18.許可は出たものの…
先程の件から数時間後。エルは眉間にシワを寄せている。
「だめだめ、そんな顔しちゃ」
「そうだよ、にこやかに、にこやかに……うわぁ、怒らないで! その花瓶は高いんだから投げるのやめて」
エルはラウルとクリスティーヌに囲まれているが、楽しい気分ではなく、憤慨していた。
というのも、彼の父親はこの家にいて良いと許可を出したが、二週間の滞在期間以外にもう一つ条件をだしていたのだ。
◆◆◆
これより少し前のこと。
父のアーロンはエルに向かってこう言った。
「確かに、お前にはここに居て良いと言ったが、その格好でとは言っていない」
「わかったよ。父上。ラウルみたく、きちんとした格好をすれば良いんでしょ。ここは都会だし」
「いや、お前のためのコートとキュロットはこの家にはない。準備はできたか? 入りなさい」
エルのために用意された部屋で、彼はそう言うと、何人かの女中が中に入って来てエルをワッと囲んだ。
痛い! 痛い! とエルがまた大きな声で叫びをあげる。だが、彼女たちは手早く指示された事をこなした。
着替え終わったエルの部屋に、ラウルとクリスティーヌ、そしてユリエルが入ってくる。
女中たちに着替えさせられたエルを見て
「すごい! エルは本当によく似合うなあ」
ラウルが感心している。隣にいるクリスティーヌもコクコクと頷く。
「そうね、そうね。誰がどう見ても本物だと思ってしまうわ。ただし、喋らなければだけど」
一方で、ユリエルも驚愕していた。
そこには、死んだはずのミシュリーヌ……にそっくりな女装姿のエルがいた。別人だとはわかっているが、不快な気持ちになったのは否定できなかった。
そのため、用を思い出したと言って、彼は部屋を出て行った。
「どうして、また女の格好をしなきゃいけないんだ!」
エルは父親に対して抵抗し、声を荒げた。
「お前の事だ。刺激の多い都会では、きっとあっちこっち興味を惹かれるだろう。好き勝手に動かれて、迷子になられても困るんだ。パリを見てみたいんだろう? もし、そうなら、その姿でいる事が今回の条件だ」
この処置は当然だとでも言わんばかりに、父親のアーロンはエルの目を見た。
エルは唇を噛み締めた。この窮屈な格好さえ我慢すれば、見たかった都会を見せてくれると言う。
「それに、今回の滞在で行儀よくしてくれるなら、次はもっと長い時間の滞在を許す」
ラウルとクリスティーヌともう少し長く居られる……思ってもみない提案だった。
それならばと、エルは父親の言うことに今回は素直に従おうと思うのだった。
◆◆◆
その翌日。
「御覧なさい。あれがノートル・ダム寺院ですよ」
馬車の中で、ラファエルが外に向かって指を指す。
クリスティーヌたちの結婚式を行った聖堂も凄かったが、こちらも我らが貴婦人と呼ばれるだけあって、なかなかのものだった。
寺院に面してセーヌ川が走っている。川に架かるあの橋はポン=ヌフだろうか。
そして寺院が配置されているシテ島には、大きな二つの塔とその横にずらっと窓が並ぶ大きな建物があった。
「あの建物はなに?」
エルがラファエルに聞く。
「あれはコンシェルジュリと言って、牢屋として使われている建物です」
牢屋……エルはボソッと呟いた。
家の近くにはそういったものがなかったので、なかなかの衝撃を彼は感じた。
「悪い子も入れられちゃうって」
冗談交じりに、白い歯を見せながらキースが言う。もちろん、それはわかっているのだが、エルはなぜかゾクッと寒気を感じるのだった。
彼らを乗せた馬車はぐるりとシテ島を回ると、今度は巨大なルーブル宮の前を通った。そして、その道の反対側には、なかなか賑やかな建物がある。
「すごい……ここはお祭りでもやってるの?」
「いいえ。こちらは、ある公爵のお屋敷で、貴族でありながら、民衆のために自身の屋敷を解放しているのです。治安はあまりよろしくないと聞いています。早く行きましょう」
そう言うと、ラファエルはエルがもっと見たいと言い出す前に、御者に早く過ぎるよう命令した。
他にもラファエルはエルのために、有名な寺院や建造物、アカデミックなカルティエ・ラタンなどを紹介してくれた。
田舎に篭っていては、あんなに色んな建物や人々をみることができない。本当に、小さい頃からこんな環境にいるなんて羨ましいよと興奮しながら、エルはパリ観光の感想をラウルに伝えた。
「エルが楽しんでくれたみたいで良かった。でも、僕は賑やかな所よりも、君の今住んでるような静かな所の方がいいけどな」
「そう? 退屈だよ。楽しみと言えば、羊の世話くらいしかないし。あと、魚釣りくらいかな。それに、ラウルは見た事がないからそう思えるんだよ」
「そうかなぁ。僕は兄様みたいに華やかではないし、図書室で本を読む方が好きで家にいる事の方が多いから、きっと楽しめるよ」
ラウルは少し困った風な表情をしつつも、ニコニコとそう言った。
「そういえば、ラウルは学校に行かないの?都会の子は学校に行くものって聞いていたけど……」
「うん、昔通っていたよ。でも、僕には合わなくて、辞めさせてもらったんだ」
「そうか、それは大変だったな! 俺ももし、学校にぶち込まれてたら逃げ出してたかも」
エルはそう言うとあははと笑った。
だが、ラウルが学校を辞めたのは、勉強が嫌いだからだった訳ではない。むしろ好きでクラスの中でも成績はトップだった。
そのため、彼はもっと上のクラスに行くべきだろうと、飛び級する形でクラスを移ったのだがこれが良くなかった。
突然入ってきた気の弱そうな、しかも自分たちよりも年下の少年が、自分たちを押しのけて成績上位になる。元々そのクラスにいたものたちは当然嫉妬した。そして彼をいじめた。
もし、エルのような性格であれば、取っ組み合いの喧嘩をしていただろうが、ラウルは全くの無抵抗で、それが彼らをよりつけあがらせた。
彼らのいじめはとても陰湿で、後で文句を言われないように偶然を装って怪我をさせたり、教科書をどこかに隠したり、無視をしたり、回覧でラウルをバカにした噂話を流すなどしてラウルの心を大変傷つけたのだった。
「今日、学校には行けそうか?」
ラウルは酷く傷ついている顔をしている。
朝、皆が集まっている中、アーロンはラウルに尋ねた。すると彼は
「……もう、学校には行きたくない」
そう弱々しく言って、アーロンたちの前でわんわん泣いた。
しかし、アーロンは眉をピクっと片方だけ動かし
「わかった。では、本日よりもう行かなくてよろしい」
とだけ言って、特段理由は聞かずその日中にラウルを学校から辞めさせた。
理由を聞かれなかった事に、ラウルは寂しさを感じたが安堵の方が優った。
そして、学校に行く代わりに、優秀な家庭教師をつけてもらい、おじたちにも時々勉強を見てもらった。
正直、この方が自分のペースで進められるのでラウルの性にもあっていた。それに、友達が殆どいない事も気にせずに済んだ。
ラウルがふとそんな事を思い出していると、ザラキエルが部屋に入ってきた。
彼は準備を整えると、エルは椅子に座り、ラウルはその隣に立つよう命じた。
「うぅ、俺じっとしてるの苦手なんだよな」
「大丈夫だよ、ちょっとの我慢我慢」
また眉間にシワを寄せているエルに、ラウルは優しく声をかける。
「そうだ。ラウルの言う通り、ちょっと我慢してればすぐ終わる。それにエル、お前、そんな力んだ顔してると変に仕上げるぞ」
そう言いながら、ザラキエルは彼らを素早くキャンバスへスケッチする。
「ふふっ。仕上がりが楽しみだね。どんな風になるのかな。僕らの肖像画」
嬉しそうにしているラウルとは裏腹に、エルは動かないようにしようと、相変わらず眉間にシワを寄せたままなのだった。




