第三十七話 第三者視点 その後
五人が渾身の料理という概念をぶち壊した存在であるおにぎりの余韻に浸って暫く。ハッと我に返ったのは一人の――日頃から一番の美食家という自負があり、自他ともに名を馳せている――爺さんであった。
「はっ。そうだ! これは一体どこの名店の……料理長の名はなんというのだ?」
その言葉に他の連中も我も我もと叫び始めた。
「料理の真髄を見ましたよ。あんな衝撃。寝ても覚めても忘れられそうにない!!」
「あそこまでの感動! 実に素晴らしいですねぇ」
「さぞや、名のある料理人とお見受けする」
「我々の体を気遣い量を少なくしたと先程言っていたが、もっと食べたい! もっとだ!」
「おかわりを所望する。このワシが知らぬ料理の境地があるとは信じがたい。が、事実は事実よ!」
好き勝手わあわあと思い思いに感想やら、料理人についてやら、要求やらを喚いている連中。それらを眺めて古屋敷紅夜は、パッと見はにっこりと余裕ぶってみせていたが、内心で冷や汗をかいていた。まさかここまでだとは予想が出来なかったのだ。あのおにぎりたった二つで、ここまで作戦通りに行くとは思わなかったのだ。
半分、否。それ以上信じていなかった。なんでもすると言った言葉を何度撤回したくなっていたことか。それが、どうしたことだろう。この目の前に広がる信じがたい光景は。あの煮ても食えないと有名な厄介な五名が手のひらの上だ。
というか、最早俎板の鯉状態である。今なら、おかわりを用意すると言えば対価にどんな要求も金品も喜んで差し出しそうな勢いと熱があった。それだけ老人達は熱狂していたのだし、歓喜に湧いていた。下手をするとテンションが上がりすぎて今にも召されそうなレベルである。
これでは顔見世だの交流だのどころではない。一旦落ち着かせる必要があるだろう。紅夜は口を開いた。
「皆々様。落ち着かれてください。このおにぎりを作った料理人は既に仕事は終わったと屋敷を後にしています」
実はとっとと役目は終えたと、厄介事に巻き込まれる前にと璃々達は逃走していたのだ。
「己の仕事を最後まで見届けないなどなっとらんではないか!」
「いやいや、恐らく職人気質な方なのでしょうな」
「ここは自信の表れ、と取るべきでしょう」
「馬鹿な。せめて、礼の一つでも直接言わんと気がすまんわい」
「まぁまぁ、良いではないですか? 今度は店にお邪魔させて頂いた折にでも、お礼の気持ちを改めて伝えれば良いことですからねぇ」
「それもそうであったか」
「ですねぇ」
「で? 店はどこにある?」
そして、案の定というべき質問。その問いに関する答えは用意されている。紅夜は口を開いた。
「どうやら流れの料理人らしいのです。なんでも巷では幻の料理人と呼ばれているのだとか」
そう答えると老人共は三者三様に唸るしかなかった。そう璃々達は諸々の面倒事を噂を利用して、ありもしない料理人に引っ被せることにしたのだ。
「噂ではとある店に卸している提供品があるとか……ないとか……。なんでも今回、皆様が食べた品々は非売品な特殊な一品。口に出来た事こそが物凄く幸運なそうでして……」
普段は若輩者であり、仕事のことでも性格のことでも貶し、見下してきた者達だ。それが今や紅夜の言葉を一つも聞き逃すまいと必死の形相である。立場が完全に入れ替わっていた。
「それは最もだ」
「特別な一品。この様に素晴らしい代物が気軽に出回っている筈がないですからねぇ」
「幾らだ? まどろっこしい交渉は好かん。こちらは幾ら積んでも構わんぞ」
「とある店の情報とやらは勿論掴んでいるのだろう? 勿体ぶるのはよしたまえ」
紅夜はこの瞬間。上位に立つ者の感覚を覚えた。今まで権三郎という権力者の孫という立場で守られて過ごして来た。そして、指導という名目で数々の教育をこなしてきた。その中には実際に仕事をするという実践も幾つもある。しかし、今。この瞬間の体験とは比べるに及ばず。
(こ、これが欲を煽り、弱みを握り、人を支配するという感覚なのか…………!)
『下克上』――――言葉は良いが、良くも悪くもこの経験は古屋敷紅夜の人格形成に多大な影響を与えたのだった。




