1.魔女様との契約
その日、初めて明確な悪意が私に襲いかかった。
夫の誕生日パーティー当日。
「あっ……あがっ!」
乾杯の合図と共にワインを飲んだ瞬間、喉に衝撃が走った。うまく呼吸できず、ワイングラスを落として、その場に倒れ込む。
(呼吸が上手くできない……!)
「ヘレナ! ああ、どうして! 誰か治癒術者を! 妻が死んでしまう!」
「ヒュッ……ッ」
肩まである金髪に色白の肌、高い鼻梁に知的な顔の夫は、いつ見ても美しい。夫の慌てて駆け寄る姿に「心配してくれるなんて……」とホロリとした。
やっと夫と夫婦らしいことができると思った矢先だった。
(どうしてこんなことに……?)
***
夫であるフィリップ・オルストン子爵とは政略結婚だった。 前子爵が事業に失費して借金で首が回らなくなった時に、大富豪だった我が家に目を付けた。メグリノ商会を運営している両親は爵位持ちとの結婚を喜んだし、当初の夫も優しくて、贈り物や花束を用意してくれて幸せな結婚生活ができると思っていたのだ。
けれど結婚した日に「君は商人の娘だ。貴族としての教養が身につくまでは白い結婚でいたい」と言い出したのだ。
つまりは白い結婚を望む、と。
悲しかったけれど翌日から、貴族としてのマナーや礼儀作法、他国言語など勉強と子爵家の領地運営で忙しくなった。
『まあ、子爵夫人となる者がそんなことできなくてどうするの!?』
『申し訳ございません』
義母は、ネチネチと嫌がらせをしてくる。それに浪費も激しくて散財するので、あっという間に子爵家の資金は尽きかけてしまう。夫に相談しても『家のことは、君のほうでなんとかできないのかい?』と頼りにならない。
そんな日々を過ごしていたけれど、半年前に両親が事故死したことで、義母や夫の態度が一変した。
私があまりにもやつれたのを見て不憫に思ったのか両親の葬儀後、仮面夫婦として『子爵夫人の役目は果たすように』と言い続けてきた夫が、最近歩み寄ってくれるようになった。
『今まですまなかった。……こんなに痩せ細るまで気付かないなんて』
『旦那様』
『ああ、ヘレナさん。貴女が来てから子爵家は持ち直したというのに、当たって……ごめんなさいね』
『お義母様』
義母は私に何度も謝り、ドレスや宝石などを売り払って、浪費もやめた。
夫は花束にドレスなどの贈物に、一緒に食事に誘ってくれて……。最初はどういう風の吹き回しかと思ったのだけれど、嫁いできてから子爵家を支えていたこと、領地運営、新事業も軌道に乗ったことを知って感謝の言葉をくださったのだ。
『王城でも君の名前をよく耳にするようになったんだ。夫として誇らしいよ。繁忙期ももうすぐ終わって……ようやく時間が作れそうなんだ。元気になったらどこかに出かけないか?』
『……! はい』
夫とのお茶の時間も増えて、デートやオペラにも誘ってくれるようにもなって『借金を返すために私も奔走していて……君への配慮に欠けていた。すまなかった』と頭を下げてくれた。燃えるような愛情はないけれど、それでこれからお互いに歩み寄って行こう。そう話し合った。
何度目かの話し合いの時に、改めて謝罪もしてくださった。もう何度もしてくれているのに、旦那様は頭を深々と下げたまま言葉を続けた。
『結婚当時、貴族ではない女性を妻に迎えることに対して色々と言われて──君に八つ当たりをしてしまって本当に申し訳ない』
『旦那様』
傷つかなかったと言ったら嘘だ。
でも借金も抱えて形見が狭かった頃、社交界で資金繰りをどうにかしようと奔走していた旦那様にとって、彼らの言葉は強い毒となっていたのだろう。特に王城の文官であれば、身分の差に色々口を出す者も多いと聞く。
王城という所は、親切心を装った悪意に溢れているとも話してくれた。だからこそ女性に対して不信感を持っていたことも話してくれた。それに心の余裕がないときほど、人の視野は狭まるものだ。
子爵夫人としてサロンやお茶会に初めて出席したときも、嫌がらせや好き勝手いう令嬢や夫人はごまんといた。私の場合はご令嬢や夫人に提供できる商品があったことで早々に嫌がらせはなくなり、それによりオルストン子爵夫人としての評価が高まったことで夫も王城内での立場も良くなったとか。
『君がサロンやお茶会に出て貴族令嬢と遜色ない教養を見つけていること、マナーや礼儀作法も完璧だったのを見て、改めて君が素晴らしい人だと思い知ったよ』
『まあ、見ていたのですか?』
『ちょっと中庭を通った時にね。……それに商会で出している発明品も君が関わっているのだろう?』
『はい。ですが素人的な発想なので、最終的に落とし込んで作るのは──』
『それでも凄いことだ』
ふとこんな物があったら便利じゃないか。そう思うことは幼い頃からあり、両親の商会が大きくなった一つは私の設計した道具などが含まれている。
今はオルストン子爵家の役に立てるなら、とアイディアを出し惜しみせずに日用品の魔導具用ポットや、魔法瓶、レインコートなどから、香り付き石鹸に化粧品、べたつかないハンドクリームなどを生み出した。
晩餐もいつの間にか和気あいあいとしたものになって、笑い声が絶えないようにない。必要とされることが嬉しくて、大切にしてくれる夫や義母の存在にようやく子爵家として馴染めたのだと安堵した。
『ヘレナ、今年の誕生日パーティーは盛大にしないかい? 君がどれだけ素晴らしい夫人なのかも皆に知ってほしい』
『まあ、分かりましたわ。精一杯素敵なパーティーになるようにします』
『ああ、楽しみにしている』
贅を凝らした美しいパーティー会場で、流れてくる曲も素晴らしい。パーティーのために頑張って予算を捻出したのだ。
最高級のワイン、料理長に頼んで食べやすいバイキング形式にして、豪華に見せるため中庭の花を摘んでアレンジメントして飾り、王都で有名な音楽団も呼んだ。今日集まる王侯貴族の方々と、新しい事業提案や商談が一つでも決まれば、充分に元が取れるよう手筈を整えた。両親が残してくれた遺産は莫大だったけれど、手付かずにして貸金庫に入れてある。私になにかあった場合は、持参金分の金額を夫に残りを修道院と王家に寄付するように手続きを結んでおいた。夫にも相談したが「君の望むままにしてほしい」と言ってくださったのだ。
夫の誇れる妻であるために、服装も気合いを入れてパーティーに臨んだ。これからも子爵夫人として夫を支えていこう。
赤ワインを飲むまでは本気でそう思っていたのに──。
グラスの砕けた音と、悲鳴によって全ては壊れてしまった。
***
「かはっ(どうして……こうなってしまったの? 一体……誰が……?)」
「ああ。ヘレナ……」
「──っ!?」
口元を歪め、目尻が下がって心底嬉しそうに私を見下ろす。
(え? その異様な雰囲気に、違和感が生じた。どうして笑って? 旦那……さま?)
「ああ、これで君とはサヨナラだ。今後私は『愛する妻を失った可哀想な夫』として社交界で噂になるだろう。みな私に同情してくれる、優しくしてくれる」
蕩けるような甘い声で囁く。周囲の喧噪で旦那様の声は周囲には聞こえていなかった。
「なに……を」
「ほとぼりが冷めてから、愛人を正妻に迎えるつもりだ。ああ、……ここまで本当に長かった。本当はこんなことを口にすべきではないのだけれど、それが野良魔女様との契約だからしょうがない」
「ヒュッ(なにを……言っているの?)」
「僕には賢い女性がいてね。君の遺産も銀行に務めている彼女が、書類を改ざんして僕に財産が行き渡るようにしてくれるんだ。ああ、本当に今までありがとう。君との恋愛ごっこはそれなりに楽しかった。……愛していたよ、ヘレン。あーヘレナだったか」
「──っ!!」
意識が朦朧する中、夫は冥土の土産と言わんばかりの自らの罪を告白した。まるでその工程を踏むことが義務かのように聞こえる。必死に詳細を語る夫の姿は、悪魔以外の何者でもない。私を殺そうとしたのは間違いなく、旦那様だということに胸が痛んだ。
(どうして、愛妾を設けるだけではなく、夫人としての存在も邪魔だと? 私の遺産を横取りするためだけにこんな計画を? ……そこまで目障りだったというの?)
今までオルストン領地の運営、屋敷管理、事業を頑張ってきたのに、あんまりだ。こんな最期を迎えるために、今まで頑張ってきた訳じゃない。
「ひゅっ……っ」
「ヘレナ! 目を閉じたらダメだ。ヘレナ!!」
迫真の演技で涙まで流している。義母も駆け寄っているが、薄らと泣いているのが腹立たしい。
今までずっと認められたくて、愛されたくて、居場所を得るために頑張ってきたのに、このまま良いように利用されて死ぬなんて絶対に嫌。
なにより悔しい。
(まだ、やりたいことを何一つ出来ていないのに……!)
喧噪が遠のいていく。
消えゆく意識の間際に、誰かの手が私の喉に触れる。それは旦那様とは違うと、なんとなく思った。
『面白い魂の色合いだわ。……そうね、私の魔力に耐えて生き残ったら、私の従魔になってくれないかしら? そうしたら貴女の願いも叶えてあげる』
(私の願い……? 夫に復讐をする?)
男の声だったけれど口調は女性で、憐れみとか同情でもなく、たった今思いついたような言い回しになんだか、フッと笑ってしまった。
『やりたいことでもいいわよ』
(私のやりたかったこと……。ずっとやりたいと思ったことがあったのに、なんだったかしら……)
体が重い。
瞼を開けることもできない。底なしの海に体が落ちていく感覚がする。光が薄れて、深い闇に体の感覚が消えていく。
これが死?
私はまだ何かやり残したことがあったような?
旦那様への報復? それとも離縁?
違うわ。そんなんじゃない。もっとずっと昔からやりたかったこと──。
商会でアイディアを出すのは楽しかった。でも本当はもっと──。
やりたいことがあったはずだ。
沈澱していた記憶が浮上する。それはヘレナ・オルストンの記憶ではない。もっと古く、眩い記憶。
この世界ではないどこか。
発展した都市。飛行機や電車、車の往来、魔法のないここではない、けれどこの世界よりも生活水準が高い──世界。
『来年こそバーテンダーコンテストで優勝するわ!』
『自信満々だな、うちのポープは』
『創作カクテルは結構良い感じなんですよ! それにここ三年でマスターにもしごかれましたし!』
『ああ、もう一人前といっても良いだろうな』
懐かしい声。
笑い声と胸が温かくなった。
一つ思い出すと、また一つ記憶が蘇る。どうして忘れていたのかしら。あんなにお酒を──カクテルを作るのが大好きだったのに。
色鮮やかで、人を喜ばせる魔法のような技術を持ったマスターが好きだった。人柄も素敵で、この人に認めてもらいたくて、早く一人前になろうと毎日カクテルの練習や勉強をしたんだった。
その後、どうなったの?
コンテストは?
マスターに認められた?
ここでも私は中途半端に人生が終わってしまったってことよね。ヘレナとして異世界に転生したのに、また何も成せずに終わってしまうなんて……。もっと早く前世の記憶を思い出していれば、この未来は避けられた?
『なるほど。アナタ、異世界転生者だったのね。どうりで珍しい魂だと思ったわ』
温かい声。私に触れた手が温かい。
人の手というよりも獣?
だれ? 今世の私に、こんな美しい人との接点はなかったはず。
「あっ………」
声に出したかったのに、喉がひりついて声が出ない。瞼も重くて、姿が見えなかった。声の雰囲気からして男性なのだが口調は女性で、どこかフローラルな香りがする。
「……だ……ぁ……れ?」
『ふふっ。私はゼロの魔女フィルよ。アナタ、野良魔女の毒を飲んだでしょう? 《魔女の薬》は人の死に関わる物を作ってはいけない縛りがあるから、アナタに死なれるのは困るのよ。本来なら手遅れなのだけど、今回はと・く・べ・つ』
「(私はそんなものを飲まされ……)……っ」
『眷族だと縛りが強すぎるかから、私と仮の従魔契約をしましょう? 一年の期間限定にしておいてあげる』
従魔契約?
魔女様と?
ふふっ、何だか不思議。でもそうね。……このまま死ぬのは嫌だわ。唇を動かそうにも声がでない。できる限り頷いて答えてみたけれど、伝わったかしら?
『良い子ね。契約成立。それじゃあ、よろしく私の可愛い子猫さん』
「──っ、んん」
モフモフに毛並みが触れたかと思ったけれど次の瞬間、唇と唇が触れ合う。驚いて目を開くと目の前に赤紫色の髪の美しい黒服の美女──ううん、色っぽい男の人が飛び込んできた。
「!?」
『好きなようにやってみなさい』
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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今回は異類婚姻譚、和シンデレラです。
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タイトルを変えたのと共に内容も多少変えています。