44.侮辱と挑発
その日はクリスティーヌの方から、エルに舞踏会に行かないかと誘ってきた。
「どうしたの? 珍しい……」
「ふふっ、この舞踏会は特別。参加する事に意義があるのよ」
「特別って、誰かの誕生日とか?」
「それがわかるのは着いてからのお楽しみ」
彼女はそう言うと、軽くウィンクしてみせた。
エルが彼女に連れられてやって来たのは、ある伯爵の屋敷だった。
すでに会場へ集まっている人々を見ても、仮面や仮装をしている訳でもなく、特に変わっているようには見えない。
また、ホールで踊る人々を見ていても、特におかしな部分は見受けられなかったので
「一体、これのどこが特別なんだ? 普段通りにしか見えないんだけど……」
とエルは若干不機嫌そうな顔をし、会場を見渡しながらクリスティーヌに聞いた。すると、彼女はほら見て! と言って、踊っている人々を指差す。
踊り終わった人々が脇に掃けていくと、彼らに代りに風変わりなデザインの服を着て、さらに変わった化粧を施した奇妙な人々がホールの中央へと現れた。
ある者は笑っているかのような、ある者は泣いているかのような、そしてある者は怒ったような顔つきの化粧をしている。つまり彼らは道化師のようだ。
その中の一人、青い服の道化師が二つのボールを取り出すと、天井に向かって、そのボールを放り投げては受け取る、受け取っては投げるという事を始めた。
そして、二つだったボールから三つ、四つとドンドン増えていき、終いには10個くらいまで増えていった。
この時点でも既にギャラリーは、おおっと言う声をあげて拍手を行なっていたのだが、別の道化師が彼の前に小さな椅子を置くと、彼はその椅子に乗りながらボールを投げ続けた。
さらに、今度はその椅子から降りると、なんと椅子もポンと投げてボールと共に空中へと舞い上がらせた。
その様子に、人々はより一層の歓声と拍手を送る。そして、最後は投げていたボールを他の道化師たちが回収し、青い服を着た道化師が落ちてくる椅子を掴まえて終了した。
他にも、違う色の服の道化師が会場に置かれていた花瓶をその場から消して別の所から登場させたり、ギャラリーが選んだカードを見てもいないのに言い当てるなどの奇術を行った。
初めて見るそのショーに、エルはとても感動したようで、さっきまでの不機嫌そうな表情から笑顔に変わり、今ではひたすら拍手を送っている。
「凄いね。これを見るためにクリスティーヌは参加したんだろ?」
彼はとても嬉しそうだ。しかし、彼女は首を振り、目的はこのショーの事ではないと言う。
「えっ、これの事じゃないなら一体……」
エルがそう言いかけると、彼らの前に先程の青い服を着た道化師がやって来て、大きな帽子を差し出した。
ハトでも飛び出てくるのだろうか? とエルが思っていると、隣にいたクリスティーヌは、なぜか大きな宝石のついたイヤリングを外してその中に入れた。
その道化師は、今度はエルに向かって帽子を差し出してくる。戸惑っているエルに対して、クリスティーヌは彼の手を取ると
「この中で、特に無くても困らない指輪はどれかしら?」
「うーん、これかな……」
と言って、エルは特に思入れのない指輪の一つを指し示した。
すると、彼女は彼が “不必要だと思った“ 指輪を指から外すとその中に入れた。
その道化師は礼の言葉を言う代わりに、彼らに向けて腰を曲げてお辞儀をすると、他の招待客に対しても同じような事を行い、どんどん彼らの貴重品を回収していった。
果たして、次は一体何が始まるのだろうか……とエルが思っていると、今度は道化師ではなく、この屋敷の主人である伯爵がホールの中央へと出てきた。
「皆様、今宵はこの集いに参加していただき誠にありがとうございます。心優しい皆様のお陰で、沢山の寄付を集めることができました。改めて、お礼を申し上げます」
そう言うと、彼は様々な方向に向けてお辞儀をした。
辺りからは、さすが伯爵だ、なかなか粋な催しで楽しかったなど、彼を賞賛する声と拍手が上がる。
「これはつまり……」
エルはクリスティーヌの顔を見る。すると彼女はこれは慈善活動なのだと言った。
実は、昨年アイスランドの火山が噴火し、その火山灰の影響でヨーロッパは異常気象に見舞われたのだ。
作物もうまく育たないため、場所によっては飢饉が発生しているという。被害にあった彼らを救おうと、王妃も寄付活動を行なっているらしい。
そのため、少しでもその力になれればと、正義感の強いこちらの伯爵は慈善活動の一環として今夜の舞踏会を開いたそうだ。
確かにエルも村にいた時、今年は育ちがあまり良くないようだという事は耳にしていた。
普段馴染みのある、彼らの力になれるなら……とエルもこの舞踏会に参加した事を嬉しく思うのだった。
◆◆◆
宴はまだまだ続くようだが、エルは次の日に予定があったので、彼らはキリの良いところで引き上げる事にした。
馬車を置いている所まで向かおうとしていると、彼らと入れ替わるようにして、今から会場に入ろうとしている腕を組んだ男女がやって来た。
その男女はお喋りに夢中のようで気づいていなかったが、女の方が白い何かを落としたことにエルは気づいた。
「ムシュー! お連れの方が何か落としましたよ」
エルは彼らに向かって声をかけ、女の落し物を指差す。どうやらハンカチのようだ。
呼び止められた男は、ああ申し訳ないと言ってそれを拾いあげる。
そして、男がエルに感謝の言葉を述べようとして、彼の方に顔を向けた瞬間……
「あ」
と思わずエルは声をあげた。
見覚えのある端正な顔立ちに、黒い瞳。
なんと落し物を拾った男は、自分の兄であるユリエルだったのだ。そして、その隣には年上ではあるが明らかに彼の愛人であると思われる女がいた。
彼は一瞬気まずそうな顔をしたものの、直ぐにエルに背を向け、何もなかったように連れの女と会場に向かおうとした。
「ちょっと! おい、待てよ!」
狼狽えるどころか弁明する言葉すら言わないユリエルに対し、エルはそう言葉を投げた。
「何か用か?」
やれやれ……とでも言いたげに面倒臭そうな表情で、ユリエルはエルの方に振り向く。
「何か用かじゃない。何してんだよ。自分の奥さんのこと放っておいて!」
エルは信じられないという顔をしている。
「何って、私はこの女性と舞踏会に参加しようとしているだけだ」
一方で、そう答えたユリエルは全く悪びれた様子を見せない。
「いや、それなら奥さんを連れて行けばいいだろ!!」
エルはより一層語気を強めた。
すると、ユリエルはふぅと大きくため息を吐いてこう言った。
「クリスティーヌから聞いていないのか? 我々の関係は既に破綻している。だから、それぞれに好きに行動する。一緒にいてもお互いに幸せではないのだし、それでいいじゃないか」
「だからって……よくそんな事、本人の目の前で平気で言えるな! 彼女の辛さを考えた事があるのか? あの広い屋敷で、一人寂しく耐えてるっていうのに!」
ユリエルの隣にいる女は、若いわねとでも言いたげに怒りに燃えるエルの事を笑っている。それが余計に彼を苛立たせた。
「エル、やめて。もういいわ」
諦めているとも、呆れているともなんとも言えない表情で、ポツリとクリスティーヌが呟く。
「ユリエルの言う通りよ。私も今は好きな事をやっているし、それで十分。だから、彼らのことは放っておきましょう」
クリスティーヌはエルの袖を掴んで、これ以上何も言わないでと言うように首を横に振った。
「さすが、私の妻だ。実に物分かりが良い」
エルに対して嫌味も含んでか、ユリエルはにこやかな笑顔を作ってそう言った。
「まぁ、彼女が寂しいと言うのだったら、踊りの相手をしてやるように、ベッドの中でお前が彼女の相手をすればいいじゃないか。いや、もう既に相手をしているのかもしれないが。では、失礼」
ふっと軽くユリエルは笑うと、再び自分の腕に連れの女の手を絡ませて、会場へと歩き始めた。
あまりの言い草に、エルはその場に固まった。
「彼らのことは気にしないで帰りましょう。私は大丈夫だから。ねっ、エル?」
クリスティーヌは彼に向かって優しく声をかける。だが、どうやら彼の耳には届いていないらしい。彼女が再度袖を引っ張っても微妙だにしない。
拳には力が入り、自分でも気がついていないようだがプルプルと震えている。さらに、顔色もまるで酒でも飲んだのかのように、徐々に紅潮していっている。
この後に起こる事を予感し、これはさすがにまずいと思ったクリスティーヌは、袖ではなく押し止める様にして彼の腕を両手で掴んだ。
「エル。ダメよ、あんな挑発に乗っては……」
しかし、クリスティーヌの願いも虚しく、エルは彼女の手を勢いよく振り払った。
そして、ユリエルの元に駆けると、思い切り足で大地を蹴り上げ、彼の背中めがけて飛び蹴りを食らわした。




