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さて、そうと知れば私はどうすることが正しかったのだろうか。
もしかしたら、子の親たちは、子が消化されて美しい花としてこの地に再び生きることを願ったのかもしれない。
もしかしたら、この地を通して子の生命を感じていたかったのかもしれない。
もしかしたら、子の親はその願いを口にしていたかもしれない。
しかし、私はそれを聞くことはできない。
私はこの街だ。
個人の声を聞くには、私は大き過ぎるのだ。
私はこの街の音を聞くが、それは幾百、幾千、数多の音が集まったものだ。
誰かの話し声、泣き声、笑い声、怒鳴り声、唄声、それらを判別することはできても、内容を知るほど細かく聞き分けることはできない。
さて、どうしたものか。
今更、私の栄養として消化するのは何やら違う気がする。
かといって、この子はこのままここにいても、人として生きることは難しいことのようにも思える。
そうして私が悩んでいる間にも、子はすくすくと成長していった。