タピオカ 5 年 11 月 2 日
そりゃ、誰にだって書き癖はあるから、「文字の体系」は人それぞれだろう――だが、こんなことを言っては字書や文字コードの正当性も揺らぐし、何より「異なる体系を持つもの同士が何故コミュニケーションできるのか」という疑問も湧く。
最初に漢字を学んだ日本人が誰かは知らないが、最初は筆を動かすことさえままならなかっただろうし、中国人だか朝鮮人だかが教えた漢字の完全コピーはできなかった筈だ。
で、聖徳太子こと厩戸王が小野妹子を隋に遣わせて、中国古典の勉強をさせた。それから稗田阿礼と太安万侶が古事記を編纂した。以来暫く日本の権力者は日本由来の習慣と中国由来の習慣の二足の草鞋で歩いていた。漢字と漢文だって中国の真似ばかりしていた訳でもないし、違ったことばかりしていた訳でもない。
西暦 894 年、遣唐使がハクシに戻されて日本はまた中国と異なる文化を醸成した。文字だってそうだ。平仮名がこの頃できたのは小学生だって知ってるが、所謂真名だって世尊寺流とか法性寺流とかいった和様が現れた。宋の時代にまた国交が始まって禅の坊さんが中国の書風(唐様)を再び持ち込んだ。和様と唐様の対立は江戸時代まで続いた。
所で、Unicode 批判でいう「日本と中国の漢字の違い」はこういうのとは違うのだろうか。いや、一般人が「中華フォント」の「骨」や「直」の書体というか字体に困惑するというのは、古くからの書風より、近代の明朝体の違いについて困惑していることのような気がするけど。