5話 魂の慟哭
春だというに、何と寒い今日この頃。
「闇衣」
アズライールは杖で地面をトンと突いた。立ち上る暗いモヤは、黒色の禍々しい仮面と魔法装束へと変質し、アズライールを包む。
その姿は、まさしくハルトが闘った魔王と完全に一致していた。
「なるほど、こりゃ気付かねー訳だ。んじゃ、俺も。剣闘気。」
ハルトはそう言うと小刀の柄で自身の胸を軽く叩く。するとハルトの体は仄かに白く輝き、その光が刀に伝搬していく。
「……いくぞ。」
「いつでも。」
ハルトは返答を聞くや否や、猛然とアズライールに踊り掛かる。歩幅を変え、時に重心をずらしながら迫るハルトの姿はぬらりと速い。
ハルトは自分の間合いの半歩外で、足は前に、体を後ろに下げた。前に出した足の踵で地面を捉えると、体をしっかりと支え、後ろに下げていた上半身を前に送りだす。
――――― 抜刀術 朧
遠近の錯覚を利用した、相手の虚を付くハルトの得意技だ。必殺の間合いに入り込んだハルトは、刃をアズライールの首目掛け左下から振り上げる。
「甘いな。」
ハルトが振り上げた刃はアズライールの闇衣により受け止められていた。
アズライールは、ハルト目掛けて杖を振り抜くが、それはハルトが機敏に察知し、後ろに飛んだことで空振りに終わる。
「いや、まだだ!」
ハルトはアズライールの杖が怪しく輝いていることに気付くと全神経を五感に集中させた。
ちりっとした音が前髪より聞こえ、ハルトは瞬間、身を屈めた。ハラリと前髪が空をまう。
――――― 風魔法 鎌鼬
アズライールが開発した、ウィンドカッターを改良した不可視の風の刃であったが、流石は勇者。ハルトは感覚だけを頼りにその刃を避けて見せた。
「魔法は使えなくなったと思ったが、そうでもないらしいな。」
「間違えではないぞ? 今の余が使える魔法は小規模な魔法だけだ。闇衣にしても、本来の性能からは程遠いさ。だが、それは貴様も一緒だろう?」
「おっしゃる通り、俺の剣闘気も無いよりマシ程度の物になってるさ。大方、お前も俺も、力の大部分をあの時に使い果たしんだろうさ。」
ハルトはそう言うと、自分がスライムに負けた理由にすんなり納得がいった。自分は正しく命を賭けて魔王と闘った。それくらいの代償があっても何も不思議じゃない。そして、それはアズライールも同様だった。
「とはいえ、貴様がガキの姿になっているは一体どんな理屈か知りたいものだ。」
「はぁ? 何言ってるのお前? 俺今年で25歳なんですけど、割と大人なんですけど! ちなみに魔法使いになる予定は金輪際無いって断言できるんですけど!」
「涙を飲んで魔法使いになってしまった偉大な愚か者達に謝罪しろ。この素人童貞が。……ほれ、見てみろ!」
そう言うとアズライールは懐より、コンパクトサイズの手鏡をハルトに投げ渡すと、ハルトはそれを片手で受け取り、覗き混む。
「はっ! オレはホスピタリティ精神を求めてるから良いんだよ。……っておいおいおい、鏡の中に、まだ穢れを知らない無垢なハルト君が居るんですけど! こんな子が、夜な夜な変装して娼館に通うようになるなんて信じられないんですけど! ってまさか?!」
そう言うと、ハルトは自分の吐いてたズボンを少し緩めると自分の息子を恐る恐る確認した。
「ひゃぁ~~!」
そういうと、ハルトは顔を青くさせ奇声をあげた。
「何やってんだ貴様は。」
「無いんだよ!」
「はぁ?」
「俺の息子を守るジャングルがなくなってるんだよ、このすっとこどっこい!」
「……そりゃ子供なんだし、その内どうにかなるでしょ。そんな気にすること?」
「お前、俺がこの童顔とジャングルがなかなか生えないことに、どれだけ悩んだと思ってる! どれだけ小馬鹿にされたと思ってる! またあの苦悩の日々が始まるってのかよ……。」
そう言うとくそぉーという叫びと共に、ハルトは手鏡をアズライールに投げて寄越した。アズライールはそれを手に掴むと、定位置である胸ポケットに戻そうとし、はて?と止まる。
「……まさか!」
そう言うとアズライールは、闇衣を解除する。今の魔力量では、一度解いてしまえば、掛け直すのは難しい。
「だが! それどころではない!」
そう言うと、アズライールは自分の胸をペタペタも触り出す。そうペタペタと。
「……何やってんの? お前?」
落ち込んでは居たものの、アズライールの急な奇行にハルトは思わず声をかける。
「……ない!」
「何が?」
「胸がないって言ってんのよ! 私のバストアップと乳製品と努力の結晶がなくなってるのよ! 堅い…堅いわ……。こんなことって。」
そう言うとアズライールはさめざめしく泣きながら地面に崩れ落ちた。
「魔王、おっぱいは大きいだけが正義じゃなきんだぞ。」
あまりにも、悲しげにほろほろ泣くものだから、魔王が只の思春期の女の子に思えて、仕方なしに慰めの言葉を、ハルトは送った。
「だまっらっしゃい! 揉むだの吸うだのしか考えていない男に、女の胸の何が分かるっていうの? 副官に魔王様は何時までたってもツルペタで可愛いですねって言われた時の私の気持ちが分かるか!? 自慢気に湯船を揺蕩うアイツの胸を何度ちぎってやろうと思ったことか! このままツルペタであるものかと、フワプルを目指して夜な夜な努力し、何とか人並みに育ってくれた私の宝物を失った気持ちを軽い言葉で慰めないでよ!」
「すまん。俺が悪かった。俺はお前の胸も充分魅力的だと思うぞ。うん。」
あまりの剣幕にハルトは流石に憐れに思い、謝罪の言葉を口にした。
「なら、揉んでみないよ! 私の胸が魅力的なだというのなら、それくらい出来るでしょう!」
ハルトはアズライールの肢体をかっと目を開き見詰めていった。
「いや、揉むほど無くね?」
「う、、う、うぇ~~ん。」
アルトに止めをさされ、盛大に声を上げて泣き出したアズライールの魂の慟哭が草原を越え、森全体に響き渡る。
勇者と魔王、いや、それ以上に男と女と言うのは何百何千年時を重ねても、分かり合える事はない。
今回もここまで呼んで下さってありがとうございます。話中に出した朧って技なんですけど、剣道の先生が似たような事を出来たんで書きました。
先生は摺り足に合わせて膝だけを曲げるってやり方だったので、ちょっと違うんですが。
今後とも宜しくお願い致します。