3.母の葬儀
……あれから十年以上経過したが、あの日の事は良く覚えている。
父やおじ達が喜んでいたのもつかの間、次の日には、何とも言えない暗い空気が屋敷中を漂っていた。
「どうしてみんな怖い顔してるの? 僕、なにか悪いことしたの?」
私は世話係の女中に尋ねた。
女中は目に涙を浮かべながら
「ユリエル様、落ち着いて聞いてください。ユリエル様の弟君のうちの一人が生まれてすぐ天国へ召されたのです。とても可愛らしかったから、神さまが早くお会いになりたかったのでしょう」
と言った。
……弟が死んだ。何故だろう、顔もまだ会わせたことがなかったのに、悲しい気持ちで心がいっぱいだった。自然と涙が溢れる。拭いても拭いても止まらない。
「ですが、ユリエル様。ユリエル様にはもう一人の弟君がいらっしゃいます。そのためにも強く心を持たなくてはなりません。」
そう女中は言い、私をぎゅっと握りしめるのだった。
数日後、家の近くの小さな教会の中で、私の幼い弟の葬儀は行われた。参列している家の者は皆、泣いている。弟の顔を見た事もない者まで。
しかし、今思えばとても奇妙な葬儀だった。他の葬儀に出て気がついた事だったが、弟の棺は閉じたままだった。
家の者に聞いてみると、なんでも生まれた時から病気で見るに耐えない容姿だったらしい。
だが、今思うとあの時、両親は……いや、考えないでおこう。だけど、あの女の残酷さを考えれば、あり得ないとは言い切れない……!
そして今、私はあの日と同じ教会にて、ある葬儀に出ている。だが、私はあの日と違って涙なんて一粒も出やしない。
「ねえ、ご覧になって奥様。ユリエル様ったら取り乱すことなく落ち着いていらっしゃる。それに対してラウル様は……」
「そりゃそうよ。ユリエル様はもう19才。弟のラウル様は12歳になられたばかり。まだまだ冷静にはなれないお年頃よ」
こちらに聞こえないようにして、話をしているようだが、噂好きなご婦人達の雑音は嫌でも耳に入ってくる。
顔には出さないようにしても、不愉快そうにしていた私を察してか、あるいは心許ないのか弟のラウルが私の手を強く握る。
少ない参列者が棺に花を手向けるなか
「……ぐすん、兄様、僕たちの番だよ」
そう言うとラウルは白いバラの花を私に渡してきた。
「えっく……これ、今朝、庭で摘んできたんだ。お母様が一番大好きな花だったから。一緒にあげよう」
私たちは"母"の棺にそっとバラを置いた。そう、この日の葬儀は私とラウルの母、ミシュリーヌのためのものだ。
彼女の遺体は、肌の色こそ石像のように白かったが、声をかければ今にも目をパチリとあけて微笑みかけてきそうな様子だ。
だが、ラウルが何度も母様、母様と呼びかけるが起き上がることは無かった。虚しく彼の涙だけが、ミシュリーヌの冷たくなった手の甲に滴り落ちる。
以前の私であれば、命が助かったならば、例え先代の王のように彼女の顔が醜く変形し、肌はボロボロになったとしても、生涯彼女を守ると決めただろう。
反対に、不幸にも助からなかったのであれば、神を呪うと呪咀の言葉を撒き散らして嘆き悲しんでいただろう。
だが、今の私は違う!
これは天罰なのだ。純粋な者の心を弄んだ、神が下した罰だ。
死因は突然の病ということだったが、死を覚悟することなく死ぬ気分はどうだっただろう。
近頃、私の家の周りは死で満ちていた。
それは老若男女を問わず突然やってくる。亡くなったものたちは、寿命が僅かな者もいれば、前日まで元気だった者もいた。
それに、使用人の中にも亡くなった者がいたらしい。誰も直接口にはしなかったが、きっとこれは感染病であると。
そのため、家の規模の割には寂しい人数しか集まらなかった。誰だって、死体に触れて、自分もその仲間になりたくはないはずだ。
華やかな世界に囲まれていたにも関わらず、永遠の別れの場では僅かな人しか送り出してくれない。
なんて無様なんだ。お似合いだよ!
と私は今にも踊り出したい気持ちでいっぱいだ。
一方、弟は私の気持ちとは対照的で、悲しみに溢れ、鼻を啜りながら泣きじゃくっている。
可哀想で憐れなラウルも、この女の本性を知ったらなんて思うのだろうか。
だが、本性を知らずしても、じきに悲しみは薄れるだろう。生きている者の世界は目まぐるしく変わる。
本好きのラウルのために、なるべく最新の本や芝居を見せて、刺激を与えてやるのだ。
そしてさらに、この憐れな弟の身長がもう少し伸びて、今の可愛らしい声から男らしい太い声へと変わったら、屋敷の庭からでは想像できない大人の世界を覗かせよう。
そうすれば、いつのまにか死んだ者のことなどすっかり忘れてしまうだろう。いや、忘れてしまえ。
そして、女に対して純粋な気持ちを抱く事が、どんなにバカバカしいものであるか気がつけばいいのだ。
そんな気持ちなんて、一度でも裏切りを味わえば、砂の城のように脆く崩れ去る事を。あの頃、私が抱いていたミシュリーヌに対しての恋心のように。