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16.

「今日はお会いできて光栄です」

「こちらこそこうして親交を深める機会をいただけて光栄ですわ」

 フランターレ屋敷まで迎えに来た雷帝にいつものように社交用の笑顔を張り付けて一礼する。

 もちろん返すのは定型文である。

 こちらは率先してこの場に立っているのではないと、相手に、そしてなにより自分に言い聞かせるように。


「あまり緊張しないでほしい」

 だというのに人の良さそうな笑みを浮かべた雷帝は私の手を引き、馬車へと乗り込む。

 なんだか調子が狂ってしまったが、ともかく今のところは何か仕掛けてくるような雰囲気はないなと安心して、柔らかなソファに腰を下ろす。

 

「今日はミッシェルに我が国の魅力を伝えられればいいと思っている。そしてそれをキッカケにカサランドラ国との親交を深められればと」

 

 臨戦態勢を取っているというのが伝わったのか、そうでないのか、私と向き合うようにして座った彼は今日の趣旨を説明する。

 

 それも表面上のものだろうと言い切ってしまえば、それで終わりではあるのだが、そう言われてしまえばあからさまに警戒するのも気がひける。

 


 行き場所のないため息を胸に潜めて、窓の外を眺める。

 大国の王族だけあっていい車輪を使っているのだろうその馬車は、当家の馬車よりもうんと揺れが少ない。以前一度だけ馬の背中に乗せてもらったことがあるが、その時見た景色とよく似ている。

 

 もう少しで、カサランドラ国自慢の緑豊かな景色から、クロスカントラー王国の住居の特徴であるれんが造りの温かな街並みへと風景も変わってくることだろう。

 

 思えばこうしてゆったりと外の景色を眺めるのはいつぶりだろうか。

 


 最近はずっと社交、社交、社交とそればかりだった。そうでなくとも外を見る余裕なんてなかったように思う。もちろん今だってそんな余裕かましている場合ではない。

 だが目の前の相手が止めようとはしないどころか、彼までも外を眺めるものだから、不思議とこの緩やかな心地の良い時は馬車の中に流れているように思えた。

 

 

「ネックレス……付けてくれているんだな」

 

 景色に緑色が減った頃、雷帝は呟くような小さな声で口にした。

 もう少しで聞き逃しそうになったその言葉に続きがあるならば、それを聞き逃すまいと窓から視線を移す。

 すると先にいたのは心底安心したかのように目を横に細く伸ばした男の姿だった。

 

「ええ、あなたから送られたものですから」

 ふいに口から出た言葉に私は少しだけ後悔した。

 もちろんこれは送り主と会うのだから身につけてくるのは礼儀だろうという意味である。

 けれどきっと「そ、そうか」とだけ返して視線を逸らした雷帝はそうは取らなかったのだろう。

 

 恋人でもなんでもないというのに。

 

 恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに頬を掻く目の前の男の様子に私まで恥ずかしくなる。

 けれどもその一方で、本当にこの男は雷帝なのだろうかと冷静な頭を傾げる自分もいるのも事実だ。

 

 少なくともメイガスを求めた雷帝は、出会い頭に喧嘩をふっかけて来た男からはこんな姿を想像できないのだ。

 けれど手紙を交わしていた彼からは容易に想像ができる。

 

 手紙は、特に最近のものはただ単純に何かしらの理由があって私の機嫌をとるための物である、と考えていた。

 それが自然であり、手紙なら彼が書かなくてもいいのだ。代筆でもなんでも方法はいくらでもある。

 あの送り物はまぁ…………嬉しかったけど。

 

 けれどわざわざ顔を合わせてまで演じて見せる必要がどこにあるというのか?

 

 そう思ってしまえば私の心は一気に冷え切って行く。

 それでも口はよく回るのだから可笑しくてついつい笑えてしまう。

 おそらく私の脳内はこれをキッカケとして社交モードへとキッチリと切り替えられたのだろう。

 今度こそ間違えてオフにしてしまわないように重しを置いて。

 

 

 馬車に乗ったままの状態で様々な観光地、特にカサランドラ国なんて足元にも及ばないほどの技術力を見せつけられるような建築物を中心に案内される。

 そもそも一般市民の家までもレンガ造りの家が普及している時点でその差は歴然なのだ。

 もちろん我が国が木材を多く使用しているのはカサランドラ国が自然豊かな土地を広大に有しており、木材が他の資源と比べて圧倒的に多く安く入手することができる上に使い勝手もいいという理由があってのことである。


 だがクロスカントラー王国に流通しているほど高品質なレンガを量産し、常に流通ルートに乗せることができるかと問われれば不可能である。


 説明されればされるほどに、両国には越えられないほどの格差が存在することを突き付けられる。

 私は与えられた情報を頭へと詰めて行くうちに、それこそが雷帝の目的だったのではないかと納得してしまった。


 

 結局あの教会には――立ち寄ることはなかった。


「本日はありがとうございました」

 メイガスへの手土産もないままカサランドラ国へと戻った私がどんな顔をしていたのか、暗闇に溶けてしまって私自身もわからないままだ。

 そして雷帝の表情もまた窺うことはできないまま、彼の乗る馬車を見送るのだった。

 


「ただいま、メイガス」

「おかえりなさい、姉さん。……顔が暗いけど、何かあったの?」

「……ごめんなさい、メイガス。お土産買ってきてあげられなかったのよ」


 嘘ではない。嘘、では。

 だが別に雷帝と何かがあったというわけではないのだ。

 心配してくれているメイガスに応えてあげられることはそれしかないのは少しだけ申し訳なさが芽生える。


「ああ、良かった。そんなこと気にしないで。……もちろん楽しみにしてなかったって言ったら嘘になるけど、それでも姉さんが王子とのデートを楽しんできてくれたら僕はそれで……」

「デートじゃなくて外交よ、外交」

 

 嬉しそうに頬を染めるメイガスの間違った情報を正す。

 そして同時にそうでしょう? 今日は外交だったのよ、と自分に言い聞かせる。


 聞き分けのいい私とは違い、メイガスはふふふと上品に笑うばかりで間違いを正すつもりはなさそうだ。

 

 その後もメイガスには何度と本当にデートなんてものではないのだと伝えたのだが……ちゃんと伝わることはなかった。


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