024話 お前はもう用済みだ
俺は急いで父さんの前まで駆け寄る。
父さんのことは嫌いだし恨んでもいるが、血の繋がった実の親だ。多少の情くらいはある。母さんと夏樹が死んで、俺にはもう父さんしか家族がいないのだから。
「父さん、一体どうしたんだ? こんなところで……」
そういえば、綴が父さんを確保したと言っていたな。
「…………透。……お前、透かっ!」
俺が父さんの肩を揺さぶると、父さんは急に目が覚めたように叫んだ。
「ああ。今、拘束を解くよ」
「まっ、待て! 透、私の話をよく聞け」
父さんを拘束している金属の手錠を解除しようとする俺の手を父さんが言葉で制する。
「この手錠を解除しようとすれば、やつらが来て私たちは二人とも殺される」
「やつらっていうのは?」
「私をここに拘束した者だ」
綴と朱里、『トードー』、もしくはその仲間か。
「それで? 俺はどうしたらいいんだ?」
俺は内心訝しく思いながらも、父さんの言葉に耳を貸す。
「なぁ、透。お前、昔……死にたいって言っていたよな?」
「……は? 何を言っているんだ、こんなときに」
確かに、まだ俺の精神が弱かったころ、俺は生きる辛さに耐えかねて、自らの命を投げ出そうとした。だが、それは過去の話だ。今は果たさなくてはならない約束がある。
「いままで私は、お前のことを精一杯可愛がって育ててきたつもりだ」
一体、どの口がそんなことをほざくんだ。
「私はお前にはこれからも生きて、いろんなことを学んでほしかった」
まるで、今から俺が死ぬかのような口ぶりだな。
道具としての俺に、父さんの役に立つ経験値を積ませたかっただけだろう。
「母さんと夏樹が死んで、お前には辛い思いをさせたと思っている」
そんなことはもうどうでもいいんだ。その前にお前が俺にしたことを忘れたのか?
「だが私には会社がある。仕事がある。責任がある。私はこれからも生きて、九条グループを運営しなくてはならない」
さっきから、父さんは何が言いたいんだ?
「だから透――――お前はここで死んでくれないか?」
………………………………………………………………。
その言葉に俺は息を呑み、咄嗟に声を発することができなかった。
「…………ど、どういう、こと?」
「すまないが、私とお前、生き残ることが許されるのは、どちらか一人だけなんだ」
左目に意識を集中させ、俺は能力を発動させる。
「詳しく説明してくれないか」
「それはできない」
父さんが視線をそらして口を堅く閉ざす。だが、父さんに説明するつもりがなくても、俺の『洞視眼』が強制的に父さんの思考を読み取る。
《やつらに提示された私が助かる条件は、両手両足を拘束された状態で息子を説得し、自殺させること。なぜそのようなことを要求してきたのかはわからないが、この際そんなことはどうでもいい。やつらは私の良心が痛んで実行できないと思っているのだろうが、生憎私にとってそれは容易いことだ。なぜなら、私はこいつのことなど微塵も愛していないのだから。ただ道具を壊すだけで、私の命が助かるなら安いものだ。それに私は――》
延々と続く、実父の吐き気を催すような汚い思考を、俺は避けることもできずにただ浴び続けていた。
「そう……か」
俺がいままで九条グループのために、父さんの駒となって働いてきたのは、俺自身の野望を叶えるためでもあったが、本当は父さんに自分のことを認めて欲しかったからだ。
父さんが俺のことを息子としてではなく、自分の役に立つただの道具としか見ていないことは知っていた。父さんと再会したときに、『洞視眼』の力で知ってしまった。だから俺も、父さんのことを自分の目的を果たすための、道具だと思うようにしてきた。
でも、いつか父さんが心を入れ替え、俺のことを大切にしてくれるという、微かな希望を抱いていたのかもしれない。まだ、どこかで諦めていなかったのかもしれない。
だが、その気持ちも、想いも、たった今……踏みにじられた。
――本当はわかっていた。ただその事実を受け入れたくなかっただけ。
父さんが俺のことを愛してくれる日がくるなんて、ありえないってことぐらい。
だから俺は父さんの思考を読まないようにしてきた。父さんも普段から似合わないサングラスをかけて俺と目を合わせることを避けていた。なのに、今、また知ってしまった。変えようのない現実を突きつけられた。だから――
「…………あの日から」
低い声で呟く。耳にした相手を呪い殺すような暗い声。
「あの日から俺が、どんな思いで生きてきたのかも知らないくせに……」
世界の果てにただ独り残された気分だった。
他人の思考を読み取る能力に目覚め、俺は六歳のとき、両親にすら見放された。
信じていたのに。世界中の誰もが俺を見放しても、家族だけは俺を見捨てないって。
でも結局、両親や九条家の使用人が俺を大事に育ててくれていたのは、俺が九条家の跡取り息子だったからだ。そう。だから、いらなくなったから、簡単に捨てた。
俺が『愛』だと思い込んでいたものは、あの幸せだった時間は、全部『嘘』で塗り固められた偽物だったんだ。変わり果てた環境の中、ストレスで胃に穴が開き、口から臓器が出るかと思うぐらい毎日のように吐いた。味覚も感覚も狂って頭がおかしくなる。
そして一切の光を失った焦点の定まらない虚ろな目で、歪んだ世界を眺めていた。
放心状態の俺に浮かんだ唯一の感情は『諦観』だった。
何も変わらない、同じ明日に慣れてしまった。
変化のない日常。それは死んでいるのと何ら変わらない。
「お前は、俺の生きる気力すらも奪ったんだ!」
――でも、それでも死ぬのは怖かった。
「別に生きる理由なんてなかった。死にたくないから生きていただけだ」
「……透、あの日からっていうのは、一体いつのことを言っているんだ?」
《こいつは何を言っているんだ? 所詮は過去のことだろ。いいから早く死んでくれ》
「――ッ! とぼけるな! お前が孤児院に俺を捨てた日だ!」
「……ああ、あのときか。別に私は透を捨てたわけじゃないよ。ただ、透が混乱しているようだったから、少し世間から遠ざけたほうがいいと思ったんだ」
《随分と昔の話をするな。まだ覚えていたのか。あのときは大変だったよ。世間からこいつの存在を隠すのは。私の息子が奇妙な能力を持つ『化物』だと知られては、私の立つ瀬がなくなる。九条グループにまで影響を及ぼされては困るからねぇ――》
実の父親の醜い思考に頭がおかしくなりそうだった。
「お前なんか、俺の親じゃない……!」
「おいおい。実の親に向かってその言い草はないだろう。中学生になったお前を九条邸に再び迎え入れ、必要な物や豪華な食べ物、専属の使用人を与え、あまつさえ、私の跡を継ぐ正式な後継者としてやったことを忘れたのか?」
「………………っ!」
《夏樹が死んで、跡取りがいなくなったときは少し焦ったが、思いの他こいつは役に立った。夏樹と違って頭は回るほうだしな。それにあの気味の悪い『目』の力も、九条グループの拡大に大きく貢献してくれたよ。一応、殺さずに生かしておいて正解だったな》
「父さんは、俺に死ねって言っているんだよ? わかっているのか?」
「ああ。私としてもお前を殺すのは忍びない。だが、私は九条グループの代表として、果たさなくてはならない責務があるんだ。頼むよ、私の言うことを聞いてくれ。私の大切な息子として、私の最後の願いを……」
「大切な息子として……俺のことが大切? ……そうか。わかったよ、父さん」
俺は制服のポケットから、一発だけ弾丸の入った拳銃を取り出す。
《お、ちょうど拳銃を持っていたのか。さぁ、早くその拳銃で自らの頭を撃ち抜くんだ。お前が死ねば私は助かる! そういう約束になっているんだよ。今まで気持ち悪いのを我慢して飼ってきたんだ。こういうときに役に立たなくてどうする? さぁ、早くやれ!》
俺は右手に握った拳銃の銃口を、父さんの額に強く押し付けた。
「……なっ、な、何をしているんだ!?」
「わからないのか? 父さんはここで死ぬんだよ」
「――は? はぁぁぁ? 冗談はよせ! お前は実の父親を殺すつもりか!?」
《何をするんだ!? こいつが私に逆らうなんて! お前は私の言うことを素直に聞いていればいいんだよ! お前はただの道具だ! 心を持たないガラクタだろうがッ!》
「確かに俺は心を持たないガラクタだ。だが、その原因を作ったのはお前だ」
《なっ! 心を読まれ――》
そこで、ようやく父さんは俺の顔を見た。
心の壊れた、幽鬼のような顔をした俺を。
禍々しく変色した、狂気を孕んだ紫色の瞳を。
その凶眼から零れ落ちる、赤黒い血の涙を。
「……お前! 私の思考を勝手に盗み見たな!」
「ああ、反吐が出るほど穢いものだったよ」
「お前は私のために動けばいいんだ! お前を育てたのは誰だと思っている!」
父さんが狼狽している姿は久しぶりに見るな、と冷淡に思いながら、俺は父さんの額に押し付けた銃の引き金に指をかける。思考はすでに冷え切っていた。
「その点は感謝しているよ。お前みたいな人間のクズに育てられたおかげで、俺は人知を超越した精神力を手に入れることができた」
父さんは両手両足を固定している手錠から逃れようと、必死に体を揺すってもがき、猿のように喚いていた。
「ふっ、ははははは、惨めだな。これ以上、お前の命に価値はない。――用済みだ」
「まっ、待て! 本当に私を殺すつもりか!? や、やめろ! 死ぬのなら私ではなく、お前が死ぬべきだ! お前は人じゃない、闇を喰らう――鬼だ! 悪魔だ!」
「だから、実の親を殺すことにも躊躇いはない。この世界に希望なんてないんだよ」
遠い昔、いつも涙で滲んでいた幼い瞳が、今は狂気を孕んだ邪眼へと変貌していた。
「痛いって言ったら、誰か癒してくれるのか? 苦しいって言ったら、誰か優しくしてくれるのか? 寂しいって言ったら、誰か側にいてくれるのか?助けてって言ったら、誰か手を差し伸べてくれるのか? そんなわけないだろ。祈りも、願いも、届かない」
九条宗司の顔が、俺に対する底知れぬ恐怖に怯えて歪み、股間の部分を冷たく濡らす。
「そしてもちろん、お前の要望も叶わない。――――――死ねッッ!」
俺は一切の躊躇なく引き金をひいた。
九条宗司の額に突きつけた銃口から、ほぼゼロ距離で銃弾が放たれる。
強烈な反動が腕を跳ね上げ、発砲炎をまき散らす。
銃弾は九条宗司の額を寸分違わず撃ち抜き、跳ねた血飛沫が俺の顔にこびりついた。
九条宗司の虚ろな瞳から、俺の呪われた左目が今際の際の思考を読み取る。
《透ゥゥゥ! 貴様、こ、殺す! 殺してやる。許さん。恨む、死んでも恨み続けるぞ! ……っ、い、嫌だ。嫌だ、嫌だ。し、死に、私はまだ、死にたく……ない……ぃ……》
そして九条宗司は、俺に呪詛に満ちた怨念を吐き出しながら、惨めに絶命した。
「ククク、フハハハハハ! 死の間際に、人は本当の顔を見せると言うが……九条宗司、お前は最期まで醜い人間だったよ。貴様のようなクズに、明日を迎える資格はない」
永遠に瞳の輝きを失った九条宗司の死体を、俺は憐れむように冷たく見下した。




