第五節
ふたりの元道連れを焼いて、その灰を男爵邸の庭に埋めた後、改めて探索を開始した。
昨日、夜の防衛戦の為に探索した時は、あくまで篝火に使えそうな資材の探索だった。一応各部屋を回りはしても、本格的な探索は行っていない。
とは言え、声は上から聞こえると言う。三階層あるこの旧男爵邸の上となれば、やはり三階こそが本命か。少なくとも、一階に何かあるとも思えない。
そこで、ダイ・オフたちは三階へと上がり、イリアスとラヴェンナで二階を調べる事とした。昨日の探索の折り、二階の罠感知はひと通り済ませてあるので、危険は無いとの判断である。
「ですが、実際には何を探せば良いのでしょう。」
独り言のつもりは無かったが、イリアスの言葉に応える者はいなかった。言葉を投げ掛けたつもりの相手は、ひとりで黙々と探索を続けている。何やらぶつぶつ呟きながら。
最初の出遭いが出遭いだけに気まずさしかありはしなかったが、折角行動を共にするのである。打ち解けようと頑張ってみたが、どうやら彼女の眼中に自分は入っていないのでは無いか。
溜息を吐きつつ、イリアスも探索に戻るのであった。
「……そう。ここには無いのね、お婆ちゃん。それじゃあ、彼女たちの方に……え?違う?一体何処に……」
ラヴェンナには、イリアスを無視する意図は無かったが、祖母との会話に集中していて、話し掛けられた事にすら気付いていなかった。
それに、自分に自信の無いイリアスの声は、この広い城砦内部では遠くまで届かない。決して、ラヴェンナだけの問題では無かった。
砦外観からの予想通りに、一階ごとの天井は高い。男爵邸として改修する際、三階までは貴族に相応しい内装としなかった。砦としては広過ぎずとも、邸宅としては広過ぎる。一階を来客用に、二階を家族用に飾り立てれば、貴族の屋敷としての体裁は繕えた。三階部分は使用人の部屋や物置として使う為、豪奢な装飾照明を懸架しなかったのだろう。シャンデリアの残骸の分天井が低く感じられる階下より、三階は余計に天井が高く見えた。
そんな高い天井を見上げながら、
「どう言う事?三階よりもっと上なの?」
エンジエルがダイ・オフに問い掛ける。
「……おかしいとは思ってたんだ。上から声がする、とは言え、二階とか三階とか、そんな距離感じゃ無ぇんだよ。この地に近付いてからずっと、空の上から声がしてた。砦まで辿り着いても、まるで近付いた気がしねぇ。」
一応、三階の各部屋をひと通り探索した後である。おかしいとは思いつつ、可能性を潰す為にも調べるだけ調べる必要はあった。エンジエルの能力なら、この広さの一階層分、大した時間を掛けずに調査も出来る。事実、サダルスたちが砦を去ってから、まだ二時間も経っていない。
「多分、屋上があるな。……一応、探ってみるか?」
デュースの提案にダイ・オフは首を捻るが、然りとて他に良い考えも浮かばず、
「……そうだな。屋上に上がったところで声には近付けねぇと思うが、それこそ空を見上げりゃ何か見えるかも知れねぇ。一応、行ってみるか。」
「判ったわ。行くわよ。」
と、エンジエルが先行して歩き出す。ここに来て、エンジエルが先を行く事が多くなった。盗賊が先を行くのは当然とも言えるが、罠はともかく、モンスターの類いや魔法相手では盗賊技能など役には立たない。危険感知ならダイ・オフの方が優れてもいて、ダイナス以降デュースが前を歩いていた。
ダイナスと違い、ここにはモンスターなど出ない――ゾンビは除くが。今のところ、魔法が直接脅威となる事も無い。遺跡探索の域を出ない今、エンジエルが先を行くのが自然と言えた。
……階段を上るのに躊躇しなくなった事も大きい。デュースは覗かないから。少し残念にも思うエンジエルである。
では、ダイ・オフやデッド・エンドは?
エンジエルの眼中に無かった。
目的の階段は外壁際にあり、一階層分の半分ほどを上ったところで、左へと折れていた。天井が高い事で、直接階上まで階段を築くと、勾配がきつくなり過ぎるのだろう。三階には、シンメトリーにもうひとつ、反対側の壁にも階段があった。一階と二階の階段は、広間中央よりやや奥まった場所に築かれており、半分ほどで踊り場となって、そこから二本、左右に分かれて階上へと繋がっていた。ここ三階は階段を上がれば屋上であろうから、構造が違うのかも知れない。
階上へと上り、扉が朽ちた小部屋を抜けると、果たしてそこは屋上であった。投石機など何某かの兵器を備え付ける為の台座跡が、四方にいくつか並んでいる。屋上外周部には、腰辺りまでの高さの防壁がある。その為、転落の危険は少ないが、等間隔に切れ込みがある。そこから、弓や弩で狙い撃つのだろう。
昼下がりのまだ強い陽差しが、四人の足元にふたつの影を描いた。
「う~ん、良い天気。……何も無いわね。ま、当然か。」
風雨にも陽差しにもそのまま晒される屋上には、砦そのもの以外の痕跡がほぼ存在しなかった。罠もお宝も、ひと目で無い事が判る。
傍らで空を見上げるダイ・オフに釣られ、エンジエルも空を仰ぎ見た。
「……もっと、もぉ~と上、って事?」
「あぁ……エンジエル。お前、眼も良いよな。あれ……あそこに何か無ぇか?」
「え?!何処何処?」
付近で一番高い場所から仰ぎ見る空は広大で、ダイ・オフが言うあそこが何処だかすぐには判らない。それでも、ダイ・オフの見上げる先に目を凝らしてみると……
「……、……、……ほぼ真上?確かに、何かあるかしら。……動かないし、鳥じゃ無いわよね。」
雲ひとつ無い快晴、とは言えず、薄い雲はちらほら湧いており、その何かが姿を隠す事もある。あんまりにも上空に位置する為、そもそもはっきりしない。だが、空に動かない物など存在しない。太陽や月、星々ですら、ゆっくりとは言え動くのだから。
「う~ん……何だろう。さすがに、黒い点にしか見えないなぁ。」
「ちっ、眼がおかしくなりそうだ。」
見上げるのを止め、眼をぱちぱち瞬かせるダイ・オフ。
「だが、あの何だか良く判らねぇもんから声がするとすりゃ、距離的には丁度良い気がするぜ。」
「……距離は離れてるが、魔力のようなものも感じるぞ。間違い無いんじゃないか。」
デッド・エンドも、それがあれである事に同意する。
「……それじゃあ、あの豆粒がここの古代魔族の遺産なのね。」
その黒点を眼を細めて眺めながら、エンジエルが呟いた。その正確な姿までは判らないものの、お宝を見付けた、と言えるだろうか。
「ん?あれは……」
ダイ・オフの視線から、別のものを見出したデュース。
「どうした?デュース。」
「向こうだ。サルモンドの方。」
言われて、ダイ・オフもエンジエルも、南へと眼を向けた。そこには、サルモンドの村から男爵邸へと至る坂道を、上り来る一団があった。
「……どうしたのかしら。あれ……サダルスたちよね。」
そう。男爵邸へと急ぎ来るのは、少し前に別れたばかりのサダルスたちであった。しかもその様子は、何やらとても取り乱したものに見えた。
「行きましょう。何だか様子がおかしいわ。」
エンジエルはすぐさま駆け出し、デュースが後に続いた。
デュースひとり――否、三人が、一階広間へと辿り着いた。エンジエルは二階で、ラヴェンナとイリアスに声を掛ける為に別れた。ただ事では無い様子と見て、デュースたちだけ先行してサダルスたちの許へと駆け付けたのだ。
そこへ、慌てふためいた様子のサダルスたちが駆け込んで来た。
「あ、兄貴、大変だ!い、今すぐ扉を閉めてくれ。」
先頭のサダルスが、左腕を押さえるようにしながら、息を切らせてそう告げた。一瞥だけ呉れたデュースは、言う通りすぐに玄関の大扉を閉じ、それからサダルスたちの呼吸が整うのを待った。
「あ、いたいた。一体どうしたのよ。」
そこへ、ラヴェンナ、イリアスと連れ立って、エンジエルもやって来た。
「ね、姐さん……に、兄さんが奴らに……これ、兄さん、大丈夫だよね。」
今にも泣きそうなトールスが、エンジエルに縋るように声を掛けるが、要領を得ない。見れば、どうやらサダルスは、左腕を負傷しているようだった。
「とにかく落ち着いて。貴方は大丈夫?オルヴァ、ケルマー、貴方たちも。」
「……大丈夫です。傷を負ったのは、サダルスだけです。不意を突かれました。」
ひと足早く呼吸の整ったケルマーが答えた。
「何があったの?一体、誰にやられたのよ。」
「……村の奴らです。いきなり豹変して、サダルスに噛み付いて来やがって……」
次いで、オルヴァが説明する。
「村のって……サルモンドの人たち?あんたたち、何かしたの?それに、噛み付いて来たって……それって……」
皆の視線が、サダルスの左腕に集中した。お伽話で語られる動く死体の特徴は、良く知られている。死体が墓から起き上がって、生者を求めて襲い掛かり、その血肉を貪り喰らうのだ。そして――ゾンビに噛み付かれた者もまた、ゾンビと化してしまうと云う。
「……姐さん。いや、兄貴。もし俺がゾンビになっちまったら……」
「そ、そんな!兄さん!」
悲壮な顔で呟くサダルスと、すでに涙が堪え切れないトールス。そんなふたりに、何も声を掛けられない面々……だが、
「多分、大丈夫だと思うぞ。」
と、ダイ・オフが軽く請け負った。
「え?……」
「だ、ダイ・オフさん、ほ、本当に!?」
「あ~、お前らが知ってんのは、あくまでお伽話だ。噛み付かれたらゾンビになっちまう。その方が怖ぇだろ。吟遊詩人が話を盛ってんだ。」
「どう言う事よ。」
それは、エンジエルも知らない話だ。ダイナスで出遭ったモンスターについては説明を受けたが、その中に噛まれたらどうなるかなんて話は含まれていなかった。当り前の事として知っていそうな事は割愛されただけ。そう思って気にも留めなかったエンジエルも、ゾンビに噛まれればゾンビになってしまう。そう思い込んでいた。
「良いか。ゾンビって奴が動き出す理由には、大きく分ければふたつある。ひとつは、死体に死霊が取り憑くって奴だ。もうひとつが、魔法使いによって使役されるって奴。」
「うん、そう聞いたわ。それで?」
「良く考えてみろ。噛んだからって、死霊がうつるか?魔法がうつるか?聞いた話じゃ、吸血鬼に噛まれると吸血鬼になっちまう事があるそうだが、それは吸血鬼の能力だ。吸血鬼はかなり高位の不死の怪物だからそんな芸当も可能らしいが、高がゾンビにそこまでの能力は備わってねぇ。ま、噛まれて死んだ奴の体に他の死霊でも取り憑きゃ、新しいゾンビの誕生だろうが、そりゃ噛まれてうつるのとは訳が違ぇだろ。」
もちろんこれは、デュースの受け売りだ。吸血鬼の件は、デッド・エンドの受け売り。ダイ・オフ自身は、魔力を扱えはしても、魔法やモンスターに関する知識など大して持ち合わせてはいない。
「そ……それじゃあ兄さんは……」
「取り敢えず、ちゃんと止血してやれ。その傷が元で死んじまったら、夜にはゾンビの仲間入りだ。」
「くっ……オルヴァ、ケルマー、頼む。」
その場で腰を下ろし、左腕を差し出し、戦友に治療を託すサダルス。
……嘘は言っていない。今語った事は、紛れも無い真実。一般的なゾンビに、噛んで仲間を増やす能力など備わっていないのだ。……一般的なゾンビには。
この地のゾンビは、明らかに異質である。ゾンビとして夜歩くのは、死霊や魔法――死霊魔法によるものでは無い。古代魔族の遺産と言う、オーパーツの未知なる力によってなのだ。
今のところ、ここ旧男爵邸で一夜を過ごしただけでは、ゾンビにされたりしていない。普通に考えれば、ゾンビとは死者が成るものなのだから、生きている限り何の影響も受けないはず……だが、それでは、麓の村人たちは、皆死者が生き返った者なのだろうか。それには些か違和感を覚える。
死が先か生が先か。事によると、この場に留まり続ける事すら、危険なのかも知れない。
デュースは最悪の事態も想定しながら、そこは伏せてダイ・オフに説明を任せた。ダイ・オフほどの漢が大丈夫と請け負うのだ。これ以上の気休めはあるまい。
「しかし……こいつは凄ぇな。」
サダルスの前に陣取ったオルヴァが、その状態に目を見張る。
「くっ……いくら金属製の籠手じゃ無ぇからって、どうやったらこんなんなるんだ……」
ぼやくサダルスの前腕部は、血塗れで襤褸襤褸だった。傷は非道いが、どうやら骨が見えるほどでは無いようだ。しかし、サダルスが身に付けていた革手袋は完全に引き裂かれていた。
グローブ――とは言え、革製である。曲がりなりにも防具の役割を持つグローブであり、なめし皮を何枚か重ねて強度を増してある。兵士では無く冒険者としての軽装故、決して防御力は高く無い為、剣や斧で斬られれば表面に傷が付き、腕の骨が折れるかも知れない。
しかし、である。サダルスは噛み付かれたのだ。これが仮に、猛獣の類いに噛み付かれたとて、こうまで非道く引き裂かれはすまい。猛獣とて生き物。本能として、それ以上力を込めれば己が肉体も傷付く、と言う制限が掛かる為、本当の意味での全力は出せないように出来ている。
こんな芸当が出来るのは、理性のたがが外れた狂人や――アンデッドくらいなのである。
すでに用を成さなくなったレザー・グローブを剥ぎ取り、オルヴァがサダルスに布巾を手渡す。サダルスはそれを口に押し込み、思い切り噛み締めた。それを確認してから、オルヴァは応急キットの中から消毒液を取り出し、一度サダルスと見交わした後、躊躇無く傷口に打っ掛けた。
途端、サダルスは声にならない絶叫を噛み殺し、両足をばたばた激しく踏みしだく。
「に、兄さん……」
心配で、涙が溢れるトールス。
「さすがだな。」
「え!?」
トールスには、ダイ・オフが称賛した意味が判らなかった。本当であれば、痛みに耐え兼ねて転げ回る事だろう。気を失ってしまう者もいるだろう。サダルスも、足をばたつかせて暴れてはいる。だが、善く善く見れば、サダルスの左腕はほとんど動いていない。体の正面では無く横へ腕を突き出し、足はばたつかせながらもオルヴァの治療を受け続けている。並みの胆力で出来る事では無かった。
前線務めでは無いとは言え、盗賊の類いとの戦いの中、手傷を負う事はあったろう。きっと、この手の処置も、初めてでは無いのだ。
その様子を確認し、サダルスの治療をオルヴァに任せたケルマーが、エンジエルたちに状況の説明を始めた。
「……サダルスの奴が、村の奴に帰ると話した途端、急に襲い掛かって来やがった。咄嗟に腕を出して噛まれたんです。」
「帰るって話した途端?」
「はい。来る者拒まず、去る者許さず。って感じですかね。襲い掛かって来た奴以外は、道を塞ぐようにこっちを包囲してました。夜間と同じゾンビ状態でしたが……かなり素早かったですよ。もし走って逃げても、追い付かれるんじゃないですかね。」
ゾンビなのにかなり素早かった。わざわざそう告げたのは、ゾンビと言うものは、力こそ強いが動きは緩慢だと言うイメージがあるからだ。事実、普通のゾンビはそうである。
「腐った死体じゃ無ぇからな。足も速ぇのか。」
「はい。兄貴の言う通りだと思います。もし強行突破しようと森へ向かってたら、今頃捕まってどうなってた事か。……サダルスが手傷を負ったんで慌てて逃げ出しましたが、道が塞がれてたので丘の方へ。その時、俺は殿だったんで気付いたんですが、俺たちが丘の方へ逃げ出してすぐ、奴らいつもの状態に戻ってましたよ。逃げようとさえしなければ襲わない。そう言う事なんでしょう。」
「けっ!……きっと噛んだ奴ぁ、いきなり口元血だらけで、さぞや驚いた事だろうよ。痛ぅ!」
傷の応急手当てが終わり、包帯を巻かれながらサダルスが悪態を吐いた。
「どうやら、大丈夫みたいだな。」
「幸い、傷は骨まで達していませんでした。応急キットで傷を縫い合わせ、止血はしておきました。街で薬師に見せた方が良いですが、何日かは持つでしょう。」
「すまんな、オルヴァ。助かった。幸い利き手じゃ無ぇし、何とかならぁ。」
巻いた傍から包帯に血が滲み、強がりほど軽い怪我では無い事は見て取れた。だが、戦場で兵士が戦うに際し、この程度の怪我や痛みなど、気にしてはいられない。気を取られれば、命を落とし兼ねないのだから。
「……それじゃあ、あんたたちもここに残るしか無さそうね。もう夕方になるし、夜の準備をしちゃいましょう。どう動くにも夜は不利よ。夜は、奴らの時間だもの。」
古代魔族の遺産を見付けた、と言えるかどうかも微妙な現状、夜を待たずに事態を解決するのは難しい。今日もどうにか、死者たちの時間を遣り過ごさねばならなかった。
もう外の様子を詳細に確認する必要は無いので、灯りは邸内に焚いた。充分な戸締りで死者の侵入を防げる事は昨夜実証済みだが、念の為、サダルスパーティーを一階広間に待機させる。怪我を負ったサダルスもそうだが、かなり参った様子のトールスにも休息して貰う意味もある。
ひと通りの準備と食事を終えて、夜の帳が下りた頃、残りの四人は二階広間で打ち合わせをしていた。
「――と言う訳で、一応見付けたのよ。古代魔族の遺産……っぽい物は。」
「……男爵邸上空……ですか。」
そこからでは見えやしないのに、つい天井を見上げて呟くイリアス。
「……それで……どうするんです?」
「う~ん、それが問題ね。」
「……それが本当に古代魔族の遺産だとしたら、どうやってそんなところに上げたんでしょう。それも魔法なら、上げた方法が判れば、下ろす事も出来るんじゃないか。お婆ちゃんがそう言っています。」
イリアスは、聖職者とは言えただの司祭。教会に仕える魔法使いである聖堂騎士とは違い、魔法も使えなければ死者の姿も視えない。それでも、ついラヴェンナの周囲を見回してしまう。彼女の言う“お婆ちゃん”の事が、気になって仕方が無かった。むしろ、少しも気にした様子が無いエンジエルとダイ・オフの方がおかしい……はずだと、イリアスは自己弁護した。
「それなんだがな。俺も魔法に詳しい訳じゃ無いが、ひとつ思い当たる事がある。」
いきなり湧いた声に、きょろきょろと辺りを見回すイリアス。
「あ、あのぅ~……今の声、誰です?聞き覚えがありませんが……」
声に聞き覚えも無ければ、誰も口を開いていない。もしかしてここには、ゾンビだけで無く幽霊まで取り憑いているのだろうか。
「ん?あぁ、そうか。司祭様にゃ紹介してなかったな。」
言って、ダイ・オフが刃を上に向けたまま、魔剣をイリアスの目の前に掲げ持つ。
「こいつぁ魔剣だ。意思もある。口は無ぇが喋りもする。」
「……ちっ、随分乱暴な紹介だな。まぁ良い。俺は魔剣デッド・エンド。これでも元は人間だ。よろしくな、イリアス。」
「……魔剣……い、知性ある剣ですか?!そ、そんな馬鹿な……いや、伝承には残っていますが、まさか本当に……」
司祭は魔法を使えはしないが、昇格する為には相応の知識が必要とされる。座学でしか無いとは言え、かなり博識ではあった。分野の違いがあるからこそ、デュースほど魔法やモンスターに詳しい訳では無いのだが。
「ついでだから言っておくと、俺の中には――って言い方は気に喰わねぇが、判りやすく言えば、俺の中にもうひとりいる。」
実際問題、ダイ・オフとデュースは別人だ。たまさか同じ体の中に同居しているが、ダイ・オフの中にデュースがいる、と言う言い方は間違っている。本来一々説明しないし、ダイ・オフには上手く説明する事も難しかった。
「混乱を避ける為、敢えて黙っていた。デュースだ。よろしくな、ボードウィン司祭。」
イリアスは凡夫では無い。若くして司祭になっただけで無く、その性格から軽く見られがちなだけで、博識であり慧眼でもあった。故に、他人の顔色を窺えてもいた。
今は、紅かった瞳が碧く輝くのを見逃さなかった。
「こ、これはご丁寧にどうも。私の事は、イリアスとお呼び下さい。」
「……それで、思い当たる事って?」
相変わらず、イリアスに対する敬意の欠片も無いラヴェンナが話を戻す。
「おっと、そうだったな。確かに、ダイ・オフが声を聞く以外、魔力の類いを全く感じない訳だが、その魔力についてだ。この俺が眠りに就いてた時も、封印自体は感じられても、俺の存在は感じられなかったのだろう?」
「え……えぇ、そうね。ダイ・オフも、魔剣があるだなんてひと言も言わなかったもんね。」
「つまりだ。魔力、ってのは隠せるのさ。俺様がいた塔はあからさま過ぎて封印を隠す意味なんて無かったろうが、封印した事実ごと隠したければ、封印そのものも隠す。」
「なるほど。この場合、あの上空の遺産を何とかする装置なりがあるとして、必ずしも魔力として感じられるとは限らない訳だな。」
「その通り。封印でも幻覚でもどっちでも構わないが、あいつを下ろす装置が隠されてる。見えなくなってる。って可能性はあるんじゃねぇかと思ってな。」
「幻術――か。そう言えば、ダイナスの城で突然ガセボごと消えた事があっただろ。」
「え!?えぇ、あったわね。……ごめんなさい。」
デュースの指摘に、しゅんとなるエンジエル。
「あぁ、いや、責めてる訳じゃ無い。あの後ヴィンスと戦って思ったんだ。もしかしたら、あれもヴィンスの幻術だったんじゃないかってな。」
「ヴィンスの――幻術……」
一応魔力を持っているダイ・オフですら、ヴィンスの幻体を見抜く事は出来無かった。あまつさえ、エンジエルは一度、姿を隠したヴィンスに斬られている。高度な幻術の恐ろしさは身に沁みていた。
「仮にそうだとすれば、触れても現実だと信じ込ませるほどの幻術が存在する事になる。俺はこの手で触れたが、本物のガセボだとしか思えなかったからな。」
「ふ~ん、となると。触れても触れた事に気付けない幻術すらあり得る。って事か。本当に魔法って奴は厄介だな。……魔剣の俺が言うのも何だが。」
「……それで、どうするの?それじゃあ探しても無駄?」
ラヴェンナが核心を突く。
「……いや、探すだけ探してみろよ。そう言う事がある、と知って探せば、何か違和感を覚えるかも知れん。特に、ダイ・オフと“お婆ちゃん”なら、他の奴より勘働きもするだろうよ。」
「……そう、判ったわ。お婆ちゃんも、そうしなさい、って言ってる。」
表情など見えぬ魔剣の言葉には、少し揶揄いの色が含まれていたが、ラヴェンナは気にする風も無く受け答えた。
「良~し。そうとなったら、しっかり探さなきゃね。魔法とは言え、本来あたしの領分なんだし。ラヴェンナ、イリアス、引き続き二階を頼むわ。たまに、息抜きついでに外の様子も確認して。あたしたちは三階を調べてみる。……そうね。やっぱり上の方が確率高いかな?ダイ・オフは屋上見て来て。三階はあたしが見るから。」
「判ったわ。」
「了ぉ解。」
「は、はい。判りました。」
返事を確認し、皆が動き出す。すでに探索済みだが、先の話を踏まえて、改めて念入りに探索を繰り返す。
しかし、古代魔族の遺産は上にある。あまつさえ、その姿を上空に確認した。と言う事実がそうさせるのか。魔力を感じずとも何かあるかも知れない、と言う意味なら、地下だってそうだろうに。その事に思い至る者は、誰ひとりいなかった。それはどうやら、”お婆ちゃん”さえも……
雲を掴むような、干し草の中から針を探すような、手応えの無い探索を延々続けて夜を過ごす内、男爵邸の周囲を徘徊していた村人たちの姿が消え始めた。夜明けが近いのだろう。
邸内に射す陽の光は限定的なれど、それでも昼間の方が探索には向く。達成感の無い空虚な仕事に飽いた探索者たちは、呆と眼下の村人たちを眺めるなり、それでもまだ当所無く手を動かし続けるなりして、時間が過ぎるに任せていた。
そんな中、一階広間で建前としての警戒を続けながら休息していたサダルスたちも、周囲の気配を察していた。然程意味のある役割では無いとしても、これで完全に警戒を解いて大丈夫そうだと。
「……どうやら外の連中、今日はもう上がるようだぜ。」
狭間から外の様子を確認したケルマーが、パーティーの元へ戻って来た。建前に過ぎない任務でも疎かには出来無い。律儀な冒険者たちは、オルヴァとケルマーが交代で外の監視を行っていた。
「そうか。まだ陽が昇るまで時間はあるだろうが、取り敢えずひと安心だな。……俺も、休んでばかりもいられねぇ。少し動くか?」
「兄さん?」
サダルスは、横たえた体を起こし、左腕の調子を見るように少し動かしてみる。
「……良し、大丈夫そうだ。」
「兄さん、どうするの?」
「あぁ、俺たちも探索しよう。とは言え、上は姐さんたちが責任持って探してるんだ。俺たちの手は必要あるまい。」
「……地下か。」
ケルマーがピンと来た。
「その通り。古代魔族の遺産なんて大逸れたもんは、上の方にあるらしい。チャカたちが掛かった怖い罠は、姐さんが解除してくれた。地下に危険は無ぇだろ。だが、遺産ほどじゃ無ぇお宝ならあるかも知れねぇ。」
「良いのか?何か見付けたら、姐さんたちに報せなくて。」
「……姐さんたちの目的は、魔族の遺産だからな。それに、このままじゃ今回俺たちゃ赤字だぜ。悪ぃが、ちょっとしたお宝くらいは、頂かせて貰おうや。それに、普通のお宝探索なら、トールスに経験を積ませるのに丁度良いだろ。どうだ、トールス。お前も、折角教えを受けたんだ。実地で試してぇだろ。」
迷いはあった。多少、後ろめたさもあった。だが、その後ろめたさは、姐に黙って宝を横取りする事に対してだけで無く、自分の為に兵士を辞めて冒険に付き合ってくれる兄たちへのものでもあったのだ。断れるはずも無い。そして、自分の今の力を試してみたいと言う誘惑――それもある。
「……行こう、兄さん。俺も役に立つってところ、見せてやるよ。」
「良し、決まりだ。なぁに、もし危なそうだったら、すぐ戻って来れば良いだけの話さ。問題無い。」
本格的な探索には参加せず一度は男爵邸を後にし、逃げ戻ればサダルスの怪我もあって再度の探索にも不参加。タイミングの問題で、古代魔族の遺産が上空にあると言う事も、魔力を感じなくとも関連する何かが存在するとも、情報を共有出来ていなかった。
故に、そこに危険が待ち受けているなど、想像も出来無かった事だろう。
荷物はそのままに探索用の装備だけ調えて、こうしてサダルスパーティーの最初の……そして最期の冒険が始まった。
街を出た時とは違い、胸を張り堂々と先を歩くトールスは、とても頼もしく見えた。
念の為、エンジエルが解除した件の罠までの道のりでも、罠感知、危険感知に手抜かりは無い。
チャカとペテサが手付かずだった十字路の右の道は、左の道同様、遠い過日物置であった痕跡を残すのみであった。覘くだけ覘き、さっさと本命へと至る。
後学の為にとエンジエルが解除した仕掛けを確認するも、まだトールスには理解が及ばなかった。このレベルの罠に遭遇しては、今のトールスでは手も足も出ないだろう。
ひとつ上の階までと違い、床に土が多く混じった通路を奥へと進むと、埃だらけ、蜘蛛の巣だらけではあるが、一見してそこが特別な場所だと判るほど、豪奢な木製の扉に行き当たった。
通路の幅は、大の大人が両手を横に広げて触れるか触れないか、天井までは二m五十cmと言うところか。決して広いとは言えないものの、地下の空間と思えば充分な広さが確保されていると言えるだろう。その両開きの扉は、そんな通路一杯の大きさがあり、扉としては大きいと言えた。
感知に引っ掛かるものは無く、それでもトールスは慎重に扉の周囲から調査を始め、埃と蜘蛛の巣を払ってから、扉の状態もチェックして行く。まだ絶対の自信は無いが、罠も鍵も大丈夫そうだ。
チャカたちを絶命たらしめた罠について、エンジエルから詳しい解説は受けていない。あの罠が、その先への出入りを想定した罠であった事は知らない。故に、慎重に調べながら進んでいたが、仮に今調査をしているのがトールスで無くエンジエルであったとしても、そこに魔法で封印が施されている事など、感知しようが無い。しかも、封印自体が隠蔽の効果を持つ封印である以上、デッド・エンドやダイ・オフでさえも、そうとは気付かぬだろう。本物の魔法使いでも無い限り、おいそれと魔法に対抗など出来ぬのである。
ギギ、ギギギィ、と重い音を立て、トールスに代わりオルヴァとケルマーのふたり掛かりで運命の扉を開くと、中から一気に冷気が噴き出した。千年振りの深呼吸をするように、通路を空気が流れて行く。
封印は解かれた――が、それ自体が消失した事で、未だ魔力は溢れ出さず。地下の異変に、未だ気付く者はおらず。
室内は通路とは比べ物にならないほど広大で、それ故入り口に灯るランタンと松明の灯りだけでは、全容が知れなかった。もし煌々と照らす光源さえあれば、ここがどんな場所なのかすぐに気付き、足を踏み入れなかったかも知れない。
だが、四人は足を踏み入れた。周囲を警戒しながら、奥へ奥へと。
その広大な空間は通路とは違い、床は完全に土の地面となっており、一定の間隔ごとに石の台座のような物が並んでいた。灯りが端まで届かぬこの状況では、先を見通そうとする余り、身近が見えなくなるのも無理は無い。この石の台座に注視していれば、もっと早くに事態を理解出来たやも知れぬ。
しかし四人は、この空間の中程を過ぎるまで、ただ慎重に周囲を警戒して歩を進めるだけだった。暗闇の中動くモノとて、音を立てるモノとて無い。あまりに静謐な時間は、ある意味思考を麻痺させる。ごくり、と喉を鳴らす事さえ憚られた。
張り詰めた緊張で足取りが重くなった時、殿を務めるサダルスがふと石の台座に意識を向けた。――違和感がある。本当にこれは、ただの台座なのだろうか。もしや、これは……もしや、此処は……
「……な、なぁ、ここに並んでる石の台座って、もしかして――」
その時、誰かが気付くのを待っていたかのように、周囲で一斉に音が鳴り響いた。ゴゴ、ギゴゴゴゴゴゴ……。重い何かが擦れ合いながら移動するような……例えば、石棺の蓋が開いて行くような!
「まずいっ!おい、トールス!こっちへ来い!引き返すぞ!」
声を張り上げ、弟の名を叫びながらサダルスは剣と盾を構えた。
「ここは墓場だ!奴らが起き上がって来るぞ!」
異変に気付いたオルヴァとケルマーも、剣と盾を構えながらトールスを囲むように防御陣形を敷いた。
「に、兄さん!これって一体……」
トールスを囲むようにして、じりじりと後退を始めながら、
「くそっ!広過ぎて、どっちがどっちか良く判らねぇ!だが、俺の背後が入り口だった方向だ。トールス!そっちへ向かって走れ!」
「え?!で、でも……に、兄さんはどうするの?」
「すぐ後に続く!お前は一番身軽だからな。先に行って、姐さんたちに報せてくれ!」
「!……う、うん、判った!え、えっと……確か、入り口はあっち……」
兄たち三人の背後へ回り、入り口方面を確認しようとしたその時、すぐ横の石棺の蓋が、ばん、と音を立てて跳ね上がった。
「う!うわぁっ?!」
勢い良く跳ね上がった石蓋は、トールスたちとは反対側へ、ずしん、と落ちたが、そこに立ち上がった影が節くれだった指をトールスの方へと伸ばす。
透かさず間に割って入ったサダルスが、盾でその影を食い止めながら、
「行けっ!愚図愚図するな!お前ももう、一人前なんだろう?」
「う……あ、あぁ、判った!待ってて。すぐ戻るから!」
あれこれ考えるのを止め、己の感覚に従い走り出したトールス。実践、実戦経験が伴わなければ迷いもするが、最悪な形で今その経験を積んでいた。
愛しい弟の背中を見送った後、サダルスは改めて目の前の影を見やる。それは外のゾンビ共とは違い、ひと目で死者と判る干からびた体をしており、襤褸襤褸になってはいるが鎧を着込んでいた。
そいつは思い出したかのように手を引っ込め、腰から得物を引き抜いた。こちらも刃が襤褸襤褸だが、ゾンビの膂力で叩かれれば、決して無事では済むまい。
そう。干からびた体は瘦せ細り、一見ひ弱に見えるゾンビだが、盾で相手の体を押し込もうとしても、びくともしなかった。
その上、再生もすれば簡単に動きを止める事も無いと来た。たった一体とて、サダルスたちが敵う相手では無い。それが、次から次へと湧いて来る。
盾で押すのを止め、体を捻って相手の力をいなすと、ゾンビはあっさりバランスを崩して転倒した。やはりお頭の方は、中身まで干からびているだけあって弱いようだ。
「オルヴァ!ケルマー!とてもじゃ無ぇが相手にならねぇ!固まって下がるぞ!」
振り返り戦友を見れば、ケルマーはすぐ横まで退いていたものの、オルヴァは数歩先で鮮血に染まっていた。
「オルヴァっ!」
「わ、悪ぃ……下手打ったぜ……い、行けっ!逃げろ!俺が少しは時間を稼いでやる!」
すでに盾を装備した左腕は上がらず、肩口から首元まで赤に塗れたオルヴァは、必死に剣を振り回しながらそう叫んだ。だが、その力無き剣戟に怯むような相手では無く、オルヴァの願い虚しく、時間など稼げぬ内に打ち倒されてしまう。
「く、くそが!おい、サダルス!お前はさっさと逃げろ!こんな所で――」
サダルスに声を掛けたケルマーだったが、一体のゾンビが覆い被さるようにして共に倒れた。そしてそのまま、ケルマーは二度と声を上げなかった。
「っ!……くそっ!くそ!」
視界の中に人影が無い闇へと走り出し、サダルスは何とか生きようと足搔いた。右も左もゾンビだらけ。どこへ逃げても追い縋って来る。この死地から逃れるなど絶望的だった。
そんな中、この広大な空間の壁に到達する。そこには横に長い長方形の横穴が穿たれており、数段重なったその穴には、台座のように鎮座していた他の石棺とは比べ物にならないほど豪奢な装飾を施された、木製の棺が納められていた。木製でありながら原形を留めており、こちらにはきっと何某かの魔法が掛けられているのだろう。
死がそこまで迫っている事も忘れ、サダルスはその木棺の蓋をずらして中を確認した。そこには、未だ光り輝く金銀宝飾が敷き詰められていた。その中心には、すでに原形は推測する他無いほど崩れてしまった、人だった物の痕跡が見て取れた。
「……こいつは……」
サダルスは、壁一面の絢爛たる死者の寝床を見渡して、
「貴族――か。ここは、千年前の貴族たちの地下墓地だったんだ。……そして、腐りもせず未だ武装して侵入者たちを襲う奴らは、殉死させられた奴隷たち……ってところか。」
思い出したように、おもむろに振り返ったサダルスの背後には、その元奴隷たちが静かに群れ佇んでいた。
「くそっ。何てとこに足を踏み入れちまったんだ……。トールス、すまんな。もうお前を守ってやれねぇ。この上は、天国とやらにいる親父とお袋と一緒に――」
一斉に数体のゾンビが雪崩を打って、天を仰いだサダルスの首筋に殺到した。千年乾いた者たちにとって、それは今生に湧く生命の甘露なのかも知れなかった。
サダルスたちがカタコンベへ入り込み、守護者たる死者たちが起き出した事で、魔力も風に乗って砦中を駆け巡った。
広い砦の隅々まで行き渡るには相応の時間が掛かったが、ダイ・オフとデッド・エンドがそれを感じ取った。そして、もうひとり――と言って良いのだろうか。感じ取った存在がある。
「え!?どうしたの、お婆ちゃん?……、……、……下?地下に何かあるの?」
「……どうかしたんですか?ラヴェンナさん。」
相変わらず、イリアスの言葉に応えないラヴェンナだが、どうも今は“お婆ちゃん”と大事な話をしているようだった。イリアスはそう察し、今回は探索へ戻らずラヴェンナの様子を見詰めていた。
「……判ったわ、お婆ちゃん。すぐ向かうわ。」
探索時には邪魔になる戦斧は壁に立て掛けてあったが、それを軽々肩へ担ぎ上げると、ラヴェンナは急に駆け出した。
「ど、どうしたんですか?!」
これには思わず声を掛けたイリアスだったが、また無視されるものと思い口を噤んだ。すると、
「地下!あの人たちが危ない!」
と、威勢の良い返事が返って来て、一瞬言葉の意味を理解し兼ねたイリアス。その間に、ラヴェンナは一気に階下へと駆け下りて行った。
「危ないって、誰が……」
すでに影の無い相手に、言葉だけ投げ掛けたイリアス。悪い予感がする。あのラヴェンナがあんなに慌てて走り去るなど、きっと余程の事なのだ。
そんなイリアスを置いて走り出したラヴェンナは、一階広間に到達したところで、泣きながら走り来るトールスと遭遇した。
「ら、ラヴェンナさん!に、兄さんたちを助けて……」
膝からくずおれそうになるトールスの腕を掴み、
「駄目。貴方はこのまま、でゅ……ダイ・オフを呼んで来て。さぁ、走って。」
そうラヴェンナに叱咤されたトールスは、笑い掛けた膝に力を入れ直し、
「あ……は、はい!判りました!」
再び走り出し、階上へと向かった。
その様子を確かめる事無く、トールスの腕を放して即走り出したラヴェンナは、地下への階段を勢い良く下りて行く。十字路を真っ直ぐ進み、チャカたちが死んでいた通路をそのまま抜け、開け放されたままのカタコンベの扉も潜った。その手には戦斧だけで灯りも無いのに、その足取りに一切の迷いは無い。
カタコンベの広大な空間には、サダルスたちが遺したランタンと松明の灯りが僅かに揺れて、そこに蠢く二十体ほどの人影を淡く照らしていた。
その中程で、ひと際よろふらしている三体の影を認めたラヴェンナ。
「……ごめんなさい。これでも、急いで来たのだけれど。やっぱり、間に合わなかったわね。」
ラヴェンナらしからぬ、と言っては失礼かも知れないが、その美麗な相貌に他者を憐れむ物悲しい表情を浮かべた。が、それはすぐに消えて、眼光が鋭くなる。
「ごめんなさい。すぐ、解放してあげるわ。」
その三体だけで無く周りの鎧姿たちもまだ充分な体制を調えぬ内に、場違いなメイド服の少女は身長ほどもある巨斧を振り翳しながら突進を開始した。
戦うメイドを送り出したイリアスは、さてどうしたものかとその場を動けずにいたが、そこへ階下と階上からほぼ同時に来訪者を迎えた。
急いで下りて来たエンジエルとダイ・オフに声を掛けようとしたところ、背後から先に呼び掛けた者があった。
「ね、姐さん!ダイ・オフさん!」
イリアスは振り返ると、エンジエルとダイ・オフに並んで、トールスを出迎える形となった。
「……何かあったのね。」
トールスの様子から、そしてダイ・オフとデッド・エンドが感じた魔力から考えれば、最悪の事態が想像出来た。間違っていたのだ。上にばかり気を取られ、気にすべき場所を誤っていた。
「あ、あ……に、兄さんたちと一緒に、地下を調べに行ったんです。魔族の遺産は上にあるから、下は大丈夫だろうって。」
慌てる心を落ち着けて、トールスは状況を頭の中で整理しながら語り出した。
「傭兵さんたちが亡くなっていた先には、お墓がありました。でも、暗くて広くて、最初は気付かなかったんです。それで、それで……兄さんがおかしいって気付いた時には、や、奴らが動き出して……」
「カタコンベ。そこの死者たちも動き出した訳だ。」
「は、はい。それで、兄さんに言われて俺だけ逃げて……姐さんたちを呼んで来いって……」
サダルスの悲壮な決意が伝わって来る。きっと、すでに死を覚悟して……。エンジエルは、胸が締め付けられるようだった。
「と、途中で、ラヴェンナさんと会いました。俺には、ダイ・イフさんたちを呼んで来いって。多分、ひとりで地下へ。」
「あたしたちも急ぎましょう。いくらラヴェンナが強くっても、ひとりじゃ心配だわ。」
「は、はい!」
そのトールスの返事を待たず、デュースは走り出していた。エンジエルとトールスがそれに続く。一歩――数歩遅れて、イリアスも後を追った。
金属製とは言え、動きやすさを考えたカスタム・プレートであり、背に巨剣を負うも実際には背負っておらず、しかも持ち主には軽く感じもする魔剣故、デュースは見た目以上に身軽である。身軽さが身上の盗賊ふたりを引き離し、ぐんぐん加速し地下へと疾駆する。
後を追ったふたりが件のカタコンベへ辿り着いた時、先にデュースは到着していたが、抜刀する事無く佇んでいた。そこに広がる光景を見やり、エンジエルにもその必要が無かった事が理解出来た。
充分な灯りが無い為、はっきりと視認出来るものでは無いが、そこにはいくつもの四肢が散乱しており、転がる胴体を数える事で敵が二十体ほど存在していた事が確認出来るだろう。
そのほぼ中心に、巨斧を肩に担いだひとりのメイドが立っていた。
「はぁ……はぁ……み、皆さん足が速い……はぁ、それで、ど、どうなりました?」
さらに遅れてカタコンベ入りしたイリアスには、そのメイドの姿のみが目に入った。先程別れた時とは、少し様子が違った。数瞬考えて、はたと気付く。黒い染みで汚れているのだ。否。それが本当は紅い事に、イリアスも気付く。それは返り血であった。
しかし、顔や胸元、スカートに付いた返り血は、二十体もの敵を屠ったにしては少ないくらいであろう。トールスは理解した。千年前の死者たちは、斬ったところで血など流さない。では、あの血は誰のものなのか。
「……に、兄さんたちは……」
トールスは一歩進み出て、体が震えそうになるのを堪えながら、声を紡ぎ出した。
「……ごめんなさい。間に合わなかったわ。」
ラヴェンナは、先程兄たち三人にも投げ掛けたのと、同じ言葉を返した。
それはそうなのだろう。助けが間に合うような状況では無かったろう。だが、その足元に転がった見知ったみっつの顔を、斬り落としたのは誰なのか。
もちろん、理屈は判る。そのままにしては、兄たちも動き出してしまったかも知れない。だから、その前に対処しなければならないのだろう。では、それを行ったのは誰か。ここには、ひとりしかいなかった。そして、その返り血が全てを物語っている。
頭では理解出来ても、心が納得出来無い事もある。ラヴェンナを見詰めるトールスの瞳に宿った光は、そう言う意味だったのかも知れない。
そんなトールスの痛いほどの視線を涼しい顔で受け流していたラヴェンナだったが、は、っとなって、急に後ろを振り返った。
「駄目だ!離れろ、ラヴェンナ!」
それには、声を掛けたデュースだけで無く、エンジエルも、トールスも、イリアスですら気付いた。ラヴェンナの背後から、急に魔力が、そして同時に冷気と殺気が、奔流となって吹き荒れたのだ。
カタコンベのさらに奥。そこに、襤褸を纏ったひとりの――一体の骸骨が立っていた。光を宿さぬ双眸が、それでもラヴェンナを捉えているように感じられた。
それは、す、と右腕を差し上げて、かたかたと髑髏が音を鳴らす。その音には、何か声のようなものが混じって聞こえ……
「させない!」
言って、戦斧をまるで手斧のように骸骨に向かって投げ放ったラヴェンナだったが、大質量の斧が枯れ木のような骸骨に当たって弾かれ落ちた。枯れ木は微動だにさえしていない。そこに見えない壁でもあるかのように、回転して遠心力も乗せた巨斧の一撃が、完全に無力化されてしまった。
これにはさすがに、唖然とするラヴェンナ。デュースは駆け出すも、これも間に合う状況では無かった。
「火球……」
ダイ・オフとデッド・エンドにのみ、その言葉は理解出来た。それは、魔法の詠唱の最後の言葉。力ある言葉が完成した時、それはこの世界に顕現する。
骸骨の細い指先から炎が逆巻き、前方へと撃ち出された。それは、高速で飛翔する事で流線形を形作り、正に炎の球体となってラヴェンナへと突き進んだ。
火球がラヴェンナを覆い尽くさんとする直前、間に一本の剣が割って入った。デッド・エンドである。間に合わないと踏んだデュースが、その場凌ぎに投げ込んだのだ。
そう。その場凌ぎであった。目前で爆発した火球は、ラヴェンナの体をその炎で嘗めた。爆発の衝撃は、ラヴェンナの体を後方へ吹き飛ばした。
しかし、その場は凌げたとも言える。炎に晒された時間は短く、吹き飛ばされ背中から落ちはしても、その身体能力の高さもあって受け身は取った。ただの剣では無く、長大で幅広の魔剣である。火球に対する盾の役割を充分に果たしたと言えた。
ラヴェンナが落下し苦鳴を上げてすぐ、デュースは骸骨との間に体を滑り込ませていた。その手には、いつどうやって戻ったものか、すでにデッド・エンドが握られている。
これも、デッド・エンドの能力のひとつである。持ち主の手から離れても、瞬時にその手の中へと転移して戻る事が出来るのだ。
デュースはその事を知っていて、デッド・エンドを投げた――訳では無かった。それくらいしか出来無かったから、後先考える事無く投げ込んだのだ。
だから、どこへ弾かれるものかと眼で追おうとした――が、その時にはすでに、手の中に納まっていた。その発動はデッド・エンドの裁量であるが、実に便利な魔剣である。
「ラヴェンナっ!」
叫んで駆け寄ろうとしたエンジエルを、
「来るな!」
と、デュースが制す。
「で、でも……」
「こいつはただの、動く骸骨なんかじゃあ無い。不死の魔導師だ。下手に近付けば、どんな魔法に捉われるか判らないぞ。」
リッチ――エンジエルが後にデュースから聞かされた話によれば、それは吸血鬼と並ぶ高位のアンデッドであり、魔法を極めた魔道士が転生の秘法によって至る、究極の魔導師である。
対価の一部としてなのか、皆肉体を失い骨だけの体となるが、人間と言う殻を脱ぎ棄てた象徴なのかも知れない。
その見た目から物理的に貧弱に思えるかも知れないが、魔法を極めし超越者として、物理攻撃無効と言う特殊能力を備えている。
正確には、アストラル・サイド――精神世界的な亜空間――に本体を移し、物質界からの影響を受けなくなっているのだ。もちろん、そんな事は本にも書かれていない世界の真理のひとつなので、この時点でのデュースには知る術など無いのだが。
故に、どれほどの質量を誇ろうと、ただの戦斧でリッチに傷を付ける事など適わないのであった。――ただの戦斧では……
と言った解説を心の中でデュースから聞かされたダイ・オフは、デッド・エンドを構え直して叫ぶ。
「だが!悪ぃな、リッチ。俺様との相性は最悪だぜ。」
その光無き双眸が目標を捉え直し、新たな敵へと向き直る。今度は両手を広げ、先程と同じように髑髏がかたかたと何やら呟き出す。
「遅ぇ!」
リッチとは、魔法を極めし者。そう。あくまで魔法使いなのだ。その上、不死の体を得て何人にも傷付けられぬと高を括っている。ダイ・オフに限らずとも、歴戦の戦士にとって斬る事は容易い相手――斬ったとて斬れぬのだが。しかし今、ダイ・オフがその手に握っているのは、ただの質量の塊では無かった。
一瞬で間合いを詰め、横一閃ひと薙ぎした段平がその身に触れんとする直前、ようやく己が斬られようとしている事に気付いた髑髏は、にたりと嗤った――ように見えた。
確かに、恐るべき打ち込みである。だがしかし、我に斬撃など効かぬ。そう確信した、人を馬鹿にしたような笑みに見えた。
そんなリッチには、自分が何故滅する事になったのか、まるで理解出来無かったろう。
斬られる寸前、ようやく斬られる事に気付くような鈍亀には、その瞬間に発した紅蓮の炎など見えはしなかった。
魔法剣故胴を断ち、しかもダイ・オフの炎がリッチの全身を焼く。高位のアンデッドと言えど、この必殺の一撃には耐えようも無かった。
真っ赤な炎はリッチを焼くとすぐ紫炎へと姿を変え、それは斬ったと同時にアストラル・サイドの本体すら焼いた事を意味したが、この場にそれを理解する知識を持つものはただひとりであり、そのひとりは自らが何故滅んだか理解せぬまま灰燼と化したのである。
「……す、凄い……」
リッチを焼く炎もあって、その光景は夜目の利かぬイリアスにも良く見えた。火球などと言う高位の魔法を使う骸骨。きっとあれは、伝説に語られるリッチと言う化け物だ。それが目の前に存在し、魔法ひとつであのラヴェンナを吹き飛ばした。それだけでも信じられぬ光景だったが、その化け物をただ一刀の下に斬り捨てたのだ。凄いと言う言葉ではとても足りない。そんな下らない事を考えていた。
兄たちを喪い、やり場の無い気持ちをラヴェンナへの憎しみへと転化しようとしていたトールスすら、その光景に放心していた。その心から、闇も焼けて行く。兄たちの仇は死んだのだ。ラヴェンナが仇を討ったのだ。もう全て、終わったのだ。
「ラヴェンナっ!ラヴェンナ大丈夫?!」
リッチの最期を見届けてから、エンジエルはラヴェンナの許へと駆け付けた。
「ぅ……うぅん……」
髪の毛やメイド服の一部が焦げ、肌にも多少の火傷は負っているものの、意識を失っているだけで大きな怪我は無さそうだった。
火球はデッド・エンドが防ぎ、背中から落ちても受け身は取った。ラヴェンナの身体能力の高さのお陰で、大事に至らず済んだようである。
紫炎が完全に消えると、カタコンベに静寂が戻った。ここに、吹き荒れた死の嵐は終焉を迎えたのだった。