058話 狗神兄妹と陸上部
調理室を出た俺は、今度はその足で月詠学園の運動場へと向かう。
校門を抜けて、校舎の裏側にある広大な敷地を誇るグラウンドへ。
そこでは様々な運動部が限りあるスペースを上手にやり繰りしながら、各自青春の汗を流していた。その中にソフトボールの練習をしているトモの後ろ姿も見つけたが、特に声はかけない。……面倒だからな。
そんな運動部の生徒たちを尻目に、俺はある場所へと迷いなく進む。
「ここが陸上部の練習スペースか」
事前に場所は確認してある。
俺がたどり着いたのは、カイトと朱里が所属しているという陸上部の練習場所。
俗に言う、陸上競技とは、走ったり、跳んだり、投げたり、要はほとんど道具を使わず、己の体力を武器に、地上での記録を競うスポーツだ。
学生の大会でメジャーなものとしては、短距離走、中距離走、長距離走、ハードル走、リレー、走高跳、走幅跳、棒高跳、三段跳、砲丸投、円盤投、ハンマー投、槍投、がある。
俺は眼帯をしていないほうの右目の端に映った、ジャージを着た少女に声をかける。
「あの、陸上部の見学をしたいのですが……」
ストップウォッチを片手に部員たちを眺めていた少女がゆっくりとこちらを向いた。
「……………………」
くりくりとした大きな目が、俺の姿を凝視する。
背は154センチくらいか。少女は、地毛ではない染めたであろう金髪をツインテールにしており、その前髪部分に、黒いゴスロリ調のフリルがついたヘアバンドをしていた。
ちなみに、胸は発展途上のようで小さめだ。
どうやら平たい胸族のようである。
そして、その両手には薄い黒のレースの手袋が嵌められていた。
少女は黙ったまま、俺の体を下から上まで舐めるように見てくる。
そして、その視線は俺の左目――黒い眼帯に注がれた。
「えっと……あの、陸上部の見学をしたいのですが……」
「あなた、結構カッコイイですね。少女のような顔でありながら、死んだ魚のように濁った汚い目。もろにわたしの好みです。どこか背徳的な香りがしますね」
「……皮肉か? そんな褒められかたをしたのは、生まれて初めてだ」
「いいえ、本気です。それで、あなたは兄さんの同類ですか?」
「……は? 兄さん?」
少女の質問の意味がわからずに、俺は首をかしげる。
「だから、その趣味の悪い、黒い眼帯。カイト兄さんの仲間でしょう? 中二病仲間」
この少女……今、カイト兄さんと言ったか?
「わたしは陸上部のマネージャー。一年生の狗神真央です。成績特待生にして生徒会書記を務めています。そして、二年生の狗神海斗はわたしの兄です」
「なるほど、君がカイトの妹だったのか」
「……ということは、やはりあなたは兄さんの知り合いということですね?」
「そうだ。俺は今日転校してきた二年生、九条透だ。君と同じ成績特待生にして、君の兄、狗神カイトのクラスメイトだ。カイトとは今日知り合ってね」
「なら、あなたは先輩ですね。これからは九条先輩って呼んでもいいですか?」
「ん? 別に構わないよ」
「わたしのことは……狗神では兄さんと被るので、真央と呼んでください」
「わかったよ、真央……ちゃん」
「ちゃん付けとか……なんか照れます……」
そう言って、少女――真央はもじもじしながら頬を赤らめる。
その仕草はとても可愛らしかったが、どこかあざとかった。
「なるほど、この時期に部活動見学なんて珍しいと思ったら、九条先輩は転入生だったのですね。かしこまり。今日はわたしが九条先輩の面倒を見ますよー」
「ありがとう。助かるよ。それとな、真央ちゃん。俺の左目の眼帯は、カイトと違って趣味でつけているわけじゃないんだ」
「……ん? あ!? す、すみません! あの……事故とかで目を怪我されたのですか?」
「ま、そんなところ。悪いけど、あまり触れないでくれ」
「わかりました。確かに、今日が転校初日ってことは、どうしようもないわたしの兄さんに触発されたわけじゃないですもんね。兄さんなんて、『陸上競技の女子ユニホームってなんかエロくね? っていうか、陸上部に入部したら、それを毎日間近で舐め回すように見れるってことじゃん』という理由で陸上競技を始めたどうしようもないクズですからね」
「それは確かにクズだな」
「そして、入部してから気づくわけですよ。あのきわどいユニホームは大会でしか着ないということに。しかし、兄さんはそこで懲りない。今度は程よく筋肉のついた脚フェチに目覚めました。……身内として恥ずかしい変態……クズです」
そう言うと、真央は一度落ち着こうと「ふう」とため息をついた。
「で、先輩。今日は陸上部のどこを見学するのですか? ひとえに陸上競技と言ってもいろいろとありますが……」
「今日聞いたんだが、カイトは確か、短距離走の選手だったな?」
「はい。兄さんは、百メートル競走、二百メートル競走、四百メートル競走、の計三種目に出場しています」
「じゃあ、朱里……熊谷朱里の種目はなんだ?」
「……え? 先輩、クマちゃんの知り合いなんですか?」
「クマちゃん? 誰だ、それは?」
「だから、クマちゃんですって。朱里のあだ名ですよ。ちなみにわたしがつけました」
えっへんと、真央はない胸を張る。
やはり、平たい胸族のようだ。
「お前、ネーミングセンスないな」
「ええっ!? クマちゃんって可愛くないですか?」
「確かに、あいつはクマみたいに凶暴だから、合っているといえば合っている」
そう言う俺に対し、真央はわざとらしく頬を膨らませて怒る。
「もう! クマちゃんはわたしの友人なんですから、彼女のことを悪く言わないでくださいよ。クマちゃんは跳躍と投擲の選手なんですよ。凄いでしょう? ……あ、クマちゃーん! こっち、こっち!」
「おい、バカ! 呼ぶな!」
咄嗟に真央の口を塞ごうとした俺の手を、真央は華麗に避けてみせる。
思ったよりもいい反応を見せられて、少し驚いた。
俺の制止を振り切り、真央が遠くで砲丸投をしていた朱里を呼び寄せる。
「なんですか、真央。私は今、練習中なんですから……」
小走りでこちらに来た朱里が、俺の姿を目で捉えると顔付きを変えた。
「げっ……透さん、なんでここに……」
「うるさい。俺だって好きで来たわけじゃない」
赤い短髪の少女。俺が所属する『ウロボロス』の戦闘員幹部――つまりは俺の上司にして、この月詠学園では一つ年下の後輩。『身体操作』の超能力者である。
「転校初日……部活動の見学ですか? 何も私がいる陸上部に来なくてもいいのに……。もしかして、透さんって私のこと好きなんですか? 申し訳ないですけどお断りです」
「告白してもないのに振られた!? つーか、お前のことなんて俺も大嫌いだわ!」
「別に、私は透さんのことを大嫌いとまでは言っていませんが?」
「あの……お二人はどういう関係なんですか?」
真央が俺と朱里の間に入ってきて尋ねる。
「こいつは俺のバイト先の後輩だ」
「透さんは私の仕事場の後輩です」
「あの……九条先輩とクマちゃんが言っていることは矛盾しているのですが……」
真央は困惑顔を浮かべ、怒気を放つ俺たち二人を前におろおろしている。
「なぁ、朱里。お前のほうが俺より年下だったよな?」
「いえ、透さん。確かに私のほうが若くて肌もみずみずしいですが、職場ではあなたのほうが後輩のはずでは?」
俺と朱里は間に真央を挟んで睨み合う。
「知っていたか、朱里? 学校ではな、年上の生徒のことを先輩って呼ぶんだ。そこにいる礼儀正しい真央ちゃんのようにな」
「はぁ? 透さんは社会常識がないんですか? 職場では歳は関係なく、後から入ってきた人を後輩って呼ぶんですよ。そして立場が上の者には敬語を使う。当然ですよね? あと、真央のことを真央ちゃんって呼ぶのやめてもらえます? 正直、気持ち悪いです」
「……ぐっ、このクソガキが!」
「眼帯チビ……!」
俺と朱里は両手を組んでギリギリと押し合う。
俺も朱里も見た目に似合わず怪力なので、靴がグラウンドにめり込み地面が隆起する。
「まぁまぁ、九条先輩もクマちゃんも落ち着いてくださいよ」
真央がなんとか俺と朱里の仲裁に入ろうとしたとき――




