049話 死の商人と銀仮面のメイド
すっかり陽の落ちた港湾。
潮風に鉄錆の匂いが混じっている。
その近くにある大きな廃工場。
その一角に複数の男たちがいた。
中でもメンバーをまとめるリーダー格の男は、ずば抜けて大きかった。
筋肉だけでなく骨格も優れており、背は190センチほど。
体重は90キログラムといったところだろうか。
焦げ茶色の髪をツーブロックにしており、顎には色の抜けたヒゲが生えていた。
男の名は、竜胆辰巳。
この辺りのゴロツキを暴力でまとめ上げ、若干十八歳にして、国内と海外に違法な武器売買をしている、闇の武器商人だ。
武器防衛条約を無視し、営利目的で敵味方を問わず兵器を販売する『死の商人』。
そして――『ウロボロス』の存在を知る、世界の裏側の人間。
自身も、己の皮膚などの硬度を変化させる――『肉体硬化』の超能力者である。
そんな竜胆の背後に、人影が一つ、まったく音も立てずに現れた。
忍び足で近づいてきた、なんて生半可なものじゃない。
たった今まで、その存在をまったく匂わせもしなかった。
なにせ、彼女は自分の身体を霧状に変化させて、ここにその姿を現出させたのだから。
「来たか、時間より早いな……」
「社会人なら、十分前行動は礼儀の一つですよ」
竜胆の呟きに、顔の上半分を銀色の仮面で覆った女が答える。
「それが礼儀だと言うのなら、オレたちの前ではその銀仮面を外したらどうだ?」
「ふっ、あなたたちのような愚劣な存在に、私の素顔を晒す価値はありません」
「チッ、相変わらずの毒舌だな。どうせ、その仮面の下で嘲笑っているのだろう?」
女の背は165センチほどで、体は引き締まっており、それでいて大きな胸が目立つ。
歩くたびに、重力に逆らったつんとした豊かな胸が揺れた。
髪はしっとりと艶のある黒色で、サイドの毛先が肩を超える長さ。しかし、後ろ髪は短く整えられていた。首回りには布製の白いフリルが付いた黒いチョーカーをしており、それがまた良く似合っている。
そしてなぜか、その身を高そうな良い生地の上品なメイド服で包み込んでいた。
「お前の言った通り、ここ最近は、やつら『超能力犯罪者暗殺部隊』、通称――『ウロボロス』の目を気にせず、積極的に武器売買の取引を行っている」
「それでいいのです」
「元々、オレたちは『ウロボロス』に目をつけられていた。特にこのオレの卓越した存在が。だが、何度となく行われてきた戦闘に勝ち抜き、今の位置にまで上り詰めた。オレは別にやつらを恐れてなどいない。しかし、無駄にやつらを刺激する必要もないんじゃないか?」
竜胆の問いかけに、銀仮面のメイドは頭を横に振る。
「本来、あなたたちは『ウロボロス』の目など気にする必要はないのです。やりたいように、好きにすればいい。そのほうが稼ぎも上がるでしょう。稼げるときに稼がないでどうするんですか? それにいざとなれば、私が現場に出ます」
「お前一人で『ウロボロス』全員の相手ができるのか?」
その疑問に銀仮面のメイドは目を煌めかせた。
文字通り、煌々とした紅色に。
銀色の仮面の穴から覗く彼女の両目は、血のように赤く染まっていた。
その目には深い憎しみの炎が宿っている。
「その答えは、あなた自身が一番よく知っているはずですよ、竜胆辰巳。――この私に為す術もなく敗れたあなたが」
一陣の風が吹き、メイド服の背中から、蝙蝠のような黒い翼が生まれる。
薄く微笑んだ彼女の口元には二本の牙が輝いていた。
「竜胆、あなたは黙って私の言うことを聞いていればいいのです。そうすれば、お互いに損はさせませんよ。それだけは約束します」
いつも通りに温度のない、無感情で無機質な声。
燃えるように赤い瞳。
闇夜に溶け込む黒き翼。
銀の牙に霧状に変化する肉体。
その姿は、まさに『亜人』。
伝説上の生き物である――『吸血鬼』の象徴。
彼女は世の理から外れた、人外の存在である。
「……チッ、まぁいい。『ウロボロス』の相手はお前に任せるぞ――黛京香」
「ええ、お任せください。私があなたたちの面倒をまとめて見て差し上げますよ。でも必要以上に私の手を煩わせないでくださいね。自分のケツは自分で拭いてください」
メイド服を着た京香が恭しく頭を下げる。
その姿に、竜胆は胡散臭さを感じたが、あえて何も言わずに立ち去った。
竜胆が取り巻きの男たちを連れ去ったあと、京香は一人でせせら笑う。
「ふ、ふふっ、ふふふふふ、竜胆辰巳、実に愚かな男。偉大な透様の贄となるがいいわ」
眉間にしわが寄り、口の端が吊り上がる。
そして、赤く煌めく大きな瞳が狂気に歪んだ。
「ふん、人の姿をした家畜が。プライドもなく他人に依存するしか能のない寄生虫め」
可憐さの中に潜む冷酷さ。
透に対してだけは恭順な彼女だが、京香は他の人間に対してはあまりにも無情だった。
透以外の人間など、彼女にとってはただの餌でしかないのだ。
それも、まともに口にできないほどの不味い代物。食べる気にもならない。
――黛京香。元、九条透の専属メイドにして専属ボディーガード。
その正体は――ヴァンパイアハーフである。
人と吸血鬼の混血種。ダムピールとも言う。
ふと、京香は初めて透と会話をした日のことを思い出す。
(あれは……私が九条家のボディーガードになったときの話だ)
背も低く、女の子みたいな顔のくせに、目だけは底冷えするほど黒い闇を抱えた少年。
彼は常に暗い雰囲気を醸し出しており、心を閉ざし、陰気で覇気も生気もなく、魂が抜けたような虚ろな目をしていた。
それによく見れば、体中が痣だらけだった。
まったくお金持ちのお坊ちゃまという感じがしない。
しかし、凄く美味そうな、いい血の匂いがする。
少年は無表情で、感情らしい感情を見せない、能面のような顔だった。
『ふん、お前が黛京香か。ボディーガードのくせに、ずいぶんとまた綺麗な顔をしているな。お前、メイドのほうが向いているんじゃないか?』
『お褒めにお預かり光栄です』
『バカが、お前には皮肉も通じないのか?』
透は今初めて自分に会ったようなことを言っていたが、京香は透が自分のボディーガード採用試験の場にいたことを知っている。
そして、京香のその戦闘力に目を剥き、驚愕していたのも把握済みだ。
すぐに自分のことが欲しくなるだろう。
しかし、透は誰かに側にいられることを嫌い、今まで専属ボディーガードも専属メイドもつけていないと聞いている。
余程上手くやらなければ、透の心を掴むことはできない。
『まぁいい。必要なものはすべて俺が与えよう。その代り、俺の目的を果たす手伝いをしてほしい。そして降りかかるあらゆる災厄からこの俺を守れ』
そんな不遜な幼い子供の言い分に、京香は素直に従った。
『かしこまりました。これからよろしくお願いいたします、透様。当主、九条宗司様からあなたのことは聞き及んでいます。お優しいご主人様のもとでご奉仕することができそうで幸いです』
『チッ、使用人の分際であまり俺に馴れ馴れしくするな。金で雇われた汚いボディーガード風情が。こちらの気が滅入る』
その他者を受けつけない悲しそうな透の孤独に揺れる横顔を見て、京香はある種の運命を感じた。この人についていけば何かが変わる。そんな確信めいた予感がした。
それに、彼の――九条透の『目』からは自分と同じ『魔』のオーラを感じる。
京香は魔性のものに魅入られたように、熱い眼差しで透を見つめた。
『かしこました。それが透様の命令ならば』
しかし――
目を細めたまま、京香は自身の右手を透の左胸、すなわち心臓の上に重ねて続ける。
『一応言っておきますが、私は一度たりとも九条宗司に仕えた覚えはありません。私の主はあなたですよ、透様』
細長い白く透き通った指で、透の胸を優しく撫でる。
右膝をついた上目遣いの視線が、妖しい色気を漂わせていた。
『……へぇ、そいつは面白い。お前の忠誠心がどれほどのものか楽しみにしておくよ。まぁ、俺が信じるのは俺だけだけどな』
『私にとって、真に仕えるべき主は生涯でただ一人だけです』
性根がすわった、それでいて腐った目をした少年の姿が、京香には何もかもが輝いて見えた。
やっと見つけた原石。
吸血鬼である自分の番になる資格を持つ人物。
正直、感激で胸が打ち震えた。
京香が事前にある程度、透の情報を得て、実際に会って話してみた感想としては、期待以上のものだった。
九条透は愛情欠落者だ。
誰かに愛されたこともなければ、誰かを愛したこともない。
幼少期の心の傷がトラウマとなり、生きることが苦しい人間のことをアダルトチルドレンと言う。親から与えられる愛情の不足や、親に否定されて育った過去、外面だけよく見せる偽物の家庭環境、暴力や虐待のある日々。
そんな透は、自分を大事にする気持ちに欠け、劣等感が強く、自分に自信がない。そのため、無駄に自信過剰な振る舞いをしたり、虚勢を張ったりする。神経質で臆病者。
だからこそ、京香が無償の愛を与えれば、透の心は簡単に支配できる。
しかし、事前情報によると、透は他人の思考を読むような鋭い感性を持ち合わせているようだ。おそらくあの『魔』のオーラを放つ両目、そこに秘密があるのだろう。
だから、見せかけだけの偽りの愛では透の心に届かない。
『黛京香さん、これからよろしくお願いします。……どうせ、あなたも俺から離れていくと思いますけどね……』
その憂いに満ちた幼い透の顔に、じゅんと京香の股の辺りが濡れる。
(……非常に保護欲をそそられる可愛い子だ。私はこの子を堕としたい。この子を私だけのモノにしたい。私がいなければ生きていけない躰にしたい)
『安心してください。透様、あなたの不安も寂しさも苦しみもすべて私が取り除いてさしあげます』
『……ふーん、期待しているよ』
透はそっけなく目をそらして呟いた。
京香の背筋にゾクゾクッとした背徳感が走り巡り、口の端が妖しく吊り上がる。
それが、京香の歪な愛が目覚めた瞬間だった。
(私は狡いのかもしれない。でも、どうしても私は……あなたが欲しいんです)
もしかしたら、京香は幼い九条透に、生まれて初めて恋をしていたのかもしれない。
それが、京香と透の運命を決めた日のやりとりだ。
「さぁ、透様。待っていてくださいね。必ず、必ずあなたをこの手で救い出しますから」
そして、覚醒した『吸血鬼』の能力を以てして――
「あなたを……私だけのモノにします♪」
京香の狂ったような甘い嬌声が、明かりのない廃工場内に響いた。




