046話 二つの顔を持つ男
「あー、超暇だなー」
日の暮れた空の下、島津亮介は自身が運転するパトカーの中でぼやいた。
「暇だなーって、島津さんが巡回に行こうって言ったんじゃないですか!」
隣の助手席から、小柄ながらも胸の大きい女性が頬を膨らませて文句を言ってくる。
彼女の名は牧村夏美。亮介の部下である警察官だ。
栗色のロングヘアーが良く似合う、女性と言うよりも少女と呼んだほうが正しいような童顔が可愛らしい。
「いやー、オレの勘がこの辺で何か起きるって言っているわけよー」
亮介はあくびを噛み殺しながら、夏美に適当に弁解する。
島津亮介、二十七歳、O型。茶色で適度な長さの髪に、ある程度整った顔。背も176センチと平均より高く、まだ若い警官なので体も衰えておらず筋肉質だ。
異性にもそこそこモテるが、意外にも熱血漢で仕事に忙しく恋人はいない。
というか、仕事が恋人だ。
しかし、もう一年以上、容姿端麗な夏美と一緒に仕事をしている。
まさに物語の主人公のような男だ。
「確かに、今まで島津さんの勘はことごとく当たっていますからね~」
「そうそう、オレの勘はよく当たるからなー。『第六感』っていうの? そういうのが何かあると過敏に反応するんだよね」
異常なほど勘がいい。
それは島津亮介本人が気付いていないだけで、何か異能の力なのかもしれない。
亮介がノロノロと走らせていた車は、大きな総合病院の近くを通過した。
★ ★ ★ ★ ★
島津亮介と牧村夏美が総合病院前を通過する少し前。
俺――九条透は、深い緑色のジーンズを穿き、上にジャージ生地の薄い黒のパーカーを羽織って、総合病院内を歩いていた。左目には能力の発動を制限するために、アリサに無理やり付けさせられている、ウロボロスのマークが入った黒い眼帯をしている。
その眼帯を周囲の人間に隠すように、俺は長い前髪を左側に寄せていた。
病院内の敷地図は完全に頭に入っている。それに加えて、『ウロボロス』の他の構成員が事前に調べ上げた、看護師の巡回ルートや患者の病室を訪れる時間帯も把握していた。
よって現在、俺は何食わぬ顔で病院内をうろつき、殺害対象の元へと向かっている。
今回、アリサによって課された任務は、とある敵対組織の負傷者から、その組織の情報を引き出したのち、速やかに対象の命を刈り取ること。
ちなみに、これが俺にとって初の単独任務となる。
殺害対象となる男は下半身に大きなダメージを負っており、ろくに抵抗はできないことが予想され、戦闘には発展しないだろう、というのがアリサの弁だ。
まだ完全に『鬼神化』を習得していない俺にとってはありがたい任務だ。
「これから俺は人を殺す」
間接的に殺してきた人間の数も合わせたら、これで何人目になるのだろう? いや、深く考えるな。これはただの仕事だ、そう割り切れ。
自分にそう強く言い聞かせながら、俺はとある病室の引き戸を静かに引いた。
心を殺して、人を殺す。
室内の電気は切られていた。殺害対象の病室は個室である。他に人は誰もいない。
ベッドに上半身を少し起こして寝ていた男と目が合う。
「……ん? 誰だ、お前は?」
男の思考が回らないうちに、俺は音も立てず、病室の入り口から一気に男の横たわるベッドへ接近する。
「なっ――!?」
男が悲鳴を上げるよりも早く、俺は腰に差していた戦闘用ナイフを右手に握り、男の脇腹に深く突き刺した。
「あがぁあ……ぁぁ」
男の悲鳴が病室に響かないよう、俺は空いた左手で男の口元を塞ぐ。
「……騒ぐな。大人しく俺の言うことを聞け」
俺の言葉に、男は反抗的な目を向けてくる。
その瞬間、男の口を塞いでいた俺の左手の指、その関節が親指を除いて四本ともゴキッという音が鳴って外れる。
「……がっ!」
細められた男の両の瞳は、妖しく琥珀色に光っていた。
思わず俺は、男の口元から左手を離してしまうが、右手で男の脇腹を刺したナイフを少しひねって脅しをかける。これ以上抵抗するなら臓器を抉り取るぞ、と。
男が怯んだ隙に、俺は男の脇腹にナイフを置き去りにしたまま、空いた右手で外れた左指の関節をベキッという音を鳴らして自分で入れる。
「ぐっ……!」
左指に痺れるような熱い激痛が走るが気にも留めない。
その躊躇いのない行動に、男の顔が驚愕に染められる。
俺は事前にこの男の『超能力』をアリサから聞いていた。
男の能力は『視界に捉えた人間の指の関節を強制的に外す力』。
しかし空手の『貫手』を得意技の一つとする俺にとって、指の関節が外れることなど、昔は日常茶飯事だった。いちいち動揺していては戦闘に支障が出る。
「これからお前には、俺の質問に答えてもらう。それ以外のことは口にしなくていい」
「お前が何を知りたいのかは知らないが……私がそれに応じると思っているのか?」
体にナイフを突き刺された状態で、よくここまで反抗的な態度を取ることができるものだ、と少し感心しながら、俺は男に顔を近づけ、左目を覆う漆黒の眼帯を外す。
「――『洞視眼』」
暗い病室に、自分でも分かるほど、左眼が毒々しい紫色の光を放つ。
「嫌なら話す必要はないぞ。お前は思考をやめなければいい。俺がそれを読み取る」
「……能力者か。どこかの組織の一員。……どうやら私は、ここまでのようだな」
「物分りが良くて助かるよ。さて、静かな尋問を始めようか」
――『思考読解』――それが俺の持つ超能力の一つ。
感知。目を合わせた対象の思考を、問答無用で読み取ることができる力。
「目は心の窓である、とは古代ギリシアの哲学者プラトンの言葉だったか」
そんなことを思いながら、俺は対話の中から必要な情報を男の脳裏から奪い取る。
そして二分ほどの短いやり取りのあと、俺は男の脇腹に刺さったナイフを引き抜いた。
「があぁ……ぁ!」
ナイフが刺さっている間は男の脇腹から染み出るように滲んでいた血が、ナイフを引き抜くことで激しく溢れ出す。
俺はそのまま右手に握り締めたナイフを今度は男の左胸――つまり心臓部に突き刺し、用済みになった男の命を速やかに摘み取った。
アリサからは殺害対象を殺すところを第三者に見られることは厳禁だと言われていたが、その後のことは別に気にしなくてもいいらしい。
他の部隊がいろいろと後処理をしてくれるのだろう。
ナイフにべっとりと付着した男の血を横薙ぎに払い、黒いパーカーの裾に隠れた腰のナイフケースに収める。
「……ふん、つまらない仕事だったな」
そうして俺は何事もなかったかのように、血塗れになった赤い病室を後にした。
これにて任務完了だ。
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九条透は、もはや人を殺すことに躊躇いを覚えるような人間ではない。
しかし、彼は直接人を殺すという経験において、他の暗殺者より幾分劣っていた。
そのため心臓部を刺された男の命が、透が病室を出てからも数秒ほど続いていたことに気付けなかった。
男の震える右手がゆっくりと、残りの命を振り絞るようにナースコールへと伸びる。
そして、男はそのボタンを押し終えた直後に、少しだけ満足した顔で絶命した。




