059話 狗神兄妹と陸上部Ⅱ
「なんだ? 騒がしいな。また俺様のファンが練習の見学にでも来たのか?」
色の抜けた金髪の頭、その前髪部分に紫色のメッシュが入っている少年。
青いジャージ姿の男、狗神海斗。
「カイトさん……」
「兄さん……」
「カイト……」
いきなり現れた男に、俺たち三人は言葉を失う。
「おお! トオルではないか! 陸上部の見学に来たのだな。よく見ていくがいい!」
「なぁ、カイト」
「ん? なんだ?」
「素朴な疑問なんだが……どうしてお前は上半身裸なんだ?」
「ふっ、よくぞ訊いてくれた。俺様は先程ひとっ走り終えてな。汗を大量にかいてしまったのだ。だというのに、そこの愚妹マネージャーがタオルの一つもよこさんから、俺様は脱ぐしかなかったというわけだ。別に、俺様の肉体美を衆目に見せつけようというわけではないのだぞ」
確かに、言うだけあって、カイトの上半身は細部まで鍛え上げられていた。
しかし、驚くべきところはそこではなく、下半身だ。
ジャージで太股部分は隠されているが、俺の長ズボンのジャージと違い、短パンのジャージを穿いているカイトのふくらはぎは異常に発達していた。
「もう、兄さん! 人前で脱ぐのはやめてくださいっていつも言っているじゃないですか! タオルなら今渡しますから、上を着てください!」
カイトの妹の真央が周りの目を気にしながら、カイトを諫める。
「ふっ、愚妹よ。もう遅いわ。俺様の肉体美は、すでに多くの女子生徒を虜にしてしまった。もはや手遅れなのだよ。ふはははは!」
「おい、カイト。他の部員はお前に惹かれているっていうより、むしろ引いてる感じがするぞ」
「……なん……だと……?」
「私は好きですけどね、カイトさんの筋肉」
「ふははは、そうだろう」
俺の忠告にカイトは目を細め、朱里の言葉に気を良くする。
「でも、肉体美と言えば、カイトさんより透さんのほうが上ですね」
「……なん……だと……?」
「お前、その表現好きなのか?」
「というか、なんでクマちゃんが九条先輩の肉体美を知っているんですか? はっ、まさか! お二人はそういう関係……一体なんのお仕事をしているのですか?」
真央が変な想像をしている中、カイトが俺に絡んできた。
「おい、透。今すぐ服を脱げ」
「……は? なんだよ、唐突に」
「いいから脱げ! 俺様と肉体美で勝負だ!」
カイトが俺のジャージを引っ張って脱がそうとしてくる。
「ちょ、待て、ふざけるな! なんでこんな公衆の面前で脱がないといけないんだ」
「男の子同士の……九条先輩と兄さんの濃厚な絡み……これは想像が広がります……」
「真央ちゃん、腐った妄想をしていないで助けてくれ! キミの兄貴だろうが!」
「ふふふ、腐腐腐腐、いいですよ。わたし好みの女顔の無気力系な九条先輩とチンピラ風の自信過剰な兄さんの絡み……。――あ! 次のコミケはこれでいきましょう」
俺とカイトが上着を巡って争っている中、真央がぽんっと手を叩いた。
「クソッ! 真央ちゃん、キミそっち系だったのか!? チッ、狗神兄妹、ナルシストな兄と腐女子な妹。二人揃うと普段の何倍も厄介なやつらだ……!」
俺がカイトに抗いながら舌打ちをすると、朱里が何気なくこう言った。
「あの……カイトさんと透さん、肉体美で勝負ということなら、せっかくですし陸上競技で勝負をしたらどうでしょうか?」
「朱里! お前は今、凄くいいことを言った。カイト、こんなバカなまねはやめて、お前が得意な短距離走で勝負しよう。そうすれば、どちらの肉体が優れているかわかるだろう?」
俺はカイトから上着を脱がされないように必死に抵抗しながら、朱里が出した妥協案に乗っかる。
「ふっ、いいだろう。しかし、トオルよ! 果たして貴様がこの俺様に勝てるかな? スポーツ特待生として陸上部に所属しているこの俺様に! 個人で全国大会まで行った、この俺様に!」
カイトは高笑いしながら俺を見下してくる。
「ふん、その鼻っ柱……すぐにへし折ってやるよ」
「クックック、大きな口をきいたことを後悔させてやるわ。俺様が勝ったらお前には一つ言うことを聞いてもらうぞ」
「いいだろう。俺にできることならなんでもしてやるよ」
そう俺が啖呵を切ると、
「ん? 今何でもするっていいましたよね? 兄さん、絶対に勝ってください。そして九条先輩にはその後で、ぐふふふふふ……」
俺とカイトの間にシュッと真央が現れ、下卑た笑みを浮かべながら口を挟んでくる。
「真央ちゃん、キミには言っていないんだが……」
俺の困惑をよそに、カイトは話を進める。
「それで種目はどうする? 短距離走と言っても、百メートル走と二百メートル走と四百メートル走があるぞ」
「……四百メートル走で勝負だ」
「生憎、それは俺様が一番得意な種目だが……構わないのか?」
「ああ、いいぜ。俺に負けて自信をなくすんじゃねぇぞ、カイト」
俺とカイトは互いに火花を散らせながら、陸上トラックへと向かう。
他の陸上部員たちが、俺たちの勝負を聞きつけ、野次馬が集まる。
「トオル、なぜ四百メートル走を選んだ?」
「なぁに、百メートル走だと一瞬で勝負がついてつまらないからだよ」
「そうか。しかし、百メートル走は陸上競技の中で最も人気が高く、花形競技だ。特に男子のトップは『人類最速の男』の称号が与えられるという、速さの頂点だ」
カイトは「頂点という言葉はいい」と高笑いしながら続ける。
「だがな、四百メートル走は陸上のトラックをちょうど一周する。その勝負には瞬発力だけでなく、最後までスピードを落とさずに走りきる持久力も必要となってくるのだ」
「そういや、聞いた話だが、四百メートルという距離は医学的に、人間がスプリントで走りきれる限界の距離とされているらしいな。だから、そのレースは非常に過酷なものとなってくる」
「その通り。よく知っているな。さすがは成績特待生。よって、俺様は短距離走の中で、四百メートル走こそが頂点を競う者の勝負に相応しいと思っている」
「なるほど、だからそれで決着をつけるってわけだ。お前……本気なんだな」
「ふっ、なぁなぁで始まった勝負だが、俺様は負けるつもりはないぞ。貴様も手は抜くなよ。勝負はお前に合わせて、陸上用のスパイクではなく、普通の運動靴で行う」
「別に、ハンデでカイトはスパイクを履いていてもいいぞ」
「素人が、生意気を言うでないわ」
屈伸運動をする俺の横で、カイトが真央の持ってきた運動靴に履き替える。
そして、二人は陸上のトラックに立った。




