9.
「ふぁっふ……」
カーテン越しに柔らかな朝の日差しを感じながら、凝り固まった背中の筋肉をゆっくりと解す。
多分ずっと気を張っていたのだろう私は、兄さんの言う通り相当疲れていたらしく、ベッドに入るやいなやすぐに眠りにつくことができた。
手櫛で軽く髪を整えながらスッキリとした頭で昨夜の出来事を振り返ると、実は昨日のことって夢だったのではないか?と思ってしまう。
だって夢オチが一番平和的で納得できる結末だし。
――うん。
どうせ雷帝は今日には帰国するし、夢だったということで処理しとこう!
それがいい、私の精神衛生上にもそれが一番よね! そうしよう!
サクッと脳内で平和的な解決を終えた私はふふふ〜んと鼻歌を歌いながら洗面台へと向かう。
水を浴び、鏡に映った私には何の悩みもなさそうで、今なら誰にも『お人形』なんて言われない自信がある。
まぁこんな顔、この屋敷外でするつもりなんてないんだけどね!なんて今日は良く動く頬を手のひらでくるくるとかき混ぜる。
「姉さん、今日はご機嫌だね」
「ええ、今の私ならなんでもできる気がするわ! ってメイガス、あなた、もう起きて平気なの?」
「うん。今日は気分がいいんだ。それに早起きは三文の徳って本当だったんだね。鼻歌を歌う姉さんが見れた」
ふふふとガーデンの袖がかかった手で口元を押さえながら上品に笑うメイガス。
兄さんならまだしも、メイガスにこんなところを見られていたとは……。姉として恥ずかしいと頬をカリカリと掻いて、メイガスがさっさとこんな姿を忘れてくれることを切に願う。
――けれどメイガスは忘れるどころか、もっと大きな言葉を投下する。
「姉さんとちゃんとお話ししたから、シェトラッド王子も目が覚めたんだね」
「え?」
今しがた夢オチで処理したはずの事案をまさかメイガスに掘り起こされるとは思いもせず、思わず彼の言葉を処理する脳が一時思考を止める。
けれどメイガスは私の様子に気づかずに、嬉しそうに興奮しながら頬を染め上げる。
「姉さん昨日、シェトラッド王子にプロポーズされていたでしょう? やっと姉さんの魅力に気づいてくれる人が現れたことが僕、本当に嬉しくって……」
「メイガス!」
思わずメイガスの頭を胸元に抱き寄せて、サラサラのその髪を指で梳くようにして撫でる。
ああ、メイガスはなんていい子なんだろう。
『いい子』だからあの言葉をそのままの意味に捉えて、喜んでくれるのだ。
私の魅力といえば、ギリッギリまだ若いと言い切れないこともないことと、公爵令嬢という地位くらいなもので、メイガスと比べればほぼ皆無である。
仕方ない。比べる相手が悪い。悔しいとすら感じない――が自分の魅力のなさを時折悲しくは思う。
だが私と比較する相手といえばやはりメイガスしかいないのも事実である。
そんなメイガスが私の隣に居たらそっちに気が移るのは当然で、昨日だってもしもあの場にメイガスが居たら彼はあんなこと口走らなかったはずである。
――と思うと、やっぱり彼の手を取るのはいい判断とはいえない。
メイガスが自分のことのように喜んでくれただけで、お姉ちゃんは幸せだ。
「姉さん?」
「メイガスが、私が誰かにプロポーズされる夢を見てくれるなんて、姉さん嬉しいわ!」
あの夜の出来事が一時の気の迷いだと分かったらきっとメイガスは悲しんでしまうから。
やはり夢ということにしてしまおう。
「夢? え、そんなはずは……」
視線を左右に動かし、必死で昨日の記憶を遡るメイガスには可哀想なことをしていると自覚はある。
それでも私は「夢よ」と繰り返して告げる。
メイガスに信じ込ませるように。
そして自分に思い込ませるように。
夢か現か、その記憶がどちらか分からずにすっかり気を沈めてしまったメイガスの顔を覗き込んで、私はわざとらしく明るい声を上げてみせる。
「私を褒めてくれたメイガスには、姉さん特製のタルトタタンを作ってあげちゃいます!」
「え!? 本当に!!」
タルトタタンはメイガスの好物にして、私の数少ない得意料理の一つでもある。
もちろん愛すべきメイガスのために、お菓子作りが趣味だというメイド長に習った、リンゴのコンポートを作るところから自分で行う、自慢の一品だ。
メイガスの好みに合わせてシナモンは少なめにした甘い甘い、幸せで包み込んでくれるタルトタタン。
「ほんとよ! 姉さんは嘘つかないもの! その代わり、ちゃんと兄さんにも分けてあげるのよ?」
「うん!」
そして先ほどのことはすっかり忘れたように笑ってくれる笑みもまた、私を幸せにしてくれるのだ。