口まで辿り着くのを待って、ダイ・オフは改めてデッド・エンドを構え直した。
「うしっ!」
気合を入れ直し、剣身に紅蓮の炎を生み出す。その炎はまるで蛇のようにのたうち回り、今にも魔導器に噛み付かんとする勢いだ。そこに、さらに意識を集中し魔力を絞り出すようにすると、炎は幅広なデッド・エンドの剣刃の倍以上の大きさに燃え盛り、これまでに無いほどの灼熱でダイ・オフの肌を焼いた。
――と見えた次の瞬間、瞬きの間にその炎は消え失せていた。瞬速のひと太刀は目にも止まらず、もうデッド・エンドを背負っている。剣の達人であるデュースに及ばずとも、ダイ・オフもまた、常人の域を超えた使い手であった。
当の魔導器は、斬られた事に気付かぬままで、ブゥゥム、ブゥゥムと脈動を続けていたが、ダイ・オフがひとつ後ろへ飛び距離を取ったところで、自らの死を察知した。
魔導器の中程に、少し斜めに傾いた横線が引かれ、ほんの少しだけずれた。途端、魔導器を中心に、ドーム内、いやその外にまで伝わるような衝撃が拡散し、入り口で待機していたイリアスは尻餅を搗いた。
きっとそれは魔力の奔流であったが、危惧したような爆発は起こらず、その衝撃はイリアスが尻餅を搗いた程度のもの――エンジエルとラヴェンナ、トールスは、衝撃を感じながらも一歩後退る程度。イリアスも、どちらかと言えば、驚いて腰を抜かしたようなものだった。
もうひとつ。ドーム内に灯っていた緑光は吹き消された。脈動も止まり、静けさが空間を支配した。
「終わった――の?」
「あぁ、終わりだ。俺様の炎で、斬れねぇもんは無ぇ……んじゃねぇか?正直、ここまで威力が増してるとは思ってなかったわ。凄ぇな、デッド・エンド。」
いつの間にか、エンジエルたちの許まで戻って来ていたダイ・オフは、自らの魔法の威力に驚いていた。そもそも、剣刃に炎を纏わす程度の認識でしか使って来なかった。デュースの義父の剣が程度の低い魔法剣だったからと言うよりも、単にそう言うものだと思い込んでいたからだ。デッド・エンドならば、もっと魔力を注ぎ込める。そう聞かされて、意識して魔力を高めたのは、先程が初めてだった。
「それでは、これで件の遺産も手に入るんですね。」
尻をさすりさすり、イリアスが起き上がりながらそう問い掛けた。
「そうだな。こいつが最終防衛装置みたいなもんだろ。もう、これ以上の脅威は無ぇはずだ。」
「良かったぁ~、無事成功して。一瞬、爆発したのかと思って吃驚しちゃった。」
「や、私など倒れてしまいましたよ。本当に、無事に済んで良かったです。」
「……やっぱり……凄いですね、ダイ・オフさん。」
「あぁ、俺様は凄ぇ。」
「確かに凄いが、俺の助けあっての事だぞ、ダイ・オフ。」
「判ってるさ、相棒。デッド・エンド様様だぜ。」
エンジエルにイリアス、トールスも加わって、和気藹々とした会話を交わしている中、ラヴェンナが口を開く。
「……これで、古代魔族の遺産を空へ上げていた魔力が断たれました。……ここにいたら危ないんじゃないですか?落ちて来ますよ、遺産。と、お婆ちゃんが言っています。」
数瞬の沈黙――後、
「退避っ!急いでここから離れろ!」
デュースのひと声に、まずエンジエルが脱兎と化す。もちろん、我が身可愛さでは無い。こう言う時、瞬時に体が動かない事もある。だから率先して動く事で、他者に行動を促すのだ。
「ほら行け!早く!」
そこへ、もう一度デュースが発破を掛ける。すぐさまラヴェンナが続き、
「行きます!」
トールスも、ひと声上げて駆け出す。その声に、ようやく呆けたイリアスも続き、その殿をデュースが行く。
大仕事を終えたダイ・オフは終わったとつい漏らしたが、まだ何も終わってなどいなかったのであった。
旧ボードウィン男爵領の古代魔族の遺産は、直径四~五mほどの球体をしていた。それが豆粒ほどに見えるほどの上空で、千年を過ごした。それがつい先ほど、千年ぶりに地上へと帰還を果たす。正規の手順を踏まずに。
高空より直径四~五mの質量が落ちた時、それは途轍も無い衝撃力を生む。丘の頂上に位置する古代の砦跡に落下した遺産は、丘の三分の一を爆散させ、大きなクレーターを穿った。
周囲の村々には、土砂や瓦礫が衝撃波を伴い降り注ぎ、多くの家屋を損壊させた。現象の規模から考えれば、被害はむしろ少ないと言えた。衝撃により土塊は粉々となって降り注ぎ、個々の質量が小さくなっていたし……村人の死因は別にあったから。
古代魔族の遺産墜落による死者は――いなかった。急いで男爵邸を後にした面々は、余裕を持って麓の村まで退避出来た。どうやら、地下の魔導器がもたらした魔法効果は、魔導器が破壊されてもすぐには消滅しなかったようだ。大急ぎで駆け下った丘の道を下り切るまで、遺産は空にあった。
墜落の衝撃は、地下の魔導器破壊時の衝撃とは比べ物にならなかったが、吹き飛ばされたのはイリアスだけ。土砂に埋まったのは、イリアスとトールスだけだった。
「……み、皆、大丈夫?」
エンジエルが、デュースの陰から周囲を見回し、同舟の仲間たちへと声を掛ける。
「……私は、大丈夫です。」
飛来する土砂、瓦礫の内、身に危険が及びそうな物は戦斧で叩き落とし、結果的にデュースとエンジエル、ラヴェンナだけは、何事も無かったかのように、まるで廃墟のような有様になった村の広場に佇んでいた。
「ぺっ、ぺっ……こ、こっちも何とか……」
体に降り掛かった土砂を払い除け、トールスもよろよろと立ち上がった。
「む゙ぅ~~~、む゙ぅ~~~~っ!」
見れば、イリアスの手足だけが土砂から突き出て、ばたばたと藻掻いていた。その手を掴んで体を引き上げる。
「ぶはぁ!た、助かりました。ありがとう御座います……ら、ラヴェンナ――さん……」
そこには、右手で戦斧を地面に突き立て、左手でイリアスの腕を掴み、仁王立ちしたラヴェンナがいた。
「……お婆ちゃんが、ここに貴方が埋まってるって。」
「は、はは……こ、こりゃどうも……」
ラヴェンナとは、結局打ち解ける事は出来無かった――と思う。でも、それは彼女が冷たい人間だからでは無く、他人の顔色を窺うような自分と上手く合わなかっただけだ。改めてイリアスは、ラヴェンナは素晴らしい人なのだと認識し直した。私には視えないが、きっと祖母も。
「……さすがに、あれだけの高度から落ちりゃあ、魔族の遺産にも致命傷だったみてぇだな。もう、ほとんど声は聞こえねぇ。」
仲間の無事を確認した後、ダイ・オフはそう告げた。それは、つまり――
「それはつまり、古代魔族の遺産は壊れちゃったって事?そんなぁ~。」
がっかりして声を上げるエンジエルだったが、
「あぁ、そうだな。……お陰で、その厄介な効果も切れたんじゃねぇか?」
特に、気落ちした様子の無いダイ・オフ。
「厄介な効果が切れたって……あ?!」
「動ける者は、村の様子を確認してみよう。トールス、イリアス。お前たちはどうだ?」
デュースの呼び掛けに、
「い、行けます。」
「は、はい。判りました。」
返事と共に動き出すトールスと、一瞬遅れて動き出したイリアス。
そう。古代魔族の遺産が壊れたなら、その効果も消えたはず。死者をゾンビとして生かす、もしくは、生者をゾンビとして支配する、古の呪いが――
時の結界によって縛られていたダイナスとは違い、男爵領は時間の経過自体は余所と変わらない。村の建物などは、昼間村人が修繕したり新築したものだから、降土と衝撃波による損壊以外、目立った変化は見受けられない。日用品を始めとした雑貨屋の商品たちも、商人たちが持ち込んだ品故に、何の変化も来たさない。
この地で縛られていたのは、死者のみ。村人たちだけが、その姿を白骨へと変じていた。
ボードウィン男爵家の人間たちは、数十年前、この地を去っている。それはつまり、数十年前はまだ、古代魔族の遺産が起動していなかった事を示している。
もし千年前から起動していれば、男爵家の人間もこの地を離れる事など叶わなかっただろう。
村人たちは、ここ数十年の間に、古代魔族の遺産の効果に捉われたのだ。人の血肉はすぐ腐り果てるが、骨は簡単には朽ちない。その結果の、白骨たちである。
「……判ってた事だけど……辛いわね。」
古代魔族の遺産の効果が、死者をゾンビにしようとも、生者を殺しゾンビと化そうとも、ひと度ゾンビと化した者は確実に死んでいる。その効果が切れれば、ゾンビからは解放されても、死からは解放されぬのだ。
ダイナスの件を踏まえて、こうなる事は予想出来たエンジエルだが、それでも心痛を禁じ得ない。
昨日まで普通に接し、笑い合った彼らなのだ。救う方法は無く、唯一出来る事が死によって苦しみを終わらせる事だけ。きっとこればかりは、何度経験しても慣れる事は無いだろう。いや、慣れてはいけない事なのだろう。
それぞれがそれぞれに心を痛めた後、一同は別れた広場に集合していた。
「……姐さん。これって……」
「……解放されたのよ、皆。千年前から続く、死の呪いからね。」
「解放……そうですね。いつまでも、あのような形で死者を縛り続けるなど、神が御座せばお認めにはなりますまい。きっと、皆さまの魂は苦しみから解放されたのですね。」
上手く受け止め切れないトールスと、死者こそ視えぬが数多の死と向き合って来たイリアス。
そんなふたりの様子にしんみりしていると、
「まだ、終わってねぇぞ。」
その空気を、ダイ・オフが壊す。
「確かに効果は切れたようだが、まだ魔力を感じる。落ちた遺産を、どうにかしねぇとな。」
村人たちが白骨と化した以上、古代魔族の遺産がその効果を停止した事は間違い無かった。だが、壊れた魔導器として、まだそこに存在しているのだ。あの落下の衝撃でも、完全に破壊された訳では無いようだった。
「ま、もう危険は無ぇと思うが、どうする?」
そこで一同を見回し、
「一緒に来るか?」
没落した男爵家を出奔した身でも、ここにいる人間の中ではイリアスがその所有権を有していると言って良いだろう。
トールスはこの冒険で、大切な家族を、仲間を、皆喪った。
ラヴェンナは……お婆ちゃんに言われて、わざわざやって来たのだ。
それぞれに、見届けるべき理由はあるだろう。
「俺、行くよ、ダイ・オフさん。ちゃんと見届けたいんだ。これは……この冒険は、俺の責任なんだ。」
トールスは見違えた。……その代償に見合うとは、決して言えないが。
「はい。お婆ちゃんもそうしろって。」
ラヴェンナは、聞かずとも当然そう答えると、皆判っていた。
「……私も行きます。」
最後に、イリアスが答える。これは、古代魔族の遺産と言う、人知を超えた物の仕業である。決して、誰の責任でも無いだろう。そして、自分がこの地に来なかったとしても、この悲劇は起こっていたのだ。それでも。それでも自分は責任者なのだ。そう思えた。今は司祭の身の上でも、イリアスの中に貴族としての責任感と言うものがあるのだろうか。ただこの地を領有していただけで、千年前の魔導器の責任など、背負うものでは無いのだが、領民の命の責任は領主にあるのが統治と言うものだ。イリアスは紛う方無く、ボードウィン男爵家の一員ではあったのだ。
「ここまで来といて、見届けない訳無いわよね。さ、行きましょ。まだ終わってないなら、きっちりけりを付けましょ。」
ひとりひとりの顔を確認し、ダイ・オフは頷く。
「良し。それじゃあ堕天使様の面ぁ、拝みに行くとしますか。」
一同は再び、丘を目指す。今はその形を変えた悲劇の舞台へ、幕を下ろしに。
クレーター内には、未だ砂埃が舞っていて、見通しは悪かった。その中心部、一番深い場所に、煙を上げ続ける黒い物体が地面から頭を出していた。
きっと、球状の物体が地面に埋まり、その上部だけが見えているのだろう。そんな形だ。
表面には紋様が刻まれていて、見慣れた魔導器らしい外観をしている。
そう。球体を保ったままで、表面の紋様も見て取れる。あれだけの衝撃、このように丘の形を変えるほどの墜落でありながら、一見したところ破損した様子が無いのだ。それは、魔法的な保護なのか、それほど頑丈な構造物なのか。
砂埃がもうもうとする中、エンジエルたちは顔を手で覆うようにしながら中心地へと向かっているが、ダイ・オフとデッド・エンドには、砂埃以外に魔力が渦巻いているのも感じられた。
すでに、その魔力を何か意味のある力に変換する装置は機能を停止しているものの、魔力そのものの濃度はかなりのものだ。古代魔族の遺産は死んだ――とてもそうは思えぬ状況だった。
充満したガスに火種が投げ込まれるように、何かの切欠があれば強制死者蘇生に匹敵するような大魔法が発動してもおかしく無い。そんな危うさに顔をしかめる。
こいつをどうにかしねぇ限り、全てが終わったなどとはとても言えねぇな。口に出すのを憚って、ダイ・オフは心の中でそう呟いた。
「何だか……非道く嫌な感じがしない?息苦しいけど、この砂埃とは別の何かな感じ。」
「ごほっ……は、はい。とても嫌な感じです。それこそ、あの地下墓地のような重苦しさと言うか……こんな開けた場所なのに……」
魔力を感じぬ者でも、何某かを感じ取ってしまうほど、濃密な魔力が渦巻いている。エンジエルが感じ取った嫌な雰囲気に、咳き込みながらイリアスも同意した。
魔力とは、魔法の原動力として適切に還元された状態の力である。大気中に含まれる魔力の素である魔素は、そのままでは何かに影響を与えるほどの力を発揮しない。故に、大気中に含まれていても、生物に悪影響を及ぼさない。そもそも、ダイナスのような特別な土地でも無い限り、マナの濃度など知れたものだ。
だが、本来何かの原動力として使用される為に還元された魔力は、少々強過ぎる力だ。適切な器に内容されている内は問題無い。世にある魔導器、古代魔族の遺産、魔法生物、魔法使い――ダイ・オフ。
では、その器が壊れたなら。何にも消費されずに漏れ出る魔力は、生物にどのような影響を与えるのだろう。
「やはり、こいつをどうにかしねぇと不味いな。」
今度は、敢えて口に出したダイ・オフ。このままここに居続ける事が、思ったよりも危険かも知れないと感じたからだ。
「どうするの?……見たところ、あんまり壊れてるようにも見えないし、改めて壊す?」
「……あの村人たちを見たろ。間違い無く壊れてるさ。もう壊れてるんだ。さらに壊したからって、何がどうなるものとも思えねぇな。」
善く善く見れば、いくつか亀裂も確認出来るし、表面の黒色も、地下の魔導器と比べると艶の無いくすんだ色に見える。目の前にあるのは、壊れた器だ。これ以上破壊しても、さらに魔力が漏れ出すのが落ちだろう。
「ダイ・オフが斬っても解決しないの?うんもう、それじゃあどうするのよ。」
「……」
答えられる者は誰もいない。古代魔族の遺産の処理の仕方など、知っている者などいやしないのだ。だが、ダイ・オフの沈黙は少し違った。考え込んでいるのだ。
「……どうしたんだ、ダイ・オフ?」
同じ唇が、同居人の様子に気付いて問い掛ける。
「え?何、何?何か判るの?ダイ・オフ。」
「……まぁ、な。……声が聞こえるのは、古代魔族の遺産を探し当てる為。それはダイナスではっきりした。何で声なんぞが聞こえるのかは知らんが。」
「そうね……兄さんが手に入れた途端、声は聞こえなくなった。声の正体が古代魔族の遺産だって、ダイナスで判ったのよね。」
「あぁ……で、だ。じゃあ、俺は何で古代魔族の遺産なんぞを探さなきゃならねぇんだ?見付けてどうすんだ?」
「え!?そりゃあ……手に入れて、自分の物にする為じゃ無いの?」
ダイ・オフは、背中の頼れる相棒を引き抜いてみせた。
「何らかの力を手に入れて、自分の物にする。それなら、こいつなんて打って付けじゃねぇか。だが、俺にこいつの声は聞こえてなかった。聞こえるのは、強い魔導器って訳じゃあ無く、あくまで古代魔族の遺産の声だけだ。」
デッド・エンドは、封印され眠っていたから。そうとも言えるが、デッド・エンドが目覚めた後微かに聞こえた声は、デッド・エンド自身が呼び掛けた声だった。自然に、ダイ・オフに聞こえて来た訳では無い。それに対し、ダイナスの世界もここ男爵領の遺産の声も、遠くからはっきりと呼び掛けるように聞こえて来た。ダイ・オフの中に、古代魔族の遺産を見付け出す為の何らかの能力が宿っている、そう考えて間違い無いだろう。
「それに、力なんて求めちゃいねぇ。俺様は、こいつを手にする前から強かったぜ。強くなるのは気分良いけどな。特に求めてた訳じゃあ無ぇ。炎を剣に纏うだけで充分だった。」
相棒を背に戻し、
「もっと違う目的があるんだ。古代魔族の遺産なんぞを求める理由が。」
ダイ・オフは考え込み、再び静寂が訪れる。
「あ、あのさ……」
沈黙に耐え兼ね、エンジエルが声を掛けると、
「イリアス。一応こいつの所有権は、あんたにあんだよな。」
「え?!わ、私?」
いきなり水を向けられ、思わず動揺するイリアス。まさかここに来て、自分に話を振られるとは思っていなかった。もう舞台を降り、観客になったものと思っていた。
「あ……えぇと……。確かに、出奔したとは言え、元男爵家の一員としてここへ赴きました。私に話を押し付けたのです。全権を委任されたと言って問題無いでしょう。ですが、この地を領有していたのは昔の話です。何より、領民の命の責任を負う覚悟があるかと問えば、きっと彼らは全てを放棄するでしょう。ここに宣言致しましょう。元ボードウィン男爵家は、この地の権利一切を放棄します。どうぞ、貴方の好きになさって下さい。」
イリアスは、決して凡愚では無い。ダイ・オフの言葉の裏を理解し、己が責任でそれを承認すると言った。イリアスなりの、責任の取り方であった。
「……壊れてたって、こいつは紛れも無く古代の遺物だ。学術的な価値もあるだろうし、好事家なら高い金を払うだろう。それでも……良いんだな。」
「はい。多くの命を奪った、呪われた遺産です。構いません。」
イリアスに迷いは無い。卑屈に見られがちだが、ちゃんと芯のある男なのだ。どうでも良い枝葉には構わぬだけなのである。
「そうか。……ラヴェンナ、あんたはどうだ?」
ダイ・オフは、次にラヴェンナに水を向ける。
「……要らないわ。どうやら、お婆ちゃんが必要としている宝物じゃ無かったみたい。だから要らない。」
元々、ラヴェンナの目的はお宝探しでは無かった。今の口振りからすれば、祖母には何か求める物でもあるのだろう。それ以外に用は無い。彼女はその点、はっきりしている。もうすでに、古代魔族の遺産の残骸など、どうでも良いのだ。
「うん、まぁあんたならそう言うと思った。……トールス、どうだ?」
ある意味、一番因縁深い存在と言えるだろう。このお宝の所為で、全てを喪ったに等しい。意趣返しでは無いが、せめて換金出来るとなれば、少しは気が紛れるかも知れない。
「……ダイ・オフさん。俺たちは、お宝を放棄して逃げ帰ったんです。逃げられなかったけど、そこで本当は、もう冒険は終わってた。今更、お宝の権利なんて言いませんよ。それはいくら何でも、筋が通らない。そんな事言ったら、兄さんに叱られます。」
全てを喪って、何も得なかった訳じゃ無い。今のトールスは、もう兄たちに守られるだけだったただの弟では無く、ひとりの男なのだった。
「そうか……」
最後に、ダイ・オフはエンジエルに向き直る。特に、何を聞くでも無い。
「そんな事聞くって事は、手はあるのね。任せるわ、ダイ・オフ。好きにやっちゃって。」
「……こんなもん見付けて、俺はどうすりゃ良いのか。ダイナスじゃお前の兄貴に掻っ攫われて、確認出来無かった。」
語りながら遺産の残骸へと近付いて行き、右手でそっと触れる。
「こいつを手に入れた――って判断なのかね。急に頭がすっきりし出して、理解出来たよ。俺がどうすりゃ良いのか――って事がな。」
そう言って、ダイ・オフは特に何もしなかった。いや、特に何もしていないように見えた。ここにいる面子の中では、デッド・エンドのみがそれと気付いた。
周囲の魔力が渦を巻き、古代魔族の遺産へと収束して行く。正確には、古代魔族の遺産内に眠る膨大な魔力が、触れた掌からダイ・オフの中へと流れて――吸収されているのだ。
その吸引力が凄まじく、周囲に漏れ出た魔力すらも、再び古代魔族の遺産へと吸い込まれ、そしてダイ・オフへと流れて行った。
そんな事が、たった数十秒続く内、周囲に漏れ出た魔力はすっかり晴れて、他の面々も正体不明の息苦しさを忘れていた。
「何か……楽になったわ……もしかして、何かした?」
未だ微動だにせぬダイ・オフの背に、エンジエルが問い掛ける。魔力の視えぬ者には、ダイ・オフが古代魔族の遺産に触れ、そのままじっと動かないでいるようにしか見えなかった。それでも、あの不快な気持ちをもう感じない。変化は明白だった。
「どうやら、ここいら一帯の魔力全て、ダイ・オフが吸っちまったみてぇだぜ。もう大丈夫そうだ。」
反応を見せぬダイ・オフに代わり、事態が視えていた唯一の目撃者、デッド・エンドが応えた。
「……ねぇ、ダイ・オフは大丈夫なの?ねぇ、ちょっと、大丈夫?」
「……心配要らない。」
そう振り返ったのは、碧い瞳であった。
「古代魔族の遺産を吸収して、何か変化があったらしい。今はスポットの外で、己と向き合っている最中だ。」
「そう、良かった。……それじゃあ、これで本当に終わったのね。」
「……そうだな。もうこの地で、同じ悲劇は起こらない。間違い無くな。」
その言葉に、一同は安堵の表情を浮かべる。纏わり付く嫌な空気も霧消し、もう終わったと太鼓判も押された。長かった三日が――永かった数十年の呪いが、ここにようやく終焉を迎えたのである。
「それでは、お先に失礼します。」
古代魔族の遺産墜落から逃れるに際し、持ち出せた物は少ない。あんなに時間に余裕があるとは思わぬから、いつも身に付けていた荷物を引っ掴んで来ただけだ。
それでも、買い込んだ食料の内、保存食はバックパックに入っていたし、比較的損壊の少ない建物から村人たちが遺した食料は回収出来た。
そこで、遅い朝食、乃至早めの昼食を摂って、今、別れの刻を迎えていた。
「お疲れ様。道中、気を付けてね、イリアス。」
「はい、ありがとう御座います。エンジエルさんたちも、旅のご無事をお祈りしています。」
深々と頭を垂れて、エンジエルとデュースに別れを告げるイリアス。
「ラヴェンナさんも、トールスさんも、無事にお帰り出来ますよう、お祈りしております。」
ふたりへ向き直り、こちらも深々と頭を垂れる。
「司祭様も、お元気で。兄さんたちのお弔い、ありがとう御座いました。」
イリアスに負けぬくらい頭を垂れて、トールスが応えた。イリアスはそれに、笑顔で応える。相変わらずラヴェンナは反応しないが、その表情は柔和であり、心なしかイリアスを見送っているように見えた。
何度も同じ言葉を繰り返しては、いつまで経っても名残惜しくて別れられぬと、イリアスは笑顔で会釈を繰り返しながら、それ以上は何も言わず北の道へと歩み去った。
ちゃんとそれを見送った後、
「……それじゃあ、私たちも行きましょう。」
ラヴェンナがそう告げる。私たち、とは、ラヴェンナとトールスの事である。そこまで家が近い訳では無いが、途中までは同じ道を行く事になる。そこで、ラヴェンナがトールスを送って行くと申し出た。
「……はい。……姐さん。だ……デュースさん。本当に……本当にお世話になりました。」
トールスは、地に着けんとするかの如く、思いっ切り頭を垂れた。エンジエルには盗賊として多くの事を教わり、この旅の中、一生涯忘れ得ぬ体験をさせて貰った。生きて帰郷出来るのも、エンジエルたちのお陰と言えた。喪ったものは大きくとも、ここに無事、旅を終える事が出来るのは、ひとえにふたりの――四人のお陰なのであった。
「トールス……元気でね。」
「はい!」
空元気で返事をする。そうそうすぐに、心底から元気になどなれるはずも無い。でも、敬愛する姐に無用な心配を掛けぬよう――そう言う配慮が出来るほど、トールスは人として成長した。
「ラヴェンナさん、行きましょう。」
わだかまりが無い――と言えば嘘になる。理屈とは言え、兄たちの首を落としたのは彼女だ。でも、兄たちの仇を討ってくれたのも彼女だ。感情が理屈に追い付くまで、どうしても時間が掛かる。それでも、共に行くと決めた。どうすべきかは解っているのだから、そうすべきなのだ。
「それじゃあ……」
エンジエルたちに軽く会釈だけして、そのまま歩き出すラヴェンナ。偶然この地で一緒になっただけの道連れである。これが今生の別れやも知れぬ。しかしラヴェンナは、まるで明日にはまた会えるかのような、素っ気無い態度であった。……そう言う性格と言えばそれまでだが、お婆ちゃんが再会を予言でもしたのだろうか。
「元気でねー、ラヴェンナ。またどこかで逢いましょー。」
そんな言葉が、意図せずエンジエルの口を衝いた。そんな予感でもあったものか、ただの願いか。
トールスだけは、何度も振り返っては会釈を繰り返し、名残惜しさを全身で表していた。一度も振り返らぬラヴェンとは対照的だった。
トールスの姿が見えなくなるまで、エンジエルは小さな体を大きく伸ばして両手を振り続けた。やはり、歳上の弟と別れるのは寂しかった。
「……どうやら、行っちまったみてぇだな。」
「あら、ダイ・オフ。起きたの?……狸寝入り?」
「あん?何だよ、それ。……ま、寝てた訳じゃ無ぇが、別に別れを惜しむ気も無ぇし、狸寝入りっちゃ狸寝入りか。」
思えば、デュースとて特に別れの言葉は掛けていない。眠らずのデッド・エンドも、ひと言も発していない。エンジエルが代わりに見送ってくれるからか、情など移っていないのか。はたまた、別れと思っていないのか。
「それじゃあ、もう判ったの?その……魔力?を吸収して、何がどうしたのか。」
「あぁ、疾っくにな。皆疲れてたし、静かに飯喰ってたから、そのまま放っといた。聞きたきゃ聞かせてやるが――」
「当ったり前でしょ。あたしはこれからも一緒に旅するんだから、聞かせなさいよ。」
「判った、判った。んじゃあ、どこから行くか。」
そのままダイ・オフは、手近な倒木を椅子代わりに腰掛け、エンジエルは倒壊した元民家の残骸に腰掛けた。
「まず、俺様の目的な。やっぱり、古代魔族の遺産が目的だ。」
「……それはそうでしょ。」
「まぁ聞けよ。実際には、古代魔族の遺産と呼ばれる超希少な魔導器――そのものに用は無ぇ。」
「どう言う事?」
「必要なのは、超級と言って良い古代魔導器がその身に秘める膨大な魔力だ。俺様は、古代魔族の遺産の魔力を吸収するのが目的のようだ。」
ダイナスの遺産、世界は、ヴィンスの話から推測するに、当時最強と謳われた吸血鬼O・D・Iを、強制的に支配する力を有していた事になる。
ここ男爵領の遺産は、限定的とは言え、広範囲に亘り死者を支配する力を持っていた。
それほどの魔法効果を実現させる為に必要な魔力とは、一体どれほどのものだろう。それを吸収し、自らの力と出来るなら、それはどれほど強い力となるのだろう。
「しかし、結局視えなかったな。ラヴェンナのお婆ちゃん。」
「?……えぇ、そうね。でも、ラヴェンナが嘘を言ってるようには見えなかったし、多分お婆ちゃんの幽霊が彼女を守ってたりするんじゃ……」
「だが、視えなかった。」
「それはそうでしょ。え~と、ほら、カサンドラ。彼女が支配してる幽霊も視えなかったじゃない。……あれ?そう言えば、最期の瞬間だけ、ミンシアの幽霊は視えたわよね?」
ダイナスの魔導将軍カサンドラ。彼女は死霊使いであり、視えざる亡霊を盾にデュースの斬撃を防ごうとした。
そのカサンドラが使役する亡霊は視えなかったが、仇を討った後、天に召されるミンシアの姿を、確かにエンジエルたちは目撃していた。
「あぁ、あれはミンシアが自分の意志で、姿を視せようとしたんだ。強い意志の力さえあれば、霊体も精霊も現し世の存在に姿を晒せる。だから、視えないのが普通だ。」
「そうなんだ。ミンシア……ん?何か、話がずれてない?」
「あぁ、どう言う事かと言うとだな。どうやら、吸収した古代魔族の遺産が持つ能力に則した力が、俺様にも宿るみてぇでな。今回は、死者蘇生……いや、生き返らせてねぇからな。死体操作か?今更ゾンビや動く骸骨なんぞ使役したって、大した役には立たねぇけどな。」
ゾンビもスケルトンも、普通の人間にとっては充分過ぎるほどの脅威だ。しかし、ダイ・オフ自身がそれを遥かに凌駕する脅威である以上、わざわざゾンビやスケルトンのような格下を生み出す事に、大した意味など無いのだった。
「結果として、今や俺様も死霊使いなのさ。死霊使いの能力として、死霊も視えるって寸法だ。で。ラヴェンナの周りには、何も視えなかった。ってこった。」
「それじゃあ、ラヴェンナは嘘吐いてたの?」
「……どうかな。常に傍にいる訳じゃ無ぇとか、本気でそう思い込んでるとか、色々可能性はあんだろ。俺様には視えなかった。はっきり言えんのはそれだけさ。」
「うん……嘘、言ってるようには思えなかったもん。」
どちらかと言えば――いや、かなりラヴェンナは表情に乏しく、感情が見えにくい。嘘を吐くようには見えないが、嘘を吐いているかどうかは判りづらい。それに、仮に祖母の話が嘘ならば、何故そのような嘘を吐く必要があるのか。嘘など吐いていないと考えた方が自然ではある。
しんみりした雰囲気を変えようと、デッド・エンドが思った事を口にした。
「それにしても、ダイ・オフはどうなってんのかね。」
「あん?そりゃ、どう言う意味だ。」
「考えてもみろよ。あの遺産の魔力は膨大だったろ。壊れて漏れ出た魔力だけでも、魔力を感じねぇエンジエルたちですら、気分を害するほどの濃さだ。高度な技術で古代魔族とやらが創り上げた直径四~五mもある特級魔導器だからこそ、内包出来たと言えるだろう。」
魔力と言うものは、何かしらの効果を発揮する為の動力として、濃縮、精練されたマナである。それをそのまま維持し続ける事は自然に反し、留めておくのは危険でもあるし、難しい。
故に、魔法使いと言えど体内に留めて置ける魔力には制限があるし、魔導器には許容量がある。天然自然な魔法生物であっても、足りない魔力はマナを取り込んで補えば良いのだから、普段から膨大な魔力を体内に溜めておいたりはしない。
「俺はまだ手前ぇの事を把握し切れてねぇが、多分あれだけの魔力を宿すのは無理だと思うぜ。だが、ダイ・オフはあの魔力を体内に取り込んだんだろう?それを遺産のように、何かに使ってる訳でも無ぇ。多過ぎる魔力を取り込んで、苦しんでる風も無ぇ。一体、ダイ・イフって器は、どんだけでかいんだ、って話さ。」
例えば、デュースの義父の剣に古代魔族の遺産の魔力を注いだら、耐え切れずに壊れてしまうだろう。あのカタコンベのリッチが吸収すれば、その身が持たずに崩れてしまうだろう。
それほどの魔力を吸収しても、特にいつもと変りない。ダイ・オフよ。お前は一体、何者なのか。
「それって……大丈夫なの?どこか、痛いところとか、無い?」
「ふむ……特に問題無ぇな。……感覚的なもんだが、俺様の中の空っぽな部分に、遺産の魔力が収まってる感じだ。」
「空っぽな部分……そんで、その空洞の、どのくらいの量なんだ?さっきの魔力。」
「あ~~~……百分の一?」
「おまっ……本当、どうなってんだよ。」
デッド・エンドは呆れ返った。純粋な魔族でも、きっとあのO・D・Iですらも、そこまで膨大な魔力内包量はあり得まい。あり得るとすれば、それは……古代魔族だけなのではあるまいか。
「でもでも、そもそも古代魔族の遺産をひとつ回収したらこの旅は終わり。って訳じゃ無いんでしょ。」
まだまだ一緒に旅していたい。そんな願望もあって、エンジエルは言葉を紡ぐ。
「だったら、いくつも蒐集出来る余裕があって当然なんじゃ……」
「……それはそうか。」
「だな。今はまだ聞こえねぇが、遠くに何かは感じるぜ。こいつで終わり。次を手に入れたら終わり。そんな事ぁあるまい。」
ぱ、っと目を輝かせて、エンジエルは立ち上がった。
「でしょ、でしょ。ねぇ、だったら、次はどうする?どっちへ向かう?」
デュースはおもむろに立ち上がると、そんなお祭り前日の夜の子供のようなエンジエルの頭にぽん、と手を置いて。
「慌てるな。ゆっくり行こう。俺たちの旅は、まだまだ始まったばかりだ。」
デュースのその言葉に、満面の笑みを浮かべたエンジエルを見て、男連中三人もまた、笑顔を溢した。
北西へ一週間、行きと違いひとりでその道を辿ったイリアスは、ようやく我が家へと帰り着いた。我が家と言っても、教会付きの寮だ。司祭職は要職とは言え、一般教徒の取り纏め役に過ぎない。その司祭を束ねる大司祭や、より大きな教区の取り纏め役である司教と比べれば、然して暮らし向きに余裕があるとは言えない。
まだ若くひとり身でもあるイリアスは、衣食住を賄って貰える司祭寮で過ごし、あまつさえ給金のほとんどを施しへと回していた。
身銭を持たぬイリアスが仮に生活に困るような事があっても、他の誰かが助けてくれるだろう。ここはアガペー王国。神々の名の下、お互いが助け合う理想国家なのだから。
自室に手荷物を放ると、イリアスは大司祭への面談を求め、再び教会へと足を向けた。今回の件を報告せねばならない。ボードウィン家へは後で遣いを出すとして、今回はアガペー教司祭として正式に調査に赴いているのだ。故に、チャカとペテサへの手当ても教会から支給されていた。
正確に報告し、四つの村々の死者たちを、ちゃんと弔ってやらねばならない。ホーリンゲン王国が併合を放棄し自治領扱いであった為、自治領民全てが亡くなってしまった今、あの土地に手を入れる勢力は存在しないのだ。野晒しなど、神々もお望みになるまい。
ただ、それも大切だが、イリアス個人として他にも大事な話があった――聖堂騎士の修業を申し出るつもりだ。
今回の件で、本物の魔法に触れた。ただ神へ祈るだけでは、何も出来はしなかった。本物の神の奇蹟を以てして、初めて救えるものもあると知った。
私が聖堂騎士となれば、ラヴェンナさんのお婆様もお救い出来るだろうか。ふと、そんな事を考えたイリアス。それは、まだ若い司祭が気付いていない、かの女性への恋慕の想いであったろうか。
旧男爵領から南方へ五日ほどの街でトールスと別れたラヴェンナは、そこから険しい山道へと分け入り、二日して我が家を視界に捉えた。
トールスとはほとんど会話もしなかったが、彼は大丈夫だと思えた。一度は家まで送り届けようかと思いもしたが、彼はもう子供では無く男なのだと――余計な世話を焼く方が、彼への侮辱なのだと、そう思った。
ラヴェンナの自宅――いや、ラヴェンナの祖母の自宅は、山奥にある丸太小屋だった。周辺だけ少し開拓してあり、畑に作物が実っている。ラヴェンナが家を空けていた事もあり、いくつかの作物は収穫時期を過ごし、少し熟れ過ぎてしまっていた。
自宅周辺の畑以外は、自然のまま手付かずで、深山幽谷の佇まいであった。他に住む者も無く、近くに川が流れてはいても、かなり暮らしにくい環境と言えた。……本当にこんな場所で、老女ひとりが暮らしていたのだろうか。
「ただいま。」
庭の薪割り場に戦斧を放り出し、施錠もされていない玄関の扉を開け放ち、帰参の挨拶と共に家の中へと歩み入るラヴェンナ。祖母の家ではあるが、半年ほど前からラヴェンナも住み込んで、一緒に暮らしている。今では、勝手知ったる自分の家。そのまま奥へと進んで行き、一番奥まった祖母の部屋へと至る。
「ただいま、お婆ちゃん。」
部屋の中央で、入り口に背を向けて安楽椅子に座った人物へ、ラヴェンナは声を掛ける。
「あら、いやだ。また締め切って。風通しが悪いのも、体に良く無いわよ。」
そのまま窓の方まで歩いて行き、木戸を押し開く。緩やかな風が部屋に流れ込み、薄絹のカーテンが静かになびく。それと共に、まだ紅く染まる前の斜陽が部屋の中を照らした。
安楽椅子には、祖母らしき女性が座っている。いや、祖母だった――人間だった物が座っている。それは、完全に干からびた木乃伊だった。歳嵩の女性が好みそうな、落ち着いた色合いの婦人服を身に纏った木乃伊であった。
ただ、とても美しかった。すでに眼球も無く非道く痩せ細り、肌は干からびている。しかし、綺麗に色の抜けた長髪は生前そのままに、痩せてはいても骨に肌が直接張り付くほど細くは無く、まるで皮膚の下にまだ血の通った肉が残っているかのよう。そう。美しい木乃伊だった。
この地の気候や、保存状態が良いのだろうか。まだ亡くなったばかりのように美しい、木乃伊である。
「ごめんなさい。何も見付からなかったわ。」
だが、どんなに美しくとも、これはすでに死んでいる。ラヴェンナに応える声は響かない。
「……そう。お婆ちゃんにも、正確な事は判らないのね。」
それでもラヴェンナは、祖母と会話を続けた。彼女には、祖母の声が聞こえているのか。
「ん~ん、大丈夫。また何かあったら言って。今度こそ、お婆ちゃんが生き返れるかも知れないから。」
號。部屋の中に流れ込んでいた風が、一瞬強く吹き荒れた。
「……風が出て来たのかしら。もう戸締りしましょうか。」
ラヴェンナは窓の方を振り返り、先程開けたばかりの木戸を閉めに向かう。
「そうそう、お婆ちゃん。面白い人たちに出逢ったのよ。彼女たちに、もう一度逢えたら嬉しいわ。」
陽が沈み、人っ子ひとりいない――人っ子ひとりの山中に話し声が響く。ここ半年の中で、一番多くの会話が交わされる。それを聞く者とていないはずのその声は、この日ばかりは夜半過ぎまで続いたのだった。
つづく
あとがき
「Die off」第二章「旧ボードウィン男爵領」をお読み頂き、ありがとう御座いました。
ダイナスまではRPGツクール版としてベースが存在しましたが、ここからは完全新規に書き起こしました。
全体的な流れはすでに頭の中にありましたが、詳細なエピソードについてはいちからの発想です。
どうなるか私自身全く判らぬ中での創作。お楽しみ頂けたなら幸いです。
「異世界なんか救ってやらねぇ」については、中村うさぎを念頭に執筆。「Die off」については、「吸血鬼ハンター」シリーズを念頭に執筆しています。
ただ、元々少年漫画しか描いて来なかった事もあり、何とか「吸血鬼ハンター」のような重厚でスタイリッシュな文章をと模索しても、展開に少年漫画らしさが出て来てしまう。
文章力が追い付かず、中々思った通りに書けません。
拙い文章ですが、これからも面白い物語を紡いで行けるよう苦心し続けるので、お付き合いのほど宜しくお願い致します。
少し内容に触れますと、今回のキャラクターは皆、この話を考えながら新規に興したキャラクターたちです。
中でもお気に入りなのは、イリアス・ボードウィン。
「魔少年ビーティー」における公一くん。「ジョジョの奇妙な冒険」における広瀬康一。「ミキストリ」におけるダニー・エルフマン。
物語に直接関わりながらもストーリィテラーの立ち位置にいるキャラクターが、個人的に好きでして。
一見冴えない非力なおっさん作家のダニー・エルフマンが、イリアスのイメージの元ネタになります。
これと言った力を発揮はしないまでも、ダニー自身ウィルス持ちの神のひと柱となりながら、その場にはいても傍観者であり続けるスタイルが堪らなく好きです。
イリアスには、そんなキャラクターに成長して貰えればと思っているので、一応この先も登場予定です。
ただ、私はキャラクターの行動はキャラクター自身に任せる性質なので、登場はさせますがどう動いてくれる事やら。私も楽しみにしています。
第二章を執筆しながら少しは第三章のネタも書き留めてはいますが、プロットの作成はこれから。
また続きが形になるまで時間が掛かるかも知れませんが、どうか気長にお待ち頂ければ。
どうにか予定通り、彼らの旅の終焉まで書き切れればと思いますので、これからもよろしくお願いします。
それではまた、再見。
2025年10月 千三屋きつね




