039話 九条透VS粟国鋼鬼Ⅳ
一体、どれくらい戦っているのだろうか?
永劫にも刹那にも感じる、時間感覚が麻痺するほどの局地戦。
激しい戦闘により、廊下の窓ガラスは全損。壁には至る所に穴が開き、教室の扉は吹き飛んでいた。天井の蛍光灯もすでに粉々に割れている。
廊下に飾られていた花瓶が割れ、黄色い春の花、クスノキ科の常緑高木である、ゲッケイジュが床に落ちてしなびていた。
「なぁ、粟国……知っているか。この花はゲッケイジュと言うんだ。そしてゲッケイジュ全般を示す花言葉は、栄光、勝利、栄誉。この勝負、俺が勝たせてもらうぞ」
「ハッ、軽口はよせよ。オレはただ、お前との熱い殺し合いを全力で楽しむだけだ」
「ふん、そういえば、ゲッケイジュの葉の花言葉は、私は死ぬまで変わらない、だったな」
廊下は深い闇に包まれ、それを夜空に浮かぶ月明かりが照らしていた。
まるで二人が繰り広げる死闘の決着を見定めるように。
「何の因縁もねぇ、今日初めて会ったようなやつと殺し合う。九条、それがこの世界だ」
二人とも、とっくに体は限界を迎えていた。おそらく次の一撃で決着がつくだろう。
連綿と続く攻防の中、先に粟国が戦いを決めにきた。
「刻め――『風刃・断空連斬』!」
刀身に風を纏った太刀が、一瞬のうちに何度も白刃を煌めかせる激しい斬撃。
瞬きをする余裕すらない。目を見開く。背筋に冷たい汗が垂れ、全身に鳥肌が立つ。
それでも俺は『洞視眼』を酷使し、その攻撃を先読みして躱しきった。
しかし、追随する『鎌鼬』でその身を浅く切り裂かれる。
だが、その痛みを無視して、俺は粟国ではなく粟国の握る太刀に渾身の一撃を放った。
「――『赤手腕刀・白刃折り』ィィ!!」
体ごと回転させて右腕に気血を送り硬質化。そのまま右腕を刀のように粟国の太刀の側面を狙って振り下ろす。猛烈な破砕音が鳴り響き、粟国の握る太刀の刀身がへし折れる。
「――勝った!」
そう思った瞬間、俺は腹部に風の弾丸を三発叩き込まれ、勢いよく後方へ吹き飛んだ。
背中から廊下の壁に叩き付けられ、肺から空気が抜ける。そこからなんとか反撃しようと試みるが、もう体が動かなかった。その隙に、風を纏って加速した粟国が高速で接近。
粟国の大きな左手に首を絞められる。じたばたと足掻くが、まるで抜け出せない。
「どうだ、苦しいか? それが生きるってことだ。九条、お前の目はすべてを見透かしているようでいて、その実何も見ちゃいねぇ。逃げているんだよ、お前は」
利いた風な口をきくな、と鋭く睨み付けるが、もう抵抗する力は残っていなかった。
「依頼人には悪いが、お前はここでオレが殺す。せっかくオレを楽しませてくれたんだ。生きて捕らえるなんてチャチなまねは、礼に反するからな。ここで華々しく散らせてやるよ。お前がもっとも美しく輝いている今、これ以上醜くなる前にオレが殺してやる」
依頼人――ということは、粟国の上にはまだ誰かいるのか? と考えると同時に、自分が冷静な思考力を取り戻していることに気付き、そして『狂気』による肉体強化が切れかけていることにも気付いてしまった。
「……ぐっ……かはっ! ……一つ、聞かせて……くれ」
「なんだ?」
「もし、俺がお前に殺されれば、詩乃はどうなる?」
「……詩乃? ああ、あの女のことか。もちろん、殺すに決まっているだろう」
粟国がニタリと笑う。なら、たとえこの命が燃え尽きても、俺がこいつを殺――
「そういや、さっきのは効いたな。浸透双掌波ってやつ。どれ、オレもやってみるか」
粟国が右手のひらに風を操り、どんどん圧縮していく。
――マズイ。このままでは本当に殺される。
俺はどうにかして逃げ出そうと必死に体を揺すったが、粟国の左手で首を絞められ、意識が朦朧とし、どんどん力が抜けていく。
「……お、俺は……ここで……死ぬのか……?」
「ああ、そうだ。お前はここで死ぬのさ。このオレに殺されてなぁ!」
「そう……か。………………かあ……さん」
無意識のうちに、俺はその名を口にしていた。
……なんだろう……この感じ……前にもあったな……苦しいよ。
「よくも……」
「あぁ、今……オレは生きている! 楽しかったぜ、九条。――――じゃあな!」
粟国の右手のひらが、俺の腹部に勢いよく押し込まれた。
その瞬間、圧縮された風が爆発。猛烈な衝撃が全身を襲い、臓器をかき回される感覚が押し寄せる。皮膚と血が弾け飛び、内臓に深刻なダメージを負う。
「ごご、ぐ、ががぁあああ……ぁ、がぁ……ぁぁ、ッぁぁあ……ごぼっ……!」
激痛などという表現すら生温い。神経を溶かされるような荒れ狂う幾千もの蹂躙。
嘔吐するような勢いで喀血する。溢れ出た鮮血が傷ついた肌にゆっくりと染み込む。
そして、徐々に目の前が暗くなっていき、頭が朦朧とし意識が遠のく。
口はだらしなく半開きで舌を出したまま、瞬きをすることも忘れた眼球は、もはや死人の様相に等しかった。霞んだ目を見開いたまま、ゆっくりと俺の時間は止まっていく。
「……ここまで……か。……長いようで……短い……人生……だっ……た……」
どうやら俺の命はここで潰えるようだ。だが、粟国にも十分なダメージを与えてある。
今なら詩乃だけでも無事に逃げ切れるだろう。そう思い、俺は静かに瞑目した。
……俺の一生は、これで終わりだ。それでも、詩乃の人生は続く。
ならば、俺はあの世でそれを見届けようじゃないか。
やがて、世界から完全に音が消えた。
俺の目は開かれていながらも、すでにその瞳には何も映していない。
今まで、俺は傘も差さずに、悲しみの雨の中を駆け抜けてきた。何度も何度も壁にぶつかりながら、暗闇の中をずっと独りで彷徨ってきた。他人の思考を読む能力に目覚めてから、辛いことばかりだった。苦しいことばかりだった。痛いことばかりだった。それでも俺は、生きた。最後の最後まで、醜く生にしがみついて、必死に生きた。
脳裏を様々な記憶が、矢のように駆け巡る。その中には、僅かではあったが、楽しかった思い出もあった。掠れゆく命の灯を燃やして、俺の意識は虚空へと手を伸ばす。
短い人生の中で、一番幸せだった記憶をその手に握り、俺はこの世から去るのだ。
しかし、皮肉にも俺の意識が最後に掴み取ったのは、壮絶なる孤独の原点となる記憶。
死にかけていた両の眼球が、熱く、熱く燃える。憎悪の炎を激しく滾らせて。
★ ★ ★ ★ ★
――ここはどこだ? 薄く目を開けると、豪奢なシャンデリアが天井で揺れていた。
俺の体に誰かが覆い被さるように跨って、俺の細い首を両手で絞めている。
抵抗しようにも、体が小さくて力が出ない。……体が小さい?
そうか、これは過去の記憶。まだ俺が小さな子供だった頃の。
幼い俺の首を絞めている女――九条里奈、俺の実の母が綺麗な顔を歪めて笑っていた。
母さんがまだ生きている。これは俺が孤児院に隔離される少し前の出来事だ。
『私はあなたを育てるのに失敗した……あなたは生きていてはいけないの』
あの日、俺は幼少ながらに思った。そうか、自分はここで死ぬのか、と。
――心が壊れた。炭みたいに黒く焼け焦げて、灰みたいに粉状にすり潰される。
感情が悲しいと泣き叫び、思考がなぜ? と問いかけ、感覚が痛いと酷く怯える。
……もう誰も信用できない。
だから、金に対する異常な執着を見せた。それさえあれば生き残れるから。
しかし、あるとき俺は、人の心は『力』で支配できることに気付いた。
それから俺は力を求めた。他者がひれ伏すような圧倒的な力を、『王』の力を――
そういえば、母さんはあのとき俺になんて言ったんだっけ?
『この悪魔! やっぱり、あなたのことなんて、産まなければよかった!』
あぁ……そうだ。そうだよ。俺は悪魔だ。
じゃあ、その悪魔の子を産んで育てたお前たちも悪魔なのか?
幼い俺に、そう問い返すことはできなかった。
そんなことよりも、今までなんの問題もなく幸せな家庭を築いてきたというのに、一気にその関係にひびが入り、瞬く間に崩れていったことのほうが衝撃的だった。
『あなたの罪は、この世に生きていること。だから、透……死んでちょうだい』
母さんが俺の瞳を、悪魔の目と呼んだから、この目は――『魔眼』。
――あのときだ。全部あのときから始まった。
無数の人間から向けられる憎悪と怨嗟の呪いを吸い上げ、俺の悪意が世界を黒く覆い尽くしていく。あの日、俺の中の『狂気』が目覚めた。




