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「胃が、胃が痛い……」

 自分から行くと言いだした兄さんではあるが、馬車では終始そればかりを口にする。

 胃の辺りをさすっているところからして、演技でもなんでもなく、本当にストレスで胃痛がしているのだろうが、はっきり言って鬱陶しい。


 初めからこうなるとわかっていたのだから付いて来なければよかったのだ。

 全く手のかかる兄である。


 さすがに窓から投げ捨ててしまおうかとは思わないものの、椅子に縛り付けて雷帝との話し合いが終わるまで馬車の中で放置しておくことは本気で検討している。

 ちょうど手元に紐があるのも良くない考えを増長させる要因を担っている。


 なぜこんなものが馬車の中に置いてあるのか全くの疑問ではある。

 疑問ではあるのだが……どうせあるなら使っちゃった方が紐のためでもあるのではないだろうか?


 うん、そうよね!

 この紐は私に使って欲しいから我が身を捧げているのよ、きっと!

 そう、そうに違いないわ!


 そうと決まれば、城の門を越え、緩やかなスピードで歩み続ける馬車の中でテキパキと兄さんの身体を固定する。


「ミ、ミッシェル? 何をしているんだ?」

「体調の悪い兄さんが無理をしないようにと思ってね、ほら動かないで。紐が緩むでしょ」

「ひ、紐ってミッシェル?!  動けないんだけど?」

「動けないようにしてるのよ。あ、でも感謝はしなくていいわよ? 今の兄さんがいたら進む話も進まなさそうだし、兄さんが馬車でお留守番しててくれた方が私にとっても喜ばしいことだもの」

「ミッシェル!!」

「じゃあね、兄さん。結果だけ教えてあげる。……それじゃあ、兄さんをよろしく頼むわね」

「行ってらっしゃいませ、ミッシェル様」


 こうなることを予想はしていたのだろう御者は、兄さんの叫びなど気にすることなく私を見送る。

 大方、紐を用意していたのは彼か、そうでなくともフランターレ家の使用人の誰かだろう。

 次期当主の癖に気が弱い兄さんのことを使用人の誰もが心配している。

 過保護すぎやしないかとは思うが……まぁ愛されている証拠である。


 途中、門番から連絡があったのだろう使用人が案内人としてやってきたが丁重にお断りした。

 幼い頃から何度となく足を運んだのだ。

 もう内部の構造はしっかりと頭に叩き込まれている。私は慣れた足取りで陛下がお待ちになっていると教えてもらった応接間へと進む。


 一階北の三番応接室の前で足を止めて、コンコンコンと三度ノックをする。


「ミッシェル=リストランドです」

「入りなさい」

「失礼します」


 入室を許す声にドア越しに返答し、遠慮なくドアを開く。

 そこに居たのは昔と変わらず少しやつれた姿の国王陛下だった。

 第一王子が私との婚約を破棄する時もこんな風に今にも倒れそうな木みたいな顔してたっけ。

 懐かしいな……。

 陛下にとって昔も今もただ事ではないのだろうが、私は少なくとも過去の感傷に浸るくらいの余裕はある。


 当の雷帝は、ここには居ないようだし。


 先に国王陛下と話をつけておかなければ後々面倒である。せっかく兄さんを置いてきたというのに、陛下に無理矢理話を進められては叶わない。

 まぁ、なんだかんだでもう10年も経ったあの婚約破棄事件に責任を感じている人だからそんなことはしないだろうが。


「陛下。本日は弟、メイガスの体調が優れず、代わりに私が参上いたしましたこと、お許しください」

「ああ、ミッシェルがくるのは何となく予想がついていたよ。メイガスはこの前の夜会も随分無理をしていたようだしね」

「そう言っていただけると助かります」

「だがミッシェル、残念だけど君が来たところでメイガスの嫁入りは拒否できない。……その、カサランドラ国はクロスカントラー王国に比べてずっと小さいからさ、あちらの国の機嫌を損ねるわけにはいかないんだ、わかってくれ……」

 国王陛下は唇を噛み締めて、不甲斐ないとばかりに自分を責め立てる。

 だが悪いのは国王陛下ではなく、権力を振りかざしてメイガスを手に入れようとする雷帝の方である。


 一番目の婚約者といい、二番目の婚約者といい、三番目の婚約者といい、雷帝といい、なぜ正面から正々堂々と勝負しようとはしないのか!


 人の心を動かすのにはまず自分の力でどうにかするのが筋ではないだろうか。


 これだから権力を持ったお坊っちゃんは困る。


 はぁとため息を吐いて、脳裏に浮かぶ愚かな婚約者とプラス一名を頭の隅に追いやろうとするが、何分皆個性が強いもので中々退いてはくれない。


「ミッシェル? おーい、ミッシェル」

 それでもこれ以上、陛下を無視するわけにもいかず、無理矢理意識を引き戻す。


「せめて雷帝、シェトラッド様とお話し合いだけでもさせていただければと思うのですが」

「それは……」

「私は姉として、身体の弱いあの子が他国の王子様のお相手を務められるか心配なのです」


 平然と嘘を並べてお願いしますと首を垂れると、陛下は「うーん、でもなー」と悩み始める。

 私が殊勝な態度を取るはずがないと陛下も分かっていることだろう。

 なにせ三回も婚約破棄の場に居合わせてもらっているのだ。

 一度目は相手方の父として、二度目と三度目は紹介人として。


 婚約者の愚かな行為を目にして、公爵家の令嬢とはいえ、幼かった私が取り繕えるわけがなかったのだ。

 後悔はしてないし、陛下だって私を責めることはない。


 その当時も、そして今も。



 陛下は私の人柄をわかっていて、私がこの国よりも弟を優先させようとしているのをわかっていて、それでもちゃんと私たちのことを考えてくれる。


 一国の長として、彼は優しすぎる。

 けれどそんなところを、私は、国民は敬愛している。


 そして他国からは舐められてもいる。


 まぁこの国は領土も小さければ、これといって特産品も特徴もないし、潰そうと思えばいつでも潰せたりする。


 カサランドラ国は後ろ盾になってくれるような国もないが、率先してこれといった特徴のないこの国の領土を欲する国もいない。

 腰が低く、優しい陛下が他国の反感を買うなんてことももちろんない。

 もしも私の元婚約者が予定通り、王位を継いでいたら近い未来、他国の反感を買って侵略を受ける……なんてことがあったかもしれないが、今のところ他国に侵略を受けかけたことすらない。


 だが、カサランドラ国にとって今回の、メイガスを嫁に出す、出さない問題は非常に重要な分岐点となりうる。それこそ雷帝の性格によっては国の存亡を揺るがしかねない。


 だから国の長としては渡すのが懸命な判断だが、私に貸しというか負い目がある身としては何とかしてあげたいという気持ちがある――といった感じだろう。


 我ながら話をややこしくしようとしているものだ。

 せめて雷帝が惚れた相手が私であったらどんなに楽なことか……。

 まぁ、権力をかさに結婚を迫る男なんて嫌だし、相手から見てもメイガスがいる状況下で私を選ぶなんて目が腐っているとしか考えられないが。



「……わかった。一応お伺いは立ててみる。けど、もしシェトラッド王子が応じてくれたとしても話だけだからね。メイガスを嫁に連れてかないでくれとか言っちゃダメだからね」

「それは……」

「……とか言ってもミッシェルには無駄だと思うからせめて僕が帰ってくるまでに社交モードに切り替えておいて」

「それはもちろん!」


 さすがに社交モードもとい臨戦モードに入らなければ雷帝の相手なんてやってられない。

 力強く頷くと陛下は疲れたように「頼むよ」と笑ってから部屋を後にした。



 いよいよ雷帝との対面かと思うと、身体がムズムズとし、急にソファの座り心地が悪いような気がしてきてならない。

 いや、そもそも雷帝が来てくれるかはわからないんだけどさ。

 割合で言えば半々か、来てくれない方が高めくらいだろう。

 だって来たのはメイガスじゃなくて、姉の私だし。


 そもそも雷帝側にこの話に応じる利点などない。

 せめて私がメイガスのように美しければ話くらいは聞いてもらえたのかもしれないが、そもそも私が美しければ過去の婚約者達がメイガスに強く惹かれることもなかったはずだし、今この場に座ることすらなかっただろう。



 せめて、なんて所詮はないものねだりである。



 陛下が去ってから刻一刻と時間が経つに連れ、緊張していることすら馬鹿らしくなっていく。


 そして比例するようにメイガスへの申し訳なさが募っていく。


 応援しててなんて言ったくせに何も出来ないなんて、メイガスになんと詫びればいいのだろうか。

 きっと彼は気にしないでと笑って励ましてくれるだろう。

 いつもメイガスは自分のことは我慢して、不甲斐ない私を慰めてくれるから。


「はぁ……」

 吐いたため息は空気に混ざり、そして――。


「失礼する。君がメイガス=フランターレの姉か?」

 かの雷帝を召喚した。


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