012話 武の力
午後の授業を終えた俺は、途中まで詩乃と一緒に下校した。中学のときは陸上部に入っていた詩乃も、高校では俺に合わせて部活には入っていないため、去年からほぼ毎日一緒に下校している。ちなみに、俺は中高ともに部活には入っていない。
俺と詩乃が通っていた中学では、何かしら部活動に所属することが義務付けられていたが、俺が数多くの道場に通っていることを学校に告げると、特別に無所属でいることを許された。別に部活に入らないで遊んでいるわけではないし、学校の成績も他の生徒と比べて群を抜いて良かったので、学校側も文句は言えなかったのだろう。実は俺と詩乃が中学二年生のとき、京香も中学三年生の間、密かに同じ学校に通っていた。
帰宅途中で詩乃と別れた俺は、いつもの待ち合わせ場所に向かう。そこには黒塗りの車がとめてあり、後部座席から黒いスーツを着て、サングラスをかけた男が降りてきた。
「お疲れ様です、透様」
一礼する男に対し、俺は軽く手を振って車内に入った。男が扉を閉めて車は動き出す。今日から三日間、九条家を留守にする京香の代わりのボディーガードというのが、この男なのだろう。背は180センチほどあり、体付きもがっしりしている。
男は俺の対面に座るとサングラスを外した。
なかなかに凛々しい目付きをしている。俺の濁った瞳とは大違いだ。
一般的に、ボディーガードはサングラスをしているというイメージがあるが、それには様々な理由がある。
第一に、サングラス本来の用途である、目くらましの防止と、己の顔を隠すため。
第二に、威圧感を出し威厳を保つため。
第三に、目線を周囲に悟られないようにするため。目線がどの方向へ向いているのかわからなければ、襲撃するほうもやりにくくなるからだ。
九条家の使用人には、俺の前ではメガネを除いた、サングラス等の目を隠すものを装着することを禁止している。なぜなら、俺の能力は対象と目を合わせることで発動するからだ。メガネ等の透過度が高いものはいいが、サングラス等の透過度が低いもので目を覆われると、俺の能力は作用しなくなる。
九条家の使用人とはいえ、俺は京香以外誰も信用していない。
俺は対面に座る男に視線を向けた。
「野々村誠さんですね」
「は、はい。私の名前を覚えてくださっていたとは」
「当然ですよ。俺は九条家に仕えている人間の名前は、すべて覚えていますから」
「……ですが、私と透様が直接会話をしたのは、これが二回目かと」
確かに、俺が野々村と話したのは、半年前に野々村が九条家に仕えることとなった、最終選考の日、以来だ。しかし、
「野々村誠、二十四歳。A型。実家は武道場を経営しており、幼い頃から家族と武術を学んでいる。家族構成は両親と弟が一人。ボディーガードとしての経験は乏しく未熟だが、礼儀作法がしっかりしており、この仕事に対する熱意が感じられる。そして、今は俺の父、九条宗司に仕える四人の専属ボディーガードのうちの一人だ」
「……なっ!? え? そ、そんなことまで……」
「さっきからうろたえすぎです。ボディーガードなら感情を顔に出さないでください」
「も、申し訳ございません」
野々村が大きな体を縮ませて畏縮する。
なぜここまで俺がこいつのことを知っているのか。
それは九条家に仕えている人間が、最終的に俺の『目』を通して決められているからだ。
そのことにより、事前に集めた情報に加え、その人間の本質まで見抜くことができた。
あらかじめ内に潜む敵を作らないよう、使用人を雇う過程で邪魔な芽は摘んでいる。
例え小さな問題でも、その場で迅速に解決することが、後々大きな問題が発生することを防ぐこともあるからな。
「そういえば、野々村さんはこんな噂を知っていますか?」
「噂……とは?」
唐突な話題転換に野々村は首を傾げた。俺は顔を野々村に近づけて続ける。
「九条家の次期当主――九条透と話していると、まるで自分の思考を覗かれているように考えが読まれてしまう。なんでも『彼には嘘が通じないらしい』っていう噂ですよ」
「まさかそんなこと……確かに、透様は頭脳明晰ですが……」
野々村の目線が泳ぎ、体がこわばるのを俺は見逃さない。
「なら、今、お前が考えていることを当ててやろうか?」
低い声で呟く。濁った黒い目を合わせてそうたたみかける。
野々村は視点が定まらず、顔に冷や汗をたっぷりとかいていた。
俺は九条邸内にこのような噂が流れていることを知っていた。
だから、あえてそれを逆手に取る。そうやって、俺に嘘は通じないことを理解させ、その噂を九条邸の外に広めないよう、脅しをかけるのだ。
だが、やりすぎは俺に対する不信感に繋がる。あくまで釘をさすだけだ。
「……ふふっ、冗談ですよ。さすがの俺も、他人の思考を完全に読むことはできません。まぁ、会話の流れで嘘をついているかどうかくらいはわかりますが」
一度安心させておいて、最後にもう一度釘をさした。
「でも俺は、個人的にはあなたに期待しています。あなたの目には曇りがない。思考が単純過ぎて少し心配になりますが、その熱意は買っているつもりです」
その言葉で、緊張感から解放された野々村の気が緩むのを感じ取った。
「あ、ありがとうございます!」
野々村は嬉しそうに頭を下げた。
自分より年下の子供相手に、よくもこう素直に従えるものだな……感心するよ。
「じゃあ、京香さんが帰ってくるまでよろしく頼みます。野々村さん」
俺は張りぼての笑顔で会話を締めくくった。
九条邸に着くと、清楚なメイド服を着た女が笑顔で俺を出迎える。
「おかえりなさいませ、透様」
「ああ、ただいま」
……またか。今日から京香がいないせいで、普段はあまり関わりのない使用人と接しなければならない。ボディーガードとメイドを兼ねている京香は、俺が思っていたよりもずっと役に立っていたようだ。早く帰ってきてくれないかな、なんて柄にもなく思う。
出迎えてくれたメイドの背は、俺より十センチほど低く、京香と違って体を鍛えている様子もない。本来はそれが普通なのだが。髪は色素の薄いショートカットだ。
俺は学校の荷物をメイドに預けて、自室のある二階へと向かう。
「あ、あの、今日から三日間ほど、黛さんの代わりに透様の専属メイドとなる、夕夏と言います。よろしくお願いしますね」
「佐藤夕夏さんだね」
「あ、私の名前を覚えていてくださっていたんですね! 私のことは、夕夏と呼んで下さって結構ですよ」
嬉しそうに笑う夕夏に、俺は表情を変えず淡々と言う。
「佐藤夕夏、二十歳。B型。家政科の専門学校を卒業しており、基本的な家事スキルが高い。運動、勉強も平均以上にできる。家族構成は、母と中学生の妹が二人。三年前に父親を病気で亡くしており、安定した収入を望んで一年前から九条家に仕え始めた。常に明るくふるまっていて、他の使用人からも好かれている」
「な、なんでそこまで……よくご存じですね」
この反応も二回目だ。野々村と違って、すぐに平静を取り戻したことは評価に値する。
「俺は九条家の使用人のことはすべて把握しています。なにしろ、九条家を支える大切な人たちですから」
俺の暗い眼差しに何か恐怖を感じたのか、夕夏が畏縮するのがわかる。
「それに、あなたの評判は他の使用人の間でも良いですから」
「えっと、その、もったいないお言葉です! ありがとうございます!」
夕夏の顔は一転して笑顔に包まれた。こいつも単純なやつだ。
その後、自室に戻った俺は道着に着替え、広い中庭で一人黙々とトレーニングに励む。
「這い上がるんだ……地獄の底から、自らの力で!」
不在の神に十字を切る暇があるのなら、拳を作れ、剣を掴め、銃を握れ。
「強い精神力と信念。やり遂げるには決意が必要だ」
下段受け、中段受け、上段受け、回し受け、手刀受け、十字受け、化勁、下段蹴り、中段蹴り、上段蹴り、前蹴り、後ろ蹴り、回し蹴り、三日月蹴り、胴回し回転蹴り、足刀蹴り、踵落とし、斧刃脚、前掃腿、後掃腿、穿弓腿、震脚、托槍掌、熊歩、振動功、站椿功、沈墜勁、浸透勁、双掌打、双纏手、崩拳、中段突き、上段突き、山突き、貫手、熊手、手刀打ち、背刀打ち、腕刀打ち、鉄槌打ち、前回り受け身、後ろ受け身、背負い投げ、小手返し、大腰、出足払、大外刈、大内刈、小外刈、小内刈、巴投げ、近接ナイフ術等。
延々と、多量の汗を流しながら、己の技に磨きをかけていく。
余計な筋トレは行わず、武術のためのみの、戦闘筋肉を鍛え上げる。
さらなる強さを求めて、より辛く険しい修羅の道を行く。
極限まで身体を痛めつけて追い込み、細くしなやかで機能性が高く柔軟でありながら、それでいて濃縮された剛力を持つ、鋼のように硬く編み込まれた屈強な肉体を作り上げる。
それが俺の日課だった。
そして自室で夕夏が持ってきた夕食を食べ、九条グループの資料を整理して風呂に入る。
父さんも九条邸に帰っていたが、一緒に夕食を取ることはなかった。
俺たちが同じ場所で食事をするのは、何か話し合いがあるときだけだ。




