24.受け継ぐ想い
フィル様からのキス、唇は何度か──魔法供給でしたことはあったけれど、それとは違う。婚約者として好きだという意味でのキス。
魔女様は野良魔女に怨まれていて、他の魔女とも折り合いが悪いとエドガー様が言っていた。その理由は、たぶんお師匠様を殺してしまったことなのだろう。
誰も何も言わないけれど、そのことが関係している気がする。フィル様が私に話さないのは、たぶんまだご本人の中でも整理が付いていないのかもしれない。
いつか話してくれれば良い。一緒に付いて来て欲しいと言ってくれただけで、飛び上がるほど嬉しかったのだから。
「……それにしても昨日のお香の香りは、結局なんだったのかしら? 悪戯?」
昨日閉じ込められた一件も、よくわからなかった。
なんで急に閉じ込められたのか、お香の香りがした後は、いつの間にか元の部屋に戻っていたのよね。結局、夜にフィル様にカクテルを作って素敵な時間があっただけ。
時計の針は朝の九時を指していた。
フィル様は二度寝するとのことで、私は先に朝食の準備に取りかかる。料理を作っている時はそちらに集中ね。
キッチンに入って明かりを付けた。
「まずスモークサーモンのテリーヌを作って……それからフィル様を起こしに行こう。コンソメスープは昨日から仕込んでいたので、温めるだけでいいし、あとは──」
『お前はマスターじゃない』
『マスターと並んではダメ』
「え?」
振り返っても誰もいなかったけど、幻聴にしてはハッキリと聞こえたような気がする。
気配は感じられない。
『お前は、私たちとマスターとの思い出を上書きしようとする敵だ』
『お前が居たらマスターが消えてしまう』
周囲を見渡しても人影の気配もない。声だけが聞こえてくる。家守りと家事妖精?
「マスター? ……それって? フィル様のこと?」
『『違う』』
子供の声が重なって聞こえた強い声で否定するたびに、屋敷の中の家具がカタカタと揺れ動く。これは心霊現象だわ。家守りと家事妖精って、こんなこともできるの!?
『アレはマスターの弟子で、真似事をしているだけ』
『あの子供はマスターを忘れないでいるから、滞在を許している。たとえマスターを手にかけた張本人でも』
「──っ」
フィル様からそのことは少しだけ聞いていたから、さほど驚きはしなかった。そして私の推測通り、彼らはフィル様とそのお師匠様以外の滞在を拒んでいる。
その理由は──。
『でもお前は危険だ』
『マスターの思い出を上書きする害悪だ』
「そんな、そんなこと──」
『する! マスターはお香を作るのが好きだった。あの日も私たちにお香の種類を教えてくれて、六つ目は仕事を終えたら、一緒に作るはずだったんだ!』
『楽しそうに料理を作って魔導書を従え方もマスターに似て、甘くてお人好しで、この屋敷でお前が思い出を増やすたびに、マスターとの思い出が薄れて、色を変える』
子供の癇癪のような声で、矢継ぎ早に感情をぶつけてくる。その声が巨大な竜巻となって部屋の中に吹き荒れた。
足を踏ん張っていたが料理器具やテーブルや椅子、食器棚まで浮遊しているではないか。
「なっ──」
立っていられないほどの風圧に流し台に捕まるものの、凄まじい吸引力に体が引きちぎられそうになる。まるで掃除機のよう。あの渦に飲まれたらバラバラになりかねない。
竜巻は部屋の中で暴れまくり窓硝子が割れて、壁も崩れ始める。
(ぎゃあああ! 手を離したら間違いなくバラバラじゃない! このまま私を屋敷から強制的に追い出すつもりなんだわ。でもそれは……凄く困る!)
それに過去だけを見て生きている彼らが正直、腹が立った。
「私じゃなくたって、こうやって誰かを追い出し続けたら、遅かれ早かれ貴方たちのマスターは死ぬわ! だって過去だけしか見てないんだもの!」
『黙れ』
「黙らない! だって事実だもの! 過去だけを見ていても、いつまで覚えていられる? 語り継がれることもなくなり、歴史から名が消えて、貴方たちだけしかマスターを覚えていなくなった時、貴方たちはどうやってマスターを覚えておくの? 貴方たちのどちらかが朽ちるまで? それで朽ちたら今度こそ本当にマスターは誰からも忘れ去られて、二度目の死を迎えるわ。誰にも受け継がれず、素晴らしく偉大な人だったという実績も、栄光も、歴史や逸話だって失われる。それは生き残った者たちの怠慢だわ!」
『何を』
両腕が軋むように痛い。
今にも手を離しそう。それでも魔導書を使って私を殺そうとしたんだから、言いたいことは言わせて貰うわ。
「そうでしょう! マスターがどれだけ素晴らしいのか私は寡聞に聞かないもの! すでに貴族社会での噂だって、魔女様のことを多少聞きかじる程度よ。この先、今のままでいたら十年も経たずに貴女たちのマスターの名前なんて忘れるでしょうね。伝記だって作っていないでしょう? それは語り継ぐ者たちがしなかったから。あるいは酷い魔女として歴史に名を刻むかもしれないわ。それを正すことも、歴史を途絶えさせるのも、生き残った者たちの責務だというのに、なぜその与えられた最期の奉公を放棄したのかしら。貴方たちが守りたいのはしょせん、思い出でもなければ、屋敷の存続なのでしょう!」
『黙れ!』
『お前に何が分かる!』
「わかんないわよ!!」
叫び返した。
この妖精たちは何を見てきたのだろう。取り残されて、お師匠様の後を継いだフィル様自身のことを何も見ていない。見てこなかった。
傷だらけになりながらも、過去を受け入れて前を見て歩き続けるあの方を、あの方の生き方を背中を見ていたら、そんなことを言わないわ。
「私は何も知らないわ。でも私の元いた世界は神話の時代だって、逸話や伝承が残っていたわ。それは語り継いで守り続けたから、滅びて悪役にされた神様だって本当は土地神であり素晴らしい神様だったと、逸話の場所だって残っている。その神様が好きな人たちは忘れないように語り継いで言ったのよ! 二千年以上前だって、その神様は私たちの記憶の中で生きているの!」
『『──っ』』
「どう? 人間は短命だけれど、受け継ぎ残すことに関して凄まじいのよ。妖精や精霊にはできない。本や歌、人形や刺繍……なんだって残せるわ。カクテルだって、その人が名付けたことでカクテルの名前にだってなる。リキュールだって同じよ。残して紡ぐ方法はいくらでもあるのに、貴方たちのやり方はどんずまりなの。貴方たちの記憶にあるマスターを毎日思い出して、すり切れるまで繰り返して、それで?」
『『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!』』
片方の手に力が入らず、右手だけで耐えた。それでもまだ言いたいことはあるのだ。
「黙らないわ! マスターと一緒に過ごした日々を上書きじゃなくて更新する。初めて一緒に食事をした日を記念日にする。大事な行事の一つとする。肖像画を依頼して、額縁をつけて飾る。そうすればマスターとの一年に一度思い出が増えていく」
『──っ』
「貴方たちの記憶以外にも外部記憶となって、貴方のマスターは思い出の中で様々な人の中で生き続けることができるのに、どうして閉ざすの? マスターをイメージしたリキュールやカクテルなんか考えるだけで楽しいのに! マスターの武勇伝とかの本を作るのも良いし、吟遊詩人に歌わせて後世に残すのだって素敵でしょう! フィル様は野良魔女や魔女に怨まれているけれど、それはお師匠様のことを忘れさせないように、敢えてあの姿で罪を背負って生き続けているのよ! お師匠様のことを思い出せるように!」
『『──っ』』
「……どうするの? 過去を見続ける? それとも──」
『マスターをイメージした……リキュール』
『マスターの栄光を歌にする……』
(食らいついた!あとは私の手の限界が先か、二人の陥落が先かのどっちかだわ。というか私のほうが結構限界なのだけど! このままだと肩が外れそう!)
それでも今耐えなければ、この妖精たちはぐるぐると同じことを繰り返して、最終的に何も残せずに死ぬ。
「……ああ、それともマスターを独り占めして、そして自分たちと一緒に朽ちる気? 誰もマスターの凄さを忘れ去られたまま、全然凄くなかったと、レッテルを貼られてもいいの?」
『そんなのダメ!』
『そんなのは嫌!』
「じゃあ、選びなさい。……自分たちと一緒にマスターの存在を抱きかかえて溺死するか、マスターの偉業を後世に伝えるために、前を見て歩くか! 貴方たちが自分で決めなさい!」
『『!!』』
言い切ったところで、手が限界だった。我ながら良くここまで頑張って喋ったと思う。
(指がもう、だめ……)
手を離してしまった瞬間、そこまで何もなかった場所に長い髪の子供が、手を伸ばした──ように見えた。
刹那、その手よりも先に、何か固い物がおでこを直撃。
「ぎゃっ」
『『あ』』
思わず両手で額を押さえた結果──、家守りたちの手を掴むこともできず、そこで私の意識は途絶えた。
(最悪。しかもおでこに当たったアレって、私の魔法剣じゃなかった?)
***
次に意識を取り戻したのは、酷い揺れによって強制的に起こされた。薄らと瞼を開けると馬車の中だ。
「(それにしてもなんなのこの揺れようは……)──っ」
「ああ、ヘレナ。やっと僕の元に戻ってきてくれたんだね」
そういって下卑た笑みを浮かべていたのは、元夫フィリップ様だった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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