4.決別とこれからカクテルのお披露目
夫が陥落してくれたので、手続きを急いで行う。
前世でも接近禁止命令という法律があった。この世界においては、教会が誓約書関係は取りまとめている。前世と違って法律が穴だらけで貴族と庶民では法も異なるし、それらの知識を持つ者は少ない。異世界転移者だった聖女が、リエン教会の設立を決断した気持ちが少しだけ分かった気がする。
リエン教会を設立した聖女様に感謝している間に、ミハエル様はサクッと新しい契約書をフィリップ様に差し出した。
「ささっ、こちらが接近禁止令の書面です。悪評の吹聴は出所を探れば一発で発覚しますので、ご注意ください」
「チッ、ああ! わかったよ!」
フィリップ様は憤慨しながらサインを書き殴って、逃げるように部屋を出て行った。病室内は嵐の過ぎ去った後のように静けさが戻ったのだけれど、なんだかどっと疲れてしまった。
「はあ……」
溜息をこぼしつつ、巻き込んでしまったミハエル様と魔女様に頭を下げた。
「元夫が非常識かつ、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「いえいえ。私は慣れていますので、そこまで気になさらないでください」
「そうよ。それに泣いて私たちに助けを求めずに、戦ったのだから褒めて上げるわ。特別に」
「ミハエル様、魔女様……ありがとうございます」
ミハエル様はこのような案件は珍しくないらしく、魔女様もさほど気にしていなかった。一方的に巻き込まれたのに、お二人とも器が大きい。
「それにしてもあのタイミングで、離婚交渉を行いましたね。普通ならそこまで考えられないでしょうにお見事でした。まさか最速かつ裁判無しで離縁が成立するとは! 素晴らしい手腕です」
「いえ、似たような話を前世で見聞きしたことがあったので……」
ミハエル様の賛辞に照れてしまう。それもこれも前世の知識と、ネットでのモラハラDV浮気夫に対しての対処法などのおかげでもある。慰謝料が最悪もぎ取れないのは痛いけれど、この世界では離縁がする場合、双方の同意がない場合はかなり厄介なことになる。それを考えると慰謝料なんてどうでもいい。
今後私の誹謗中傷も出来ないのなら、なおのことだ。
「それに実際に行動に移せたのは、ここが屋敷じゃなくて教会でミハエル様や魔女様がいてくださったからです」
「それは光栄ですね」
「ふうん。まあ、そんなことより『かくてるぅ』よ!」
「……フィル殿」
「あはは……」
魔女様はどこまでもブレない。ミハエル様は苦笑しているので、いつもの事なのだろう。魔女様が人差し指を翳した瞬間、光り輝く古代文字が浮遊して複雑な魔法陣を組み上げていく。それは美しくて、キラキラと輝いていた。
(わぁ、本物の魔法!)
今世の私も魔法とは縁遠い生活をしていたのよね。こんな間近で見られるなんて!
「創生魔法」
そう告げた瞬間、気づいた時にはオシャレなダイニングバーのある場所に変わっていた。
白と黒のタイルの床、ムーディーな雰囲気のオレンジ色の照明に、カウンターテーブルは焦げ茶色で美しい。深紅の椅子は全部で五つ。
「ここって……私が前世で働いていたお店にそっくり」
「当然よ。アナタの記憶を通して、雰囲気の近い店に作り替えたのだから。お酒の種類も異世界の酒の近いのをラベルに貼っているわ。それを参考に美味しそうな『かくてるぅ』を作ってちょうだい!」
赤紫色の瞳がキラキラと輝いて、眩しい。整った顔立ちに迫られたら応えないわけにはいかない──と言う使命感が芽生えた。
「フィル殿……。ヘレナ様、えっとその……大丈夫ですか? ワインに毒が入っていたのでしょう? トラウマに──」
「──っ!」
そう指摘されてワインを飲んだときの感覚を思い出した。飲んだ瞬間、喉が焼けるように痛かった。あの時のトラウマが脳裏に過った瞬間、呼吸が上手くできなくなる。
「──ひゅ」
「大丈夫よ」
魔女様の大きくて温かい手が私の背中を摩る。呼吸も落ち着いて吐いて吸ってを繰り返すことが出来た。
(魔法?)
「私の従魔になったんだから、毒でなんて死なないわ。今回の一件で毒耐性も身につけたのだから」
「どく……たいせい」
もうあの苦しみを味わわずにすむ。その言葉だけですごい勇気を貰った気がした。
「いえ、フェル殿。確かに毒耐性は素晴らしいスキルですが、それと心の問題は──」
「この子は向き合えると思うけれど? その心の問題ってやつ。どうなの?」
二人の視線は私に向けられる。確かに毒耐性が備わったからと言って、毒殺された恐怖がなくなるわけじゃない。でも恐怖以上に私はカクテルを作りたい。
前世でカクテルを作るのは楽しかった。
沢山の意味と思いを込めて、飲む人にメッセージを添えてお渡しする。カクテルを一口飲む時に目を輝かせて、笑顔になる瞬間が好きだった。
やりたいことが出来たのに、諦めたくない。
「……正直怖いです。でも心の問題よりも、私はミシェル様や魔女様が私のカクテルを飲んで喜ぶ姿を見てみたい。だから……作ってみます!」
「ヘレナ様」
「ふふっ、いいわね♪」
カウンターの中に入ると、様々なリキュールがあった。空を瓶に閉じこめたような青空リンゴの果実酒。桃色と金色の光を放つ幸福モモと祝福の檸檬の蜂蜜酒。霧が閉じこめられた朝露の葡萄酒。
この世界のリキュールは前世のものと違って見た目がファンタスティックだ。この特性を生かせば、より目で楽しませることが出来るかもしれない。
冷蔵庫には炭酸もあるし、フルーツの品揃えも完璧だ。氷はアイスピックでいい感じに固くなっている。数日さらに冷やして溶けにくいように処理されている。
前世と変わらぬダイニングバーと品揃えにテンションが上がってしまったと、少し反省しつつ、カクテルを作るための道具を確認する。
ふとお酒のラベル以外にも視界に半透明な板が浮遊しており、そこには日本語でこう書かれていた。
『珈琲・リキュール』/酒、アルコール度数21度/帝国産で香りが高いままローストした月夜珈琲豆と、バニラの甘みを調和したコクの深い。
「(なんか見える!?)……ま、魔女様。ラベルとは別にお酒の詳しい情報が視覚化して見えるのですが……」
「ああ、私の従魔になったから得たスキルね。鑑定に近いものが顕現するなんてレアじゃない?」
「なるほど」
あ、これなら毒が入っているかどうかすぐに判別がつくわ。もしかして自分が毒殺されそうになったから、こんなスキルが?
だとしたら嬉しい。毒殺された後で飲食に対して精神をすり減らすことないのだから。何よりカクテルを作る上で、変に苦手意識やトラウマが残らなそうだわ。
魔女様たちには感謝しても仕切れないわ。せめて私の作ったカクテルを喜んで貰えるよう心を込めて作ろう。
銀色のシェーカー、混ざりにくい材料を混ぜて同時に冷たくする器具。メジャーカップ、材料を正確に計量するためのもの。バー・スプーン、材料を混ぜるために必要なスプーンもある。バー・ブレンダー。カクテル専門のパワフルなミキサーで、フローズンスタイルのカクテルを作るときやフレッシュジュース系はあると便利。
他にもミキシング・グラスにストレーナーもある。正直、ここまで揃っているとは思っていなかった。
長い灰緑色の髪を一つに束ねて、腕をまくった。準備万端。
魔女様とミハエル様はカウンター席にそれぞれ座ってもらった。うん、このカウンター越しの接客が懐かしい。
「それではどんなカクテルを望みですか?」
「お任せで」
「じゃあ、私はノンアルコールのオススメで」
二人はカクテル作りで一番難しい注文をしてきた。ミハエル様はノンアルコールだからいいとして、魔女様はどのぐらいの度数のお酒を提供すべきか、好きなもの、嫌いあるいは飲めないものなどの情報がゼロの状態では、お客様の満足するものを導き出すのは難しい。
「一つだけ、アレルギーや、嫌いなものなどのものはありますか?」
「私はないわ」
「アレルギーなどはありませんが、甘すぎるのは少し苦手ですね」
「承知しました」
まずはカクテルをご所望の魔女様の分だ。
喉が渇いていたというので爽やかかつ飲みやすく、口当たりがよいもの。炭酸のサッパリした味わいは女性に人気のカクテル。そして魔女様はお洒落かつアルコール度数は低めにするなら──。
「お二人は『カクテル』について、どこまでご存じですか?」
「私はまったく。ただフィル殿の反応からして特別なお酒、というところでしょうか」
「特別も特別よ。なんたって異世界のお酒のレシピなんだから」
手を動かしながら、バーテンダーとして仕事をしていた時を思い出しつつ語る。
「異世界──元私の世界では『ミックスドリンク』にカテゴリーされていますが、これはお酒をベースに副材料であるジュース、フルーツ、スパイスなどを混ぜて作るアルコール飲料のことを総じて『カクテル』と呼んでいました。その数はバーテンダーの数ほど種類があります」
カクテルの説明をしつつ、シェーカーに炭酸以外のアプリコット・ブランデーに祝福の檸檬ジュース、甘酸っぱい石榴のグレナデシロップと氷を入れてシェークする。
このカクテルにおいてシェークという技法はシロップ、スピリッツやジュースなどの比重の差が大きく混ざりにくい材料を素早く混ぜて、材料を冷やし、空気を含ませることを目的としている。特に空気を含ませることで口当たりを良くして飲みやすくする。
(うん、ヘレナの体だから少し不安だったけれど、前世での感覚は覚えていてよかったわ)
シェークする回数は作るカクテルによって異なるけれど、手首をしっかり使って混ぜた後、氷を入れたコリンズグラスに注ぐ。それから冷えた炭酸水でグラスを満たして、炭酸が抜けないように、バー・スプーンで軽くステアを数回したら完成!
「魔女様には《アプリコット・クーラー》を」
「あら、早いし、赤い色素が鮮やかで美しいわね」
「アンズを発酵させて作るブランデーを使っています。本来は砂糖を使うのですが、蜂蜜を選びました」
「ふふっ、見た目は綺麗だけれど味は……ごくり、まあ! 美味しいわ」
一口飲んだ魔女様は、それからぐいっと飲み出す。
「アプリコットと檸檬、それと他の果実を使った蒸留酒を炭酸で割っているけれど、全然違うわ。口当たりがすっごく良いし、爽やかかつフルーティーなテイストで、飲みやすいわ」
「使ったのはアプリコットのブランデーと祝福の檸檬、星光の石榴シロップです。アンズの木は厳しい冬を耐えて、春になると実を付けることから『強い生命力と信頼性』を、檸檬はその味わいから清涼感かつ爽やかさを。石榴はその粒の多さから『豊穣』のシンボルと魔女様の髪の色をイメージして見ました。アルコール度数は低いですが、最初に飲むのに飲みやすくほどよく甘いもの、そしてこのカクテル言葉は私の世界では『素晴らしい』という意味があります。優雅で無邪気、けれど存在感のある魔女様にぴったりかと」
「まあ!」
アプリコットリキュールもあったけれど、ブランデーに比べて甘すぎるのでこちらを選んだのだけれど、魔女様には合っていたようだ。
魔女様は半分ぐらい味わってカクテルを飲む。
「『かくてるぅ』一杯にそこまでの意味と技術を注ぎ込むなんて、異世界の人間は面白いわね。でもこの味好きよ。それに外見からの私を観察しつつ、魔女としての私のことを鑑みて選んでくれたのでしょう」
「はい。この世界の魔女様は万象であり自然の調停者でもあります。それなら果実系を使う物を好むかと」
「その認識は正しいわ。ふふっ、二杯目が楽しみだわ♪」
「ありがとうございます。ではその前に、ミハエル様のカクテルはこちらです」
冷凍庫からクラッシュアイス、ブラッドライム、ライムジュース、三日月檸檬、宵月蜂蜜、をミキサーにかけて、ソーサー型のシャンパングラスに移してミントを添えたらできあがり。
「ノンアルコールカクテル、フローズン・ダイキリです」
「これはシャーベットのような? それにライムと檸檬などの独特の香り……ん!」
ミハエル様は目を輝かせてもう一口と、グラスを傾けた。
こちらも気に入って貰えそうだわ。そんな手応えが心地よかった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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内容を一部改変しています2025/07/21