10.ただの日々
(どうしよう、何もしてないのに屋敷の中がいつもピカピカに綺麗だわ。これって妖精? それとも魔女様のお弟子様がやっているのかしら? 魔女様の屋敷七不思議だわ)
屋敷の掃除はしなくてよさそうなので、私の仕事は主に自分の洗濯と三食とカクテル作り。時間に余裕がある時は、リキュール作りやお酒の種類や在庫、食料の管理だ。
買い出しは必要そうな材料を、魔女様にメモで渡して即日速達で倉庫に転移するため、市井に出ることはない。
(そもそもこの屋敷が地図的にどの辺りなのかも不明なのよね。転移門でパッと着いたし……。まあ離縁した後だから、社交界から物理的に離れられたのはよかったわ。今の私は教会の保護もあるから、下手に接触できないだろうし。精神上とても有難い。もしかして魔女様はそれすら見越して?)
「ねえ、ちょっと。甘いものが食べたい~。なにか作って~」
うん。深く考えてなさそう。もし考えているとしたらミハエル様かも?
魔女様は唐突にキッチンにやって来て、無茶振りを言い出す。私はコックさんではないのだが。
「三時のオヤツですか……。こちらの世界ではアフタヌーンティー的な?」
「んー。そこまで派手じゃなくていいわ。甘くて美味しいお菓子、クッキーとか、マフィンとかスコーンとか」
「お菓子……オレンジがあったので、オレンジと紅茶のマフィンを作りますね」
「まあ、楽しみだわ! 私の子猫はすごいわね」
「!?」
魔女様はスキンシップがやたら多い。力一杯抱きしめられて、胸元に顔を押しつけられて、もみくしゃにされる。距離感が可笑しい。
ヘレナとしての人生経験では足りず、前世の知恵を絞って出した答えは従魔扱いで、魔力補給のための行為であって他意はない──という結論を出した。
かわいがり方が恋人や伴侶とは違う。愛猫に対する態度だと一番しっくりきたのだ。それに魔女様は私の名前を呼ばないし、魔女様の名前は知っているけれど、読んでもいいかは分からないし、特に何も言ってこないので深く追及していなかった。それが私たちの距離感。それに寂しいと思ってしまうのは、あまりにも強欲すぎるだろう。一年間という期間限定の繋がりなのだから、好意を寄せることで魔女様が煩うことだけは避けなければ……。
命の恩人として、敬う主人として誠心誠意仕えよう。
そうできる限り魔女様の希望を叶えよう……となった結果、魔女様は『三時のオヤツ』に味を占めたのか夕食時か翌日の朝食に菓子のリクエストをする。華美なスイーツではなく手軽の食べられるマフィンやフィナンシェ、クッキー、プリンなどちょっとしたものがお気に召したらしい。カクテルほどの絶賛はなくとも嬉しそうに食べてくれる。
今の所、これまでの従魔が長続きしない──などの酷い扱いはないし、危ないこともない。魔導書も魔女様曰く封印を施していて二階の書庫に閉まっているとか。「ミハエルの言葉は話半分に聞いてなさい」と屋敷に来てすぐの頃、魔女様がポツリと呟いていたのです何か思うところがあったのかもしれない。
(私のため……だったら嬉しいな。愛玩動物だったとしても、大切にはしてもらっているし……)
暢気な私は、魔女様とのスローライフを満喫して、安心しきっていたのだ。
***
夕食の後片付けも終わって、いつものように魔女様にカクテルを幾つか作った後、異世界のお酒のラベルを見ながら、どのカクテルに使うのがいいか分厚い手帳に書き記す。この手帳は屋敷に来た時に魔女様から貰ったものだ。四つ葉のクローバーの紋様が入ったエメラルドグリーンの背表紙はとても綺麗で気に入っている。
大事に使いながら一枚、また一枚と料理やカクテルのレシピを文字で埋めていく作業が楽しくて、気づいた時には時計の針は、天辺を指していた。
屋敷のお風呂は、魔道具によっていつでも温かいまま。お湯も明け方になると新しいものに切り替わる。湯船はさまざまな入浴剤を使っているのか毎日違った。
使用人枠である従魔の私も、大浴場の使用許可が出ている。この世界で入浴といえば、平民は桶の湯で体の汚れを拭う程度で、週に一度大衆浴場に通えれば良いほうだ。
それなのに、この屋敷ではお風呂は好きな時に入って良いというのだから、最高すぎる。
(当初は魔女様に子猫姿で洗われてしまったけれど、最近は特にそんなことはなく……たぶん飽きたのだと思う)
最近は空き部屋で寝泊まりをしても魔女様は何も言ってこないし、きっと傍にいなくても普段のスキンシップで問題ないのだろう。
私にとっては有り難い。ノリノリで毎日入浴時間を楽しみにしていた。でも私は忘れていたのだ。この屋敷の主人は誰なのかを──。
鼻歌交じりで髪と体を洗って、大浴場ほどの湯船に浸かる。この足を伸ばせる大きさに毎日違う入浴剤が最高に心地よい。今日はミルクバスで肌に優しくて、保湿成分がたっぷり配合されている。今世では諦めていたお風呂。
(はあ、最高すぎる)
「上機嫌ね」
「はい♪ この屋敷のお風呂は最高ですから」
「まあ、嬉しいわ」
「だってこの世界じゃ、お風呂は──」
のりのりで話していてハッとする。聞き覚えのある声。念話とかではなく、すぐ傍で聞こえてきたことに背筋が凍り付く。湯気のせいで周囲をしっかり確認しなかった私が悪い。
「あら、やっと気づいたの?」
「まじょしゃま……」
奥の湯船に魔女様が浸かっているのが見えた。卒倒しそうになったけれど、ギリギリで踏み止まった。
(今卒倒したら、全裸で運ばれる! それだけは回避しないと!)
「いつ気づくのかずっと見ていたのに、酷い子ね」
「すみません……」
見たらいけないと思いつつも、その美しい肉体美に目がいってしまう。艶のある美しい赤紫色の長い髪は一つにまとめていて、がっしりとした肩に逞しい胸板、筋肉質な二の腕。男の人だと嫌でも意識してしまう。
きゃああああああああーーー!
鼻血を出さなかった私を全力で褒めて!
「あ、上がりますね!」
「あら。私と一緒は嫌?」
スッと笑みが消える。魔女様の地雷がわからない。涙目になりながらも「従者と主人が一緒の浴槽に入るのなんて……不敬じゃありません?」と口にした。
「まさか。可愛い可愛い子猫となら、毎日一緒に入りたいわ」
「にょあああ!?」
「最近は別の部屋で寝ちゃうし、素っ気ないわよね」
「あ、えっとでも……何も言われなかったので、治療は終わったのかと……」
「そういう設定だったわね。もっと別の理由でずっと一緒に寝泊まりって言えば良かったわ……」
「え?」
「な、なんでもないわ。人の姿だと素直に甘えてくれないでしょう? 子猫の時はいっぱい触れさせてくれるのに、それとも私に触れられるのは怖い? いや?」
胸がチクリと痛んだ。やっぱり魔女様が求めているのは、私ではなく子猫の姿。そうはっきりと言われたようなもので、ちょっとだけ凹んだ。
「それは、魔力補給だって……」
「ふうん。じゃあそれがないなら触れられたくないってこと?」
「え? いえ……その……魔女様に触れられるのは好きですよ!」
「まぁ!!」
ざぶん、と急に立ち上がった魔女様は、ザブザブと大股で近づいてくる。
(にゃあああ、肌が見え──ん?)
ざぶんと大きな飛沫を上げた刹那、目の前には柘榴の瞳をした黒豹がいた。美しいフォルムに艶やかな毛並み。間違いなく、素晴らしい触り心地に違いない。そう思ったらダメだった。
『どう? これでも同じことが言え──え?』
「モフモフ!」
『なっ』
思わず黒豹の魔女様に抱きついた。大きな猫みたいでお湯で濡れていても、しなやかな体は艶やかで肉体も引き締まっている。普通の黒豹と違うのは、尻尾が蛇みたいなのと黒い羽根があること。でも全体的に可愛く見える。
「魔女様、体を洗っても? ブラッシングは私がしたいです」
『思っていた反応と違う。こんな私にキスでき──』
ちゅ、と唇にキスした頬にもしたら固まっていたので、ここぞとばかりに肉球をモミモミする。
「ああー素敵。可愛い、好き」
『嘘』
「こんなに可愛くて素敵な姿なのですよ。全力で愛でる一択ですわ」
『……』
その後はひたすら私のターンだった。湯船から上がって体を洗って、浴室から出たらタオルでしっかりと拭いて、あとは魔女様の魔法で乾かして貰った。お風呂上がりの黒豹はとっても良い香りがして、毛並みは最高の手触りだった。まるで高級な毛布のよう。
「もふもふ……」
『そんなに良いの? 普通の豹と違うのよ』
「魔女様は魔女様じゃないですか」
『ふふっ、言ったわね』
ソファに座りながら魔女様──黒豹のブラッシングをホクホクとしていた時だった、ぼふん、と既視感のある音が耳に届いた。私が抱きついていた黒豹が突如、バスローブだけを羽織った魔女様に戻った。
「ひゅっ」
「まあ、この姿だとやっぱり照れちゃうのね」
「ひゃい」
「可愛い♪」
今度は私が子猫にされて、愛でられたのだった。モフモフを前にした時のテンションの高さとスキンシップの抵抗がないことを、身をもって知ったわ。うん。
しかし私は反省を生かす女。大浴場を使う際は魔女様の動向を確認しつつ、鉢会わないように気を配った。
そう私はできることは頑張ったのだけれど──毎日、気付くと魔女様がいる!
しかも湯船にのんびり浸かっているのだ。どうして!?
「ふふっ、警戒している子猫みたいね。ほら、食べたりしないからちゃんと肩まで浸かりなさいな」
「はぃ」
「今日も私の体をブラッシングしてくれるのでしょう?」
「それはもちろん!」
「ふふっ、楽しみだわ」
あ。これはもしかして……そもそも魔女様は私のことを異性として見ていない? いや私も黒豹の時はあれだけれど?
ホッとしたような、ちょっぴり寂しいような複雑だった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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