026話 アリサという女
ここはどこだ? と思ったのは二度目だ。
こんな短期間に知らない天井を何度も眺めるはめになるとは数奇な人生だな。
と他人事のように思いながら、ゆっくりと体を起こす。
着ていた制服は脱がされていて、白い病院服のようなものを着せられていた。
服の内側には、あちこちに包帯が巻かれている。後ろで結んだ髪も解けていた。
というか、この処置を施したのは一体誰だろう? 朱里、綴、アリサ、ここに来てから女しか見ていないが、もしかして俺はあいつらに脱がされたのか?
そういえば『トードー』はどこにいるんだ? あいつは男のはずだ。俺に最初にコンタクトを取ってきたくせに、あの場に姿を現さなかった。
「もしかして『トードー』はアリサの仲間じゃないのか?」
思慮を巡らせていると、俺はあることに気付いた。
「ん……?」
よく見ると、俺の左手首には、黒色の太い腕輪のようなものが嵌められていた。
注意深く触ってみるが、特に変わった反応は示さない。取り外そうとしようにも、どこをどうすればいいのかわからなかった。下手に触ると何か起きるかもしれない。幸いと言っていいのか、太さの割にはあまり重くないし、気にしないことにした。
「さてと、今は何時だ?」
時計を探して部屋を見回す。今度はあの独房とは違って殺風景なんてことはない。
医療器具が乱雑に置かれている、病室のようなベッドの上に俺はいた。
「あった」
アナログな丸時計を見ると、時刻は六時を示していた。
「……いつの六時だ? 日付が分からないと意味がないな」
俺はベッドから立ち上がる。多少足元がふらつくが問題はない。
だが、どうにも左側の視界が狭いように感じた。なぜか嫌な予感がする。
疑問に思って左目に手を添えると――そこには左目がなかった。
「――なっ!?」
いや、別に左目を抉り取られているというわけではない。俺の左目を覆うように、内側に布のような材質が貼ってある、何か硬いもので塞がれている。
猛烈な不安を感じて近くの鏡を覗くと、俺の左目を隠すように黒い眼帯が付けてあった。
「なんだ、これ?」
長い前髪をかき分けて眼帯をよく見ると、そこには変わった模様が刻まれていた。
一匹の銀色の蛇が、輪になって自分で自分を食んでいる。
「これは……ウロボロスか?」
――ウロボロス。昔から、蛇は古い皮を脱ぎ捨てて元の姿より大きくなるさまや、長い餓えにも耐えられる活力に満ちた生態などから、『死と再生』『不老不死』などのシンボルとされていた。その蛇が自分の尾を噛み円環状になることで、起点も終点もない『完全体』であるという意味が付与されたという話を聞いたことがある。
「しかし、こっちはなんだろう?」
俺の左目を覆う黒い眼帯には、ウロボロスのマークに、かまいたちのような半円の傷が等間隔に三つ刻まれていた。
「ウロボロスという記号の打消し。……完全ではないということを示しているのか?」
そんなことどうでもいい。考えるだけ無駄だ。
「とにかくこの邪魔な眼帯を外そう。これではいざというときに能力が使えない」
俺が頭の後ろに手を回して黒い眼帯を取ろうとしていると、
「それは勝手に外さないほうがいいぞ」
扉を開けて白衣に身を包んだアリサが入ってきた。サングラスはかけていない。
「なんだ、もう来たのか」
「やれやれ、ご主人様に向かってそんな口の利き方をするとは、キミは――」
「それで、勝手に外さないほうがいいというのは、どういう意味だ?」
「無視するなよ、つまらないだろ。……いや、そのほうが調教しがいがあるのか?」
「おい」
「あー、はいはい。ちゃんと説明してあげるから少し落ち着きたまえ。えー、その眼帯を私の許可なく外したら、左手首に嵌めたそのリストバンドみたいな腕輪が作動して、猛毒がキミの体に流れ込み、十五分で死に至ります。詳しい仕組みは内緒☆ 理由はわかるよね? キミの能力を封じるためだよ」
「それを先に言え! もう少しで死ぬところだったわ!」
危なかった。しかし厄介なことをしてくれる。やはりある程度の拘束はあるか。
「いやいや、別に外しても即死はしないさ。猛毒が流れ込む条件は三つ。
一つ、私に許可なくその眼帯を二分以上外すこと。
二つ、腕輪を外そうとしたり、壊そうとすること。でもこの腕輪は特殊な素材でできているから、破壊することはほぼ不可能だ。無駄な抵抗はやめたほうがいい。
三つ、私の気分を害することだ。私が手動スイッチを持っている。これはキミが裏切ったり、私の命令に背いた場合に使わせてもらう。ふふっ、あまり無茶な要求はしないさ」
アリサが嫌な笑みを浮かべる。つまり実質、俺はこいつの言いなりというわけか。
「さぁて、まずは何をしてもらおうかなー。やらせたいことはいっぱいあるんだよね」
「さっき無茶な要求はしないって言っただろ」
「はいはい。キミにできないことは頼まないさ。うーん、じゃあ、まずは私と簡単なゲームをしてもらおうかな」
「ゲームだと?」
「そう、単純なゲームだ。キミの知能を直接この目で確認したくてね。内容は……うん。そうだ、チェスにしようか」
「いいのか? それは俺の得意分野だぞ」
「へぇー、自信があるんだ。なら、もしキミが私に勝ったら、その腕輪を外してやろう」
そう言って、アリサは俺の左手首に巻かれている黒い腕輪を指す。
「……本気で言っているのか?」
「キミは私が嘘をつくとでも思っているのか? 心外だなぁ。心配しなくてもいい。私は約束を守る女だ。そこは信じてもらって構わない。信じる者は救われるってやつだね」
「信じる? 俺を拉致した上にこんな腕輪で拘束した人間のことを? ありえないな」
「まったく、キミのように他人を疑い過ぎていては人生長続きしないよ」
達観したことを言うアリサの顔を半眼で見つめる。左目は眼帯で覆われているので能力は使えないが、俺は対象となる人間の顔色、動作、口調、目の動き、表情の変化、言葉の反応から、ある程度の思考を読むことが可能だ。
だが、どうにもアリサからはそれが読みづらかった。
「まぁ、ゲームは遊びだ。その間にいろいろと説明してやろう。キミも私に訊きたいことがたくさんあるだろう?」
俺はアリサに促され、部屋にあった椅子に机を挟んでアリサの対面へと座った。
机の上に、アリサがどこからか用意したチェスボードを置く。
チェスボード。縦横八マスずつに白と黒の境界線を引いた正方形の盤。駒は動き方が異なる六種類のものがあり、その数は白と黒を合わせて合計三十二個である。
「先手は譲ってやろうじゃないか」
「随分と余裕だな。ルールを理解しているのか?」
アリサはあっさりと先手を俺に譲ったが、チェスに関しては先手が圧倒的に有利で、後手はドローにできれば喜ぶべきと言われている。
「勝負は一ゲームでいいんだな?」
「ああ、それで構わないよ。あんまり時間をかけると夕食に遅れるからねぇ」
アリサは時計を見ながら駒を所定の位置に配置していく。
彼女は後手なので黒い駒だ。そして先手の俺が白い駒を使うことになる。
「さて、始めようか」
アリサのその言葉を皮切りに、戦いの幕が上がった。




