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43.相手の男

 あまり出歩かなくなっていたクリスティーヌがちょくちょく外にでるようになったのと、彼女の表情の変化で暇を持て余している人間たちは、いつしか彼女の事をこう噂をするようになった。


 最近のクリスティーヌは妙に明るい。そして、彼女の隣にはユリエルとは異なる男がいつもいる。

 だが、あの男の顔は見た気がする。確か、あそこの家の次男ではなかったか。

 しかし、彼は行方不明になっていたと聞く。いつの間にか戻って来たのだろうか。雰囲気もずっと変わった気がする。

 久しぶりの再会に心が揺さぶられて、彼と恋仲になっているのではないのだろうか。それで外出する事が多くなったのか……と。



 もちろん、この噂は夫であるユリエルの耳にも届いていた。そして、彼がこの事を聞いたのは、彼が()()()()()()()未亡人・イザベラのベッドの中だった。

 大きな窓からは午後の日差しが差し込み、事が終わった二人の裸体を照らしている。


「ふふ、驚いたでしょう」

 彼女はブルネットの髪を耳にかけると、ユリエルの反応がどうなるのかと思っているのか楽しそうに笑った。

 彼女が期待した通り、彼の表情は固まっている。体を横に向け、肘をついて手を枕代わりにしていたのだが微妙だにしない。

「しかも、あなたの弟さんだと思われる男性は、前とは雰囲気が違って、たいそう色男になっているそうよ。彼女とはよく劇場で見かけられることが多いみたい。あと、パレ・ロワイヤルでも見かけたって聞いたわ」

 くすぐるようにして、彼女は白く華奢な指で彼の胸をなぞった。


 一方、ユリエルはその話を聞いて、心臓が止まるかと思っていた。

 妻の浮気? いや、そんなことはどうだっていい。重要なのは突然居なくなってしまった、可愛い弟が戻ってきたことだ。噂は本当なのだろうかと。

「でも、戻ってきたと思ったら、あなたの奥さんに手を出すなんて大胆ね」

 イザベラはふふふと笑った。その微笑んでいる顔は、まるでいたずら好きの少女のようだ。


 実は、クリスティーヌが劇場でユリエルの浮気を目撃したときに、彼がその相手をしていたのはイザベラだった。

 彼女はユリエルよりも10才近く年上だが、肌の色は透き通るように白く、シミも見当たらない。さらに、顔の作りもまるで天使のように美しい。


 というのも、もともと彼女は高級娼婦の出身で、パトロンである年老いた男爵と結婚したのだが、結婚してすぐに男爵は彼女の元から去ってしまった。

 彼女に残されたのは、彼の財産と膨大な退屈した時間だった。もちろん、子供なんていなかった。

 そのため、彼女は暇を潰すという名目で若い男との密会を楽しんでいたのだ。


 その男たちの中でも、彼女にとってユリエルは特別な存在だった。

 彼女はその美貌と財産目当てに、沢山の男達から言い寄られていた。特に、家督を望めない貴族の次男や三男からは格好のターゲットにされた。

 しかし、ユリエルはそんな男たちとは異なり、彼女に望んだのは “退屈しない関係” ただそれだけだった。

 だから、彼女と彼は、いわば同志とも言える仲で、色んな意味で相性がよかった。

 その証拠に、彼の方は他の女と長くても二、三年程度の関係なのに、彼女とはもうずっと長く続いている。


「……家に帰る」

 ユリエルは静かにそう言うと、ベッドから起き上がり、無造作に脱がれたシャツを羽織った。

「あら、奥さんの事が心配になったの?」

 彼女はまたしても、ふふふと笑っている。もちろん、これはわざとそう聞いていると彼はわかっていた。

 彼女の方をちらりと一瞬見ると、着替えを済ませて部屋を出て行った。


◆◆◆


 ユリエルが久しぶりに屋敷に帰ってくると、使用人たちは彼が戻ってきたことに少し驚いているようだった。

 彼はすぐさまラウルの部屋に行ってみたものの、掃除はされてはいるが、そこの部屋の主が失踪した当時と変わらぬままの姿だった。

 すると、一人の女中が部屋の前を通りかかり、彼と目があった。彼女が軽く会釈すると

「あの子はどこだ?!」

とユリエルは彼女に向かって大きな声で叫んだ。

 しかし、何のことですか? とでも言いたげに、女中は不思議そうな目で見つめる。

「ラウルのことだ!」

 感の鈍い彼女にユリエルは少し苛立ったように聞く。しかし、彼の勢いに押された彼女は少し怯えた様子で首を振り、ラウルの事なんて知らないと言う。

 他の使用人に聞いても同じだった。むしろ、ユリエルは何を言っているんだ、という顔を露骨に表すものが大半だった。


 結局、ラウルを目撃した情報は結局デマで、他人の空似だったのだろうかと彼は肩を落とした。

 ならばここにいても仕方がない。イザベラの元に帰るかと、玄関に向かって廊下を歩いていると、丁度、螺旋階段から一人の人物が降りてきた。

 その人は片手に書類を持っており、そちらの方に気をとられているようなので、ユリエルには気づいていない。

 見慣れた金髪に、深い青色の目をしている男だ。


「おい! 待て、待て!」

 そのまま去っていきそうな彼に向かって、ユリエルは声をかけた。すると、自分に声が掛けられていると気づいた彼は立ち止まって、ユリエルの方へと振り向いた。

「本当に今まで一体、どこに行ってたんだ!」

 そう言いながら、ユリエルは彼に近づいて両手を彼の肩に置いた。だが、彼はキョトンとした顔をしている。

「どれだけ私も探し回ったことか。それに、戻ってきたとどうして教えてくれなかったんだ。ラウル!」

 ユリエルは彼の体をひしっと抱きしめた。


 突然の事に、抱きしめられた男も驚いた顔をした。しかし、自分がラウルに間違われていると認識した彼は、すぐにユリエルに向かってこう言った。

「あのさ……悪いけど人違いだ」

 再会を喜ぶどころか、思いも寄らぬ言葉にユリエルは面食らいつつ、彼の体から腕を解く。

「俺はラウルじゃない」

 ユリエルは耳を疑った。ラウルじゃ……ない。

 確かに、目の前の人物はラウルと違っておどおどした雰囲気もないし、身長も少しだけ彼より高く感じられた。

「まさか、エル……なのか?」

「ああ。そうだよ」

 久しぶりの兄弟の再会だったが、エルはぶっきらぼうにそう答えた。すると、ユリエルは彼から離れ、ふぅと大きく息を吐くと首を横に振った。

「なんだお前か……」

 先ほどとはうって変わり、ユリエルの表情には落胆の色が出ている。


 このやり取りをエルの後ろから見ていたキースはハラハラしていた。

 どうやら、ユリエルはラウルが戻ってきたと勘違いして屋敷に来たらしい。でも、実際はラウルではなくエルの方だった。

 それはともかく、もしかしたらクリスティーヌと一緒に最近出歩いている事もユリエルは知っているのかもしれない。

 いくら、放ったらかしにしているからと言って、自分の妻を他の男に取られるというのは余り気分のいいものではないだろう。

 それも、溺愛するラウルではなく、距離感のあるエルの方だと判明した今……彼の感情は怒りの方に変わるかもしれない。

 喧嘩にならないだろうかと思って、キースは息を飲んだ。それは、エルも同じで、一瞬身構えるような素振りをした。


 しかし、彼らの想像とは裏腹に、ユリエルは少し乱れたジャケットを正すと、エルの方に背を向けてそのまま去ろうとした。

 すると、今度は彼に向かってエルが叫んだ。

「おい、他に言う事ないのかよ?」

 その呼びかけに対し、彼は振り向きつつもエルとは目線を合わせず

「……もう、用は済んだ」

と無表情に呟いて、その場を離れていった。


「久しぶりに会ったけど、一体なんなんだ。こっちの様子を聞くくらいしたっていいのに……」

 エルはラウルと間違えられたことは仕方ないとして、自分に対して関心を向けなかった事が気に食わなかった。

 そして何より、クリスティーヌの事に対して彼が何も言わなかったことに、もっとも腹を立てた。

「でも、喧嘩とかにならなくてよかったよ。怒鳴り込みに来たのかと思った」

 一安心とでも言いたげに、キースはエルの事を見つめる。

「いや、怒鳴り込みに来たならまだマシだよ」

 エルは苛立ちと半ば呆れる様子でそう答えた。それと同時に、何も言われなかったクリスティーヌを不憫に思うのだった。

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