女の子謙信がいる世界……とか?
余裕を持って家を出た貴時なのに、問題の橋を見つけるまで、かなり時間がかかった。
もちろん、神田川はすぐにわかったが、万世橋のような有名どころとまではいかなくても、それなりにまともな橋を探していた貴時は、該当するような橋を見つけられず、苦労した。
散々歩き回った挙げ句、見つけた場所は……住宅街を抜けた細い路地のどん詰まりにあった。
確かに神田川を渡る橋には違いないが……問題の鉄橋は正味、途中で行き違うのも苦労するほどの小さいな橋であり、地元の住人くらいしか使わないようなショボい橋だった。
おまけに、別に異世界に通じているなんて話はなく、ちゃんと向こう岸に別の路地が見える。
(いやいや、待て待てっ)
肩を落としそうになった貴時は、慌てて首を振った。
澄人が話してくれたところでは、橋を渡りつつ、自分が望む世界の概要をできるだけ詳しく羅列するといいとか。
すると、無数に存在する異世界のうち、自分の好みに近い世界へ行ける……可能性がある。
上手く行った場合、橋の真ん中に差し掛かる前に、橋全体が濃い霧に覆われるそうな。
せわしなく時間を確認しつつ、貴時は息を吸い込む。
「他に大事なことなかったか? ああ、聞き流さずにちゃんと身を入れてあいつの話を聞いておくべきだったな」
後悔と共に愚痴を吐き出したが、時既に遅し。
覚えている情報を元に、なんとかする他はない。
貴時は覚悟を決め、コンクリート製の堤防にかかったちゃちな鉄橋に挑んだ。
まず、数段ある段差を上り、赤さびの浮いた細い通路を渡っていく……時計で確認したが、ちょうど時刻は零時である。
橋は狭くてショボいのに、川幅はかなりあり、向こう岸まで相当ある。
鉄製とはいえ、こんなので大丈夫かと不安になるほどだったが……意外と、こうして歩いていても足元はしっかりしていて、揺れたりはしない。
(いやいや、そうじゃなくてっ。どんな世界へ行きたいか、言わないとなっ)
ここまで来たのである。
この際、恥ずかしいだの中二病的で嫌だのとか、言ってる場合ではない。
「よし、俺は今だけ、恥を捨てる! 赤裸々に行きたい世界を言うぞっ」
わざわざ声に出して己を鼓舞してから、貴時は満を持して希望を述べた。
「ええと……まず、この秋葉原みたいに、オタクマインド溢れる世界……て」
オタクマインドってなんだ!?
自分で言っておいて意味不明だが、自分的にはわかっていたら問題あるまい。すぐに思い直し……しかし赤面して続きを述べた。
「あと……そうだな、魔法やギフトのある世界がいいな。ギフトってのは、特殊能力のこと。そして、適度に緊張感のある世界……無駄に冒険を望む俺が楽しく暮らせる世界……そして、可愛い子も多い。ああっ、言ってて段々嫌になってきたなっ」
恥ずかしがるなっ、今は理性を忘れろっ。
自分に言い聞かせつつ、貴時はリンゴみたいに真っ赤な顔で無理に続けた。
非常に苦しかったが、今更正気に戻ってもしょうがない。帰る場所もないことだし。
「文明は近世っぽくていいよ。人種もごちゃ混ぜでいい。それから、偉人が当たり前のように存在する世界とかいいな。みんな、俺みたいに迷い込んでるってことね。あ、別に本物の上杉謙信とかニーチェとかじゃなくてもいい。俺が『多分、ニーチェってこんな人だろ?』と思うような人でいいんだ。それでいて、間違いなく本物のニーチェという。て、別にその二人じゃなくてもいい。ジャンヌ・ダルクとか、他にも俺が好きな偉人なら」
――たまたま浮かんだので、なんで謙信とニーチェとジャンヌなのかは、彼にもよくわからない。
補足説明も、貴時本人にもかなりわけがわからないが、要するにこういうことだ。
仮に貴時の世界で、大昔に実在した本物の謙信が向こうの世界に迷い込んでいたとして――そんな人、おそらく貴時とは全然仲良くなれそうにないからだ。
戦国時代の武将なんて、恐ろしく考え方が偏っていて、オタクマインドはゼロであり、さらにむくつけき野郎に決まってる。
実は美少女でしたなんて話は、実際の史実にはない、ないに決まっているのだ。
だからこその、「俺(貴時)が想像するような、有り得ない偉人でいい」ということだ。
……とはいえ、偽物ではなく、あくまでも本物に限る。コスプレ的な人はノーグット。
どういことかというと、彼女がいた元の異世界では、「その人こそが謙信である」ということ。
異世界なんだからIFが許されてもいいはずだし、可能性が無数に存在するという説を採るなら、当然ながら「女の子の謙信」がいても良いはずだろう。
いや、別に謙信に拘らなくて、ヒミコ(卑弥呼)とか龍馬とかでもいいが。
どうせ今住んでる貴時の世界では、皆例外なく、もう亡くなっているのだから。
……他にも、ズラズラ思いつく限りの望みを吐き出していると、途中から全然抵抗がなくなり、厚かましいほどガンガン望みを口にしていた。
後から考えたら「なぜ、自分の立場を強化するような願いを言わないのだ」と思ったが、貴時的には、それは何となくズルい気がしたのか、過度に自分を優遇しろとはついに言わなかった。
「ええと……他にあと、なんかないかな……そうだ、あの子がいるような世界だ、うんっ」
最後に、女性という生き物の中で、生涯で唯一仲が良かった子を思い出し、その子もいますようにと付け加えておく。
まあ、あの子が神隠しに遭った時は小学生だったので、今どうなっているか知らないが。
「く、来る前にまとめておけよ、俺っ」
次々と浮かぶ思いを口にしつつ、貴時は自分の迂闊さに内心で歯軋りしていた。
……そんな状態なればこそだろう。
いつの間にか足元から濃霧が迫り上がってきていることに、本人はまっったく気付いていなかったのである。