109・One Night Stand
サキュバスが両性具有だなんて知りませんでした。
対象の性別が女性だった場合、サキュバスはインキュバスへと呼び名だけでなく、身体的にも変化を遂げるのです。
さっきゅんがあの森で獣人に変身していた事も、今から思えば納得の行く事でした。
あの時も既に、対象に合せて自由自在に変身出来るという事を、私の目の前で披露していたのです。
さて、私は世界が崩壊する危機を招いたとして、その責任を負う事になってしまったようなのですが、まだ納得もしたわけでもないのに、丸太小屋のベッドルームへと押し込まれ、さっきゅんと二人きりにされてしまったのでした。
「魔王サマ……ワタシは嬉しいデス。……仕事とはいえ、魔王サマと一つになれるなんて、感動で涙が溢れてきマス」
「いやいや、仕事とか言わないでよ、てか仕事じゃなくても困るんですけど。私結婚しているのよ、人妻なのよ。それにあなたのママが言っていたように魔王じゃなくて本当は神なのよ? それでもいいの?」
「魔王サマは魔王サマ……デス」
体つきが男性のそれへと変貌したさっきゅんの赤い瞳が、妖しく光っています。
魔王の『絶対防御』がある限り、サキュバスのスキル、『魅了』は無効化してしまいますが、物理的な接触――
つまり、優しく撫でたり揉んだりキスしたり、……という触れるという行為は、攻撃として判定されないのか『絶対防御』が跳ね返す事はありませんでした。
「ちょっと、さっきゅん。……何するつもり?」
ベッドに押し倒された私は、いつの間にか服を脱がされています。――恐るべしサキュバス、もといインキュバス。
「魔王サマ……やさしく、します……カラ」
「怪我するわよ?」
相手がさっきゅんであれ、私は攻撃魔法もやむなしと、魔力を左手に集中させました。
――集中させたつもりでした。
「!?」
「魔王サマ、この部屋の内側は魔力吸収結界が張り巡らせてありマス。魔力を少しでも出そうとすると無効化してしまうのデス。魔王サマと言えど、魔法は使えないのデス」
「そんな!?」
魔法が使えなくなった途端、私は神でも魔王でも無く、ひとりの無力な女に戻ってしまいました。
『絶対防御』という魔王の無敵のスキルも、相手が私を傷つけようと攻撃をしてこない限り、機能する事はありません。
さっきゅんの行為はあくまでも愛情表現であって、私を傷つける要素は微塵も無く、慕う気持ちも本物なので、悪意の欠片もないその手や、唇は、無防備な私を思うが儘に蹂躙します。
私はバンザイをする格好で頭の上で両腕を掴まれ、上に被さっているさっきゅんの唇が、触れるか触れないかの絶妙な距離を保って首筋を辿ると、微かな息づかいだけが肌を滑り、――少しずつ、変な気持ちに――いや、嘘です。そんな気持ちになるわけがありません。
「こんなの嫌だってば!」
魔法が使えなくても、スキルは使えます。
私はこれも魔王の固有スキルである、『威圧』を使おうとして躊躇っていました。
これを使ってしまえば、確実にさっきゅんはショック死してしまいます。
けれど、――このままレイプされるなんて耐えられないですし、夫のランドルフにも申し訳ないという思いが勝りました。
「ごめんね、さっきゅ――ん!?」
今まさに、さっきゅんを殺すつもりで『威圧』を発動させようとした瞬間、私の唇にさっきゅんのそれが重なり、柔らかいものが口内に差し込まれてきました。
インキュバスのスキルは『絶対防御』が防いでいるはず、……だけどこの感覚は、……脳と体が蕩けるような感覚に襲われた後、全身が痺れて――
「だ、……め」
◇ ◇ ◇
頭が朦朧として、今まで何が起きていたのかすら、思い出せませんでした。
ベッドの上で脱力したままの私は、全裸で放置されています。
天井の木目を見つめていると、少しずつ記憶が蘇って来て、羞恥と、後悔と、罪悪感と、怒りの感情が湧くと同時に――
とてつもない快感が思い起こされて、身震いしました。
「あの、……ガキ」
ベッドの周りに散乱していた服を拾って手早く着込み、部屋を出ると暖炉の前のソファに、サキュバスに戻ったさっきゅんだけが座っていました。
「私にあんな事をしておいて、死ぬ覚悟は出来てる?」
「魔王サマ……」
魔法が使えないのはベッドルームだけだったらしく、私は左手に大量の魔力を籠めました。
「魔王サマがあれで満足出来なかったのだとしたら、ワタシはもう生きている意味もありまセン。魔王サマに殺されるのでしたら、本望デス。……世界は救われました。もうすぐママも戻ると思いマス。ママに邪魔をされる前に、ひと思いに殺っちゃって下サイ」
私の前に来て跪いて目を閉じるその姿は、ハッタリでも何でもなく、本当に死を受け入れているのが分かります。
「満足なんてするわけが無いでしょう!? 口では拒んでも体は正直だなんて思ったら大間違いよ、そんなのはエロ漫画の世界だけよバカ! この世界を守るためだったとか知ったこっちゃないわ! 神に手を出した事を悔やむがいいわ! 今すぐ天罰を下すから百回くらい死になさい!」
本気で百回くらい殺そうかと思いました。
私なら、『蘇生』を使えば可能なのです。
「おやおや、何だか騒がしいねぇ」
扉が開いて、何処かへと出掛けていたゴスロリ幼女ママが入って来ました。
私の顔を見て、呆れています。
「そんなに自分が快楽に溺れてしまった事が許せないんかね。お前さんが受け入れた事の結果じゃぞ。部屋の外にまで声が漏れておったが、ずいぶんと楽しんでおったようじゃないか。カッカッカ」
「ばっ……馬鹿な事言わにゃいで!」
「焦るな焦るな、口が回っとらんぞ。それにな、神ともなるとセックスの相手を選ぼうにも、中々どうして苦労するものなのじゃ。前のジダルジータなんぞはおかげでここの常連じゃったがの。カッカッカ」
「よ、幼女の姿でセックス言うにゃ!」
ジダルジータがここの常連ですって?
あのジジイ、……私が色々と困ってる間にも、ここに通っていたのですね。
「私はね、結婚もしている人妻なのよ。浮気する気なんてこれっぽっちもないんだから」
「ほう、神が結婚とな? 物好きなこって。……じゃが浮気なら良かろうよ、本気じゃないんじゃから」
「どんな論理よ! そもそも私にその気も無くって無理矢理なんだから、浮気でも何でもないわ!」
「浮気でも何でもないなら、なおさら良いではないか。面倒くさい神じゃの」
この幼女、話になりません。
私がレイプされたなんてランドルフが知ったら、責任感の強い彼はどうなってしまうのでしょう。
「お前さんが黙っとればいいだけの話じゃろ」
私の心を読んだかのように、この幼女は平然と口にします。
「黙ってるなんて、……そんな」
「わざわざ報告してどうするんじゃ? 無駄な事はするな。まだ気が済まないようなら、そこの二十八号でも殺して行くがよい。替わりのサキュバスを一匹、創造してくれたらそれで済む」
サキュバスを殺す。……本当にそのつもりでした。
けれどもこうやって一度幼女に水を差された結果、私はふと思ってしまったのです。
――それは普通の人間なら決して思ったり、実際にやったりはしない事なのでは、と。
「お前さん、なんで泣いとるんじゃ? 新米とは言え神ともあろう者が、よくもまあそんなにも感情を出せるもんじゃ」
「だって、……私、…… また、人間の心を、……忘れて……」
「よく分からんが、また二十八号に慰めてもらったらどうじゃ? スッキリするじゃろ」
「そんな事、……馬鹿にしないでよ!」
「なんなんこの神!? 面倒くさいのじゃ! 殺すのかセックスするのかハッキリせい!」
「何でそうなるのよ!」
何だか馬鹿らしくなってきました。
今なら分かるのですが、私が許せないのはあの時――
本当に快楽に溺れて、我を失っていた自分自身なのです。
『絶対防御』が魔性のスキルを防いでいたはずなのに、インキュバスの性に虜にされて、魔力を吸われる快感を求めたのは自分だったのです。
「これで殺しちゃったら、ただの八つ当たりみたいじゃない……」
ずっと正座待機で、私が手を下すのを待っているさっきゅんを見ても、もう怒りは湧いて来ませんでした。
「ごめんね、さっきゅん。……あなたは、……いえ、私たちは、世界を救ったのよね」
「魔王サマ、……ワタシの命はいつでも差し上げマス。いつでも好きな時に、この命を奪って下さってかまいまセン」
さっきゅんと視線を交わす私の前に、ゴスロリ幼女が割って入って来ました。
「どうじゃ、神よ。なんならこの二十八号を連れて行ってペットにしても構わんぞ。そうしたらいつでも好きな時に――」
「うるさい! バカ幼女!」
言い捨てて、私は逃げるように転移しました。
◇ ◇ ◇
「ああ、丁度良い所へ。……サオリ様」
お店に戻るとサレンがカウンターの前で、第十天使、ウーリエに金貨を支払っていました。
「ポーションを追加で購入させて頂いた所です、サオリ様」
「あら、そうだったの。気を使わなくてもいいのに」
「そういうわけには行きませんわ。報酬を受け取ってくれないのですもの」
ここでチラリと、カウンターのウーリエを気にしたサレンは、私をお店の外にまで引っ張って、耳元で囁くように言いました。
「サオリ様、獣耳だけでなく、その、尻尾とかその他もろもろの獣人用のコスチュームは注文出来ませんでしょうか?」
「コスプレ?」
「私、昨晩は思い切って、以前主人に貰った獣耳のカチューシャを着けてみたのです」
「う、うん」
「そうしましたら、……自分でも思ってもみなかった世界が開けた次第でございまして」
「え……?」
えっと、……どういう事でしょう。
「つまり、主人の趣味が少し理解できたと申しますか、……つまり、その、昨晩は夫婦で燃え上がってしまったというわけで」
「ああ、……そうなんだ……」
何かに目覚めてしまったサレンのために、獣人コスプレ用のアイテムを創造するはめになりました。
この特別発注、――金貨を何枚吹っかけてやろうかしら。
夫婦仲が修復されて良かったとは思いますし、それに当てられたというわけではありませんが、私は私で早く済ませなければならない用事が出来ました。
それは、今回私の身に起きた事に、上書きしなければならないとても大事な事です。
「明日、ランドルフに逢いに行こう」




