003話 九条透と二人の少女
結局、詩乃は白麗院の校門の前で俺を待っており、すぐに俺たちは仲直りをした。
そして、二人でクラス発表が行われている場所に行き、クラスを確認する。
「二年、二組か」
「……あ! わ、私も二組。やったー! 今年も一緒だね、透っ!」
「あ、あぁ……」
「なぁに? 透は私と同じクラスで嬉しくないわけ?」
詩乃が頬を膨らませる。彼女の機嫌が悪くなっているのを肌で感じ取った。
「いや、そんなことはないよ。俺も詩乃と一緒で凄く嬉しい」
「……そ、そうだよね! 透も私と一緒だと嬉しいよね!」
詩乃が今度は打って変わって照れ笑いを浮かべる。単純なやつだ。
「それに……透の秘密を知って、それでも透の側にいられるのは、私くらいだからね」
唐突に、詩乃の声色が真剣なものに変わった。その声はどこか寒気さえ感じさせる。
「透には学校にもたくさんの知り合いがいる。でも、本当に心を許せるのは私だけ」
その通りだ。俺は学校でも詩乃以外には【仮面】を被り、己を偽って生活している。
だが、それはどの生徒にも同じことが言えるだろう。
ただ一つ違う点があるとすれば、俺には人の思考を盗み見ることができる『洞視眼』があるということだ。この能力を使えば、どんな状況でも人の心を操ることができる。
俺が他人に見せる感情の起伏は、そのすべてが場を支配するための演技。
「……そうだな。詩乃には感謝しているよ。お前は俺にとって、特別な存在だからな」
その言葉に、詩乃は無邪気な顔で満足そうに微笑んだ。
「ねぇ、透」
「なんだ?」
「私のこと、裏切らないでね」
「……ああ、お前もな」
「私は透の味方だよ。たとえこの先、何があってもね」
クラス分けされた二年二組の教室に入ると、あちこちから挨拶の声をかけられた。
「おはよう九条」「おはようございます、九条君」「おはよう姫宮さん、それと九条君」
「おお! 詩乃ちゃん、また九条君と一緒なんだ。良かったね!」
クラスメイトたちからの純粋な好意を受けて、俺の気分は満たされる。
「みんな、おはよう」
俺が教室に入るだけで新たなクラスメイトたちが寄ってくる。そして次々に振られる話題に対し、俺は嫌な顔を見せずにこやかな笑みを浮かべて対応する。
腹の中はどす黒いのに、男らしからぬ見た目の可愛さと愛嬌を振り撒く演技に騙されて、俺の非公式ファンクラブまであるくらいだ。それもなぜか会員に男もいる。それも結構な数。冷めた目で罵られ攻められたい派と、あどけない表情を崩し攻めたい派があるらしい。……ふざけるな、どっちもお断りだ! せめて会員は女だけにしてくれ。
俺は誰かに求められるのに慣れていないんだ。今までに誰かに必要とされたことはなかったから。みんなの期待にどう応えたらいいのかわからない。
まぁ、それでいいさ。俺は詩乃と京香以外には、誰にも心を許さない。
他の有象無象共はシャットアウトだ。どうせみんな他人なんだから。
生温い世界に浸っている、こいつらと同じ歩調で歩くのは無理な話だ。
俺だけでなく詩乃もその明るい性格からか、男女を問わず多くの生徒から好かれていた。
傍から見ると、俺と詩乃は恋人同士のように映り、他の生徒から嫉妬を買うこともあったが、その問題は去年のうちに解決している。
それは俺の『洞視眼』を使って感情を操作すれば、容易いことだった。人間の感情を動かすことは簡単だ。あいつらの思考形式など限られている。喜ばせるのも、怒らせるのも、哀しませるのも、楽しませるのも、ある程度の心理操作でなんとでもなる。
「おう、そういや九条、今年から保健室の先生が金髪グラマラスの姉ちゃんになったぜ。お前、昨日の離任・就任式サボっただろ?」
去年も同じクラスだった男子、田丸篤が親しげに話しかけてきた。
背は175センチくらい。体格は普通。野球部に所属している、毬栗頭の少年である。
「ああ、昨日は少し体調が悪くてな。そうか、あのおばあちゃんは退職したのか。あの人若干ボケてたし、若くて綺麗な人が新しく入ったのはいいことじゃないか」
「だろ? オレ、わざと軽く怪我して保健室行っちゃおっかなー」
「ははっ、危ないから気をつけなよ。本当にお前が怪我をしたら心配だ」
目を輝かせて新任の美人保険医について話す田丸と心にもないことを言う俺に、詩乃が冷めた眼差しを向けてきた。……オイオイ、そんなに怒るなって。演技だよ、演技。
でも、嫉妬深い詩乃も可愛い。あいつは独占欲が強いからなぁ。
そんなことを考えながらクラスを見渡すと、すでに八割程度の生徒が登校している。
去年と同じくクラスメイトとなった生徒は、そのうちの四割くらいだろうか。
近いうちに、クラスメイトの思考パターンをすべて把握しておく必要があるな。
俺が左目に手を当て、思考を巡らせていると、
「ほらっ! 透、荷物を置いたら体育館に行くよ! 始業式始まっちゃうんだからっ!」
詩乃が俺の手を取って腕を引く。
「ちょ、おい、待て! まだ十五分前だぞ」
「善は急げっていうでしょ。早く行って悪いことなんてないんだから」
詩乃は昔から、なんでも予定より早く行動に移す癖がある。時間に遅れるよりはよっぽどいいことなんだが……少し早すぎる。だが、詩乃の友達や田丸たちも、詩乃の言葉で席を立って体育館に向かい始めたので、俺も大人しく詩乃の言葉に従うことにした。
体育館で、校長だか理事長だかがくだらない話をしている中、俺の濁った目は今年から新しく入学した一年生のほうを向いていた。白麗院は見栄えがよく、施設も整った優美な高校ではあるが、その面積はそれほど広くない。だから、各学年の生徒もおよそ百二十人と少ない。最低でも一ヵ月で全員の思考パターンを把握しておきたいところだ。
そのほうが、この高校で上手く立ち回りやすいからな。
「――『洞視眼』」
左目に手を当てて、意識を集中させる。能力の発動を確認。
指の隙間から一年生のほうを見ると、目が合った何人かの思考が流れ込んでくる。
生徒の思考からは、理事長の長い話に退屈している者や、これから三年間一緒に過ごすことになる周りの同級生を気にする者、真面目に話を聞いている者もいるということが分かった。格式のある高校だ。真面目に話を聞いている生徒がいるのもうなずける。
俺は一年生から視線をそらしたあと、出席番号の関係で十人ほど間を挟んで横に並んでいる詩乃のほうを、『洞視眼』を解除するのを忘れて見てしまった。
《あー、話長いなー。次は身体測定か。一応朝食は抜いてきたんだけど、本当に意味あるのかな? 透は意味ないとか言っていたし……体重もだけど、胸も成長していると嬉しいんだけど。昔から透は胸の大きい女の子が好きだからなー。いやいや、でも小さいのも小さいので需要が……というか、最近お尻が大きくなって恥ずかしいんだけど――》
意図せず詩乃の心を覗いてから、俺はなんともいえない罪悪感に苛まれた。
詩乃は京香と同じく、長い時間をかけて信用した仲だ。
二人の思考は覗かないというルールを、俺は自らに課していた。
それはこんな俺に普通に接してくれる人に対する、最低限のマナーだと思う。
「……あぁ、退屈だ」
俺は『目』を切り替え、あくびをしながら理事長の長い話に仕方なく耳を傾ける。
始業式が終わり、身体測定も終えてホームルームをした後、俺は白麗院を出た。
今は詩乃と一緒に下校しているところだ。
しかし、さっきから俺と詩乃の間には会話がない。
「「はぁーーーーーーーーーー」」
二人のクソデカため息が重なる。
いつまでも重い空気でいることに耐え切れなくなった俺は自分から話題を切り出した。
「なぁ、詩乃。お前、身長何センチだった?」
「ん、私? 私は159センチだけど」
「お前それ……去年より四センチも伸びているじゃないかっ!」
俺の叫びをよそに、無情にも詩乃は俺に身長を聞き返してくる。
「で、透は?」
「……ひゃ、164センチ」
「…………去年、何センチだったっけ?」
「163センチ」
「そっかー、1センチ伸びたかー。良かったねー」
詩乃が完全な棒読みで言う。
去年は163センチ、一昨年は160センチだ。俺の身長はもう伸びないのかもしれない。その代わり、去年より筋肉がついたせいか、体重だけがその数値を増していた。
「フフフフフ、世界中で背の高い男性が死ねば、俺は相対的に高身長の位置付けを手にすることができる。ふっ、クククク……滅びろ、のっぽどもが。あと高身長税を導入しろ」
「透にその顔で言われると、本当に何かやりかねないから怖いんだけど」
一体どんな顔をしていたというのだろうか。酷い言われようだ。
「それで、詩乃はどうだったの?」
どう? というニュアンスは、遠回しに詩乃の体重の変化を尋ねていた。
「べ、別に大して変わってなかったかなー」
またしても明らかな棒読みだ。能力を使わなくても嘘をついているのがわかる。
「む、胸もあんまり変わらなかったし……もうちょっと大きくなってもいいのに……」
平たい胸族の詩乃は、胸の前で指先をこすり合わせ、小さい声でぼそぼそと呟いた。
俺はそれを聞かなかったことにする。
「あ、あのさ、私は透の背がこれからも伸びなくても、ずっと側にいてあげるから」
詩乃が苦笑いを浮かべながら、俺の肩にぽんと軽く手を置く。
お前はそれで慰めているつもりかもしれないが、こっちは追い打ちをかけられた気分だ。
「俺もお前がデブで貧乳でも側にいてやるよ」
「ちょっと! それは言いすぎじゃない!? ひどいよ、透っ!」
詩乃が瞳を潤ませてポカポカと叩いてくる。……可愛いな。どこかの戦闘狂メイドにも見習ってほしい。いや、別に誰とは言わないけど。あれで京香にも可愛いところがいっぱいあるんだけどな。詩乃と違っておっぱいおっきいし。あれ足元見えていないだろ。
「大体ねぇ、透に貧乳貧乳って言われているけど、それは京香さんと比べられているだけで、私だってそこそこあるんだからっ! …………ふ、二人目のくせにぃ……あとからやってきた泥棒猫め……」
俺は無言で詩乃の寂しい胸元を見つめる。うん、まぁ……あるには……あるな。
「な、何か言ってよっ! できることなら、私だってもっとおっぱいがおっきくて、透と腕を組んで歩くときに胸が当たってドキドキ……みたいな展開がやりたかったよ」
そう言って、涙目になる詩乃に、俺は、
「安心しろ。俺はお前にひっつかれるだけで、いつもドキドキしている」
真顔でそう言い放つ。
「あ……そ、そう。へー、そうなんだ。……なんで、そういうことはっきり言うかな」
詩乃が後半小声で何か文句を言っている。でもその顔は嬉しそうだった。
「あと、詩乃は痩せる必要なんてないからな。これ以上細くなられたら逆に心配だ。今ぐらいがちょうどいい。俺は今の詩乃が好きだからそのままでいいぞ」
「なっ……!? べ、別に、透に褒められても嬉しくなんてないんだからねっ!」
「何ツンデレみたいなこと言ってんだよ。それにダイエットすると胸から減っていくぞ」
「ええっ!? そ、そうなの?」
二人で互いを慰めながらふざけあっていると、目的の駅が見えてくる。
「じゃあ、詩乃。俺はこれから道場に行くから。またな」
「わかった。また明日ね」
「明日は必要以上に早く家を出るなよ」
「わかってま~す」
詩乃は軽く頬を膨らませたあと、笑顔で別れを告げた。
電車に乗って、目的の道場を目指す。電車の窓から、外の風景をぼうっと眺めていた。
俺は、空手、柔術、剣術、中国拳法の他に、京香からナイフを用いる近接格闘術、多種多様な拳銃の扱いから、IED(即席爆発装置)の作り方や解体方法まで学んでいる。
それらはすべて、自分の命を己の手で守るために身に付けた力だ。
俺は――弟のようにはならない。
「人間は地位が高くなるほど、足元が滑りやすくなる。とはローマの歴史家である、コルネリア・タキトゥスの言葉だったか」
ならば、その足を支える基盤を強化することは、至極当然の帰結と言える。
「俺は、あの約束を果たすまで、死ぬわけにはいかないんだ」
誰に聞かせるわけでもない呟きが、高速で走る電車の音にかき消された。
空手、柔術の道場をはしごし、それぞれの師範に挨拶をして鍛錬を終えた頃には、すでに陽が落ちかかっていた。今は汗を拭いて、白麗院の黒い制服に着替え終えたところだ。
最後に行った剣道場のすぐ近くに、早朝に乗ってきた黒塗りの車がとまっていた。
「透様、お疲れ様です。約束通りお迎えに上がりました」
後部座席から、清楚なメイド服を着た京香が降りてくる。
京香が苦手な太陽光も今はなく、彼女は朝見たときよりも生き生きとしていた。
「ありがとう、京香さん」
一言お礼を言って、後部座席に乗り込む。俺が座席に座ったあと、京香が扉を閉めて俺の対面に座り、運転手に連絡を入れた。ゆっくりと車が動き出すのが分かる。
さすがに一日で二つの道場に行くのは疲れた。油断をすれば今にも眠りに落ちそうだ。
「少々お疲れのようですね」
「いや、そんなことはないよ」
顔に出ていたのだろうか? いけないな。京香の前では、つい気を緩めてしまう。
「構いませんよ。私はあなたの忠臣ですから。そのように心を張りつめていなくても」
京香が柔らかな笑顔を浮かべて言う。
出会ったばかりの京香は、今よりも表情を変えることは少なく、普段は顔の動きだけで人の思考がある程度読める俺でも、その真意は分からなかった。でも、今は違う。
「……じゃあ、少し仮眠を取らせてもらってもいいかな?」
「はい。どうぞお休みください」
「京香さんが側にいてくれれば、俺も安心……できる」
すぐに俺は眠気に抗えなくなり、瞼が重くなった。
「透様の気の抜けた顔が見られるのも、私の特権ですから」
目を閉じる際に見えた京香の顔は、どこか優しく微笑んでいた気がした。




