4.アクシデント
眩しい夕日が地平線へ沈みゆく中、周りは畑や木々だらけの退屈な田舎道を、一台の豪華な馬車が通る。
「遅くなりましたけど、わざわざお祖母様のいる遠いところまで一緒にいらしてくれて、本当に感謝していますわ。ユリエル様。でも、帰りは大回りさせてしまって、申し訳ありません……」
ミルク色の肌に、ピンクの頬紅を刺した少女が上目遣いで言う。
実は、行きで使った道が落雷による倒木で塞がれてしまい、復旧のめども立たないので、帰りは急遽、異なる道を通ることになったのだ。
少女は明るい金髪を結いあげて、小さな花飾りを刺している。身にまとっている服は、最近貴族の間で流行している、デザインが簡素なローブ・ア・ラ・ポロネーズというドレスだ。
だが、ドレスの色合いは、ファッションに煩いものが見ると若干古臭くも見えた。きっと、別の形のドレスを仕立て直したものなのだろう。
「いえ、そんな大した事ではありませんよ。こちらこそ、大切な婚約者のお祖母様にお会いできて光栄です。クリスティーヌ嬢。それに、あなたと少しでも長くいられるよう、天使が道に少々いたずらをしたのでしょう」
まあ! と彼女は思わず声をあげ、大きな紫色の目をより大きくする。
だが、すぐに口元にそっと扇子を当て、驚いてしまった事を恥ずかしそうに隠すのだった。
その様子にユリエルは優しく微笑む。
◆◆◆
……側から見れば、我々は仲の良い男女に見えるかもしれない。
ならば、二人は愛し合って婚約をしたのか? いいや違う。
両家の利害関係から決まったのだ。そう、これはいわゆる政略結婚だ。
かつては、身分が異なるもの同士が結婚することは許されなかったが、今は位はあっても財産のない貴族達は面子を保つために、そうも言っていられないらしい。
一方、いくら使いきれないほどの財産があったとしても、位がなければ所詮はただの平民。
どんなに着飾っても、どんなに礼儀作法を身につけようとしても平民出身という身分からは逃げられないのだ。(まあ、金で位を買う事も出来なくはないが)
そしてその例に漏れず、建前上は私の好みでとのことだったが、裏を返すと多くの貴族とのコネクションができれば、他の商家よりも有利に事を進めやすいからと、実に生々しい理由で選ばれたのが、私の目の前に座るクリスティーヌ嬢だ。
彼女の家は先先代までは栄えていたが、先代が賭けに溺れたせいで相当な負債を抱えてしまったらしい。
そして、その尻拭いに当たっていた彼女の父親もおととし心労で急死して、よりいっそう金に困っていたそうだ。
もちろん、私の花嫁候補は彼女の他にも何人かいた。
だが、少し人見知りでおとなしく、舞踏会で踊る事よりも読書や刺繍が好きというウブさに、不思議と興味が惹かれた。
普段、私の周りには派手な女ばかりが集まるせいで、新鮮に感じられたのかもしれない。
それに外に気持ちが向きにくいぶん、子供を持てばきっと良き母親となるだろう。
そして、この優雅な身のこなしがさらりとできるのは、やはり歴史のある貴族出身ならではだ……
とユリエルは密かに感心するのだった。
◆◆◆
……私の目の前にあのユリエル様が座っている。本当に信じられない!
彼のお父様とどことなく似た端正な顔立ち、きっとお母様譲りであろうツヤツヤと輝く漆黒の髪。そして、その髪の毛に合わせたような黒い瞳。
更に、時々何を考えていらっしゃるのかわからない、ミステリアスでゾクっとするような表情をする。
ああ、ただ、ただドキドキしてしまう……
とクリスティーヌはユリエルへの好意を悟られまいと、彼女ながらに必死だった。
彼女の父親が亡くなり、母親がどうにか頑張ろうと必死になっていた頃。母の兄、つまりおじが、ある縁談を持ってきた。
正直、その話を聞いた時、一種の恐ろしさを彼女は感じた。
なぜなら、彼女の目からみると、今の彼女と同じ様に、親に決められて嫁いで行く他の令嬢達は、全く幸せそうに見えなかった。
その上さらに、お金のない家の娘はウンと年上のお爺さんか、お金はあっても粗暴な振る舞いが抜けない成金の家に嫁がされる、と噂で聞いていたからだ。
とは言っても、クリスティーヌに縁談を断れる権利などない事は分かっていた。
いくら家の名前が知られていようと、持参金が期待できぬ嫁などお荷物以外に他ない。
そんな中、持参など持たず、身一つで来て欲しいと言ってくれたのだ。
もう運命は決まっている。受け入れるしかないと覚悟をしたとき、相手を聞いてクリスティーヌの表情は絶望から希望へと変わった。
貴族ではないが、莫大な財産を持ち、容姿にも優れ、どの貴婦人が彼の心を射止めるのかと噂で持ちきりのユリエル、その人だったからだ。
もちろん、彼女は恋などした事はない。
いくら容姿端麗とは言え、ユリエルの事を好きになれる自信はなかった。
しかし、実際に初めて会い、手の甲に挨拶のキスをされた瞬間から、彼女の心は雷に打たれたように、彼にすっかり夢中になってしまったのだ。
「欲を言えば、お祖母様にも晴れ姿を見ていただきたかったのだけど、あいにくお身体がもう……」
クリスティーヌが寂しそうに呟く。
「確かに、お祖母様が参加出来ないのは私も残念です。そうだ、仮縫いの時にポートレートを描いてもらって送らせましょう」
「まあ! それは素敵! さすがはユリエル様。なんてお優しい……」
クリスティーヌの侍女・ジャンヌがそう言った瞬間、ガターン! と大きな音と共に馬車が傾いた。
とっさにユリエルはクリスティーヌを支える。そして
「御者よ、どうしたのだ」
と外にいる小太りな男に向かって、何が起こったのか説明を求めた。
「だんな様、申し訳ありません。田舎なもんで道が悪くて、穴に馬車の車輪がハマってしまったようです。ちょっと下を見てみます」
「あーあ、なんてこった……」
馬車の下から、大きなお尻を突き出して御者が嘆く。
「だんな様、これはもう二、三人の男手と修理屋を呼ばないと出せないよ。しかも、もう夜だから来てくれるのは明日の朝かな」
「そんな、私の家まで先は長いのだぞ。さすがに来てくれるのを待つために、ここで夜を過ごすのは……かといって前の宿駅に戻るのも、次の宿駅で宿を取るにも、乗馬で移動するには距離があり過ぎる」
ユリエルは参ったなという顔をしながら、少し考え込んだ。
「申し訳ないが、クリスティーヌ嬢。馬車が動くかどうか試してみたいので、降りてくださらないか?」
不安そうな表情を浮かべるクリスティーヌに、まるで踊りに誘うかのようにユリエルは手を差し出し、彼女を馬車から降ろす。
不謹慎ながらも彼の手に触れて、クリスティーヌは嬉しさを感じるのだった。
「……せーのっ!」
クリスティーヌと侍女が見守る中、ユリエルは御者と一緒に馬車を動かそうとするが、馬車はビクとも動かない。
「だんな様、本当に無理ですってば。仮に穴から出せても、車輪の一部が衝撃で壊れてる。無理やり馬車を走らせたら今度は脱輪しますよ。辺りも暗くなってしまったし、悪いことは言わないから、この近くの村かなにかで休みましょう」
ヒーヒー言いながら、御者がユリエル達を説得していると、藁を積んだ荷馬車が通り掛かった。