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8 ケルベロス


ケルベロスの爪は入手が非常に難しい。

あの生き物は主に洞窟の奥に巣を持ち、そこに到達するのは容易ではない。

更に非常に高い再生能力を持っていて、一度負わせた傷はあっという間に回復してしまうため、1ヶ月以上休む事なく戦い続けたという報告書を以前目にした事がある。


『私のためにそこまでしてくれなくてもいいです』


翌日、私が薬の材料を取りに行く旨をクトリに言うと、そう返事がきた。

ケルベロスの事は過剰に彼女を心配させると思い、伝えてはいない。


「そういう訳にはいかない。私はキミのお爺さんからクトリを託されたんだ。だから⋯⋯せめて君の失声症くらいは治してやりたい」


クトリはそれを聞いてペンを走らせる。


『ごめんなさい』


お爺さんの事を思い出したのだろうか、その表情は少し暗い。


「⋯⋯あぁ、すまない。迂闊だったね」


私は彼女を慰めようと言葉をかけるが、彼女の表情は晴れない。

そんな顔をさせたい訳じゃなかった。

私は何も言えずにいると、クトリは再び机の方に顔を向け、書いた。


『私、キルホフさんにはとても感謝しています。でも、キルホフさんを苦しめたくはないです』


彼女はそのメモを私に差し出すと、物憂げな表情で、私を見つめてきた。


「大丈夫⋯⋯大丈夫だよ、クトリ。私は大丈夫だ」


私はその表情を直視することができず、わずかに顔を逸らせながらそう答えた。


それでもなお、彼女の寂しげな表情が変わる事はなかった。


マルファがいうにはここから一番近いケルベロスの巣は数時間馬を歩かせたところにある、標高が高い岩山にある洞窟だそうだ。

そこは季節によって天候が大きく変わり、雷雨が吹き荒れることもあるらしい。


──出発は早朝。私はクトリがちゃんと寝ている事確認すると、音を立てないようそっと家を出た。


途中休憩を挟みながら山道を進み続けること約7時間。時刻にして午後3時くらいだろうか。ようやく洞窟の入り口が見えてきた。

中はひどく暗く、灯りをもってしても先を見通すことは困難だった。

私はここに来るまでに集めておいた松明に火を灯すと、それを右手に持ち洞窟の中へと足を踏み入れた。


5分ほど歩いただろうか、開けた広間の様な場所にたどり着いたところで私は足を止めた。

そこには予想通り、ケルベロスが1匹佇んでいた。


威嚇するように吼えると、そいつはこちらにゆっくりと近寄ってくる。


「でかいな⋯⋯」


大きさは3、4メートル以上あるだろうか。私の倍以上の大きさだ。 


私が鞘から剣を抜いたと同時に、ケルベロスがこちらへ跳躍した。

飛びかかってくる巨体を横へ薙ぐようにしていなす。


「────ッ!」


手応えあり⋯⋯そう思った矢先にケルベロスの右前脚が振り下ろされた。


──避けられないッ! 私はその巨体からの攻撃を咄嗟に剣で受け止めるも、衝撃は殺しきれずそのまま後方へ吹き飛ばされた。


「ガッ⋯⋯ハ!」


洞窟の壁に背中が思い切り打ち付けられる。衝撃で一瞬呼吸ができなくなる。

私はすかさず立ち上がると、剣を正眼に構えた。


「やはり⋯⋯一筋縄ではいかないか」


今度はこちらがケルベロスへと向かっていくと、向こうも再び飛びかかって来た。

上段から振り下ろされる前脚を屈んで躱すと、横腹目掛けて剣を薙ぐ。

今度は確かな手応えがあり、肉が抉れるのが見えた。だがすぐさま反撃の牙が襲う。私はそれを剣で受け止めると後方へ大きく飛び退いた。 


「おいおい⋯⋯」


あれだけ斬りつけたにもかかわらず、ケルベロスの傷はまるまるうちに再生していく。


「落ち着け⋯⋯」


あくまで目的は討伐ではなく、爪だ。

そこだけ剥げればそれでいい。


ケルベロスの突進をサイドステップで躱すと、タイミングを合わせて胴体目掛けて剣を振り抜いた。

肉を斬り裂き、肋骨の硬い感触が手に伝わった──だが、次の瞬間にその感触はフッと消えてなくなる。


「なっ⋯⋯!」


3つの頭のうちの一つが私の剣を掠め取り、気づけば私の剣は宙を舞っていた。


「まずいっー」


そして再び襲いかかってきた前脚が、私の顔面を捉えた。

衝撃と共に身体が宙に浮き上がり、天井に叩きつけられる。脳震盪でも起こしたのか視界が安定しない。


ケルベロスの吼える声と足音が私の元へと近づいて来る。私は再び襲いかかってきた前脚に弾き飛ばされ、洞窟の壁へ激突した。


受け身など取れるはずもなく、背中から地面へと落ちる。肺が圧迫され呼吸がままならない。


視界が霞み、ぼやけた視界には、ケルベロスの牙が首に向かって伸びてくるのが見えた。


私は言う事を聞かない身体を何とか必死に動かそうとするが、それも叶わない。


牙が首に触れる感触が伝わる──死を覚悟した、その時だった。


「フレイムグレイス」


──声がすると同時に、私とケルベロスの間に炎の柱が出現した。


炎に焼かれたケルベロスは苦悶の雄叫びを上げながら、私から離れていった。


「キミ、大丈夫?」


何とか頭を上げ、声の主を見ると、そこには片手に剣を持ち悠々とたたずむ1人の女性がいた。


「あ、貴女は⋯⋯」


黄金の様に輝いている銀色の髪。

若干の切れ目の中に佇む瞳には、鮮やかな翠色がはめ込まれていた。

白と赤の衣服を身にまとい、頭には青色の髪飾り。


間違いなくあの日、マリーネの墓の前で会った女性だった。


「貴女は⋯⋯あの時の⋯⋯」


私が咳き込みながらそう言うと、彼女は私の方へ向き直し、ゆっくりと歩き出した。


「怪我は大したことないね、それならさっさと立てるようになるよ」


そういうと、私の胸に手を当てる。その手から淡い光が漏れ始め──次の瞬間には痛みが消え去っていた。


「貴女は一体⋯⋯? どうしてあの時私の前に現れた⋯⋯?」


私が再び聞くと、彼女は半ば呆れたようにこちらを一瞥した。


「ほら、寝ぼけてないで。あの化け物が体勢を立て直す前に逃げるよ」


彼女は私の手を摑むと、半ば強引に私を立ち上がらせ、洞窟の入り口の方へと引っ張り始めた。


「ちょっと⋯⋯」


「はいはい、いいから走って」


そう言って彼女は私の腕を無理矢理引っ張っていく。その力は私では到底かなわないほど強い力で、私は何も抵抗できないまま洞窟の入り口へと引き戻された。


外は、すでに夕陽が差し掛かっていた。


「ちょ、ちょっと⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯」


数十分は全力疾走していただろうか。

中年には流石に堪える。

私は地面に腰を下ろすと呼吸を整えた。


「あんな奴相手によく1人で戦おうと思ったね、キミ」


私とは対照的に息ひとつさえ切らしていない彼女は、剣を鞘に納めて、私の横に腰を下ろした。


その表情はほとんど無のままだ。


「一体⋯⋯何者なんだ? 貴女は」


「私はフェイ。キミが1人でケルベロスの洞窟に入っていくのが見えた。だから助けた」


淡々とそう告げる彼女──フェイ、そうなのったこの女性の表情は、初めて会った時から何一つ変わらない。


「ケルベロスに1人で挑むなんて無謀。どんな理由があるか知らないけど、今回私がたまたま見つけたから助けられただけで、下手をすれば死んでいたよ」


「それは⋯⋯確かに⋯⋯」


彼女にそう言われて初めて、自分がいかに愚かであったかを思い知る。

そしてそれと同時に、恥ずかしさと悔しさで奥歯を噛み締めた。


クトリを救いたい一心で、彼女の願いも無視して、また独りよがりになってはいなかっただろうか。


「なぜ、私を助けてくれたんだ? 赤の他人を命の危険を冒してまで⋯⋯」


私は地面に手をつき、立ち上がりながら聞いた。


「たまたま見つけたからって言ったでしょ? それじゃ理由にならない?」


どこからか取り出したパンを食べながら、彼女はそう言った。


彼女の腕は細く、ここだけ見ればか弱い女性にしか見えない。

一体この細く華奢な身体のどこにあの怪力を秘めていたのだろうか。


それに、見れば見るほどあの時、私の前に現れた女性とフェイは瓜二つだった。


「⋯⋯なにか?」


私が無言で彼女を見ていると、額についたパン屑を払いながら、怪訝そうな表情で彼女が言った。


「いや、貴女は⋯⋯本当に私と会った事がないのか? この麦わら帽に見覚えは?」


私は、腰にかけた麦わら帽を持ち、思わずそう尋ねる。


「⋯⋯残念だけど、私はキミに会ったことはないかな。それにその帽子も見たことない」


彼女はそう答えると、再びパンを口へと運んだ。


「さて、もう時間も遅い。夜道は危ないし、私の家に泊まって行ったほうがいいよ」


彼女はそれだけ言うと立ち上がり、少し歩いてから立ち止まった。


「こっち」


「いやしかし⋯⋯私には待たせている人が」


クトリの顔が浮かんだ。

私の帰りを待つ彼女の気持ちを想像しただけで、胸が締め付けられる。


「夜道で死んだら、その待たせてる人に2度と会えないよ」


そう言い残して歩き始めた彼女。

私はなし崩し的に彼女についていった。

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