勇者
2人はゆったりとした日々を過ごしていた。
ただこの日は違った。
慌ただしく扉がノックされた。
ジェラルドもただならぬ空気を感じて警戒する。
「ジェラルド様、カインです。ルシード様がお見えになってます。」
「わかった。すぐに行くから、アンナも連れてこい。」
ジェラルドは急いで部屋を出る準備をした。
「リオ、君も俺と一緒に来てくれ。俺のそばを離れるな。」
何も言わず頷いた。
部屋全体に漂う緊張感が私の体を強張らせる。
それに気づいたジェラルドは優しく私の肩を抱いた。
「大丈夫だ。君のことは必ず守る。」
そういうと2人は部屋を出た。
客間に入るとルシードが足を組み、椅子に座っていた。
前会った時とは違う少しピリッとした雰囲気だった。
「遅かったな。」
そういうとルシードが先にジェラルドに声をかけた。
「なにがあった?」
ジェラルドはルシードのただならぬ空気を感じ取ったのか、いつも以上に低い声だった。
「…魔王が倒された。」
ルシードは少し小さめの低い声で話し始めた。
「なんだと。」
ルシードの前に座っていたジェラルドは驚き、少し前のめりになる。
「もともと力が弱っていた魔王だったが、そこに勇者を含めた人間どもが数人やってきて倒しやがった。」
「とうとう勇者が現れたか…。」
「ああ。奴にとっては奇跡の聖女を奪う前に、こんなに早く現れるなんて想像もしてなかっただろうな。」
ルシードはチラリと私に目を向けた。
ジェラルドは庇うように私の手を握りしめた。
「リオを狙う奴がいなくなって好都合だ。」
私を安心させるように彼は言った。
ルシードはその様子に軽く笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻り話の続きを始めた。
「ただ、しばらくはここも荒れるだろう。早急に次期魔王を立てて対応したいところだ。」
そういうとルシードはジェラルドの顔を見た。
ジェラルドは無言で首を振った。
「だろうな。お前はそうだろうと思った。」
「魔王はルシード、お前がなるんだ。俺は昔からそういうことには興味はない。そして今は守らないといけない存在がある。」
ジェラルドは私を優しく見つめて抱き寄せた。
そのとき、外から大きな音が響き渡った。
いくつもの大きな火の玉が庭に飛び込んできた。
「ちっ…!アイツらもう来やがった。」
ルシードは立ち上がり身構える。
「リオ、君は安全なところにいてくれ。アンナ、カイン!リオを頼む。屋敷の奥の庭に連れて行け。」
「はい、ジェラルド様。かしこまりました。」
アンナは返事するとすぐに私の身をジェラルドから離そうとした。
「待って、行かないで!」
私は彼がいなくなってしまうのではないかという不安から、思わず腕を掴んだ。
その手を優しく彼の手が包む。
「リオ、大丈夫だ。必ず君のところへ戻る。」
それだけ言うと彼は黒い霧の中に消えた。
私は頬を流れる涙を彼の温もりが残る手で拭う。
何度拭っても涙は雨のようにぽとりぽとりと溢れ落ちる。
「リオ様、安全なところに向かいましょう。」
アンナは優しく私の体を寄せた。
そして、カインが安全確認を行いながら進んでいく。
屋敷の最も奥の庭に出た。
「ここまで来れば安全でしょう。」
カインは当たりを見渡して言った。
私は不安でアンナの腕を握る。
「リオ様、ジェラルド様ならきっと大丈夫です。戻ってこられるのを待ちましょう。」
そういうと私の手を優しく握った。
しばらく大きな激しい音が続いていた。
すると次第に音が止んだ。
「…もう終わったの?」
私はアンナに聞いた。
すると、アンナは警戒しながら言った。
「いや誰か来てます。」
「おい、そこの悪魔たち人間の女の子を解放しろ。」
男は華美な鎧を身につけて、輝くような剣を振りかぶった。
アンナとカインは私を守るように前に出る。
男が剣を振り下ろすと私の前にいた2人は突然倒れ込んだ。
「アンナさん、カインさん大丈夫!?」
アンナはぐったりと倒れ、苦しそうに息をしていた。
「リオ…様…はやく…逃げて…。」
私は倒れているアンナを見捨てることができず抱き上げようとした。
カインは痛みに顔を歪めながらも立ち上がり戦う姿勢を見せた。
「どうせ、お前たち悪魔がその人間を攫ったんだろ?早く解放しろ。」
華美な鎧をつけた騎士のような男は再び剣を振りかぶる。
「やめて、私は攫われて来たんじゃないの。自分から望んできたから2人を傷つけないで。」
私は騎士のような男を説得しようとした。
男は納得いかない様子で私を見た。
「は?そんなわけないだろ?悪魔が人間をそそのかして攫ってきたんだ。早くアンタもこっちに来い。」
「嫌よ。そして貴方は何者なの?」
「俺はアルフレッド。魔王を倒しに来た勇者だ。そしてたった今倒して、ここにいる悪魔たちも全員倒す。」
アルフレッドがアンナとカインにトドメを刺そうと近づいてきた。
すると、黒い霧が立ち込めてきた。
その中から2人の影が浮かび上がった。
ジェラルドとルシードだった。
ルシードは立っているのがやっとの状態でジェラルドに支えられていた。
そしてジェラルドのいつもきっちりと整えられていた髪は少し乱れていて、服も所々に汚れが付いている。
顔も少し苦しそうな様子だった。
苦しそうなルシードを近くの木陰に休ませると私のところに駆け寄ってきた。
「…リオ!大丈夫だったか?」
「私は大丈夫。でもアンナが…アンナが…大変なの。」
私はアンナを支えながら話した。
ジェラルドは私の代わりにアンナを少し後ろの木陰まで運んだ。
「リオ、アンナは大丈夫だ。」
ジェラルドは優しく頭を撫でた。
「君は安全なところにいてくれ。」
そういうと私をそっと奥にやろうと腕を私の前に出し、自分は少し前に出た。
「おい、そこの悪魔たち。俺の仲間はどうした?」
アルフレッドは怒りに満ちた表情でジェラルドとルシードを見た。
「元の世界に帰してやった。」
ジェラルドがそう言い放つと、アルフレッドは全速力で私たちの方に向かってきた。
「そんなわけないだろ。悪魔が情けをかけることなどない。そう言って俺を油断させようとしても無駄だ。俺はお前たちを倒す。」
怒りに身を任せたアルフレッドは、まずはカインを軽々とねじ伏せた。
そして次はジェラルドに向かった。
ジェラルドは軽く攻撃をかわす。
そして、アルフレッドに力を放ったが彼もそれを回避すると再びジェラルドに剣を振るった。
なかなか当たらない攻撃にアルフレッドは苛立ちを感じているようだった。
そして彼は何か策を思いついたかのように、剣を構え私のところに向かってくる。
私は突然のことで動くことができず固まってしまった。
ジェラルドはいち早くそれを阻止しようと追いかける。
本当に刺してくるからわからなかった。
ただジェラルドの一瞬の隙をつくために、一か八かでアルフレッドは私を狙うふりをしただけなのかもしれない。
しかし、それはジェラルドにとって何よりも強い攻撃となった。
剣先が私の方に向かった時、自分の攻撃が間に合わないと感じたジェラルドは自らの身を盾にしたのだ。
その背中にアルフレッドの鋭い剣が突き刺さり、ジェラルドは倒れ込む。
「…ジェラルド!」
私は彼を受け止めるとその場で横にした。
「リオ…大丈夫だったか?」
彼の背中の傷口からドス黒い液体が流れ出る。
私はそんな彼を見て涙が込み上げてきた。
「大丈夫。私は大丈夫だから、もうこれ以上無理しないで。」
「…わかったから、泣くな。」
彼は優しく微笑みながら私の涙を指で拭った。
彼の指はいつも以上に冷たく、微かに震えていた。
私は彼からもらった指輪を見た。
きっと私に寿命と自分の力を与えてしまったから、いつも以上の力が出せず身を守れなかったことに気づいたからだ。
涙が止めどなく流れる。
そして、私は少し荒く呼吸をする彼を優しく抱きしめた。
「どうして…。どうしてこんなことしたの。」
私はアルフレッドを睨みつけて冷たく言葉を放った。
「どうしてって、悪魔は悪い奴だろ?」
アルフレッドは悪気なく言う。
私は頬を流れる涙を拭う。
手についていた液体で頬が黒く汚れても気にならない。
「確かに悪魔は悪い奴かもしれない。でもね、ジェラルドたちがあなたに何か悪いことをした?」
私は冷静に話を続けた。
「悪魔だけが悪い奴?違うでしょ。悪意を持って悪魔を利用しているのは人間の方よ。こうやって何も知らないくせに貴方は私の大事な人たちを傷つけた。私にとっては貴方の方が悪魔よりも悪い奴よ。」
泣き叫ぶように私はアルフレッドに感情をぶつけた。
彼は驚いた様子で私を見た。
そして少し納得した表情をした。
「…そうか。」
良くも悪くも素直なアルフレッドは私の言葉を聞き入れた様子だった。
「ただ俺は仲間たちと共に自分の使命を果たしたまでだった。悪魔さえいなけりゃと思っていたが、人間に悪意がある限り、争いや悲劇は生まれ続けるんだな。」
自分のしてきたことが果たして正しかったのか考えさせらたアルフレッドは少し悔しそうな表情をした。
そこにルシードが痛みに顔を歪めながら、ゆっくりとやってきた。
「お前は自分の世界に帰れ。そしてもう関わるな。お前みたいに素直で優しい奴にはこの世界は向いていない。そして、元の世界を変えてやれ。お前たちの仲間も元の世界に戻っているだろうから。」
「仲間って…本当に殺してこなかったのか?」
「当たり前だ。無駄に殺す必要はない。」
「…まるで俺たちの方が悪魔だな。すまなかった。」
そういうと、アルフレッドはルシードと共にどす黒い霧に包まれた。
「ねぇ、ジェラルド目を開けて。お願いだから…。」
私はジェラルドの手を握る。
彼は苦しそうに少しだけ目を開けた。
「ジェラルド、私は貴方に出会えて本当に幸せよ。そしてこれからもずっと一緒なんだから。」
涙が溢れてきて上手く言葉が続かない。
苦しそうだった彼の表情が少し和らぐと、残された時間はあと少しなのだと悟る。
ただ手を握り涙を流すことしかできない自分が悔しかった。
でも諦めきれず再び彼に話しかける。
「ねぇ…ジェラルドひとりにしないで。ずっと一緒にいてよ…。」
涙がずっと止まらない。
声も上手く出せない。
ただただ何もできない無力な自分は残された彼との別れの時間を過ごすことしかできなかった。
優しく私を包んでくれた腕は力無く倒れ、私の好きな彼の金色の瞳は瞼の下に隠れたまま。
私は彼の頬に優しく最後のキスをした。




