第二章
「ただいま……」
誰もいない真っ暗な部屋に声が不気味に響く。
やはりこの暗さだけは慣れることができない。
一ヶ月とちょっと前までは、そんなに豪華ではないけれどそれでも庶民らしいマンションにいた。エントランス口でインターホンを押すと必ずお母さんの特徴ある優しい声が響いたものだ。家の玄関前まで来ると、夏は半そで姿で出迎えてくれ、冬はドアノブを動かして開いてることを示してあたしが入った途端にそそくさとリビングまで走り去っていた。そして夜遅くになると家族四人がみんな集まって他愛もないおしゃべりにいつもいつも夢中だった。
でも今は、おそらく二十代の若者のために作られたんじゃないかって部屋に……こりゃもう実質独り暮らしと変わらないと思う。
一人ならまだいい。
違うんだ。あたしは独りなんだ。
もう家族四人でふざけあっていた時代のあたしの面影はどこにも残ってはいない。学校ではあんなふうに振舞っていてももう以前のあたしとは決定的に違う。
あのころのあたしは自分にとって少しでも損になることを極度に嫌っていて、だから口では「独りなんて楽勝」とは言いつつも内心すごく怖がっていた。いつだって自分と笑い合える仲間が自分の傍にはいたから。
だけど、今は仲間を作る、そして信じることへの恐怖ばかりがあたしの心を埋め尽くしている。
人を完全に信じるということへの疑問なんて今までのあたしには考えられないことだった。
すべてはきっと――
あの日から――
おかしいと感じたのは前日の深夜からだ。
毎晩十時ごろになると姉ちゃんが塾から帰って来て、遅い夕食をとった後は大学受験生の姉の邪魔をするために姉の部屋に居候していた。その日もいつもどおりしばらくいたらお父さんが帰ってくる……はずだった。
ふと携帯電話に目をやる。現在時刻午後十一時三十六分。
「ねえちゃ~ん。どーでもいーけど父さん遅くね?」
「いやいやどうでもよくないっしょ……って、えええ!もう十一時過ぎてんじゃん!」
「いつも遅い時は電話くれるよね」
「いくらなんでも……
「「おかしくね?」」
「よしっ母さんのところに行こう」
「らじゃあっ」
二人でリビングに駆け込んだ。
「「(お)かあさーん!(お)父さんは?」
見ると、先に布団に入っていた母は気持ちよさそーに爆睡していた。あたしたちとは違い、なんとも幸せそうなものだ。
「母さん起きてよ!父さんは?」
揺り起こしながら姉ちゃんが叫ぶ。だんだんただの疑問が不安へと変わりつつあった。
「……ぅぅぅんんっああぁぁぁ…………ん?優海どうしたの?」
「母さん欠伸長いっ!じゃなくって父さん「晴海いま何時っ!?」
お母さんもようやく状況を把握したらしく、さっきまでの寝ぼけ眼からうってかわって目に明らかな焦りの色が浮かんでいる。
「もうそろそろ十二時になる。いくらなんでもお父さんはこの時間には絶対帰ってきてるぞ」
お母さんが不安の表情をあらわにしながら震える手で携帯を取り出した。お父さんの携帯電話に電話を掛ける。
『お掛けになった携帯電話は電波の届か……電源が入って…………』
マジかよ……
お母さんの口がわなわなと震えている。一呼吸置いて目が真剣な色に変わった。
「優美は学校に!!晴海は知っている先生に片っ端から電話してっ!!!」
「「はいっ!!」」
台詞だけを取り出すと全然緊張してなさそうに見えるが、このときのあたしは随分と取り乱していた。携帯電話を床に落とし、同じ先生に電話したり間違えて寝ている友達に電話を掛けかけたり……もう最後のほうなんて涙声だ……
この人もダメ……
なんでこの先生も……
同じ学校の人まで……
結局みんな返ってきたのは「わからない」の一言のみ。そのほかにも心配する声や慰める声も聞こえてきたが、この台詞を言われたあとはもう何の台詞も耳には届かなかった。
電話を片っ端から掛け始めてまだ十五分しか経っていないが、あたしたち三人にとっては丸三日ぶっとおしで重労働をさせられるよりも遥かに精神的に追い詰められていたと思う。
だって……家族が帰ってこないのだ。しかも一家の大黒柱であるお父さんが。
こんなに恐ろしいことなんて他にあるだろうか……
でも、もう成す術がない。
「一旦寝て朝まで待ちましょう……」
普通ならここで警察にでも電話したいところだが、お父さんは地域的に有名な難関私立中高一貫男子校の校長なのだ。へたに騒ぎを起こしたら学校や生徒をも巻き込む大騒動になってしまう。それだけは絶対に避けなければならないのだ。
だけど…やっぱり……
「警察に電話できないのか……?」
「できることなら今すぐにでもしたいわよ……でも……無理なものは無理でしょう。朝になって父さんが帰ってくることを願ってとりあえす寝なさい……」
「……わかったよ」
その日は久しぶりに三人で川の字になって寝た。こんなにうれしくもなんともない川の字なんて初めてだ。それにいつもなら川+一の字なのに……
あの日の朝……あたしたちは家の固定電話が鳴る音で起こされた。
その電話の内容は信じたくても到底受け入れられない、残酷すぎる内容だった……
電話の主は警察で、お父さんが何者かに殺された……と。
「……ゃいゃ……いやああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!!!」
お母さんの悲痛の叫び声が冷え込んだ家に虚しく響き渡った。
その直後だった。
「……ぁぁはぁはっ…………うっ……くっるしっ……」
いきなり左胸を押さえて苦しみだしたお母さんはその場にバタリと崩れ落ちた。
「かあ……さん」
もうなにがなんだかわからなくなった
その後お母さんは病院に緊急搬送されたがそのまま意識を取り戻すことはなかった。あんなにお父さんが大好きだったんだ……すぐにでも追いつきたかったのだと思う。
両親は共に消え去ってしまった。まだ中一の娘と大学受験を間近に控えた高二の娘を残して……。
家に駆けつけた警察にあたしたちは一度保護された。警察署に入ったときはもう二人供抜け殻状態で何も考えることができなかった。しばらくしてから学校の先生や祖母、叔父や伯母などが全員あたしたちの元に集まってあたしたちをどうするかの会議がなされた。あたしはまだ未成年だったから誰か保護者となる人がついていなければならない。しかも、姉ちゃんも未来ある一大学受験生だ。きちんと養っていける人でなければならない。だが、そのためには二人を引き離さざるを得なかった。
それにはあたしも姉ちゃんも頑なに反対した。家族を同時に二人失ったのにその上唯一の肉親となった兄弟を引き離すなんてそんなの死ぬのと同じだ。
だけどやはり二人供養子に入れるのはキツイとしか言われなかった。
家族会議が決裂しかけた時だった。お父さんの学校と同盟関係にある女子校……実はあたしが通っている学校だったりするのだが、の校長先生がやってきた。
「君たち二人の父上にはずっと助けられている。だから君たちを保護して君たちの父上に恩返しがしたい……。それに父上殿にも頼まれているんだ。俺は争いごとを起こしやすい奴だからいつか娘や女房を危険な目にあわすこともあるかもしれない。そのときは瑞谷。お前に託すぞ。とね」
これに一番驚いたのはもちろんあたしだった。だって自分が通う学校の校長先生に養子に来いなんて言われているのだ。誰だってこんなのびっくりするはずである。
でも、まあいろいろと面倒ではあるがこの方法が一番平和的ではあった。叔父も伯母も子供がたくさんいて、自分の子供を養うだけで正直のところ精一杯だったらしい。結局、あたしたちはとりあえず一日泊まってから考えるということでみんなの意見は固まった。あたしたちもこんなあたしたちに手を差し伸べてくれる人がいることへの喜びが少しずつ湧き出していた。
「では手続きをしま「ガチャッ」
校長先生あ、いや……お義父さん……?が笑いながら話すのをドアが勢いよく開く音が遮った。
「花村女学院校長 瑞谷義貴が重要参考人として名が挙がっている。一緒に来てもらう」
「「「「「「なっ……」」」」」」
「なぜ僕に疑いがかかる……!?僕はあの時間ずっと家にいたはずだ!だれがそんなこと……」
「お前と羽田氏の教員仲間の星崎と名乗る奴から情報提供があった」
「まさかあいつ……「いいから早く来いっ!!」
あたしたちは何も言えずにただそこに立ち尽くしていた。
もういやだ……
もういやだ……
「もういやだ……!」
昨日からなんなんだよ……誰だよ……誰が企んだんだよこんなこと……
もうやめてくれよ……
姉ちゃんを見ると、昨日からずっと泣き続けてもう涙がでないらしい。下唇を噛んでうつむいている。
「やっぱり俺が一旦引き取ろう。そのほうがいい。姉さんより俺のほうがまだ金銭的にも余裕が「いいっ!!叔父さんやめてくださいっ!!!私決めました!確か親がもしもの為にって遺していた貯金があったはずです。それを使って晴海と二人で暮らします。私だってもう義務教育が終わった立派な高二、いや、もう高三になるんですっ。それに晴海がついてるから大丈夫。ねっ晴海……?」
「でも姉ちゃん受験……」
「いいよ……もう、諦める……それしかないよ…………」
苦い顔をして言っているところ、やはりまだ諦めきれてはいないのだろうと思う。その時、ずっと黙っていた姉ちゃんの先生が口を開いた。
「あなたはまだ望みがあるのよっ……!簡単に諦めちゃダメよ!」
「じゃあどうしろっていうんですか!晴海と離れろと!?そんなのあってたまるか!」
あたしのことを考えてくれる気持ちは嬉しいけれど、それで姉ちゃんの未来がなくなるのはあたしが嫌だ……!絶対にそれだけは嫌だ……互いに迷惑を掛けたくない気持ちは同じはずなんだ。
「優海ちゃんがそう言うならこうしましょう。彼らが遺したお金にはあえて手を出さない。そのかわりに二人の新しい住まいや日常に必要な諸々のお金は私たちが割り勘で出すわ。もちろん塾代も。そのかわり決められたお金を二人で協力して使いあいなさい。それでいいかしら?みなさんもそれで納得していただけますか?」
伯母さん……!
「あっあありがとうございます!」
「あっあたしからもありがとうございます……!」
そしていろいろと面倒な手続きはすべて伯母さんが買って出てくれて今に至る。
金銭的にも困らないし、さすが伯母さんよく頭のキレる人だなあと感心してしまう。
姉ちゃんは無事に塾を継続できて最近はずっと自習室にこもっていて全然顔をあわせなくなった。
でも、何かが終わっていないことについこの間気がついたのだ。
校長先生はどうなったのだろう……と。
あたしはすぐさま叔父さんに付き添ってもらって結局殺人容疑で逮捕された校長先生のところへ面会をしにいった。久しぶりに見た校長先生は随分とやつれていて、あたしたちの保護者になることを買って出てくれた時と明らかに雰囲気が違う。
「先生……あの……」
「君はもしかして気付いてくれたのかい?」
「へ?」
「僕が……
そこで言葉を切ったので何事かと思ったらすぐにわかった。後ろに監視員がいるからすべてを喋ることができないのだ。
「晴海ちゃん!」
「はい!?」
いきなり叫ぶから返事が変になってしまった。
するとこちらを見て口をパクパク動かしている。喋れなくなったのかと思って首を傾げたら自分の口を指差した。ああ、口パクってことか?
う、あ
うあってなんぞ?
「うあ?」
シィーっ
ああそっか口パクだもんな。
つ、か
塚?
つ、ま
そうか“妻”、奥さんのことか!
「褄がどうしたんですか?」
「いや食べたいなあって……」
「今度持ってきてあげますよ。では!」
奥さんは事情聴取を受けたばかりということで割とすぐに会うことができた。
そのときに聞いた内容は……
本当に残酷だった
奥さんは一緒に家にいたから抗議しつづけたのだが、すべて聞き入れてもらえなかったと言っていた。そしてその時に、あたしたちも校長の口から聞いた星崎という男がいらない同情をわざわざしてきたらしい。「奥さんも旦那が殺人犯なんて嫌なもんやねえ。ああかわいそうなことだ」と。
星崎という男はお父さんや校長先生の同盟関係をずっと批判し続けてきた奴らしい。だがその批判にのってくれる人は一人もおらず、ある意味自分で自分の首を絞めただけだったらしく、ただ、それをいまだに根に持っていて、しかもそれをお父さんのせいだとばかりまだ言っているのだという。
そして最近、星崎が校長を勤める学校は成績ががた落ちなのだという。
もしかしてそれが原因で……
奥さんは続きを話せないらしく、ただただうつむいていた。
まだあるらしい。
また重々しく口を開いた
この事件の担当で、捜査の指揮を務める警察官に何度もそのことを話し、何度も抗議したけれどまるでハエのように追い払われた。
そして最後に一言
「あなたが……彼を助けて……」
それっきりもう会っていない。というかもう会えない……
お父さんと校長先生の学校が合併することが知らされたのはその三日後のこと
多くの生徒が学校側への信用をなくし、出て行った
千人程いた生徒の中から残ったのはあたしを合わせて四百人……
ちなみに男子校も千人くらいいたが、九百人以上が残ったと聞いた
この差を喜べばいいのか悲しめばいいのか本当に複雑なところだ
そしてそれから一週間経った今日、初めて星崎が校長になったことを知った
名前が同じだとは思ったが、初めはあまり気にしていなかった。だが、直訴しに行ったときにお父さんの名前を出されて確信した。
あいつだ。と。
何かを企んでいるのはわかるが、まだなにを企んでいるのかまではわからない。
それと、あいつも気になるなあ。えっと……あいつ……飛岡佑希。
あいつも父らしき人の名前を出されていた。
あいつもなにかあるのか?
ただ、似たような境遇ではあるかもしれないとなんとなく感じ取った。もう誰を信じてよくて誰を信じてはいけないのかなんてわからなくなってきたけれど、それでも……それでもあいつと一緒に文芸同好会を立ち上げたいと思ったのだ。
ぴろりろりん♪
「ひええぇっ!!ああ携帯か……えっと、はい」
「羽田だっけ?」
「誰だ!?」




