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3 銀の刺繍

出発の日からまる1週間、私は街道を西へ馬を歩かせ続けていた。


陽が昇っているうちしか移動しなかったので、道中は至って平和そのものだったが、1つ問題があったとすれば、それは私の体力不足だった。

昨年まで現役の憲兵で、日頃の鍛錬も欠かさなかったとはいえ、40歳にもなるとさすがに衰えを感じずにはいられないようだ。……情けない話だが。


ともあれ、ようやく目的の街が見えてきたのだった。

街の名前はアロゲネといい、大きな街だ。人口はおよそ3万人ほどだっただろうか?


毛織物業が盛んな街で、この街で織られた布で作られた服を纏えば、どんな寒空の下でも暖かいと言われている。


街の関所に着くと、衛兵に止められた。


「身分証の提示を」


「あぁ」


私はそう言うと、鞄の中から一枚の木簡を提示した。


「おぉ、これはこれは。ご苦労様です」


この木簡は憲兵隊に定年まで務めたものが貰える特別な身分証で、街道沿いの宿などの無償宿泊など、様々な場面で恩恵を受けることができる。


「確かに確認しました。ようこそ、アロゲネへ」


街に入ると、そこは多くの人で賑わっていた。

市場にはこの街の住人は勿論、旅人、そして家族連れも多く、活気に満ち溢れている。


キヴィオルが去り際、私に差し出した地図はこの街のある店を示していた。


『マリーネさんの死について、よく知ってる男がここにいる』


そう書かれた手帳の切れ端をもう一度見る。

⋯⋯キヴィオルは、あいつは一体何をしているんだ? 王都に行った5年間で何を⋯⋯。


彼は軽薄そうに見えるが、こういった類の嘘や悪ふざけは絶対にしない。

このようなことを私に告げたのには必ず理由があるはずだ。


キヴィオルの残した言葉の意味を考えながら、しばらく歩くと、目的の場所に到着した。


そこには、「銀の刺繍」と書かれた看板を下げた一件の服屋があった。


街の中でも、区画整理されていない古びた地区に建てられた木製の建物は、それだけで歴史を十分に感じられる。


私はごくりと唾を飲み込みながら、扉を開け、店内に入る。


「すみません、誰かいませんか?」


店の奥に向かって声をかけると、はーいと言う元気の良い声が聞こえてきた。


しばらくすると、奥から出てきたのは、私の予想に反して、小柄な少女であった。

年は17、8と言ったところで、肩口までの栗色の髪をゆらゆらと揺らしながらこちらへと近づいてくる。


「いらっしゃいませ! 本日は何をお探しでしょうか?」


彼女はそう言うと、大きな目をクシャリと細めながら、にこやかな笑顔を浮かべた。

胸元を見ると、クトリと書かれた名札が付けてある。


「いや、何かを探しにきたわけではないんだが⋯⋯」


私が少し言葉に詰まると、彼女はすぐに何かを察したようで、こう続けた。


「この辺りでは見ない方ですし、もしかして行商人の方ですか? 店主の祖父なら奥にいるので今呼んできますね」


私は彼女の勘違いを訂正しようと口を開いたが、言葉を発する前に、彼女はパタパタとスリッパを鳴らしながら店の奥に消えていってしまった。

どうしたものかと思案していると、白髪で初老の男性が暖簾をかき分けて出てきた。


「いらっしゃい、私は店主のロイ・ラトリー。よろしく」


「はじめまして。私はキルホフと申します」


私は自己紹介と共に、軽く会釈をする。


「それで、今日はどのような御用件で?」


鼻に掛けたメガネの位置を直しながら要件を聞いてくる。


彼の風貌は一言で言うとまさに職人気質といった感じだ。

白髪に髭を生やしたご老人だった。


完全に行商人と間違えられてしまっているが、意を決して、単刀直入に切り出すことにした。


私はポケットからメモを取り出しこういった。


「これはキヴィオルという憲兵から貰ったメモなのだが⋯⋯」


言うと彼は先ほどまでの優しそうな顔とは打って変わって、険しい顔になった。


「キヴィオル⋯⋯」


ダガンはそのメモを受け取ると、じっくりと読み、やがて顔を上げると私をまっすぐに見据えながらこう続けた。


「あんたは⋯⋯どこまで知ってる?」


彼の問いに、私は何も知らないと答えようとすると、続け様に彼が口を開いた。


「いやいい⋯⋯何も喋るな」


彼はそう言ってメモを暖炉に放り投げた。


「な、なにを⋯⋯」


思わずそう口走ると、彼は目を瞑って首を横に振った。


彼はキヴィオルとどういった関係なのだ? キヴィオルは何を考えている? わからない。何一つとして。

私が困惑していると、彼は私に背を向けてこう言った。


「悪いことは言わない、あやつから言われたことは忘れることじゃ」


そう語る彼に対し、私は痺れを切らし、語気を少し強めて言った。


「妻を、マリーネの事を知りたいんだ」


すると彼は驚き、こちらを振り返ると、ゆっくりとこう言った。


「妻? そなた、マリーネの夫なのか?」


「あぁ、そうだ」


「そうか、あの子の⋯⋯」


彼はそう言うと、カウンターの上に肘を置き、顔の前で手を組んだ。

そして大きな溜め息をひとつ吐くと、こう続けた。


「お前さんの妻と娘は⋯⋯不幸な死なんかではない、殺されたんだ」


「殺された?」


私は思わず立ち上がり、驚きの声を上げた。

すると彼は手で私を制し、こう続けた。


「落ち着きなさい」


「殺されたとはどう言う事だ?」


私は堪らず彼に詰め寄るが、彼は少し顔を俯かせ、閉口してしまった。


「頼む、妻の事を知りたい、それだけなんだ⋯⋯」


私は彼の両肩に手を置き、懇願するようにそう言った。

彼はしばらくの間黙っていたが、ややあって、重々しく口を開いた。


「自分から言えるのはここまで。私には守るべき孫娘がいる。私の息子を⋯⋯両親を亡くしたあの子にとって私は唯一の家族なんだ」


彼は、彼の言う"守りたいもの"のために口を閉ざしたのだ。

私にはその気持ちが痛いほどわかったし、もう問い詰めることはできなかった。


「⋯⋯すまない、分かったよ。これ以上は何も聞かない」


私はこれ以上ここにいても仕方ないと思い、席を立ち店を出ようとドアに手をかけると、ロイは少し待ってくれと声をかけてきた。


しばらくして、彼が店の奥から持ってきたのは、女物の一着の羽織ものだった。


「この服はそなたの妻の故郷で採れた絹を使ったものだ。女物だし、こんなものが励ましになるかは分からんがの⋯⋯」


薄い青色の生地に銀糸の刺繍が施された美しい代物だった。


「いいのか?」


私がそう尋ねると、ロイは小さな声であぁ、とだけ言った。


「ありがとう、大事にするよ」


そう礼を言い、店を出ると、空は既に赤く染まっていた。

私は服の入った紙袋を片手に、家路へとついた。

街の中心部に戻ると、夕飯時ということもあり、辺りは人で溢れていた。

行き交う人々の喧騒が耳に入ってくる。


「すいませーん、さっきの行商人さーん!」


その喧騒の中から、聞き覚えのある声が私の後ろから聞こえた。


振り返ると、そこにはあの店の店主ロイの孫娘がいた。

走ってきたのであろう、肩に手をやり息を切らしながらこちらを見ていた。


「君はさっきの⋯⋯」


「クトリです、クトリ・ラトリー」


息を整えた彼女は、弾む声でそう言った。


「これ! 忘れてましたよ!」


彼女の手には麦わら帽子が握られている。


「あぁ、すまない。わざわざ走ってきてもらって」


言って、私は彼女から帽子を受け取った。


「いえいえ! それでは行商人さん、今後とも街一番の仕立て屋『銀の刺繍』をご贔屓に!」


まだ私を行商人だと勘違いしたままの彼女は、弾けんばかりの笑顔を見せて大きくお辞儀をした。


「あぁ、わかった、ありがとう」


私がそう告げると、彼女は元気よく駆けて行った。


「『銀の刺繍』か⋯⋯」


私は紙袋に入った羽織を見つめながら呟く。

美しい薄青色の生地に銀糸で施された繊細な刺繍は、マリーネにもよく似合っただろうと想像する。


「マリーネ⋯⋯」


ロイが言っていたあの言葉⋯⋯妻と娘が、殺された⋯⋯?


それにキヴィオルのあの感じ、あいつはマリーネの死を知っていたのか? 


春の夜には似合わぬ寒気が、私の背中を駆け抜けていく。

寒さでまとまらない思考を振り払って足早に宿へと戻った。

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