24・欲張りな女
朝早くから目を覚まし、支度を始めます。
ラフィーは毛布で、まだゴロゴロしています。
「四千八百五十二! 四千八百五十三!」
カウンターの方からエリオットの掛け声が聞こえてきますが、無視してキッチンシンクで洗髪を始めました。
お湯が出るのは本当に助かります。
シャンプーもコンディショナーも終え、肩まである髪を纏めてタオルで包みながら、いつもは後ろでお団子にしているこの髪も、今日はそのまま流して行こうと考えています。
カウンターを覗いたら、エリオットが腕立て伏せをしていました。
「五千百二十一! 五千百二十二!」
「おはようございます。エリオットさん。何をしているのですか?」
「見ての通り! 腕立て伏せだ! 全然! 眠れなくて! やる事がないからな! 五千百二十八!」
カーマイルの姿が見当たりません。帰ったのでしょうか。
「ずっとそれをやっていたのですか?」
「ああ、どうやらこの体は疲れる事もないみたいだ。汗もかかない。鍛える意味もない。ただの暇つぶしだ」
左胸に穴の開いたままのエリオットは、いつものようにお弁当の棚に寄り掛かって座ります。
「カーマイルは帰ったのですか?」
「ああ、あの金髪ならそっちの方に行ったっきりだ」
飲料のオープンケースの方を指差します。
ウォークインを覗くと、居ました。
カーマイルが寝ています。
トマトジュースの空のペットボトルが、五本ほど転がっています。
「あれからまた飲んだのね。これは……起きそうもないですね。そっとしておきましょう」
酔い潰れて寝ている天使は放置して、私はお出かけの支度の続きです。
と、その前にラフィーが起きて来たので、朝食にコロッケを作ってあげます。
私は朝食抜きでも貧血で倒れるような事もないので、カフェラテ一杯で済ませました。
デート前に余計な体重増加要素は排除です。
ベストな姿で挑まなければなりません。
朝食を抜いている時点でベストの意味を履き違えているのかもしれませんが、自分で納得していればいいのです。
さて、化けるとしますか――
顔を洗い、まずはスキンケアから。
美容液と乳液を用意します。
コンビニのお店には、コスメティック製品は一通り揃っています。
ファンデーション、パフ、アイペンシル、マスカラ、リップアイテム、手鏡に至るまで何でもあります。
ドラッグストアほど、品揃えは良くはありませんが、充分です。小瓶のフレグランスまであります。
ゴブリンが荒らした後で、必要になりそうな物を回収しておいて良かったです。
謎の店内改装で棚は新品になりましたが、転がっていた商品はすべてどこかへ消えてしまいましたから。
さて、メイクです。
接客業の基本として派手なメイクは厳禁なので、ナチュラルメイクが染みついている私は、ほんの少しだけいつもより気合いを入れます。
とはいえ、目の作りに少し時間を掛けただけなのですけれど。
化粧に掛ける時間は三十分くらいでしょうか。
いつもの倍の時間です。
保湿して、下地とファンデを丁寧にやり、眉、目元、チーク、リップとフルですれば、これくらいは掛かります。
ナチュラルメイクというのは、化粧を意識させないほど、自然に見える感じの化粧なのですが、実際には色々と気を配ったメイクなので、そこそこ時間は掛かります。
「よし、完成。久しぶりにお化粧した気がするわ」
この世界に来てから、生きるか死ぬかの連続で、それどころではなかったというのが本当の所ですが、女の生命 は短いのです。
近くにイケメンが居るとしたらなおさら、手を抜いていいものではありませんでした。
あ、いえ、別にイケメンに拘ってはいませんよ?
私は決して男の人を顔で選んだりはしません。
たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょと覚悟は――
「おねえちゃん。お顔、塗り絵」
「塗り絵ちゃうわ! って、え? そんなに濃い?」
ナチュラルを心がけたつもりが、無意識に――思った以上に気合いが入ってしまっていたようです。
「やり直し!」
私は更に一時間掛けてメイクをやり直しました。
◇ ◇ ◇
「じゃあ留守は頼みました。エリオットさん」
「ああ、任せておけ。客が来たらレジでピッってやりゃいいんだな」
草原の真っただ中にあるお店にお客様がいらっしゃるとも思えませんが、空っぽの棚にポーションを並べました。
出かける前に、一日一度の発注も済ませてあります。
ひとまずポーション関係は充実するでしょう。
カーマイルはまだウォークインの中で寝ていたので、バックルームまでラフィーに運んでもらい、毛布を掛けておきました。
天使が風邪をひくのかは知りませんが、ウォークインの中は冷えますからね。
「ではよろしくお願い致します。ランドルフ」
「ああ、出発しよう」
迎えにきたランドルフが馬車の御者台に収まり、私とラフィーが幌付きの荷台の部分に乗り込みます。
この世界に来て初めての街は、いったいどんな所なのでしょう。
私は期待に胸を膨らませ、ラフィーを抱っこして、荷台に設置されている長椅子に座ります。
ラフィーは十歳程度の女の子の姿なので、そこそこ大きいのですが、私が抱きしめて離しません。
昨晩、ラフィーにくっ付いて寝ていた私は、天使の抱き心地にすっかり虜になっていたのです。
一番最初の出会いで既に感じていた事ですが、ラフィーの体からは何か、特別なオーラが溢れ出ているようなのです。
それを私は『慈愛』と表現しましたが、おそらく間違いでもないでしょう。
「王都、楽しみだね。ラフィー」
「ん?」
ラフィーは何処に何をしに行くのかも分かっていないのかもしれません。
「ラフィーとランドルフとで一緒に歩いたら、周りからは親子に見えるのかしら」
「ん?」
決してそこまで歳が離れて見えるとは思いませんが、幼い感じのラフィーです。パッと見は親子に見られてしまうかもしれないですね。
馬車に揺られる事、三十分。
次第に他の馬車の姿も見受けられるようになり、さらに十分も過ぎた頃、私たちは王都に到着しました。
「王都って、こんなに近かったの?」
「そうだね、君のお店からそんなに遠いってわけでもないね」
王都の入り口に、検問所のようなものがあって、馬車が一列に並んで順番待ちをしています。
私たちの馬車も最後尾に並びました。
王都にはまだ入って居ないのですが、人の通りはかなり多く、鎧を着ている人は門番のように入り口で立っている二人とランドルフくらいです。
「そうそう! なんでデートに鎧着てくるのよ! ランドルフ」
「いや、王都を隅々まで見たいって言うから、この姿じゃなきゃ入れないような所まで案内してあげようと思ったのだが」
あう。……そう言われてしまうと文句も言えません。
せっかくのデートのつもりでしたが、私のわがままに付き合ってもらっているので仕方ありませんね。
「ごめんなさい。私のためにその姿なのね」
そういう私は黒のポロシャツにジーンズのパンツです。
この世界ではちょっと目立つ服装でした。
ジーンズの生地なんてここにはなさそうです。
「よかったら最初に君の服でも見に行こうか?」
「はい。是非! 色々見て発注出来るようになったら素敵」
そうです。私の王都見学の最大の目的はデートではなく、いえ、デート気分を味わう事も大事だったのですが、本当の狙いは私が見て知った物を発注するためなのです。
そして、その中で特に重要な物は――
「ランドルフ、あと豪華な佇まいの家も案内してね。豪邸よ。ご・う・て・い」
私は欲深い女でしょうか。




