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塗りこめの日 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、つぶらやもだいたいアタッシュケース、作れたみたいだな。

 いやはや、技術の授業の最初の単元が木工ケース作製って、なかなかハードだと思わねえ?

 これからの技術の時間、このお手製アタッシュケースに道具を詰めて授業を受けないといけないんだってよ。ヘタなもんを作ると、後々まで響きそうだしなあ……うまいことできるに越したことはないさ。

 俺か? 俺はもうニス塗りまで終わったよ。あとは乾燥させるだけだな。

 先生も言っていたけれど、ちゃんとサンドペーパーを掛けといた方がいいぜ。木くずとか巻き込むと厄介だからな。危うくやりかけたし。


 お、そうだ塗りといえば。

 お前んちてさ、壁を塗りなおしたことってある?

 分かんねえか。まあ、俺たちが生まれる前とかだったりしたら、無理もないわな。

 けどよ、たとえ家全体でなくとも、一部でも手が加わっていたりしたら、少し気を払った方がいいかもしれないぜ?

 俺の体験したことなんだが、聞いてみないか?



 ちゃんと意識していないことでも、いつもちらりと視界の端に映るものに対して、俺たちは違和感を抱きやすい。

 俺の小学校に掛けられていた、絵に関してもそうだった。

 昇降口をあがってすぐ。職員室脇で、校長室との間にある壁に掛けられた額縁。どの先生の手によるものかは知らないが、月ごとに。早いときには週ごとに、中へ飾られる絵が代わるんだ。

 風景画、人物画、ときには理解しがたい奇妙な世界や生き物の絵まで。

 それぞれあまりにタッチが違って、もし同一人物が作っているのならなかなか多芸な方だと思った。

 とはいえ、俺に絵の論評ができるような知識があるわけでもなし。「おー、すげえ」とか「うえっ、きもちわりい」とか、直感に任せた感想しか抱くことはなかった。前を通り過ぎるのに、何秒とかからないし。

 そんな俺でも「お?」と、つい目と足をとめてしまうときがあったんだ。



 まっさらなキャンバスが、額縁の中へ大事に飾られていた。

 他の生徒たちも、多かれ少なかれ額縁へ目を向け、戸惑いの表情を浮かべている。

 あぶり出しを仕込んでいたとしても、ガラスの中では意味がない。光の当たり方によるトリックでもあるのかと思ったけれど、蛍光灯の角度からして、それもなさそうだ。昇降口から陽が差してきて、それがカギになる可能性もなさそうだ。

 その日は、例の奇妙な絵のことが少なからず雑談のネタになっていたよ。



 放課後。

 俺は複数ある校門のうち、一番狭い、車両用のスロープを使っている。家に近い南側から出るのに、こちらの方が都合がいいんだ。

 校舎の裏庭側へ回り込む形になり、花壇や飼育小屋、プールと配されたフェンスの近くには、先生たちの自家用車が並ぶ。

 その景色の一角。東校舎と西校舎をつなぐ、ほんの数メートルほどの幅の渡り廊下。そのわきの壁に、ジャージ姿の用務員さんが座り込んでいた。

 こちらに背を向けながら、脇にバケツを置いている。モップを絞るためのバーがくっついた、専用のバケツだ。今は大掃除の時期とはずれているのに、珍しいなと遠目に見守っていたんだが、その作業というのがまたおかしい。


 さっき、ニス塗りに関する話をしたよな?

 そいつに使う、コンパクトなはけをバケツにたっぷり浸して使っている。あまりのアンバランスさを覚えるが、よくよく見るとバケツの中身も妙なんだ。

 水あめのように、やたらと糸を引く。色もチョコレートを思わせる、茶色をしている。校舎の壁はどちらかというと白に近い、薄いベージュだというのに。

 マンガでパイを投げつけた痕が、無残に流れ落ちる一コマがあったが、まさにあんな感じだ。押し当てられた茶色が、輪郭もあやふやな池を作って壁から滴っている。

 芸術を解さない俺だって、単純に気分が悪くなった。意図は分からなかったけれど、見なかった振りをして、その場を後にしたよ。



 だが、その日は通学路のあちらこちらに、先生方が立っていた。

 変質者とかが近辺に出ると、生徒の安全のために先生方が張っていることがある。目が合って、あいさつしながら通り過ぎるも、俺はまたあるものに気づいて鳥肌が立つのを感じる。

 あいさつをした先生の履くスラックス。その尻ポケットにも、あの用務員さんと同じ、はけが頭をのぞかせていたのさ。さらに、そばの茂みには目立たないようにしているものの、件のモップ用のバケツの姿だって……。

 先生たちの視線だって、少しおかしい。

 少し先の角を曲がるときにちらりと見たが、俺の方をまっすぐに見つけていた。明らかに目をつけられている。

 いったん距離をとった猫が、こちらを振り返って様子を見てくる様子にそっくりだ。猫は視線を合わせることが敵対の証と聞いたことがある。よそ見したまま無視を決め込むのがいいらしいが、この先生たちの時もそうなのだろうか。



 それからも数人の先生と会ったが、一番驚いたのは自宅の直近の角で先生とぶつかったことだ。

 生活指導の先生だったな。用務員さんと同じジャージ姿だったが、かばうように隠した後ろ手にちらりとだがはけの姿があった。


 ――この近くで、学校でやったようなことをしているな。


 察しながらも、その場は気づかないフリでやり過ごし、自宅へ向かう。



 やられていた。

 ちょうど俺の家の裏手だ。その日は家が留守で、鍵の隠し場所は裏庭の某所にある。そこへ回り込んだからこそ、気づけた。

 元より茶色い家の壁。その一角に、妙に「よだれ」を垂らす壁面があったんだ。そのしずくはいまなお壁を下っていき、土台へ吸い込まれていく。


 ――間違いない。きっと先生が……。


 俺の中のおぞましさは、いよいよ限界だ。

 他人の家の敷地に入り込み、得体のしれないものを塗りつけて、何を企んでいるのか。

 ハンカチもティッシュも持ち歩いていない、不潔少年の俺。かといって、家の中へ引っ込んでいる間に、これが乾くと厄介なことを招くかもしれない。


 反射的に、足元に生えた葉から大きいものを引き抜いていた。

 手のひらもぴったり覆い隠せる大きさ。俺は雑巾代わりに、そいつをしずくを垂らす中心へ押し当てる。

 瞬間、壁から強く押された。手の甲まで突き抜ける痛みに、思わず手のひらを放してしまったところで。


 足が飛び出してきた。茶色に染まる、ウサギの足。

 スプラッタな感じは受けない。足の付け根はすっかりうずまっていて、あたかも模型や人形から引っ張ってきたかのようだ。

 ぽとりと地に落ちた一脚は、わずかな水たまりだけをその場に残し、駆けて行ってしまう。その上に自分の胴体が、自分の主が当然のようにくっついているのだといわんばかりに、迷いなく庭を横切る。

 ぴょんと一足、塀の上。さらに一足、屋根の上。おまけに一足、空の上。

 わずか三歩のジャンプで、俺の視界から消えていった足は二度と戻ってくることはなかったよ。

 振り返る俺は、茶色かったはずの家の壁の中、不自然に白いままの壁が残っている。それはあの曲がったウサギの脚を、かたどったかのような痕だったさ。



 翌日。学校の白紙だった額縁の中身は代わっていた。

 ウサギの絵のものだ。ただ背景は、かのムンクの一部の作品のように、いくつもの色を織り交ぜた曲線を重ねた姿。あたかも違う次元の中を、大きくまたぐ瞬間をとらえたようなウサギの後ろ脚は、描かれていなかったんだ。

 その日は長い職員会議があってさ。また次の日にはウサギの脚が戻っていたのだけど、放課後にはまた白紙に戻っちゃってたんだよ。


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