神隠しに遭った友人
「秋葉原駅から徒歩圏内に、神田川を渡る小さな鉄製の橋があってな。……そこを零時に渡ると、自分が望む異世界へ行けるらしい」
……下校時に、唯一といっていい親友から、こんな馬鹿話を聞かされた時、もちろん塔野貴時は信じなかった。
こいつ……つまり秋月澄人は重度のオタであり、年がら年中、同じような怪しい話を聞かせてくるからだ。
だいたい、「俺はそもそも、この世界で生きるべき男じゃない気がする」と日頃から吹聴している時点で、まともではない。
だから無論、他にもいろいろ説明してくれたのを適当に流して聞いていたし、最後に「どう思う、この話?」と言われた時も、「本当にそんな世界に行けたらいいねぇ」と棒読み口調で答えておいた。
しかし……今考えても不思議だが、その時の澄人は、いつもと違ってこの話題に執着した。
やれ、隣町の某は、この話を聞いた後で実際に橋を渡り、消えてしまったらしい」だの、「どうやら満月の夜がベストらしいんで、ちょうど今宵はよいタイミングだ」だの……挙げ句の果てに意味ありげな視線で貴時を見やり、「どうだ、おまえも行くか?」と持ちかけたりした。
中三の、しかも夏休み明けという忙しい時期に口にする話題ではない。
「おまえもって……じゃあ、澄人は行く気か?」
「おうよ」
ドーナツ屋の前で立ち止まった澄人は、力強く頷いてくれた。
「俺の勘では、今回はガセじゃないと思うんだ。だから、試すだけ試してみる」
……こいつは、オタのくせに、女の子にモテる腹の立つ二枚目顔なのだが、この時の表情は、恐ろしいまでに真剣だった。
気圧された貴時は、思わず頷きそうになったが――危ういところで、思い出した。
今晩は、両親が最後の話し合いをする夜である。
具体的には、離婚した後、貴時をどちらが引き取るか決める話し合いがあるのだ。
深夜に秋葉原くんだりまで出かけて、ふらふら見知らぬ橋を渡っている場合ではない。
だから当然、理由を話して断ったのだが……翌日には、もうその決断を後悔する羽目になった。
翌日になって、澄人が学校を休んだとわかった時点では、貴時はまだ慌てなかった。
あいつはしばしばズル休みするヤツだし、昨晩零時過ぎに秋葉原まで出かけたというのが本当なら、今朝は学校を休んでも全然不思議ではない。
しかし、下校時間が近づいた頃にあいつの母親から電話があり、「澄人の居場所をご存じないかしら?」と問われた時は、さすがの貴時も息を呑んだ。
放蕩息子の限りを尽くす澄人だが、これまで無断で学校を休むことはあっても、一晩明けても自宅に帰らなかったことはなかったのだ。
ここで始めて貴時は「もしかしてっ」と微かな疑いを抱いたのである。
一応、おばさんには昨日の話を聞かせ、「あいつ、本当に秋葉原へ向かったかもしれません」と答えておいたが――。
貴時の微かな予感通り、その日以後、澄人はきっぱりと消えてしまった。
携帯で連絡を入れても電波が届かない~というメッセージが流れるだけだし、メールを打てば、そのまま戻ってきてしまう。
にわかに、「もう澄人は日本にいないかも」と疑うような事態になったのである。母親の焦りをよそに、一週間経っても二週間経っても、あいつは戻って来なかった。
一つだけ、後でわかったことがある。
澄人の母が調べ周り、警察にも失踪届を出した結果、秋葉原駅近くに設置された街路カメラに、一人で歩く澄人が一瞬だけ映っていたのだ。
実際に映像を見せてもらった母親が、貴時に教えてくれたが……大股で歩く友人の姿は迷いのない表情であり、真っ直ぐ神田川の方向を目指していたらしい。
以後、一ヶ月近く経っても、友人は戻って来ず仕舞いだった。
……そして、貴時にもその間に大きな変化があった。
いよいよ、本当に両親の離婚が確定して、二人はそれぞれ家を出ることになったのだ。
澄人は母と一緒に去ることに決まり、いよいよ明日には住み慣れた家を出ることとなった。
どういう偶然か、その夜は澄人が消えたあの時と同じ、満月の夜だった。
……貴時はロクに考えもせず、リュックに詰めるだけ荷物を積み、その夜、こっそりと自宅を抜け出した。
もちろん、目的はまだ見ぬ異世界へ向かうことだ。
(俺も、その橋を渡ってみよう)
遅まきながら、そう決断したのである。
「そういや……昔の友達に、そんな子がいたな」
自室でぐだぐだしていた貴時は、自嘲気味に呟く。
澄人のケースではなく、遙かな昔、まだ貴時が小学生だった頃、クラスで行方不明になった女の子がいた。
未だにその子は行方知れずのままだが……今度は自分がその子の立場になるわけだ。
そう思うと、なぜか悪い気はしなかった。
もしかしたら、あの子は俺が向かうはずの異世界にいるかもしれない……ふと、そう考えたからだろう。
もちろん、本当に真剣に想像するなら、最悪、変質者的な犯人に誘拐されたかもしれず、仮にそうだとすると、その悲惨な最期も想像できる。
だからこそ、貴時はあえてそういう可能性は考えなかった。
自ら望んだ通り、この世界からきっぱり消えた友人と同じく、あの子もきっと、見知らぬ世界へ迷い込んでるのだ。
そして、今もそこで元気にやっているのかもしれない。
……少なくとも、そう考えた方が幸せに決まっている。
当面、原稿用紙四百枚前後で終わる予定で進めます。
チラ読みして興味が出た方は、どうぞよろしくお願いします。