040話 九条透VS粟国鋼鬼Ⅴ
まだ終わっていない。俺の魂はここにある。
たとえ心臓が止まっても、魂の火は消えない。その情熱で、闇を焼き尽くせ。
眼球内を小さな虫が這うように目付きが切り替わり、全身に禍々しい殺気を帯びる。
「……………………よ、く……も……ぉぉ……」
血が滴り落ちている口元から、くぐもった声が漏れる。
もはや死人と化していた俺の呟きに、粟国が恐怖にも似た驚愕の表情を浮かべた。
「よくも、よくもあのとき……俺を殺そうとしたなアアアァ!!」
――『魔眼』――開放。……ウラミハラサデオクベキカ。
目覚めし『力』は第二段階へと移行する。
憎悪を孕んだ両の眼が、粟国を睨み殺さんとばかりに見開かれた。
覚醒した紫色の左眼に、昔と同じように蜘蛛の巣状の不気味な模様が浮かび上がる。
迸る怒りは血涙を絞り、歪んだ視界を溶かすように熱く燃えた。
そして、能力の副次効果として、静止視力と動体視力が限界まで上昇し、瞳に映る世界が緩やかに流れる。一瞬、時が止まったかのような錯覚すら覚えた。
「あぁあぁぐぅうぅにぃいぃ!」
地の底から湧いたような怨念の呻きが響いた。
毒々しく光る『魔眼』から、ぼとぼとと赤い雫が垂れ、校舎の床を真紅に染める。
「――俺は鬼だ。ならば、もはや人ではない俺が為すべきことは――」
震える両足を支えるのは、我が身を焦がすほどの憎悪。
「止められるものなら、止めてみろ」
「なっ、なぜ生きている? 確かに致命傷を与えたはず……九条、お前は不死身か!?」
「少なくとも、お前を殺すまでは死ねない」
「くっ、この悪魔め! いや、九条透――『魔眼の王』。お前は今までオレが探し求め続けた、宿命の強敵! やっと見つけたァ。九条、このオレと命をかけて戦え!!」
命は弱さを許さない。この世界は弱肉強食だ。強い者が弱い者を喰らい、己が欲するものを手に入れる。弱い者は強い者に喰われ、自らの大切なものを奪われる。
「狂者は、強者は――――俺だアアアアアァァ!!」
俺の凶眼に怯んだ粟国の左腕に、俺は勢いよく噛みついた。
そのまま粟国の左腕の肉を食いちぎり、口から血を滴らせながら嗤う。
「あがぁああぁああああああああ!」
大きな悲鳴を上げる粟国をよそに、俺は右腕に『気血』を送り込み、硬化させた。
「狂気纏身! ――『鬼神化』!!」
並の狂化者を上回る真の狂化。人の域を超えた暴虐の王――それが『鬼神化』。
その姿は、まさに悪鬼羅刹の如し。粟国には俺の姿が鬼のように見えるだろう。
自分の命を燃やすことでしか越えられない壁がある。
左眼から頬にかけて『呪印』のような人外の痣が浮き上がった。
最大筋力と筋持久力のみならず、筋機能が関わるすべての身体機能を増幅させる。
体に絶大な負荷がかかるが構わない。己の命を凝縮して力を振り絞る。
「――『鬼哭螺旋貫手』ッ!」
体全身にひねりと回転を加え、左腕を引き手にして物凄い勢いでねじった右腕で強力な貫手を放つ。俺の右腕が竜巻のような螺旋を描いて粟国の喉仏を貫いた。
「……ぁ…………が………………そ、う…………か……ぁ……」
声帯から声を出すことのできなくなった粟国が、何かを悟ったような顔をする。
《はっ、このオレが……負けたのか。九条透……お前みたいなやつと戦えて……満足だ。そうか……オレは自分と対等のライバルが欲しかったんだ。この人生に悔いはない。命を懸けた甲斐はあった。だって、最期にこんなにも面白いやつに出会えたんだから。欲しいものは、求めていたものはすべて手に入った……願わくば……再びお前と戦い――》
左右の腕に気血を送り込み、残像が生じるほどの速さで俺は貫手を交互に繰り出す。
「ハハハハハ! ハハハハハハ! 死ね! 死ね! 死ねぇえええ!!」
俺の頭はすでに空っぽだ。何一つ考えてなどいない。
ただ両腕を振るう。振るう、振るう、振るう。
数十発もの貫手が、粟国の腹部に高速で突き刺さり、派手に血飛沫を飛び散らす。
そして、最後に放った貫手が粟国の腹を鋭く貫通し、臓器を抉り取った。
「ひひっ、あああぁ……殺したい、殺したいィ。誰でもいい、もっとォ、もっと俺に奪わせろ! 足りない! 足りない! 足りないィ! 空っぽなんだァ。埋めさせろ、満たさせろ、欠けてしまった隙間を……『僕』を独りにィしないでえ~ぇ?」
――よこせ。俺に一番大切なものを――命をよこせ! もっと何かが喰いたくて、もっと何かを奪いたくて、開いた口からダラダラと涎が垂れて止まらない。
「透っ! もう勝ったんだよ、戦わなくていいんだよ! はやくここから逃げよう」
遠くに離れていた少女――姫宮詩乃が、いつの間にか俺の近くにいた。
「詩乃か。いいところに来たな」
心が真っ二つに裂けた。理性という鎧を剥がされ、己の本性を暴かれる。
「あぁ、殺したいィ、奪いたい。……そうだ。とりあえず――詩乃を殺そう」
俺は粟国と同じように、左手で詩乃の首を掴み、廊下の壁に強く押し付けた。
「がっ……は! ……え? あっ、ああ……とお、る」
自分の意思とは無関係に、腕だけが勝手に動き、詩乃の細い首を強く絞め上げる。
「透……私だよ、姫宮……詩乃だよ……がっ……元に……戻って……ぐ……お願いっ!」
詩乃の目元に涙が浮かび、口元から掠れた声を漏らす。
「……うっ……あ、ぁ、ああッ! 俺は、一体、何をしているんだ!」
俺は咄嗟に詩乃の首から左手を離した。そして、吐き気を催すような頭痛に苛まれる。
……ザッ……ザ……ザザッ…………
「ダメだ、また意識が持っていかれそうだ。耐えろ、『僕』じゃない、俺でいろ」
「透、辛いよね? 痛いよね? なら私が、私がまた――『忘れさせて』あげる」
詩乃の【右手】が青白く光る。この輝きを、俺は前にも見たことがある。
こちらに歩み寄る詩乃の足が、床に落ちていたゲッケイジュの花を踏んだ。
「……あ、ゲッケイジュの花の花言葉は――――裏切り。……や、やめろ、詩乃!」
「あなたの苦しみを、私が半分背負ってあげる」
「うわああああああああ、あ、お、おお、俺に近づくな!」
詩乃の【右手】を振り払った瞬間、脳裏に激しいスノーノイズが襲いかかる。
……ザッ……ザ……ザザッ…………ザ……ザッ……ザ……ザザッ…………ザ……ザッ……ザ……ザザッ…………ザザッザザザザザザザザザザザザザザザザザッザザザ。
頭が割れそうな激痛の中、失っていた記憶が猛烈な勢いで逆流する。
「あああああああぁぁああああああ、ぎぃいああああぁああああああああああ!」
血に濡れた両手で頭を掻き毟りながら、虫のような奇声を上げる。
そして、俺は――すべての記憶を思い出した。
記憶を改竄する超能力者、姫宮詩乃によって書き換えられた、俺の本当の記憶を。
「私はもう二度と、あなたの瞳を悲しみで曇らせたりはしない。だから――」
「そんな……お前は俺の、友達じゃなかったのか? お前は俺の……俺の――」
覚醒した『洞視眼』が、詩乃の思考から、その過去すらも紐解く。
「詩乃ぉおおおおおおお! 俺を……俺を裏切ったなァアアアッ!」
すっかり日の暮れた白麗院の廊下に、俺の悲痛を孕んだ絶叫が反響した。




