30話『家庭訪問』
夏とは暑いものである。
何を当然のことを言っているんだ。
ついに頭でもおかしくなったのかと。
邪推するかもしれない。
だが、実際に俺の体は震えている。
つま先まで冷えており、思わず暖房をつけたくなるほど。
しかし、これは外の気温が冷たい訳ではなく、心理的なものであることを理解しているので我慢している。
人間は突然こうなったりしない。
たまに、ラノベや漫画といった創作物では、都合の良いように、突拍子のない出来事が起こったりする。
現実は小説より奇なりという言葉があるように、稀にそういうこともあるだろう。
しかし、基本線は何か原因があり、そして結果が存在する。
要するに、この冷たさにも原因が存在するということだ。
何も難しい事じゃない。
俺のスマホの画面が全てを物語っている。
何着か来ている川瀬からの不在着信。
もうこれだけで、何かあったのかと勘繰り、ゾワッとしてしまう。
『今から家に行くから』
というメッセージ。
俺が電話に出なかったからだろう。
寝ていたんだから仕方ない。
何にせよ、川瀬がわざわざ俺の家に来ると言っているのだ。
こんなの怖くならない理由なんてないだろう。
やだなー、怖いなーって。
もうこれには稲川淳二もビックリだ。
「ヤバ……」
語彙力を喪失してしまった俺は、拙い言葉を漏らしつつ、意味もなくリビングを右往左往する。
今から何ができるか。
何も出来ない……が正解だ。
それでも何かしなきゃと思うわけで、結果として心を満たすために、ひたすらに足を動かす。
非常に馬鹿げた話だ。
しばらすると、インターホンが鳴る。
お迎えが来てしまったらしい。
恐る恐る玄関のドアを開ける。
目の前に立っているのは、笑顔の川瀬。
安堵しかけたが、何もしていないのにこの笑顔。
何か裏があるんじゃないか。
と、訝しく思う。
「わざわざお疲れ様です」
とりあえず、そう声をかけるだけかけて、扉を閉めてしまおう。
そう考え、扉をゆーっくりと閉じようとしたが、バレたのか足を挟まれた。
「慧斗家上げて?」
「良いですけど、何も出せないですよ」
「大丈夫よ。だから家上げて?」
特に表情を崩すことなく、微笑む。
俺はただ「分かりました」と従うことしか出来なかった。
家へ上げる。
川瀬はスタスタとリビングへと向かった。
もう慣れているらしい。
「突然どうしたんですか? あまりに突然でビックリしたんですけど」
髪の毛を触りながら問う。
「逆になんでだと思う?」
質問を質問で返される。
心当たりがありすぎて、分からない。
もしかして、酔っ払っていた時に手を握ってしまったのがバレてしまったのか、川瀬邸の押し入れで見つけたパンツを崇めていたことがバレてしまったのか、この間こっそりと川瀬のことを写真で撮ったのがバレてしまったのかもしれない。
ダメだ。
考えれば考えるほど、思い当たる節がポンポンと出てくる。
「……分からないです」
俺はツーっと視線を逸らす。
いや、分からないってのは事実だから。
うん、俺は何も嘘を吐いていない。
思い当たる節が多すぎて分からないんだけどね。
川瀬が何に対して怒っているのかは分からない。
「本当に分からないです」
心に言い聞かせ、正当化して開き直った俺は川瀬の目をジーッと見つめて、訴える。
「そう……」
川瀬はポツリと呟く。
良かった。
ちゃんと信じて貰えたらしい。
トントンと机を叩く。
これは向かいに座れという合図だ。
俺はコクリと頷き、川瀬の向かい側に座る。
「それじゃあ、これを見て」
座ったのを確認するなり、川瀬はスマートフォンを取り出して、画面に一枚の写真を表示させる。
そこにあったのは、昨日の写真だった。
見覚えしかない写真。
背筋がゾワッとする。
スマホのスクリーンにあるのは、俺と佳奈の写真だ。
正確には俺が佳奈の頭を撫でている写真。
川瀬の言及したいこととはきっとこの写真についてなのだろう。
いくらなんでも理解出来た。
てか、思い当たる節全部外れてたんだけど。
思い出し損である。
これから、あぁ川瀬にこんなことしたな、あんなことしたな、追及されなきゃ良いなってビクビクしながら生きていかなきゃいけないのだろうか。
「これは昨日の写真なんだけれど」
「川瀬さんが撮ったんですか?」
俺は食い気味に尋ねる。
予想していなかった反応をしたからか、川瀬は一瞬表情を歪ませたが、すぐにキリッとした真面目な表情へと戻った。
「そうよ」
「へー、そうなんですね。なんだか幸せそうなカップルじゃないですか」
「カップル……ね」
適当にはぐらかそうとしたが、なんだか悪い方向へ進んでいる気がする。
「慧斗はこれに心当たり無いのかしら?」
スマホの画面を真ん前に突きつけられる。
もう少しで鼻の頭がスマホの画面にぶつかるんじゃないかというほどの至近距離。
「私にはこれ慧斗に見えるんだけれど違うかしら?」
もう素直にバラした方が良い気がする。
というか、そもそも早かれ遅かれこの話はしなくちゃいけなかった。
タイミングが少しばかりズレただけ。
長谷川への嫌がらせを行うにはきっと、川瀬の力も必要不可欠だ。
協力を仰ぐには昨日の話をマルっとしておかなければならない。
「それは僕です」
認めた。
「相手は佳奈ですよ」
もう包み隠さずに話すことにしよう。
俺はそう決意し、昨日あったことを川瀬へと伝えたのだった。
「ふーん」
話を聞き終えた川瀬はそういう反応を示す。
何を考えているのか、いまいち掴みきれない。
「慧斗は信じるわけ?」
「いや、そりゃ信じますけど……」
「慧斗の元カノが嘘を吐いてるとかそういうことは疑わない?」
「流石に傷があったら信じちゃいますよ……」
もしかして、川瀬はまだ長谷川への未練があるのだろうか。
自分では悪く言いつつも、実際はまだ愛が冷めていない。
有り得ないと全力で否定できるほどの材料は残念なことに存在しない。
「もしかして、長谷川を擁護するんですか?」
「私があの男を擁護する? そんな馬鹿なことすると本気で思っているの?」
「じゃあ、なんで疑うんですか」
「浮気した人間を簡単に信じられるわけないでしょう」
「傷はどうやって説明するんですか? 僕はしっかりとこの目で見たんです」
「傷なんて幾らでも自分で作れるでしょ」
水掛け論だ。
終わりが見えない論争。
「慧斗。一旦冷静になった方が良いわ。まず、そのことが真実かどうかそこから探るべきよ」
「長谷川を恨んでいるなら真実とか真実じゃないとか関係なくないですか?」
「あるわよ。間違った情報で詰めたって、あっち側にしか得ないじゃない」
ピリッとした空気。
「そんなに元カノのことを信用しているのなら、勝手に信用すれば良いじゃない」
不機嫌そうに口を尖らせ、立ち上がる。
「私はしっかりと忠告したわよ。騙されているかもしれないって。別に騙されてるって言っているわけじゃないの。騙されているかもしれないっていう仮定の話。少しくらい冷静になりなさいよ」
「冷静ですけど」
「そう。少なくとも私は今冷静じゃないわ。だから、今日はもう帰る。騙されていないと思うのなら勝手にやってなさい。私は手を貸すつもりはないわ」
そう口にすると、川瀬は立ち去った。
最初こそ、川瀬は長谷川を擁護するために佳奈を信じていないんだとか、俺をむしろ騙そうとしているとかそんなことを思っていた。
だが、時間が経過するにつれ、頭が冷えていく。
冷静になり、川瀬の言っていたことが理解出来てくる。
俺は佳奈に同情し、佳奈の言葉をそのまま信じ込んでしまっていた。
川瀬が全て正しかったのだ。
俺はベッドの上でのたうち回る。
取り返しのつかないことをしてしまったのではという恐怖を抱えつつ。




