056話 九条透と佐竹秀作
小指、薬指、中指の付け根と手のひらにできた大きなマメ。佐竹の左手は変なところにマメができておらず、上述の部分のみにマメが集中している。
こいつは、なかなかいい剣術家だな。
「俺は九条透です。短い時間になると思いますが、今日はよろしくお願いします」
俺の左目を覆う黒い眼帯を薄目でちらりと見ながら、佐竹は口を開いた。
「君はスポーツ特待生かい?」
「いえ、俺は成績特待生です」
「じゃあ、剣道の経験はまったくないのかな?」
「……いえ、少し」
「そうか。じゃあ今日は好きなだけ僕たちの練習風景を見ていくといい」
「あまり長居はできませんが、そうさせてもらいます」
「じゃあみんな、練習を始めるよ。各自竹刀を持って所定の位置について」
佐竹の合図を受けて、男子も女子も剣道部員たちは竹刀を手に、格技場に広がる。
「あら、ちょうど今から始めるところ?」
そのとき、格技場の入り口から黒い袴姿の綴伊澄が現れた。
「……チッ、嫌なやつと出くわしてしまった」
舌打ちする俺に、ぐいっと綴が顔を近づけてくる。
「おや、おやおや、九条じゃないか。どうしたこんなところで?」
「見学だよ。部活動見学。悪いか?」
「いいや、おおいに結構だ。是非とも、私の美しい立ち振る舞いを見ていくがいい」
「……綴主将。そろそろ練習を始めたいのだが、いいかい?」
「ああ、これは佐竹主将。いいところで止めてすみません。どうぞ始めてください」
そう言うと、綴は防具をつけずに女子部員の中に紛れた。
「では、今から素振りを始める。掛け声に合わせて一本一本真剣にやってくれ」
「「「はい!」」」
佐竹の指示に、男女問わず他の部員たちが声を上げた。
綴を目にして棒立ちになっているムサシの横を通り抜け、俺は佐竹の隣に並び立つ。
「佐竹さんは素振りしないんですか?」
「うん。僕は今、手首を少し痛めていてね」
苦笑いを浮かべた佐竹の右手首は、よく見ると茶色いテーピングで固定されていた。
「九条君、綴主将とは知り合いかい?」
「はい。綴が剣道部に所属していることは知っていたのですが、まさかあいつが女子剣道部の主将を務めているとは思いませんでしたよ」
「まぁ、彼女は二年生にして生徒会副会長も務めていて忙しい身だから、なかなか部活には来られないんだけどね。今日も来るとは思っていなかったよ」
「へぇ、あいつ副会長だったのか」
「なんだ、知らなかったのかい?」
「ええ、あいつが生徒会役員だということは知っていたのですが、副会長だということは知りませんでした」
「彼女は次期生徒会長として有望視されている。立派な後輩を持てて僕は幸せだよ」
そう言って、佐竹は細目のままにこりと微笑んだ。
「ところで九条君、君は剣道の理念を知っているかい?」
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である、ですよね?」
「そうだよ。そして剣道修錬の心構えは、剣道を正しく真剣に学び、心身を錬磨して旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて礼節を尊び、信義を重んじ誠を尽して常に自己の修養に努め、以って国家社会を愛して広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである、と財団法人全日本剣道連盟が昭和五十年に制定している。このことがどういう意味かわかるかい?」
「剣道は礼に始まり礼に終わると言われるくらい、礼に関して厳しく指導を受けます。何事も礼儀が大切であり、勝者が敗者に対して、侮辱的な態度を取ってはならない。しかしそれは、空手、柔道、弓道、いや、おそらくどの武術においても同じことでしょう」
俺は素振りをする剣道部を見ながら続ける。
「武道に携わる者は、道場への入室時には必ず礼をします。練習や試合の前後にも必ず礼をする。道場を後にするときも、もちろん礼をして終わります。現代における武道とは、礼儀を重んじる厳格なスポーツであり、相手への敬意を表すために心を込めて礼をするのがマナーです」
今度は剣道部員の奥、畳でできた床にいる、大雲翔太という存在にどこか畏縮した、空手部員のおどおどした様子を眺めながら続ける。
「俺は現代における武道が、ただの暴力にはならず、一種の競技としてその地位を確立している理由として、相手を思いやる心、またその相手に対して自分を鍛えてください、と思う謙虚な気持ちがあるからこそ、互いに全力でぶつかり合える場になっていると考えています」
「なるほど、いまどき礼儀のなったいい後輩だ。しかし、君は僕に一つ嘘をついているね」
「……嘘?」
「本当は君、かなりの武道経験者だろう?」
「……知っていることを知らないと言い、自らを愚かに見せる行為はあまり好きではないので、この場は素直に話しましたが……少し喋り過ぎましたか?」
「いや、話の内容は別に関係ないんだ」
佐竹は左手を俺の前に差し出し、ひらひらと軽く振る。
「本当は初めて君の姿を見たときになんとなくわかっていた。そして君と握手を交わしたときの手の皮質で確信した。左目に眼帯をしているのには少し驚いたけどね。やっぱり長年武術をやっているとわかるよ。筋肉の付き方や、歩法、その人が放つ雰囲気でね」
「なんだ、猫を被って損しましたよ。無駄だったんですね。最初から気付いていたならそう言ってくださいよ。人が悪いな」
「気付かれないと思っていたってことは、君は僕のことをかなり下に見ていたんだね」
「それは……想像にお任せします」
右目をそらす俺を、佐竹が糸目で朗らかに笑う。
「それで、今日は剣道部にどのような要件で来たのかな?」
「さっきも言ったでしょう。ただの部活動見学ですよ」
「ふふ、僕としては、このまま君に剣道部に入ってもらっても構わないのだけどね」
「隻眼じゃ剣道は無理ですよ。まぁ、面白いものも見れましたし、俺はこの辺で退散することにします。このままここにいると、綴のやつに絡まれますしね」
「そうかい、残念だ。またいつでも道場に来ていいよ」
「ありがとうございます」
そう言って、俺はムサシや綴に気付かれないよう、静かに第二格技場を後にした。




