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5.思いがけない提案

「あんたら、ここで何してるの?」

 荷馬車に乗った少年が、ぶきっらぼうにそう聞いた。

 彼は少し擦り切れた広いツバの帽子を深く被り、洗い晒しの白いシャツにサロペットを着ている。

 身なりからして、農家の子供だと容易に想像がつく。


「あぁ、少年。ちょうど良かった。馬車が穴にはまって動かなくなってしまったんだ。修理屋を呼びたいのと、宿泊をするのに、ここから近い村か宿駅を教えてくれないか」

 少しホッとした表情で、ユリエルは少年に尋ねた。


 少年は両腕を組み、口をへの字にしながら

「うーん、村は西にちょっと行けばあるけど……お兄さん達だけならともかく、女の子でしかも貴族? なら、悪いことは言わないからやめたほうがいいよ」

 と言い、さらに、首を横に振りながらこう続けた。

「貴族が泊まれる様な綺麗な施設がないのはもちろん、結構酒癖の悪い人間の多い村だから、夜に女の子が行くとどうなるか……代わりの馬車を出すとしても、ボロくてスプリングが悪いのしかないから、気持ち悪くなって途中で吐くかもね」


「そんな!」

 声をあげると同時に、クリスティーヌは口元を両手で隠した。顔も少し青ざめている。

 普段冷静なユリエルも、顔色に焦りが出はじめた。


 だが、次に少年は彼らが思いもしないことを言うのだった。

「まあ、だから、お兄さん達は修理を呼ぶのに村に行って、女の子と女の人は俺の家に泊まれば? すぐ近くだし。それに、このあたりの家にしたら立派な方だよ」



 ユリエルとクリスティーヌはお互いに目線を合わせる。しかし、彼の急な提案にクリスティーヌは困惑していた。

 なぜならば、本の挿絵や絵画などで可愛らしい農家を見た事はあるが、現実の農家の家は屋根には穴が開き、家畜の臭いが強く、ベッドの代わりに藁を敷いて寝ると聞く。

 もちろん、危ない所には行きたくない。かと言って、噂に聞く粗末な所にも……


「それも嫌だというなら、ほらっ、そこに誰も使ってない小屋があるから使えば? ただ、窓は割れてるし鍵もかけられないから、野犬か野盗に襲われても知らないけど」

 少年のその言葉に、クリスティーヌの顔はますます青ざめた。今にも気絶しそうだ。


 そんな彼女の様子を見て、侍女のジャンヌは覚悟したように

「お嬢様。ずっと昔からお側に使えていた、大事なお嬢様の身に何かあったら、このジャンヌ、もうこの世にはいられません! いつもの家と勝手は違うかも知れませんが、こちらの農家の方にお世話になりましょう。いざとなったら、私がベッドの代わりにでもなんでもなりますから! ユリエル様、それでいいですよね?」

 ねっ? ねっ? と彼女は必死にユリエルに同意を求めた。

 そして、ユリエルは手を口元にやり、少々考えて

「……そうだな。治安の悪いところよりは、農家の方がまだ安心だな」

 と彼女の意見に賛成した。


 彼らの決断を待っていた少年は

「さっきから、農家農家ってなんなんだ……まあ、いいけど。じゃ、ついてこいよ」

 と言いいながら、自分の家に向かうため、彼らの荷物を荷台に詰め込むのを手伝い、ジャンヌを彼の横に座らせた。

 ユリエルはクリスティーヌを馬に乗せ、自分は彼女の後ろ側に回り同乗する。

 お互いの心臓の音が聞こえそうな距離の近さに、いつものクリスティーヌのなら赤面しただろうが、今は不安な気持ちで一杯だった。


 出発の準備が済むと、ゆっくりと荷馬車を少年が出し、その後にクリスティーヌとユリエルが同乗した馬が続く。

 途中、御者を乗せた馬は村の方向へと別れた。


 馬に乗りながら小声で

「クリスティーヌ嬢。大変申し訳ない。もっときちんと馬車を点検させておけば……」

 自分の詰めが甘かったと、悔しそうにユリエルは謝罪をした。

「いえっ! ユリエル様は悪くありません。どうかお気になさらないで。私の方は大丈夫ですから……」

 彼女は精一杯そう答えた。

 しかし、その言葉とは裏腹に、本心は家には着かないで、ずっとこのままこうしていられたらいいのにとクリスティーヌは思うのだった。



 馬で移動してしばらく

「ほら、あの家だよ! すごいだろ!」

 少年が示す先には、天へ向かって鋭く伸びるいくつかの屋根が印象的で、一般的な農家とは思えない立派な建物のシルエットが、月明かりに照らされて浮かび上がっていた。

 

 彼らがその建物がある庭先に到着すると、少年は鉄の門を開け、庭の中へユリエル達を招き入れる。

 遠くからでも大きいと見てとれたが、近づくと想像以上に大きい家だとわかった。3階は確実にある。


 庭をさらに奥へと進むと、玄関先らしき所でランプを持った人達が見えた。

 より近くづくと、肩まで伸びた黒髪に薄い褐色の肌を持つ使用人であろう少年と、恰幅がよく白肌の40半ばくらいの女性だということが判明した。

 褐色の肌を持つ少年が駆け寄って来る。


「もー、エル! 遅い! 心配したよ。ていうか、後ろの人達……だれ?」

 どうやら少年の名前はエルというらしい。

「え、パリに帰る途中、馬車の故障で立ち往生してた人たち。一晩泊めたいんだ」

「そんな急に……」

 思いもよらぬ突然の来客に、褐色の肌の少年が困惑する様子を見かね、ユリエルが事情を話す。


「大変申し訳ありません。私の馬車が道の途中で故障していたところ、こちらのご子息に声をかけて頂いたのです。私はどうとにでもなるのですが、婚約者にだけは安心できる場所を提供して頂きたく。急で図々し……」

「そんなの、部屋なんていくらでもあるんだから! どの部屋に泊まってもいいわよ!」 

 彼が言葉を終わらせるまもなく、恰幅のよい女性が遮った。

 エプロンをしているので、彼女も使用人であることは明らかだ。


「それにほら、ここら辺にはなかなかいない美青年を見れて眼福眼福。おばちゃん、ひっさしぶりときめいちゃった! ガハハ」

「ああ、マダム、感謝します! ですが、こちらのご主人はどちらですか? 折角マダムのご好意をいただけても、ご主人の許可が得られる前にだまって上がる訳には……」


 彼女の迫力に若干の押されつつも、ユリエルは感謝の言葉を述べ、この家の主人を確認する。

「あーらやだ。マダムですって。本当に都会の人はいいわぁ。主人はそこにいるわよ。だから、私たちがどうこう言う筋はないわ」

 そう言って、彼女は目配せをした。


 どこだとユリエルが辺りを見渡すと

「おいっ! どこ見てんだよ。ここにいるだろ。俺が主人なの」

 ユリエルの目線よりずっと下には、自分のことを指でさして、必死にアピールするエルがいた。

「まぁ、父親もいるんだけど仕事であんまり来ることないから、俺が実質ここの主人ていう訳。そんで、ここにいる俺くらいのとオネーサンはキースとローズ。あとはローズのだんなのフランク。三人とも俺の世話係」

 

 なるほどという表情をユリエルは浮かべた。だが、次にある質問が浮かんできた。

「これは大変失礼な質問かもしれないが……なぜ君はコートやキュロットではなく、農作業用の服を着ているのだろうか?」

 仮に、ここが大地主の家だとしても、その子弟であれば、それに相応しい服を着ているはずだ。実作業をしなくていいのだから。

 ユリエルはそのように思った。


 この疑問に対して、エルは両手を広げ、ふぅと息を漏らすと

「あのさ、さっきまでうちを農家呼ばわりしてたけど、それは違う。うちは商いをやってるの。勉強ばっかりでつまらないから、よくこうして羊の世話を手伝ってるんだよ」

 納得したかとでも言いたげに、エルはユリエルに視線を送ってそう答えた。


「それはなんと……誠に失礼いたしました、ご主人。こんな立派なお屋敷に泊めさせて頂けるなんて、お礼の言葉が尽きません」

 エルの事情を聞いて、うやうやしく改まったユリエルは続ける。

「では、明日、なるべく早く迎えに参りますので。クリスティーヌ嬢。今日はゆっくりとお休みください」

「ええ、お待ちしておりますわ。ユリエル様」

 クリスティーヌは笑みを浮かべて、彼に手を振る。そして、想像していた家とは裏腹に、立派な家だった事に心の中でほっとしていた。

 だが、同時に、親切にしてくれた少年に素直に従えなかったことを恥じた。



 馬に乗り、村へ向かうユリエルを皆で見送った後、ローズは皆に向かってこう言った。

「さっ、まだ寒くないとは言え、夜風に長く当たるのは良くないわ。早く家に入りましょう。あと、中途半端な時間だし、お嬢様方はお夕飯をまだとっていないのでしょう?」

 その言葉にクリスティーヌは、はいと返事をする。すると、ローズは本当に申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさいねえ、本当は用意したいのだけれど、あいにく、お客様に出せるだけの食材を切らしてしまっていて。でも、明日の朝には近くから貰ってきて、たっぷりご用意いたしますから。代わりにキース。お客様の空腹を少しでも満たせるよう、温かいショコラを出してあげて」

 少し納得のいかなさそうに、はーいと返事をしつつも、素早くキースは台所の方へ移動していった。


「こちらこそ、突然でしたのにお気遣いありがとうございます。そしてさらに……うふふ。ショコラ! 私の大好物ですの! 嬉しい」

 さっきまで元気がなかったのが嘘のように、クリスティーヌはご機嫌な様子で軽やかに家に入る。

 その様子を後ろからエルは見て、本当に女って気分がコロコロ変わる生き物だな〜と独り言を呟いた。

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