14・糸
「前言撤回!」
毛布を跳ね上げ、寝ていた姿勢から上半身を起こすと、私は狭いバックルームで高らかに宣言しました。
寝言ではありません。ちゃんと覚醒しています。
カウンターへ行き、まだ在庫があるコーヒー豆をエスプレッソマシンに補充し、紙コップを置き、ホットSを選択。
ガガガガと豆が挽かれる音が朝の静かな店内に響きます。挽かれた豆の、深みのある独特な芳香が心地いいです。
出来上がったホットコーヒーにミルクを一つ、スティックシュガーを一本入れ、専用のプラチックのマドラーでかき回します。
「ぷはぁ」
一口くちにして、カウンター裏のタバコの棚を眺めました。
私はタバコは嗜みませんので関係ないのですけど、この大量のタバコはどうしましょう。
異世界の人に売れるのでしょうか。
いえ、そんな事より……。
ふつふつと怒りのようなものが込み上がってきます。
「前言撤回よ!」
朝から何でこんなにも、気持ちが昂ぶっているのでしょう。
はい。忘れたくても忘れられない、昨夜の出来事のせいです。
「なにが恋に国境はないですか、誰ですかそんな乙女な事を言う恥ずかしい人は。少女マンガですか!?」
私は怖さとか寂しさとか悲しさとか、全部ごっちゃになって混乱していたのです。
その気持ちを何とかしてくれるのが、目の前の人だと勘違いしたのです。
だからと言って、その人に恋しちゃったりなんかしませんよ?
男の人に甘えて慰めてもらおうだなんて、思ったりしてませんよ?
バックルームに連れ込んで、固い床に毛布を重ねて敷いて、布団代りにして……なんてそんな事もしませんし、騎士の着用する鎧が、脱ぐのが結構面倒でそれを私も手伝ったりなんか絶対にしません!
挙句の果てに、いざその時になって……大きすぎて……、断念したとかそんな冗談みたいな話、私は存じません。聞いた事もありません。
「あーもう! 異世界サイズめ!」
私は欲求不満なのでしょうか。
とりあえず私は昨夜の事を、全部無かった事にしたいようです。
「あれも……これも……全部、ぜんぶ……恥ずかしすぎる……」
いい歳していったい何をしているのでしょうか。
男の人の背中にしがみ付いて、「帰っちゃやだ」なんて言っていい歳なのでしょうか。
世間様は許してくれるのでしょうか。逮捕されないでしょうか。
私をこの世界に連れてきた神様だか仏様だか知りませんけど、どうせなら私を十七歳に戻してくれないでしょうか。
神様ならそれくらいの事、出来るのではないでしょうか。
このお店に、……異世界に来てまで電気を通すような気の利いた事が出来るのなら、何故私を十七歳にしなかったのかと問いたい。小一時間、問い詰めたい。
「まいどー!」
配達人のフーゴさんがやってきました。
「おはようございます、フーゴさん」
木箱を二つカウンターの前に置いてから――
「えっと、マスター?」
――と訊ねてきますが、マスターと呼ばれる者はコンビニには存在しません。
「私はオーナーでも店長でもありません。サオリと呼んでください」
「じゃあサオリ、この荷物を持ってきたヤツを見たぞ。初めて荷物を持ってきた時に気にしてたろ?」
「え?」
「十二歳くらいの女の子だった。透き通るような金髪のすげえ美少女だ。そいつはなんと転移魔法でうちの配送センターに来たんだ」
「転移魔法?」
「ああ。そんな魔法、Sランクだって滅多に使えるもんじゃねえ。それをまだ小さい女の子が使ってたんだ。タダもんじゃないねありゃ」
「そう……なの」
「俺の勘だけど、アレに関わらない方が身のためだぜ。嫌な予感しかしねえ」
「……」
「ありあっしたー!」
フーゴさんは颯爽と馬車に乗って去って行きました。
「十二歳くらいの……女の子」
貴重な情報だとは思いますが、私がそれを知った所で、いったい何が出来ると言うのでしょう。
私は木箱をカウンター内へ運び、中を確かめました。
マナ・ポーション
ヒール・ポーション
シースナイフ
教授の鞭
発注したものがすべて入っていました。
鞭を手に取るとどう見ても新品になっています。
エリオットが持っていたものを、回収した物ではないのでしょうか。
ナイフを見ても一度も使った事のないような、刃の輝きをしています。
「考えても分からないわね」
これらを持って来た者が十二歳くらいの女の子と聞いて、私は一つだけ連想したものがあります。
エリオットが洞窟で出会ったという天使です。
何故それに直結したのかは分かりませんが、そう想像してしまったのです。
神の使い。エリオットを追い詰めるべく魔物さえ使役した者。洞窟から外へエリオットを転送したのもこの天使でした。その転送とは転移と言うのではないのでしょうか。
私に繋がるものは……天使?
ほぼそうなんじゃないかという気持ちになっています。
そして天使の背後には、神様という存在も見え隠れします。
その洞窟へ行けば、私は元の世界に戻れるのでしょうか。
私はバックルームへ戻り、エリオットが残した羽根ペンを手に取ります。
彼はこのペンの能力がまだ分からないと言っていました。
Sランクの彼が分からない事を、私が分かるとも思えませんが、それでも調べる必要がありそうです。
羽根ペンはインクがなければペンとして使う事が出来ません。
ランドルフが来た時にでも、お願いしてみましょう。
コンビニエンスストアには、残念ながらインクは置いていないのです。
真っ白で綺麗な羽根を透かして見ながら、何かと繋がったかもしれない一本の細い糸が、このペンから伸びているような、そんな気がしました。




