15.いらない子
エルがベンチから立ち上がると、突然、後ろから男の手が伸び、彼の両腕をガシッと捕まえた。
「おい! ここにいたぞ!」
男はエルの聞き覚えのある声で大きく叫び、他の仲間たちを呼んだ。別の方向から男たちが駆け寄ってくる。
エルが恐る恐る、自分の手を掴む男の顔を見上げると……そこには、長身のザラキエルが立っていた。そして、駆け寄ってきた男は、ミカエルとラファエルの二人だった。
「まさか、こんな格好をして潜り込んでいたなんて……どれだけ、我々を困らせたら気がすむのですか!」
ラファエルは頭が痛いとでも言いたげに、額を押さえている。
「私もまさかだとは思ったんだが……」
エルを押さえ込んでいるザラキエルも嘆く様に呟く。
◆◆◆
少し前の事だ。ザラキエルが庭園を探しに来ると、人影が見えた。とっさに身を隠して様子を伺う。
彼が目を凝らすと、人影の一人はラウルだとわかった。そして彼の隣にいるのは……ミシュリーヌ?!
いや、そんな筈はない。もう一度よく見ると、ザラキエルは彼女の目の色が違うことに気づいた。そして、特徴的なホクロの位置。
信じられないが、あれはエルに違いない! 彼はそう確信すると、気づかれないよう彼らの背後に回り込んだ。
◆◆◆
「おいっ! 離せ! 離せ!」
まるで駄々っ子のようにエルは足をバタバタさせた。しかし、体格のいいザラキエルに押さえられては、小さな体をしたエルの必死の抵抗も無駄だった。
「静かにしなさい! エルネスト!」
ぴしゃりとミカエルが言う。だが、エルは叫ぶことをやめない。
呆れ返った表情をして、ミカエルはこの手は使いたくなかったのだが……と白い布をそれぞれ、エルの口と手首に巻いた。
ふー、ふー!
エルは猿ぐつわをされ、声にならない声を上げる。
憐れむような目でラウルがこちらを見ていが、見てはいけませんというように、ラファエルが彼の前に立って視線を遮った。
「いいですか。彼の事は後からお父様が説明されるそうです。さあ、屋敷の中に戻りましょう」
そして、そう言うとラウルの背を押して、彼らは屋敷の中へと戻っていった。
エルは男二人がかりで押さえつけられながら、裏口を使って、大広間から遠く離れた屋敷のとある部屋に連れて行かれた。
部屋に置かれていた椅子に無理やり座らせられると、今度はロープで椅子に縛られた。任務完了とでも言いたげに、おじたちは部屋をでていき、部屋の鍵をガチャリとかけた。
なにもここまでする事ないのに……あまりにも酷いじゃないか。ラウルはこの屋敷に住んで、なんで自分は田舎に押し込まれてるんだ。
愛人の子と言うのであれば、まだ納得はできた。でも、同じ母親から生まれてきたというのに、この扱いの差はなんなんだ。
自分はいらない子なのか……?
傷ついたエルは、怒りよりも悲しい気持ちに支配されて涙をボロボロこぼした。
◆◆◆
翌朝。ガチャリとドアを開ける音が聞こえる。入ってきたのは、心配そうな表情をしたキースだった。
キースは部屋の中の人物をみて驚いた。そこには、ボロボロのカツラ、はだけたドレス、そして化粧はドロドロに落ちた、まるで
乱暴された後の女性のような人物が椅子に括りつけられていたからだ。
だが、顔をよく見るとエルだとわかった。昨日は泣きじゃくったのだろう、目の部分はパンパンに腫れている。
無言のまま、キースはエルを縛っているロープと布を解いた。するとエルは、大きな声でうわーと泣き出した。
エルが泣き止むまで、キースは彼の体を優しく抱きしめた。そして、彼が落ち着くと、酷い顔してると少し笑って見せて、水を含ませた布で彼の顔を拭ってあげた。
それから、カツラやドレス、パニエ、コルセットを取り外して、シャツやズボンに着替えさせた。
「心配かけて、ごめんな」
エルはそうボソっと呟いた。
「本当だよ、今回ばかりは僕も怒ってる。でも、ローズたちだってすごく心配してたんだよ」
そう言うと、エルはまた泣き出しそうな顔をした。
「まあ、でも無事でよかったよ。もう少しで馬車の手配が済むから、これでも飲んでゆっくりしてて」
グラスにいつもの飲み物を注ぐ。そういえば、昨日の夜は何も口にしていなかった。エルは急に空腹を感じ、差し出された飲み物を一気に飲み干した。
コンコンと誰かが部屋のドアをノックする。見た事がない男だ。だが、この家の使用人だろう。
「馬車の準備ができました」
男は手にロープを持っているようだが、キースは首を横に振って、それは必要がないという意味を示した。
そして彼はエルに、さあ帰ろうと言って部屋から連れ出した。
廊下にでると、エルは屋敷の作りをじっくりと見回した。彼の家とは違って、この屋敷は吹き抜けになっていた。
それに面して、各階に移動できるよう、螺旋階段が設置されている。手すりを数えていくと、昨晩、閉じ込められていた部屋の位置はどうやら3階部分に相当しているようだ。
また、廊下の先は大きな壁になっており、屋敷の大きさを考えると、どうやら途中で仕切る形にしているらしい。
吹き抜けを挟んで、反対側の廊下に目線を落としていくと、エルは2階部分が隣につながる連絡通路となっている事に気がついた。
……本当に、このまま帰ってしまってよいのだろうか?
ふと、そんな考えが彼の頭の中をよぎる。
……父もおじたちも様子を見にすら来やしない。それに、こんな事をしたからには、もう、ラウルにもクリスティーヌにも合うことは出来ないんじゃないか。いや、それよりも自分はもっと僻地へ追いやられて……だったら!
彼らが2階部分に降りたった瞬間
「許せ、キース!」
そう言って、エルは連絡通路に向かって走り出した。
◆◆◆
クリスティーヌは誰にも起こされることなく、自然と目を覚ました。ゆっくりと寝返りを打ち、反対側に体を向ける。
そして、その視線の先には、隣でぐっすりと眠るユリエルがいた。遠慮なく、まじまじと彼の顔を見つめる。本当にハンサムだ。
昨晩、クリスティーヌは少女から大人の女性に変わった。確かに、ベッドでのユリエルは普段と変わらず紳士だった。
だが、大好きな人の腕の中にいるはずなのに、事が終わった後はこんなものなのか……と不思議と冷静な気分になっていた。
見つめていた先のユリエルが、ピクピクと眉間にシワを寄せる。すると、徐々に目を開けて、まぶたをパチパチとさせた。
「おはよう。よく眠れた?」
彼は目線をクリスティーヌにやると、優しくそう聞く。
「ええ。ぐっすりと」
それは良かったとユリエルは言うと、クリスティーヌの唇へそっと口づけをした。
昨日はきっと初めてだったから、そんな風に思ってしまったのに違いない。
現に、今彼とこうしているのは幸せだ。これから慣れていけば違うはずだ。そう信じよう。と彼の腕の中で抱かれながら、クリスティーヌはそう思うのだった。
二人は朝食後に身支度を終えると、ユリエルが部屋のドアを開け、クリスティーヌの腰に手をやりエスコートする。
これから、彼らはこの家のサロンへ行くのだ。
彼らがサロンへ到着すると、長テーブルを囲むように着席しているアーロンと三人のおじたち、そしてラウルがいた。
「おはよう」
アーロンが二人に声をかける。
実は、アーロンと三人のおじたちは多忙なため、何か機会がないと、一日中全員に顔を会わせないということにもなりかねなかった。
それ故に、朝食のあとはこの部屋で食後のコーヒーを皆で取ろうと、アーロンは日課として皆に課したのだ。言わばミーティングのようなものだった。
着席した二人にコーヒーが準備される。
ユリエルが事前に言ってくれていたのであろう、何も入っていないコーヒーが苦手なクリスティーヌには、ばあやがカフェ・オ・レを入れてくれた。
皆が談笑し合っている中で、一人、ラウルだけは浮かない顔をしていた。
……お父様たちは何事もなく過ごしているけど、エルは結局どうなってしまったんだろう。
クリスティーヌたちは、エルの件を知っているのだろうか。
それに、僕があの時、乱暴しないでって叫んでいたら、彼はあんな風にされなかったのかな。嫌われたかも……
そう思いながら、ラウルが自己嫌悪に陥っていると、サロンの扉越しに
「そっちの部屋はまずい! 捕まえろ!」
という大声とともにドタバタする足音が聞こえた。




