055話 ムサシと剣道部
五限目と六限目の授業が終わり、放課後になった。
俺たちは席を立ち、鞄を持って教室を後にする。
カイトとカズハとは途中で別れ、俺はムサシとともに学内にある道場へと向かう。
俺は道場の前で、ムサシが剣道部の部室で道着に着替え終わるのを待っていた。
「トオル殿、待たせたでござる」
「なんだ、ムサシその格好、案外似合っているじゃないか」
「そ、そうでごさるか。照れるでござるなぁ」
長髪を掻きながら、メガネのブリッジを押し上げたムサシは、上に紺色の剣道着を、下には黒い剣道用の袴を穿いていた。
一方、俺は月詠学園の青い長袖長ズボンの体操着に着替えている。
少し暑いので、上のジャージ生地の長袖を捲くっておくか。
「おお! その腕を捲くる仕草。なかなか様になっているでござる。それにしても、トオル殿は綺麗な顔に似合わず、太い腕をしているでござるなぁ。そういえば、勉学のほうは得意なようでござるが、運動のほうはどうでござるか?」
「悪くはない。どちらかと言えば得意なほうだが……。なにぶんこの体格だからな」
俺は右手を胸にやって、ムサシに全身を見せる。
「生憎、背の高い筋肉ダルマには負けるよ。俺がいくら鍛えても、デカいやつの筋肉量とリーチの差は埋められないものだ。悲しいことにな」
一度、つまらなさそうに右目を伏せて続ける。
「その点、ムサシはまだまだ伸びしろがあるぞ。お前は、自分のことを弱いと言っていたが、運動においてほとんどの場合、身長は高ければ高いほど優位になる。もちろん剣道でも、背の高さと手足の長さは利点の一つだ。諦めず鍛錬を積み、筋力を上げ技術を身に付ければ、日本人の平均身長より背の高いお前は、背の低い俺よりも、その手に勝利を呼び込める可能性は上だろう」
まぁ、本気で俺に勝つつもりなら、並の鍛錬では足りないがな。
それこそ、文字通り血の滲む努力が必要となってくる。
そこまでの気骨と動機は、今のムサシにはないだろう。
「ならば、拙者はもっと頑張らなくてはならないでござるな。でも、拙者は誰かに尻を叩いてもらわないと……いや、美少女にスパンキングされないと、やる気が出ないタイプでござるからなぁ」
「ちょっと待て、なぜそこを言い直した?」
「ははははは」
快活に笑いながら、ムサシは道場のほうへと歩き出す。
俺の質問は完全にスルーか。
……こいつ、確実にマゾだな。そして変態だ。
「ところでトオル殿、その左手首についている黒い腕輪はなんでござるか?」
「……ん? ああ、これはアクセサリーだよ。この学校はそういうとこ緩いだろ。だからちょっとしたオシャレ。俺はこれを腕につけていないと落ち着かなくてね」
「へぇ、そうだったんでござるか。オシャレ……なるほど」
俺はムサシの質問を適当に誤魔化しておいた。
今から俺たちが向かうのは、第二格技場だ。
月詠学園には格技場が二つあり、第一格技場では柔道部が、第二格技場では剣道部と空手部が、男女ともに日々青春の汗を流しているらしい。
俺たちは靴と靴下を脱いで、一礼してから第二格技場に入る。
すでに一年生と思われる生徒たちが、忙しそうに準備をしていた。
先輩たちが来る前に、いろいろと終わらせておくことがあるのだろう。
「あ、こんにちは! 剣崎先輩」
「こんにちは! 剣崎さん」
「うむ、お疲れ様でござる」
ムサシの存在に気付いた一年生たちが、元気よく声をかけてきた。
それにムサシも柔らかな笑みを返す。
「ふん、存外好かれているじゃないか」
「まぁ、挨拶ぐらいはしてもらえるでござるよ」
「それもお前の人徳だ。あいつらが嫌々挨拶しているようには見えなかったぞ」
俺の言葉に、ムサシは再び照れるように黒縁メガネのブリッジを上げた。
そんなムサシから視線をずらして、俺は第二格技場を一望する。
第二格技場は真ん中のところで、木材でできた床と畳でできた床に分かれていた。
木材でできた床の部分は剣道部が、畳でできた床の部分は空手部が使うのだろう。
「なぁ、ムサシ。なんで第二格技場は剣道部と空手部で二分しているのに、第一格技場は柔道部が独占しているんだ?」
「それは柔道部のほうが強いからでござるよ」
「と言うと?」
「第一格技場の床はすべて畳でできており、剣道をするには向かないのでござるよ。それで、第一格技場の利用は前年、空手部と柔道部でいい成績を残したほうが使うことになっているのでござる」
「なるほどな。つまり柔道部のほうが、去年はいい成績を残したということか」
「去年だけでなく、小生が一年生だったころもその前の年も、柔道部のほうが上でござるよ。どうやら柔道部のほうが、スポーツ特待生として入学してくる生徒を多く取り込めているでござるな」
ムサシが格技場の奥に置いてある、剣道の打撃を受け止める『胴』(胸から腹と脇腹の保護具)と、上部の垂帯と三枚の大垂、二枚の小垂から成る『垂』(腰と局部の保護具)を持ってきて、自分の体に付け始める。
「しかし、去年の空手部は、拙者より一つ上の先輩、つまり今は三年生の生徒が個人戦で全国大会に出場したのでござる。成績は一回戦敗退でござったが、全国大会出場者が現れたのは、月詠学園空手部史上、五年ぶりの快挙でござるよ」
「じゃあなんで、今現在空手部はこの第二格技場にいるんだよ」
俺は木材でできた床の向こう側、畳の上にいる白い道着を着た空手部員を見ながら、ムサシに問いかける。
「それは簡単な話でござる。去年、柔道部も全国大会に出場したのでござるよ。それも個人戦だけでなく、団体戦で」
「それじゃあ……」
「大方、トオル殿の予想通り。個人戦でのみ全国大会に出場した空手部と、個人戦と団体戦で全国大会に出場した柔道部。理事長――藤堂アリサ殿は、柔道部のほうが優れていると結論づけたのでござるよ」
「まぁ、普通に考えてそうなるわな。だが、空手部は五年ぶりの快挙。今年こそは第一格技場を使えると思って、ぬか喜びしたことだろう」
「その通り。トオル殿には、空手部員の気持ちがわかるのでござるな」
「いや、俺に他人の気持ちなどわからないよ」
ムサシの言葉を、俺は容易く切って捨てる。
人の気持ちなどわからない。わかりたくもない。
ただ俺は人の思考が読めるだけだ。
「その個人戦で全国大会に出た空手部員というのが、今の空手部の主将を務めているのでござるが――」
ムサシの言葉の途中で、俺たちの反対側、畳でできた床のほうの入り口から、短く黒い髪をツンツンに立たせた、鋭い目付きの偉丈夫が入ってきた。
使い古された白い空手着に、金色の刺繍が入った黒い帯。
背は180センチくらいだろうか。道着の上からでも筋肉質であることがわかる。
そして、なにより手足が非常に長い。
「なるほど、あれが全国大会に出場した選手の身体か」
「そう。彼こそが、月詠学園男子空手部主将の大雲翔太でござるよ」
大雲が格技場に入ってきた瞬間、空手部員の雰囲気が変わった。
どこか畏縮したような、怯えた表情を見せる。
「大雲殿は、去年自分が全国大会に出場したにも関わらず、今年も空手部が第二格技場に追いやられている事実に、いたく失望しているのでござる。他の部員が弱いせいで、自分まで柔道部の連中に下に見られるのが気に入らないようでござるよ。そのことで、他の部員や下級生に対して横暴な振る舞いをし、主将に任命されたころの人望は、とうに失ってしまったのでござる」
「ふん……カエルの分際で、生意気なやつだな」
「……ん? トオル殿、何か言ったでござるか?」
俺の呟きに、ムサシが首を傾げていると、今度は剣道部が使う木材でできた床のほうの入り口から、茶色い髪で黒い剣道着を着た、糸目の男が入ってきた。
背は175センチほどだろうか。線が細い、痩せた体付きだ。
「こんにちは! 主将」
「今日もご指導よろしくお願いします!」
その男に、俺たちの周りいた剣道部員たちは挨拶をする。
「ああ、みんな頑張れよ」
剣道部員たちに主将と呼ばれた男が、ゆっくりと俺に近づいてきた。
「君は……体操着だけど、何をしにここへ来たのかな?」
「ああ、佐竹殿。こちらはトオル殿といって、拙者のクラスに今日編入してきた転校生でござる。本日は剣道部の見学でござるよ」
「なるほど、見学ね。剣崎と同じクラスということは二年生か。僕は君の一つ上、三年の佐竹秀作。男子剣道部の主将をしているよ。よろしくね」
佐竹が左手を差し出してくる。
こいつ……左利きか。
などとどうでもいいことを考え、俺はその手に自らの左手を差し出し、軽く握手した。
どうやらランキングに入っていたらしい……
ありがとうございます。




