108・MOTHER
洞窟の入り口は特殊な場所にありました。
幅が百メートルはある川の水の中に入り、二十メートルも潜って底に着くと、人ひとりが入れるくらいの穴がぽっかりと開いています。
その穴を更に潜って行くと、途中で通路が広くなって九十度に折れ曲がり、やがて上りの斜面になって水の無い洞窟に入りました。
「所謂、隠しダンジョンってやつかしら?」
水中を移動するのに使った結界を解いて、私は呟きました。
「魔王サマの結界のおかげで、濡れずにすみまシタ。流石なのデス魔王サマ」
「いよいよご対面ね」
と、思ったのですが、そこから更に三十分は歩かされたのです。
「ずっと上りだけど、とっくに川の深さは超えたわよね。……どうなってるんだろ」
「ワタシには、よく分かりませんデス」
川の周りは平地が続いていたので、川の底から山のようになっている地形に入ったというわけでもありません。
それなのにずっと上り坂なのです。
「私のレーダーにも反応が何も無いし、よほど特殊な環境なのね」
「れーだー? もうすぐですよ、魔王サマ」
神様のみが入れる、ロケット発射基地とかもありましたし、この世界にはまだまだこのような特別な場所が、あちこちにあるのかも知れませんね。
岩に囲まれた狭い通路から、突然広い空間に出ました。
そこには洞窟の中でどうやって建てたのか、丸太小屋が建っています。
「あら、可愛い丸太小屋」
「ここです、魔王サマ」
それほど大きいとも言えない丸太小屋はいつからここに建っているのかは分かりませんが、たった今完成した新築かと思わせるような、とても綺麗な外観です。
「では、入りましょう。どうぞ、魔王サマ」
「うん」
さっきゅんが開けてくれた扉に私が先に入ると、部屋の奥の壁に設けられた暖炉の中で、薪が煌々と燃えている様子が目に入りました。
外から見た時は、煙など上がっていなかったのに、……この暖炉の煙突を通った煙はいったいどこに?
天井にはこの丸太小屋の雰囲気に何故か妙にマッチしている、豪華なシャンデリアまでぶら下がっています。
暖炉の前のソファに誰かが座っているらしく、背もたれの上部から薔薇のコサージュが左寄りに付いたカチューシャと、赤毛の後頭部だけが見えました。
「遅いぞ! 二十八号! おまえが一番最後じゃ!」
「ひぃっ! 申し訳ありませんママ! えとえと、実は魔王サマをお連れシテ――」
「たわけが!」
ここで振り返り様、ソファの上に立ちあがったその姿は――
ママと呼ばれる者のイメージからは程遠い、黒を基調としたゴシック&ロリータファッションに身を包んだ、幼女でした。
さっきゅんのママという事で魔族のサキュバスだとばかり思っていましたが、その額にツノも無く、背中に羽も無く、ゴスロリが趣味の幼い女の子にしか見えません。
パニエで膨らませたスカートをへこませながら、ソファの背もたれを跨いで床に着地し、私たちの目の前に立ったその姿はとても可愛いのですが――
この幼女が次に発した言葉に、私は更に驚かされました。
「なにが魔王サマじゃ、ただのオーラに誤魔化されおって。ここに居るのは神じゃろうが、たわけ!」
「か、カミ?」
腰まである赤毛の縦ロールを揺らしながら、幼女はさっきゅんを叱責します。
さっきゅんの目が点になって私を見つめましたが、私に言い訳をする余裕はありませんでした。
この幼女は――私の職業が見えている!?
「しかもご丁寧なことに魔王のスキルまで持っておるとは、芸の細かい事じゃ。ずいぶんとユニークな神が誕生したものじゃな」
職業だけじゃなく、私のスキルまでもお見通しですか。
この幼女はいったい、何者なのでしょう。
脅威とも言える者を目の前にして、私の全身に緊張が走り、手に汗が滲みます。
神となってもなお、このような恐怖にも近い感覚を覚えるとは、私はまだ人間としての自分を忘れてしまってはいないのだと、少しだけ安堵しました。
「あなたは、いったい……」
「ふん、手土産も無しかい。使えない神じゃ。ジダルジータは毎回ここに来る度に、何か貢物を持って来ていたよ」
神ジダルジータさえも知っていて、その足を運ばせていたとは、……これはもう只者ではありません。
「ごめんなさい、あなたの事を知らないのです。……あなたはいったい何者なのでしょう? 何故、神の事を知っているのです?」
「ああもう、面倒じゃな。ジダルジータから何も聞いてないのかい。……そうか、正当な引き継ぎじゃ無かったというわけじゃな。神殺しとはたいしたもんじゃ」
もう何もかもお見通しのようです。
どちらが神か、分からないくらいです。
「しょうがないから教えてやるがワシはな、この星のシステムの一部じゃ。無くてはならぬ存在じゃよ。つまり凄いのじゃ。偉いのじゃ。敬え、崇めよ、讃えよ、なんか持ってこい」
「……システム?」
このゴスロリ風幼女の正体が、この星のシステムとか、……ちょっとわけが分かりません。
「もうちょっと詳しく、教えてもらえませんか?」
「もう~! 面倒くさいのじゃ。勝手に覗け!」
そう言うと幼女は、私の左手を小さな手で掴むと、自分の額に当てました。
「!?」
途端に様々な情報が、私の頭に直接流れ込んで来ました。
「こ、これは!?」
この星のシステムの一部。――幼女の言っている事は本当でした。
この星における重要な役割をこの子が担っていて、それが機能して初めて、この世界は存在出来ているようなものだったのです。
「どうじゃ、分かったじゃろ? ワシはこの世界の最重要人物なのじゃ。敬え、崇めよ、讃えよ、なんか持ってこい」
「じゃあ、サキュバスたちが集めたエネルギーは、すべてこの星のために蓄えられているのね……知らなかった……」
「そうじゃ。四十八匹のサキュバスどもがせっせと働いて、星の生命力とも言える魔精塊を魔合成しておるのじゃ」
「す、スぺっ!?」――絶句しました。……だって、だって――
「この星って、精液で出来てるの!?」
「ばかちんが! ただの精液で星が育つかヴォケが! 精と魔力をサキュバスの力で魔合成しておるのじゃ。それがこの星の糧となり生命の源として大地を潤すのじゃ」
「な、なんとなく分かりました。……けど、たった四十八人のサキュバスだけで、その仕事に従事しているのですか?」
「数はそれ以上でもそれ以下でもいかんのじゃ。すべてはバランスなのじゃ。おっと、おい二十八号、ノルマは達成出来たのじゃろうな、お前の分で最後じゃ。はよ出さんかコラ」
幼女がさっきゅんを一睨みしました。
ブルッっと身震いしたさっきゅんは、しどろもどろになりながら、言い訳を始めます。
「アノ、その、……実は、ソノ、魔王サマに止められて、……えっと――」
「まさかお前、今更この仕事の重要さを理解していないとか言わんじゃろうな!?」
「ひいっ! も、申し訳ありません! ワタシの死をもって償わせて――」
「お前如きが死んで済む話じゃないわヴォケが! どうするんじゃこのアフォが! 今夜が期限だと知っておったじゃろうがタコが! 締め切りを守れんやつはゴミクズ以下と知れ! スットコドッコイが!」
可愛い幼女の小さな口から、汚い言葉が唾液と共に投げつけられて、涙を流しながら土下座をしているさっきゅんに突き刺さります。
「あと一人分だけですよね? それが足りないとどうなるのです?」
「新米の神よ、教えてやる。お前がこやつのノルマを止めてくれたおかげで、この星は終わりじゃ」
「はい? ちょっと待って下さい。……たった一人分の精が足りないだけで、この星は終わっちゃうのですか!?」
「残念ながら、そうなのじゃ。星の生命線はとても細い糸での。とてつもなく危うい均衡の上に成り立っておるのじゃ。毎日が綱渡り、切れたナイフ、ヤバイよヤバイよ、なのじゃ」
意味不明なフレーズもありますが、事の重要さが何となく伝わって来ました。
『魔王一年ルール』もびっくりの世界の終り方がまだあったとは、……神とは名ばかりの私の無知に、眩暈がします。
「じゃが幸いな事に、今ここにはお前が居る。見た所まだ若いようじゃしの。上がってしまった婆さんでは無理な事じゃった」
「な、なんの話です!?」
――とても嫌な予感がしました。
「サキュバスの搾精は、男に限らんという事じゃ」




