029話 九条透と変態女(三人)
夕食の後、俺は綴に連れられて六畳間の部屋にいた。
「今日からここがお前の部屋だ。あとでアリサが監視カメラをつけると言っていたが、それくらいは我慢するんだな」
俺は部屋を軽く見渡す。部屋の隅に簡易ベッドが一つ。
部屋の中央には小さなテーブルが、部屋の壁には電波時計が埋め込まれていた。部屋自体は六畳だが、キッチンとユニットバスは別にある。狭い部屋だが孤児院にいたころよりは恵まれている。あの頃は個室なんてなかったし、風呂もトイレも共用だったからな。
「はぁー、なんか凄く疲れたよ」
俺はベッドに仰向けで寝転がった。
最初に拉致されたときの独房にあったベッドよりは遥かに寝心地が良い。
アリサが率いる『ウロボロス』との関係もひとまず落ち着いたし、何かの実験に付き合わされる可能性は高いが、しばらくは殺されることもないだろう。
目を閉じて、いままでの出来事を思い出していると、突然体に重みを感じた。
まるで誰かが俺の上にのしかかっているような。
「……ん? え?」
目を開けると、案の定というか、綴が俺の体の上に覆い被さっていた。
綴の柔らかそうな大きな胸が俺の視界を占める。そしてなぜか俺の両腕は綴に抑えつけられていた。女の子特有の甘い香りが、綴も女性であるということを俺に意識させる。
「うん、やはりな」
「あの……何が?」
綴が一人、得心がいったという顔をしていた。
「なぁ、お前、ちょっと女装してみてくれないか?」
「………………お前は何を言っているんだ?」
「似合うと思うんだ。背も低いし、顔も小さいし可愛い。体付きは……しなやかな筋肉は付いているが、どちらかというと細身だ。……ん? でもやはり硬いな、だがいい尻だ」
綴が俺の上半身をまさぐりながら下半身を見て呟く。手慣れた手付きが不気味だった。
「いや、まず俺は男だし。綴は女の子が好きなんじゃないのか?」
「なんだ、アリサに聞いたのか。だがな、別に私は男より女のほうが好きなだけで、男が嫌いなわけではない。両性愛者だ。まぁ、明らかに男臭いやつは嫌いだが」
綴は俺との距離をさらに詰めてくる。温かくて柔らかな感触がした。綴の胸が俺の躰に押し付けられてむにゅむにゅと形を変える。ほんのりと香る甘い匂いが俺の心を乱す。
「あの……綴、ブラは……?」
「私、家ではつけないの。締め付けられる感じが嫌いなんだよ」
「そ、そうですか」
「それよりも、私はお前のことがもっと知りたい。そのためにまずは体を重ねるところから始めようじゃないか。いいだろ、一回だけでいいから女装してくれよ。初めて見たときから目をつけていたんだからさ。お前も私のモノにしてやるよ」
そういえば、俺がここに拉致されてから、綴は俺のことを気にかけてくれていた。結構いいやつなのかと思っていたのにまさかこんな打算があったとは。
「普通に嫌だよ。というか昔、し……友達に文化祭で無理やり女装させられた嫌な思い出があるからな。あれ以降、学校の男子がやけに優しく接してくるのが気持ち悪かった」
あの経験は俺の心に軽いトラウマを残している。あれは全部、詩乃のせいだ。
「なんだ、経験があるのか。なら話は早い。というかお前に友達なんていたんだな」
「うるさいな。友達というか、ただの知り合いだよ。いいから離れろ!」
俺は綴の肩を強く押して距離を取る。
「仕方ないな、今日は我慢しておいてやろう。じゃあ今から風呂に入ってこい」
「なんでこの流れで? なんか不穏な空気を感じるんだが……」
唐突すぎて意味がわからない。
「お前が風呂に入っている間にアリサがこの部屋に監視カメラを取りつけるそうだ。着替えは私が用意しておくから、ほらっ、はやく入ってこい」
俺は警戒しながら綴から距離を取り、風呂場へと向かう。
中を覗くと狭い脱衣所があり、その先にユニットバスがあった。
「風呂に入るときは眼帯を外してもいいってさ。あと、その腕輪は防水仕様だから水に濡れても大丈夫だって」
「チッ、やっぱりそう簡単にこの腕輪は外させてくれないか」
脱衣所に入ろうとすると、綴が興味深そうにこちらを見ているのが目についた。
「……おい、一応言っておくが、絶対に覗くなよ」
「それはフリか? いや、しかし、なぜ私が男の風呂を覗かねばならんのだ」
綴はまったく興味がなさそうに吐き捨てるが、その目はこちらを凝視したままだった。
俺は嘆息して脱衣所に入る。綴が着替えを取りに行っている間に、早く風呂に入ってしまおう。――というか、綴……お前、早く出て行けよ。
頭の後ろに手を回して眼帯を外す。紐でくくっているのではなく、差し込み式のバックルだった。病院服みたいな白い服を脱いでかごに入れ、風呂場に行く。
中はトイレとお風呂がセットになっていた。
浴槽の中にカーテンを入れて、水が外に跳ねないようにする。
シャワーヘッドから水を出し頭から被る。長い前髪から水が滴り落ちた。
そういえば、風呂に入ったのは何日ぶりだろうか。
というか、ここに拉致されてから何日経っているのだろう?
そんな疑問を抱いたまま、全身に水を浴びつつ正面を見据える。
そこには鏡があり、浴室用なのか曇ることもなく、自身の姿が鮮明に映し出されていた。
筋肥大した相撲取りのような太股。バキバキに割れたシックスパックの腹筋。ほどよく膨らんだ胸筋。豆が潰れまくったごつごつの分厚く硬い手のひら。
シルエットは細く見えるものの、無数の傷跡が刻まれた屈強な体から、視線は上へ――
酷い顔をしている。鏡を射るように睨む眼光。元から目付きは悪かったが、今はその荒んだ表情が顕著に表れていた。この環境下ではこうなっても仕方あるまい。
それでも鏡に映る自分の顔はボーイッシュな女の子のように見えた。
舌打ちしながら俺はその鏡を覗き込み、左目に意識を集中させる。
すると俺の左目の色は濁った黒から紫水晶のように変化した。
「よし、能力はちゃんと使えるな」
この状況で左目の能力まで機能しないとなっては話にならない。
俺はしばらくシャワーを浴びながら、左目を鏡に映った自身の右目に合わせ深淵まで覗き込み、自分の思考、深層心理を読み解いていく。
そうすることで、明確な意思の元に最善手を打つことができるのだ。
俺は風呂場から出て脱衣所で体を拭いてドライヤーで髪を乾かし、後ろ髪を紫色の紐でくくる。綴が持ってきたのだろうか、着替えはトランクスとジャージの長ズボン、あと黒のタンクトップだった。
「……おい。いくら四月とはいえ、夜中にタンクトップ一枚だと寒いだろ」
辺りを探してみてもそれしかないので諦めてそれを着る。
最後に鏡で確認をしながら黒い眼帯を付けた。カチッとバックルの留まる音が鳴る。
そして俺は脱衣所の扉を開き、
「おい、綴。この着替えはなんとかならないの……か」
扉を開けると、そこには綴ではなく朱里がいた。半分肩が出るほどゆるゆるのティーシャツに太股が全部見えるくらい超短いホットパンツ。おまけにボタンが開いてジッパーが下がってきている。下着が見えてしまいそうだ。
「あー、お風呂上りましたか」
「ああ。綴はどうした?」
「伊澄さんなら、私とアリサさんがこの部屋に監視カメラを設置しに来たとき、女性用の着替えを持って、脱衣所から風呂場を覗こうとしていたのでアリサさんに連行されました。まったく、こんな人のどこがいいんですかねぇ」
「あいつ……」
なんかもう、いろいろ残念すぎて言葉が出ない。いいや、あえて何も言うまい。
「その格好、なかなか似合っていますよ。透さん、着痩せするタイプだったんですね」
朱里が俺のタンクトップ姿を見て言う。
綴が持ってきた女性服じゃないということは、これは朱里が用意したものなのか。
「いい筋肉ですね。いや、これはマジでいい筋肉ですね。正直尊敬します」
いつの間にか朱里が俺の側に来ており、目を輝かせながら俺の二の腕を触っていた。
熊谷朱里。思い込みの激しい自称『正義』女であり、さらに食い意地の張った脳筋で、その上筋肉フェチか。一体なんなんだこいつは。
朱里だけじゃない、綴もアリサもキャラが濃すぎる。
「まったく、相手をするのが疲れるよ」
テーブルの上を見るとジャージの上着が置いてあった。
俺がその上着を羽織ると朱里は露骨に残念そうな顔をした。そして、
「では上腕二頭筋……あっ、間違えました。透さん、また明日。私は自室に戻ります」
「そうか、とっとと帰れ」
「監視カメラは設置し終えたので、たぶん、今もアリサさんが見ていると思います」
俺は天井の隅にある監視カメラを半眼で見る。あれ一つで全体を観察することはできない。おそらく他にもどこかに小型の監視カメラがあるのだろう。
「だから、ここから脱走しようとしたり、何か小細工をするようなまねはしないでくださいね。あと朝には誰かが迎えに来るそうです」
それだけ言うと、朱里はこの部屋から出て行った。
スライド式の扉が閉まり、鍵のかかる電子音が鳴る。
当然、中からは開けられないシステムになっているのだろう。
「何もするつもりはないが、常に誰かに見られているというのは、いい気分じゃないな」
天井の隅にある監視カメラを鋭く睨む。一つだけその存在を主張するようなあの監視カメラは俺の背任行為を抑止するためのものだろう。要するに威嚇ってわけだ。
とりあえず、俺はアリサに支給された、精神運動発作や自律神経発作を防ぐ薬と睡眠導入剤を水道から汲んだ水で飲む。
「ところで、この眼帯は寝るときに外してもいいのか?」
俺の独り言に、左腕に嵌められた腕輪が応えた。
「うわっ!? なんだ、これは?」
黒い腕輪が急に振動しだしたのだ。
『手首の内側にある小さなボタンを三回押してみなさいな』
天井の隅にある監視カメラからアリサの声が聞こえる。
どうやらカメラの裏側にスピーカーまで付いているらしい。
俺はアリサに言われた通りに腕輪のボタンを三回押した。すると腕輪の一部が左側にスライドして収納され、その下にいくつかの小さなボタンと小さなスピーカーが現れる。
『どうだ? 凄いだろう』
今度のアリサの声は監視カメラの裏にあるスピーカーからではなく、腕輪の中に収納されていた小さなスピーカーから聞こえた。
「なんだよ、これ?」
『これで任務の際にこちらから指示を出せる。あと、キミからも何か私に訊きたいことや伝えたいことがあれば、連絡をよこせばいい。そちらからも連絡が取れるようになっているからな』
「なるほど。便利だな」
『腕輪の使い方はキミが今着ているジャージの上着のポケットに入っている』
俺はポケットに手を突っ込み紙を取り出した。その紙には腕輪の使い方がイラスト付きで書いてあった。かなり絵が上手い。これはアリサが描いたものなのだろうか?
『それとさっきの質問だが、答えはノーだ。私が許可を出さない限り、その眼帯を勝手に外すことは許さない。もしそれを破れば……わかっているな。緊急時にはそちらから連絡をくれれば能力の使用許可を出してやろう』
「これじゃあ、俺は完全にお前の飼い犬だな」
『いまさら何を言う。キミは私のペットだろう。決して飼い主の手を噛むようなまねはするなよ。では、おやすみ透君。いい夢を』
一方的にアリサとの通信が切れた。
「何がいい夢を、だ。この状況でそんなものが見られるかよ」
そう毒づくと、俺は部屋の電気を消してベッドに寝転がった。
電気を消すと、この部屋は完全な闇に包まれる。なにせ窓がないのだ。明かりが入ってくることもない。だが、俺の目は特別性だ。完全な暗闇の中でも『視る』ことができる。
俺は布団の中で腕輪の使い方が書かれたメモを読みながら静かに眠りについた。
★ ★ ★ ★ ★
地下基地のとある一室で藤堂アリサはモニター画面を眺めていた。
その画面には九条透を半ば監禁している部屋が映っている。
透の部屋にしかけてある監視カメラはすべて高感度であり、赤外線照射機能や熱感知センサーも取り付けられていた。
よって、たとえ透の部屋が暗闇だったとしても、その行動を監視することができる。
「……へぇ、真っ暗闇の中でも『視る』ことができるのか、あの『目』は」
画面に映る透の姿は部屋の電気を消して、アリサが書いたメモを見ながらベッドに寝転んでいる。アリサは九条宗司を監禁していた部屋で透の意識を奪ったあと、透が眠っている間に彼の髪と皮膚と血液を採取していた。
そのデータを調べ終えるまでは透の身体を強引にいじるつもりはない。
なぜなら、彼にはまだ別の使い道があるからだ。
しかし、もし透の身体を隅々まで調べ終えてなお満足なデータを得られなければ、アリサには透の眼球を欲する自身の感情を抑えられる自信がなかった。
「なぁに、人の形をしているだけで、彼は研究対象であり実験体――ただの消耗品だ」
モニター画面には透の部屋の映像の他に、九条透の基本データが映し出されている。
九条透。身長164センチ。体重五十九キログラム。高校二年生。超能力は『思考読解』。
そしてその横には黛京香と姫宮詩乃のバストアップ写真も表示されていた。
「……ふふふ、あとは獲物が餌にかかるのを待つだけだな」
モニター画面にはアリサの妖しい笑みが反射されていた。
感想を頂いたので要望にお応えさせて頂きます




