10話『アパート 敷田邸』
アパートの前に着くと、力を使い果たした戦士かのように地面へへたり込む。
仕方なく俺はそんな川瀬を背負った。
「川瀬さん。川瀬さんの家へ案内してください」
「……」
「おーい、川瀬さーん。聞こえてますかー」
俺の肩に顔を突っ伏せている川瀬へ声をかけるが応答はない。
代わりに、すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
つまりは、そういうことなのだろう。
このまま外でおんぶしているわけにもいかない。
俺はもう諦めて、家の中へと上げたのだった。
ま、初めて家にあげるわけでもないし、良いんだけどさ。
「……。はぁ、僕のベッド貸すのでそこで寝てください」
「……」
俺の声に全く反応しない。
どうやらかなり深い眠りについてしまったらしい。
どうしようも無いので、反応を待たずにそのままベッドに寝かせた。
布団をかけて、そのまま立ち去る。
彼女でもない大学の先輩をベッドで寝かせる。
こういう経験はそうそうない。
正直ちょっとムラっとした。
これを隠すのは男として恥ずかしいことだと思う。
だから俺は声を大にして言おう。
ムラっとしたと。
はぁ、今頃薄井たちは気持ちよくなっているのだろう。
なんかそう考えると、こうやって川瀬の世話をしているのが虚しくなる。
眠いから良いけどさ。
シャワーを浴びたり、いつもの就寝準備を行い、リビングにあるソファーで寝ることにする。
流石に同じベッドで寝る勇気はないし、ここからホテルへ行くのもバカバカしい。
瞼を閉じてゆっくりと意識を手放した。
◇
食欲をそそる良い匂いが鼻を刺激する。
うーんと、これはソーセージに、卵に、味噌汁の匂いもするな?
ザ、日本の朝食というようなレパートリーの香りだ。
どうやら俺は夢の中で健康的な朝食を求めてしまっているらしい。
きっとこれは実家に帰れってことなのだろうか。
それともコンビニ飯ばかりな俺の体が悲鳴をあげているのだろうか。
ぶっちゃけどちらも有り得るから判断に困ってしまう。
……って、妙に音もリアルだな。
フライパンで焼く音、冷蔵庫をパカッと開ける音、換気扇のやかましい音まで見事に再現されている。
俺の夢の精度が高くなったってことなのだろうか。
……って、そろそろ現実として受け入れるか。
意を決して、瞼を開ける。
備え付けられているキッチンへ視線を向けると、そこには川瀬が立っていた。
ジーッと彼女のことを見つめる。
手際よく、パッパッと作業をこなしていく。
まさに料理が得意な人の動き方である。
隙間時間でシンクに溜まった食器なんかを洗っているところが料理スキルを感じさせるポイントだろう。
あまりに見つめすぎたせいか、視線に気づかれ、こちらに顔を向けた。
「慧斗、おはよう」
「おはようございます」
挨拶されたのでとりあえず挨拶をした。
そして疑問をぶつける。
「川瀬さんはなんで料理を?」
「恩返しよ。鶴の恩返しならぬ川瀬の恩返し。どうかしら?」
「朝ごはんを作ってくれる恩返しなんて贅沢ですね」
「ふふ、もう少しで出来るから、顔でも洗って待っていると良いわよ」
昨日の川瀬はどこへやら。
いつもの川瀬へと戻っていた。
でも、柔らかさをちょっと感じる……気がする。
昨日の件があったから勝手に柔らかく感じているだけかもしれない。
ま、どっちでも良いか。
俺は顔を洗いに向かったのだった。
リビングへ帰るとテーブルに朝食が並んでいた。
ソーセージにスクランブルエッグにトマトなどのサラダ。
そして、白米と味噌汁。
これを写真で撮ったのならば、「健康的な日本の朝食」と題名を付けたくなる。
そんなような朝食だ。
「本当にありがとうございます」
俺がしっかりと頭を下げて感謝すると、照れたように笑った。
「良いのよ、気にしなくて……」
尻すぼみな声量。
しばらく、俯いた後、こちらを見つめる。
「正直、昨日のことあまり覚えてないのよ」
「そうなんですか」
「朝起きたら見知らぬベッドで寝てたのよ」
俺のベッドだからね。
知らなくて当然だ。
「不安になりながら寝室出たら見覚えのあるリビングが見えたのよ」
「そしたら俺がソファーで寝てて、大体何があったか察したと」
「そうよ。あぁ、介抱されたんだなって思ったわけ。昨日色々迷惑かけたわよね」
「いや、そうでも無いですよ。楽しかったので」
「私的には何か返さなきゃと思って思いついたのが、朝ごはん作るっていうパッとしないものだったのよ」
恥ずかしいのかまた俯いている。
「いや、本当にありがたいですよ。普段はコンビニ飯とかカップ麺なので。ってか、こんな野菜とか家に無かったですよね」
「コンビニ行ったら安くなってたから買ってきたのよ」
どうやらわざわざコンビニで買ってきたらしい。
卵も家にないしな。
何から何まで申し訳ない。
「食費は出しますよ」
「良いのよ、これじゃあ恩返しにならないもの」
と、言われてしまうとこちらは何も言えない。
ズルすぎる手札だ。
しょうがないのでこのままにしておく。
昨日の奢りと、その後の介抱。
これでプラマイゼロって考えるようにしよう。
「じゃ、食べましょうか」
という川瀬の声に頷き、俺たちは朝ごはんを口へ運んだのだった。
疲弊した次の日の朝ごはんは格別だ。
俺は心からそう感じたのだった。




