031話 九条透と姫宮詩乃Ⅲ
小さな振動が体を揺らす。景色が高速で流れていく。クラシック音楽が鼓膜を震わす。
俺はスモークフィルムの貼られた黒塗りの車に乗っていた。
椅子は座り心地が良く、車体が大きく揺れることもない。車内は快適だ。隣の運転席に座っているのが、ムキムキマッチョなモヒカンのおっさんじゃなければな。
ちなみに、このおっさん、ホモらしい。アリサがそう言っていた。思い返せば、車に乗るときに俺の尻を凝視していた気がする。気のせいだと思いたい。思わせてくれ。
「白麗院学院までは、もう少しかかるぞ」
「あ、はい」
白髪のモヒカンが話しかけてきた。狭い空間にこのおっさんと二人きりというのは、あまり体によくない。なんだか尻の辺りがムズムズする。
「アリサさんからもらったんだろ、それ」
おっさんが片手でハンドルを操作しながら、俺の膝の上にある竹製のバスケットを示す。
「学校に着く前に食べておけよ」
「わかりました」
俺はバスケットを開いて中身を取り出す。色鮮やかなサンドイッチ。美味しそうだ。
そもそも、なぜ俺がこのような状況に置かれているかというと――
アリサに白麗院の制服を差し出された俺は言葉に詰まった。
アリサはこれを着て、いつも通り白麗院に通えと言うのだ。
「なぜ、いまさら俺を高校になんて行かせるんだ?」
「そりゃあ、キミにはやってもらいたいことがあるからねぇ」
「なんだ、それは?」
「教えな~い☆」
目の横に添えた、逆ピースサインが腹立たしい。
思わずアリサをぶん殴りそうになったが、ギリギリのところで自重する。
「車を出してあげるから、それに乗って白麗院に行きたまえ」
そう言うと、アリサは言いたいことは全部言ったというように、部屋を出ていく。
「あ! おい、ちょっと待て!」
「詳しいことはメモに書いてあるから、上着のポケットを見てね~☆」
俺が制服の上着から紙を取っている隙に、アリサの姿は部屋の外へと消えていた。
「……本当に自由なやつだな」
俺が白麗院の制服に着替えて、いつの間にか部屋の隅に置いてあった、教科書などが入っている学生カバンを掴んで部屋の扉を開けると、目の前にマッチョなモヒカンのおっさんが立っていた。
その後、俺はおっさんと地下基地のエレベータに乗って地上――中央病院に出ると、そこの駐車場にとめてあった黒塗りの車に直行、というわけだ。
ちなみに、サンドイッチが入っていた竹製のバスケットは学生カバンの中にあった。どうやらこれが今日の朝食らしい。ついでに言うと、朝に飲む分の精神運動発作や自律神経発作を防ぐ薬と感情の高まりを抑え、強い不安感や緊張状態を取り除いて精神を安定させる薬も、そのバスケット内にしっかり入っていた。
これらの薬を飲むことで、多少は集中力や反射運動能力が低下する副作用もあるだろうが、それは自分の力でなんとかするしかない。
そして、アリサに渡された紙に書いてあったことは、要約すると全部で三つ。
一つ、俺の左手首に嵌められた黒い腕輪には超小型のGPSが埋め込まれており、俺の位置情報は常にアリサ側に受信されているので逃げ出そうとしないこと。そのような行動が見られた場合は問答無用で体に毒を流し込まれるらしい。そして何か話がある場合、もしくは能力の使用許可を求めるときは、腕輪を使ってアリサに連絡を取ること。
二つ、これは俺が一番気になっていた情報だ。俺が組織に拉致されて経った日数は二日。火曜の夜に九条家を襲撃され、水曜と木曜はまるまるあの基地にいたことになる。つまり今日は金曜。学校を休んだのはたったの二日間だ。風邪をひいたと言えば話は通る。
三つ、組織の情報を外部の人間に漏らさないこと。組織のことを知った人間は有無を言わさず排除しなければならない。そしてこの約束を破れば、俺はあの地下基地でアリサに監禁され、散々体を弄られた後に廃棄処分されるらしい。
また、九条家の消滅は日本政府による情報の隠蔽工作により、世間には知られていないようだ。表向きは今でも九条宗司が九条グループを運営していることになっている。
だが、九条宗司は死んだ。俺が殺した。
そのことを改めて認識してもなんの感慨も湧かない。倫理的な迷いという常人には越えられない……いや、けして越えてはいけない壁を破壊し、己の手を汚した。
俺はもう人間ではない。ただの殺人鬼だ。
「オイ、着いたぞ、坊主」
おっさんが車を道の脇にとめた。誰が坊主だ、このモヒカン野郎。と内心愚痴りながら、俺はおっさんに礼を言って車を降りる。
車を降りて道なりに少し行くと、いつも詩乃と自然と会う場所が見えてきた。
そこには当たり前のように詩乃が立っていて、そわそわと落ち着かない様子で何かを探し求めるように周りをせわしなく見回している。
……ザッ……ザ……ザザッ…………
詩乃を視界に捉えた瞬間、急に激しい頭痛に襲われた。
「うっ……なんだ、これは?」
やがて、詩乃は目当てのものを探し当てたのか、ハッとした表情を浮かべたあと、その瞳の端を涙で濡らした。というか、完全に俺のことを見ている。
ああ、そうか。心配してくれたんだな。
俺が詩乃の元にたどり着くと、詩乃は無言で俺の胸を叩いてきた。
「この二日間、何してたのさ。……心配、したんだよ」
「……悪い」
「悪いじゃわからないよ! 透、電話をかけても出ないし。何かあったの? 風邪でもひいた? 本当に大丈夫?」
黙っていると、詩乃は俺の長い前髪に隠れた左目を覆う黒い眼帯に気付いた。
「……何それ? もしかして透、まだ無茶しているの? もうその能力は使わないって約束したじゃない! 私に嘘をついていたの?」
左目を覆う眼帯を隠すように、俺はそっと長い前髪を整えた。
詩乃は俺が超能力を使って大企業の代表たちと戦っていることを知っている。
高校一年生の頃、能力の使用過多により体を疲労が蝕み、精神に負荷がかかりすぎて体調を崩したとき、俺は詩乃にもうこの能力は使わないから心配しなくていいと言った。
でも、それは嘘だ。
それからも俺は『洞視眼』を使ってきたし、詩乃との約束も守れていない。
「いや、ちょっとね。この二日間、九条グループにとって凄く大切な商談があってさ。詩乃の電話にも気付かなかったんだよ。あとで詩乃には連絡を入れようと思っていたんだけど、つい寝落ちしちゃって。すまない、詩乃。心配かけて」
苦笑いを浮かべながら、胸の前で両手を合わせて詩乃に謝る。
俺はこの二日間で味わった苦しみを思い出さないよう、努めて明るく振る舞った。
「……違う。――――嘘。嘘、嘘、嘘、それは嘘! だって透、今、私以外のクラスメイトと話すときと同じ顔してるもん!」
瞳孔が開き、目の光を失った詩乃の瞳に、右目の奥を覗き込まれる。
ゾクッ、と俺の全身を寒気が襲う。やはり、詩乃に俺の演技は通じないか。
「…………お前には、関係ないだろ」
吐き捨てるように言う。詩乃のことを遠ざけるように。分厚く頑丈な【仮面】を被って。
「関係ないって……そんな! 私は透のことを心配して――」
「そんなこと、俺は求めていない!」
詩乃が伸ばした【右手】を乱暴に振り払う。
「もうこれ以上、俺に関わるな! 元々、俺は独りだったんだよ!」
「違う! 透には私が――」
「……ふっ、ははっ。まだ気付かないのか? 愚かな女が。俺にとって、お前は俺の野望を叶えるための、駒の一つにすぎないんだよ!」
「…………え? そんな……透……嘘だよね……? ……え、嘘じゃ……ないの?」
俺の決定的な拒絶の言葉に、詩乃は目を見開いたあと、一筋の涙を流して走り去った。
「……これで、いいんだ」
本当は俺だって、詩乃に冷たく当たりたいわけじゃない。でも――
「仕方ないじゃないか……」
詩乃を危険な目に合わせたくないんだ。詩乃を闇の世界に引きずり込みたくないんだ。
彼女は笑っている姿が一番似合っている。だからこの一時、たとえその瞳を俺のせいで涙に濡らすことになっても、詩乃には幸せな時間を送ってほしい。
俺の、九条透の隣にいる限り、姫宮詩乃に幸せは訪れない。
何かを選択するということは、同時に何かを捨てるということだ。
「――犠牲になるのは、俺だけでいい」
だから俺は大切なものを捨てる。もっと大切なものを守るために。
「これ以上、俺の心に『嘘』を詰め込ませないでくれ……」
傷んで軋んで汚れて削れて、風化した継ぎ接ぎだらけの『偽物』の心が泣き叫ぶ。
泥のように濁った黒い瞳から、とうの昔に涸れたはずの液体が一滴零れ落ちた。
腹が減っても!! 槍が降っても!! ここを動かず『感想』を待ってる!!
必ず戻って来い! 読者――お前がいねぇと……! おれは『なろう作家』になれねェ!!!! ドドン!!




