27.突きつけられる現実
そびえ立つ高い門と塀。少しだけ間があったものの、扉は開かれて屋敷に足を踏み入れる。見慣れたはずの屋敷が、知らない場所のように思えた。
そこには知らない人たちがいた。
美しい黒髪に、黒のドレスを纏った美女。赤紫色の長い髪を無造作に一つにまとめて、白シャツにズボンと粗野な恰好の美青年。双子の白い子熊は美女の傍にぴったりとくっ付いて離れなかった。
なんだか別の家にお邪魔したように、居心地が悪い。
「なんだ、エドガーか」
機嫌の悪そうな低い声に、ドキリとした。
口調も雰囲気も別人だけれど、赤紫の美青年が──フィル様なのだ。遠目で見た時はシルエットと声だけだったので、実感が湧かなかったけれど対面して嫌でも思い知らされる。フィル様の思い出の中に、私は割り込むことすら出来ていなかった。
「ゼ……フィルは相変わらず口が悪いな。ゼロの魔女──姉さん、本当にこんなのが弟子でいいの?」
「おい、殺されたいのか」
「フィルは魔法の才能があるからなー。大変優秀だぞ」
「お師匠……」
「あーはいはい。その台詞聞き飽きたって、姉さんも本当に物好きだなぁ」
エドガー様の言葉に「はああああ!?」と叫ばなかった私を褒めて欲しい。どうしてこの方は、重要な情報を後出しするのだろう。
腹が立ったので、手をバシバシと叩いたが「ああ、そんな君も可愛いな」と喜ばせるだけだった。なぜに。
「それで、その猫ちゃんはどうしたのさ」
「ああ、フィルが契約した従魔なんだけれど、覚えていないだろう?」
「ん? 俺が? そんな弱々した猫と契約を結んだ? 冗談じゃない」
『──っ』
悲しくて自然と顔は俯いてしまって、涙を堪えるので精一杯だった。本当に私のことを、人の姿でなかったとしても分からない、覚えていないなんて……。
「そうはいうけれど、フィル。この子と契約しているのは事実みたいだぞ。ほら」
魔女様は私とフィル様の繋がりを可視化させて見せてくれた。赤い糸は私の首に繋がっている。そこは小指同士じゃないのか、と思ったけれど口にしなった。もっとも口に出したとしても「なう」とか鳴くだけなので意味ないけど。
「は? ……チッ、また魔女の嫌がらせかよ」
「──っ」
忌々しそうに私を射貫く瞳は鋭い刃のよう。血の気が引く。
こんなフィル様、知らない。
(私の知っているフィル様はもう……いない?)
そう思ったら悲しくて、辛くて、我慢していたのに涙がポロポロと零れ落ちて止まらない。
ああ、エクスたちは正しい。こんな辛い思いをするのなら、屋敷に入らなければよかった。そうすれば悲しくはあったけれど、ここまで絶望しなかったもの。
「こら。他の魔女の嫌がらせだって勝手に決めつけるな。それにこの子猫は無関係だろう。睨んで怖がらせるな」
「お師匠。……はい」
「そうだよ。この子は僕のお気に入りなんだから、フィルになんて絶対にあげない。ほら、さっさと契約を解除してくれ。君のような配慮の欠片もない乱暴な奴に、これ以上この子と関わらせたくない」
たくさんの声が頭上から降り注ぐが、フィル様の言葉が胸に突き刺さって息苦しい。もうここに居続けるのが辛くて逃げ出したい気持ちで一杯だった。
エドガー様は私を抱っこしたままフィル様に差し出した。従魔契約の解除にはどうしても、体の一部に触れるのが条件らしい。
大好きだったフィル様の指先は細くて長いだけの少年のもので、懐かしくもなかった。慣れていないのか、ぞんざいで、頭を撫でられたのか指で押し付けられたのか、分からないほど力が入っていた。
(フィル様……)
これでフィル様との関係が消えてしまう。
楽しかった日々も、好きだったフィル様も私の前から消える。本当は嫌だ。今も私との思い出がそこまで悪くなかったと、叫んでやりたい。
私を甘やかして、好きだと囁いて抱きしめてくれたフィル様に会いたい。オネエ口調で、女装姿だって構わないし、よく似合っているし輝いていた。
(私の知っているフィル様を帰して!)
そう叫んで訴えたかったのに、できなかった。
だって、フィル様のお師匠様を見る目がとても優しくて、少しだけ口元を綻ばせるのを見たら、もう何も言えなかったのだ。
大切なお師匠様との時間がフィル様にとっての幸福なら、好きな人の──幸せを尊重したい。たとえそこに私が居なくても、それでも幸せな姿を見てしまったら、それを奪ってまで手に入れることができなかった。
だって私と出会ったフィル様はとても辛い立場で、魔女の中でも複雑な立ち位置だったもの。
大切で二度と手に戻らない過去が、今よりも価値があると、フィル様も家守りも結論を出したのだ。
それが悔しい。
(散々振り回して、最後にポイ捨てなんて!)
感情がグチャグチャで、これが最期になるのに、いい人のまま身を引くなんて私にはできなかった。
猫の機敏さを生かしてフィル様の顔に接近──唇に触れた。いつも、いつも唐突に私の唇を奪ったのだから、お返しだ。
「キールを貴方に捧げて、ギムレットで乾杯しましょう」
これは祈りなんかじゃない。フィル様にとっての呪いだ。今の彼にはなんの意味があるのか、分からないだろう。大人になっても、この先私以外わからないわ。意味がわからない言葉として、たったそれだけがフィル様に残ればいい。
何かが触れた気がした。柔らかいなにか。
傍には誰もいないのに、風が少し撓む。次第に体がポカポカと温かくなるのは、契約が解除されたからだろうか。
「──────」
声が聞こえる。聞き覚えのあるやりとりだわ。
懐かしいとぼんやりと思った。だからちょっとだけ心が動いたのだと思う。
「XYZ」
この世界においては意味不明な単語だけれど、本心だ。
そして私はこの先、どんなことがあっても、キールとギムレットのカクテルだけは絶対に作らない。あの温かで楽しくて、幸福だった時間はもう戻って来ないのだから。従魔契約直後だからか、私の意識はそこまでで途切れた。
「じゃあね、愚か者。僕がヘレナを幸せにするから、たくさん苦しんで、絶望して死んでくれよ」
不穏な声が微睡の中で聞こえたような気がした。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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