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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

息子が彼氏を連れてきた!

同僚の恋の話

作者: 滝野 卯月
掲載日:2026/06/13

過去作とリンクしたストーリーですが、今回が一番BL色が強いかと思います。ちょっと大人のテイストも入っているかもしれません。本作だけでもお読み頂けると思いますし、過去作をお読み下さった方はよりわかりやすいかと思います。

 容姿も中身も自信満々で女遊びもハデな岩城諒は、就職の最終面接で広瀬暁人という学生と出会う。岩城は彼と同じグループで面接を受けたが、そこで広瀬は同性の恋人がいることを告白する。二人とも本社の営業部に配属され、新入社員として切磋琢磨する日々を送る。次第に岩城は広瀬とその恋人に興味を抱くようになっていった。そんなある日広瀬に同性の恋人がいるという噂が社内に広まってしまい…。

              同僚の恋の話


   面接試験1


 6月だというのに雨も降らずにいい天気じゃないか。早くも俺の門出(かどで)を祝福してくれているみたいだな。いや、油断は禁物。最終面接でコケたら話にならない。

「本日の面接は男女各2名ずつ、4人一組で行います。複数の部屋で行いますので呼ばれたら指定された部屋に入室して下さい。まずは4名ずつこちらの席に座ってお待ち下さい」

人事担当と思われる女性社員が淡々(たんたん)と説明する。俺、岩城諒(いわきりょう)はS大理学部の4年生。今日は就活大本命の大室精密(おおむろせいみつ)の最終面接に(のぞ)んでいるのだ。

 はっきり言って自信はある。自分で言うのもなんだが成績は悪くないし、見た目もいい。男に使うのは違うと言われそうだが「才色兼備(さいしょくけんび)」というやつだ。面接で聞かれそうなことはシミュレーション済みだから問題はないと思うが、気になるとしたら”面接官ガチャ”というやつだ。こればかりは自分ではどうしようもない。意地悪な質問をされてもソツなく答える自信はあるが…

(ん?同じグループの女子がチラチラこちらを見ているような…)

おいおい、最終面接だというのに大した余裕だな。まあ俺のことが気になるのは仕方がないか。こんなイケメンが同じグループにいてはな…と思ったが、視線の先が微妙(びみょう)にずれているような気がした。

(俺も見ているようだが、俺の隣…も見てるのか?そういえば同じグループの男はどんな奴…)

ちょっと中腰(ちゅうごし)になって、スーツを整えるフリをして隣の男を見た。

(…え、なに、こいつ…)

 隣に座っていたのは確実に180cm以上あると思われる長身の、モデル並みの容姿の男だった。この部屋に案内された時はみんなでぞろぞろと入ってきて、指定された場所に座ったので一人一人の様子を観察する余裕はなかった(※緊張していたとも言う)。俺と同じぐらいのイイ男…いやひょっとして俺以上か?いやいや絶対負けてない!ていうか俺のグループって顔で選んだのか?そう思って女子の方を(うかが)ったが…うん、まあ、普通だった(※失礼です)。

俺の視線に気づいたのか、そいつは笑顔になって

「今日はよろしく」

と小さい声で言ってきた。

「お、おう」

なんだよ、声もいいのかよ。

「じゃあ次はグループFの方、廊下に出て3番の部屋にお入り下さい」

いよいよ俺たちの番が回ってきた。


 大室精密は理系の学生にとって、人気トップクラスの大企業だ。採用人数は少なくないが、入社希望者がかなり多いので難関には違いない。ここが本命だという学生は、男女ともに多いだろう。

「そこにお座りください」

面接官に促されて俺たちは座った。正面には4人の面接官。4~50代の男性二人と30代後半かと思われる女性一人と40代くらいの女性一人だ。まあ大体予想通りの質問が続いて、俺はうまく答えられたと思う。例のイケメン、名前は「広瀬暁人(ひろせあきと)」と名乗っていたが、そいつも上手に答えていた。

「では次に家庭・結婚などについて思う事をお答え下さい。ご自分のご家庭のこと、将来の理想、世間一般のこと、何でも構いません。プライバシーには配慮して頂いて結構です。独身主義だからと言って不利になることはありませんよ」

一番端の40代と(おぼ)しき女性が質問してきた。

(変わった質問だな、先々の産休とか育休取得とかの参考にすんのか?)

俺は自分の家庭のことを無難(ぶなん)に答えておいた。両親を尊敬しているとか、結婚することがあったら(あたた)かい家庭を築きたいとか、思っていないことも多少盛り込んだ。俺の後に女子学生が答え、その次が例のイケメンだった。

「広瀬さんはどうですか」

そいつは一呼吸おいて口を開いた。

「私の家は両親と姉・弟の5人家族です。父は現在アメリカ赴任(ふにん)中で不在ですが、家族関係はいい方だと思います。姉には昔から頭が上がりませんが」

面接官から笑いが()れた。こいつ、やるな。

「父はわりと寛容(かんよう)で、のびのび育ててもらって感謝しています。母は専業主婦でずっと家を守ってくれているのはありがたいのですが、最近は意見が合わないこともあります」

あ、こいつ、バッカだなー。そんなこと言う必要ないだろう。「いいお母さん」で()めときゃいいのに。案の(じょう)、面接官の一人が食いついた。50代(なか)ばくらいの太ったおっさん、こいつは要注意だと、入室してすぐ思った奴だ。いかにもイジワルそうなツラしてやがる(※人を見かけで判断してはいけません)。

「意見が合わないとは、例えば?」

意味ありげな顔で広瀬という学生に聞いてきた。

「馬場さん、そこまでは…」

この質問をした40代女性が止めようとする。

「いや、先程からの受け答えの様子では、お母さんにとってはさぞかし自慢の息子さんだと思うんだが、それなのに意見が合わないとはどういうことなのかと思ってね」

突っ込み過ぎだろう、このオヤジ。プライバシーに配慮してんじゃなかったのかよ。

「母は私の交際相手に不満があるようです」

こいつほんとにバカだなー。完全にプライベートな話だろうが。採用面接でする話じゃねーぞ。

「ほう、不満とは?」

人生相談の場じゃねーぞ、何話広げてんだ、この…

「私の交際相手が同性なので、それが不満のようです」

「!?」

「!?」

「!?」

面接官も俺たち学生も、みんな端正(たんせい)な広瀬の顔を一斉(いっせい)凝視(ぎょうし)した。こ、こいつ…落ちてもいいのかよ。


   面接試験2


「個人的なことで恐縮(きょうしゅく)ですが、話を続けさせて頂きます」

広瀬は落ち着いて言葉を続けた。

「自分には大学で知り合った恋人がいて、彼もまだ在学中ですが真剣に交際を続けています。母以外は自分の家族も相手の家族も温かく見守ってくれています。母にもいつかは理解してほしいと思っていますが、今のところ難しいようです」

「あの…あなたはその…ゲイというか、同性愛者…?」

あんたも何聞いてんだ、40代女性!次に答える女子学生、混乱してんぞ。

「違います。私も相手も同性愛者ではありませんが、お互いを大切に思っています」

40代女性は「ほう…」と感動したような面持(おもも)ちで広瀬を見つめている。なんだよこれ、何なんだよこの空気!

 その時30代と思われる女性が、

「これに関して広瀬さんへの質問は、もうよろしいでしょうか」

ちょっときつめに横の馬場とかいう面接官に(こと)わりを入れた。

「あ、ああ…」

「では同じ質問に答えて下さい、大塚さん」

「は、はい」

その後もいくつかの質問に答えたが、正直なんの印象も残っていなかった。面接が終わると、

「今日はこれで終了です。このまま帰って頂いて構いません。結果は後日メールでお知らせします」

と30代女性に言われ、俺たちはもといた待機室に戻った。(※面接官の年齢はすべて岩城の感覚です)。

「なんか変な雰囲気にしてごめん」

待機室に戻るなり、広瀬が俺たちに謝った。

「えっ、いいよ、全然平気だよ。広瀬君勇気があって驚いちゃった」

一人の女子学生が言うと

「私も」と、もう一人も相槌(あいづち)を打つ。

「気にすんな、俺たち誰にも(しゃべ)らないから、な?」

俺がそう言って女子学生たちの方を見ると、二人ともコクコクと(うなず)いた。

「それじゃあ、みんな受かるといいね」

そう言って女子たちが去ると、

「ちょっと時間あるか?良かったら下でコーヒーでも飲まねえ?」

と、俺は広瀬を誘ってみた。ちょっとこのイケメンに興味がわいたのだ。


「お前さあ、受かる気ねえの?ここ本命だろ?」

俺は広瀬になれなれしい口調で聞いてみた。イケメン二人が向かい合ってコーヒーを飲んでいるので、(まわ)りの女性の視線を感じる。まあ、いつものことだ。

「あ、悪い、初対面なのに”お前”とか言っちゃって」

「いいよ、タメだし」

「そうか、じゃ、こんな感じで話すわ。いや、驚いたよ、さっきは」

「すまない、ちょっと冷静さを欠いてたな。途中からヤケだったよ」

広瀬は苦笑する。俺の見たところ十分冷静だったと思えるが。

「あんなのテキトーに答えときゃいいんだよ。馬鹿正直に答えなくたってさ」

「うん、まあそうなんだけど。でも仮に入社できたとすれば、いずれはわかることだし」

それはそうかもな。俺とこいつが入社したら、女性社員は色めき立つだろう。それでもって連日合コンだの飲みの誘いだ。告白もされるだろう。そのうち誰にも(なび)かなければ「なんで?」ということになる。

「それにしても面接で言わなくたって…合否(ごうひ)に響くと思わなかったのか?」

「あんなことで落とすような会社なら、こちらから願い下げだよ」

こいつ…性格も男前かよ。

「大学の後輩なのか?」

相手のことを聞いてみた。

「ああ、サークルの2つ下の後輩」

「カワイイの?」

「かわいい」

こ、こいつ、動じない奴だな。

「ホレてんだ?」

()れてる」

俺はもうノロケを聞く気はなかったので、

「それにしても面接官ガチャ(はず)れたな。なんだよあの馬場とかいうオッサン。プライバシーがどうとか言ってたくせに。てめえが一番デリカシーがねえじゃねえか」

と、違う話題に持って行った。

「岩城君は口が悪いな、近くに会社の人がいたらどうするんだ」

広瀬は笑った。

「どうもしねえさ。”岩城”でいいよ。俺も”広瀬”って呼ぶから」

と、口では言ったものの、ちょっと(あた)りを見回してしまった。その後は大学の話や他の企業の話などをして、俺と広瀬は別れることにした。連絡先を交換しようと思ったが、もし広瀬が落ちた時にかわいそうだと思いやめておいた(※自分が落ちる可能性もあります)。

 その時スマホにラ〇ン通知があった。女友達からだった。

―面接終わった?これから会わない?―

んー、どうするかな。この場合の「会わない?」はイコール「ホテルに行かない?」だ。気分転換に行ってもいいか…とも思ったが、なんとなく気が乗らなくて「また今度」と返しておいた。


   再会


 自分で言うのもアレだが、俺は女が好きだ。昔からモテて女の方が放っておいてくれなかったので自然に?そうなった。特定の彼女がいたこともあるが、ちょっと他の女とホテルに行っただけで浮気だなんだとぎゃあぎゃあ騒ぐから(※(れっき)とした浮気です)、(わずらわ)わしいので不特定多数と遊ぶ方にシフトした。面接のときに「温かい家庭を築きたい」なんて言っておいたが、結婚はあまり視野に入れていない。まあ俺にふさわしい余程(よほど)の美女とか重役令嬢とかなら、考えないこともないけどな。今のところ遊び相手には困らないし、自由を謳歌(おうか)していたい(※結構クズです)。

 当然のことながら大室精密から内定をもらった俺は、卒論を進めつつバイトと遊びで充実した日々を送っていた。新社会人になれば自由はきかなくなるから、あと少しのモラトリアムってところだ。10月には大室精密の内定式があった。会社の都合で2回に分けられ都合のいい日を選んだが、広瀬の姿は見当たらなかった。

(もう一方の日にしたか、やっぱり落ちたか…)

 内心ちょっと広瀬に会うのを楽しみにしていたので、俺はがっかりした。でも落ちたとしたら「あの一件」が原因だよな。あの質問以外では、広瀬の応答は素晴らしいものだったと俺は思う。だから余計にあの馬場とかいうオッサンのイジワル心が動いたのだろう。だけど同性の恋人がいるから落とすっていうのは、会社としてどうなんだ?仕事とは関係ないよな。多様性やLGBTQが叫ばれる昨今(さっこん)、大企業としてそういう対応はどうなんだ?いくら昭和のオッサンオバサンが牛耳(ぎゅうじ)ってるからって、ちょっと遅れてんじゃねえの?

 俺は勝手に色々想像し、勝手に怒っていた。何のために怒ってるんだ。広瀬のためか?正直面接の様子を見ただけなので広瀬が優秀かどうかなんて俺は知らないわけだが、なんとなく「デキる男」認定していた。


 年が明けて3月には卒業式があり、そして4月1日、いよいよ晴れの入社式の日を迎えた。学生時代のような自由はなくなるが、それでも新社会人になったという高揚(こうよう)感が()き上がった。さすがに業績好調な大企業だけあって新入社員か多く、入社式は大きなホールを借り切って行われた。

 新卒社員が席に着こうとする中、俺は無意識に広瀬の姿を探していた。

(あいつがいれば目立つはず…)

辺りを見まわすと…いた!広瀬だ!よかった、受かってたんだな。

「広…」

少し離れたところから声を掛けようとしたが、隣の女子と親しげに話しながらそのまま着席するのが見えた。

(仲良さそうだな、同じ大学の卒業生か?)

その女性はキラキラした目で広瀬を見つめて話している。

(ザンネンだったな、お嬢さん。その男にはもう「最愛の彼氏」がいるんだよ)

そんなことを考えながら、俺も近くの席に腰を下ろした。社員の列席者の中にはあの馬場とかいうオッサンと、同じく面接官の一人だった40代女性の姿もあった。けっこうエライ方なのか?

 入社式は通り一遍(いっぺん)(えら)いさんたちのご挨拶(あいさつ)が続き、次に事務的な話になった。といっても、すぐに配属先が決まるわけではない、まずは研修がある。大室精密は伊豆に大きな研修センターがあって、そこで数日泊まりがけで研修が行われるのだ。その後に配属先が決定する。暗黙(あんもく)の了解になっているが、大室精密は最初に希望の部署に配属されることはほぼない。希望の職種や配属先は就活(しゅうかつ)時のエントリーシートや面接で大体確認されているが、その通りにはならないのだ。将来希望の部署に配属された時に、他部署との相互理解を深め連携(れんけい)をスムーズにするためだという。まあ俺ならどこに配属されてもうまくやっていける自信はあるが。

 研修の案内や多少の事務手続きがあって、入社式はお開きになった。広瀬のいた方を見たが、すでに奴の姿はなかった。なんだよ、久しぶりに会って祝杯(しゅくはい)でも()げようかと思ったのに、彼氏のところへまっしぐらか?(※当たり)。


 研修当日会社が手配したバスで研修センターに着いたとき、やっと広瀬と話すことができた。

「岩城君」

向こうから声を掛けてきた。

「”岩城”でいいって。受かってたんだな」

「おかげさまで。なんとかなった」

「入社式で見かけたんだけれど、声かけそびれて」

まあお前がすぐ帰っちまったからだけど。

「そうなのか、人多かったしな。俺は今日バスに乗るときに岩城に気が付いたんだけど、別の車だったし」

広瀬がそう言う。ちょっとは気にしてくれたのか。

「お前、また部屋でヘンな事口(すべ)らすなよ」

俺は注意してやった。若い男同士の話なんて、最後は猥談(わいだん)になっていく。

「ヘンな事って…」

広瀬は困ったような顔で笑ったが、その時

「こちらで部屋割りを確認して下さい。いったん部屋に荷物を置いてから指定の時刻に大ホールに集合して下さい。研修のガイダンスがあります。スーツのままで結構です」

という声がした。見ると面接の時の30代女性だった。人事部なのか。俺たちは部屋割りを確認するとセンター内の見取り図や、大まかなスケジュールが書かれた用紙を渡された。

「同じ内容はメールでもお送りしていますが、ガイダンスの時はスマホの使用は禁止されていますので、こちらをお持ち下さい」

無表情にてきぱきと案内する。もうちょっと愛想(あいそう)よくすればわりと美人なのに。

「部屋別れちゃったな」

広瀬が言う。研修では男女別(当たり前だが)5,6人で1部屋が割り当てられた。

「まあこれだけ人数が多いとな」

と答えたが、こいつ、俺と同室が良かったのか?と思うと満更(まんざら)でもなかった。

 ガイダンスの後は昼食で、広い食堂で飯を食った。俺と広瀬はなんとなく向かい合って座った。ああ、また女子たちがこちらを見ている。

「さすがに広いな」

広瀬が感心したように話す。

「そうだな、でもこれ全員じゃないよな」

「関西以西の新入社員は向こうで別に研修してるらしい。勤務地は未定らしいけれど」

「だろうな、それにしても大きいしきれいだ。さすが大企業」

俺は優良大手企業に入社できた優越感に(ひた)っていた。

「あなたたち同じ大学なの?」

そこへ女子2名が昼食を持って俺たちに近づき、それぞれ横に座った。

「いや、面接で同じグループだっただけ」

「そうなんだ、隣、いいかな」

座ってから聞くなよ、下心見え見えだぞ。

「もちろん、どうぞ」

広瀬がスマートに答える。別に席には余裕があるから隣じゃなくてもいいんだけどな。広瀬と色々話したかった俺は、邪魔(じゃま)された気分だった。

 断っておくと、俺は社内の女とどうこうなる気は全くない。結婚でもしたくなるくらいのいい女なら話は別だが、俺に()り合うような女はなかなかいないだろう。俺には「女の口に戸は立てられない」という持論(じろん)がある(※偏見(へんけん)です。ごく一部です)。目を付けた男を落とそうと決めた女はコワイ。あの手この手でこちらを捕獲(ほかく)しに来る(※これも偏見です。ごく一部です)。うっかり関係を持ったりしたら最後、次の日には社内中に恋人認定されているだろう(※極論(きょくろん)です)。

 女子たちはなんかつまらない話をしていたようだが、俺はほとんど聞かずに(なま)返事を()り返した。

「広瀬、行こうぜ、じゃあお先」

広瀬が食べ終わったのを見計(みはか)らって、俺は早々に席を立った。

「ああ、じゃあお先に」

広瀬も立って、俺に続いた。

「気をつけろよ、ああいうのは。下手に(から)むと厄介(やっかい)だぞ」

俺は広瀬に耳打ちする。

「厄介って…俺には実…恋人がいるし」

こいつ、今名前を言いかけたな。


 夕食後は風呂に入って、予想通り部屋でワイワイやっている。夕飯の時はアルコールはなしだが一応自販機があって、「アルコールは夕食後に一人一本まで」という注意書きが()ってあった。研修に来て二日酔いになっても困るからな。俺は一人ベッドに横になって雑誌を読みながら、

(広瀬のやつ、今頃大丈夫かな…色々聞かれて困ってねえといいけど)

そんなことを考えていたが、

「君たち目立ってたよねえ。岩城君…だっけ、あともう一人、背の高い…」

と、ふいに話しかけられた。

「ああ、広瀬?俺のことは呼び捨てでいいよ、タメだし」

浪人(ろうにん)していたりすると年上の可能性もあるが、まあ同期だしいいだろう。

「長身のイケメンが二人で歩いているから、女子がみんな見ていただろう」

うん、知ってる。グループとかに別れない限り、俺と広瀬はずっと一緒にいた。多分研修中はそうなるだろう。

「あいつとは面接の時同じグループだったんだよ。その縁でなんとなく…。女子の視線は気付かなかったな」

俺はわざとらしくそう答えた。

「女子の方は…まあまあかな、飛び抜けてって感じの人はいなかったけど」

別のやつが話し始めて、女性の品評会(ひんぴょうかい)が始まった(※失礼です)。

「俺、最初に案内してくれた人事の…堀越(ほりこし)さんだっけ?あの人キレイだなーって思ったわ」

「ああ、美人だったな。ちょっと冷たい感じだったけど。年上だよな。いくつくらいだろう」

どーせこのまま話していても彼女がいるとかいないとか、初体験がいつだったとか、そんなネタになりそうだったので、

「悪い、俺先に休ませてもらうわ。昨夜緊張してあまり眠れなかったから。俺のことは気にしないで話しててくれ」

そう言ってさっさと横になった。寝不足なんてウソだけどな(バスの中でも寝たし)。

 広瀬と同室だったら話してみたいこと、いや聞いてみたいことが色々あった。

(あんなにスペック高くて女に不自由しなさそうな男が、ゲイでもないのに同性選ぶとか…そりゃオフクロさんも(なげ)くだろうさ。そんなに美少年なのか?いや、いくら美少年ていったってオトコだぞ?一生美少年でいるわけじゃないぞ?それともおいしい時期だけ付き合って、後は女に切り替えるつもりなのか?でも面接の時の口ぶりだと、そういう感じじゃなかったな…)

まあ同室になったところで他の連中もいるからこんな話はできないか…。もしあいつと同じ部署に配属されたら飲みの機会も作れて、プライベートな話もできるんだろうけど…。でもこれだけの新卒社員がいるんじゃ、お互い本社勤務になるかどうかも難しいよな…なんて考えているうちに、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。


   新人への洗礼(せんれい)1


 日頃の行いが余程よかったのか、なんと俺は広瀬と同じ部署に配属された。厳密には男3人女2人だ。またビジュで選ばれたのかと思ったが…俺と広瀬以外は…まあやっぱり普通だった(※重ね重ね失礼です)。配属されたのは都内にある本社営業部。ちょっと予想外だったが、俺ならなんとかこなせるだろう。配属初日先輩社員に紹介されている時にちらりと壁際(かべぎわ)に目をやると、営業成績表が貼ってある。うわー、こんなのほんとにあるんだな、ドラマや漫画でよく見るやつだ。もっとも表示されているのはトップ5だけで、6位以下はナシである。確かに自分がビリだって(さら)されたらモチベ下がるもんな。

「ええとまず男性の方、岩城君は山下君、斎藤君は益川(ますかわ)君、広瀬君は大野君に付いて仕事を覚えていってね、女性は…」

営業部部長の佳山(かやま)さんが指示を出す。俺たちはそれぞれ先輩社員に挨拶した。

「なんだよ、今年は見た目重視で選んだのかあ?」

大野という先輩が、ちょっと皮肉っぽく言った。こいつの下じゃ広瀬も苦労しそうだな。

「そうですねえ、営業部は先輩方もかっこいいですもんねえ」

斎藤とかいう奴が見え()いたおべんちゃらを言う。お前のことじゃねえよ。

「よろしくご指導お願いします」

広瀬が3人に向かって頭を下げたので、俺たちもそれに(なら)って頭を下げた。

「まあ取り()えず当分は一緒に営業先に回ってもらうよ、まずは顔を覚えてもらわないとね。デスクでの作業はその都度(つど)教えるから」

山下さんに言われ

「はい」

と、俺たちは再び頭を下げた。

 その日の昼休み、俺はやっと広瀬と話をすることができた。午前中は挨拶と業務で私語をする暇などなく、お互い顔を見合わせて目配(めくば)せした程度だった。

「縁があるな、これからよろしく頼むわ」

俺が広瀬の肩を軽く叩くと

「こちらこそ、知った顔がいて心強いよ。頼りにしてる」

広瀬がそう言った。「頼りにしてる」と言われて悪い気はしなかった。

「二人は知り合いなの?」

そこにもう一人の新卒斎藤が割って入る。なんかこいつジャマだなと思ったが、一人だけ仲間(はず)れにするのもどうかと思い、一緒に飯を食った。

「面接の時のグループが一緒だったんだ。その時少し話をしてね」

広瀬が斎藤に説明をする。

「そうなんだ、いいなあ知り合いがいて」

斎藤は社食の蕎麦(そば)をすすりながら、(うらや)ましがる。女性社員の視線は相変わらずだが、広瀬は全く気にしていない。

「お前、気にならないの?」

「何が?」

「女性社員のチラ見」

「チラ見?」

「そうだねえ、さっきからこっち見られてるよねえ」

だからお前じゃねえっての。こいつどっか行ってくんねえかな(※ヒドイ…)。


 その週の金曜日、会社近くの飲食店で営業部の新入社員歓迎会が開かれた。

「新人で(かた)まっちゃダメだよ。先輩たちに()ざって仲良くなってね」

佳山さんが音頭を取って宴会が始まった。案の定広瀬の脇は女子社員に押さえられているが、新卒の女子社員は遠ざけられている。俺の両隣も同じくだ。斎藤だけは両脇に男性社員が座っていた。まあ今時はパワハラ・モラハラ・アルハラ・セクハラには厳しいご時世(じせい)だから滅多(めった)なことはないと思うが、俺には気掛かりが一つあった。広瀬の「あの件」がどこからか漏れ出ないかということだ。面接の時一緒だった女子二人はあれから見かけていない。不採用だったか、本社以外の勤務か。本社にいたとしてもあの時俺が軽く(くぎ)を刺しておいたから大丈夫だとは思うが。


 俺たちはしばらくの間先輩社員の後に付いて回る日々が続き、テンパりながらもなんとか順調に仕事を覚えて行った。営業トークは先輩を見習ったし、大学で学んだ専門知識もそれなりに役立った。夏が近づいた6月の終わり頃、

(そろそろ二人での飲みに広瀬を誘おうか)

俺はそんなことを考えていた。

 その日も俺はデスクのPCに向かい業務をこなしていたが、

「どうした斎藤」

という広瀬の声に後ろを振り向いた。そこには益川さんと帰社した斎藤が半べそをかいたような顔をして立っていた。益川さんは苦笑いして言う。

「こいつ、取引先を怒らせちゃって…」

よく見ると斎藤の頭が濡れている。

「水か何か、かけられたんですか」

俺が聞くと

「ああ」

と、益川さんはため息をつきながら答えた。広瀬がとっさに自分のデスクの引き出しからタオルを取り出す。

「これ使え、きれいなやつだから」

そう言って広瀬は斎藤の頭を()いてやった。

「ありがとう、広瀬…」

斎藤は涙目になっている。

「ちょっとひどくないですか。いくら取引先だからってこんなの…こっちが文句言ってもいいんじゃないですか」

斎藤はちょっとウザイ奴だが、俺は同期が受けた仕打ちにさすがにムカついて先輩に()みついてしまった。

「まあそうなんだけどさ、こいつも調子いいこと喋り過ぎて、相手にはふざけているように見えたらしくて」

そこをフォローしてやるのがあんたの役目だろうが。

「こういうことは間々(まま)あるんだよ。お前たちも気を付けてな」

益川さんは俺たちにそう言うと、佳山部長に報告しに行った。

「災難だったな、元気出せ」

斎藤を(かば)った俺だったが、やつを(なぐさ)める広瀬にはなぜだかちょっとイラっとした。


   新人への洗礼2


 次の日出社すると、斎藤のデスクがきれいに片付いていた。

「え、これ…」

俺が驚いていると

「やめたらしい」

広瀬が残念そうな顔で言った。

「やめたって…昨日のあれでか?」

「昨日のうちに退職届を出したらしい。余程ショックだったんだな」

いや、打たれ弱すぎだろ。退職代行に頼まなかったのはまだマシだが、3か月しか()ってねーぞ。

「珍しくないんだよ最近は。せっかく大手に入社してもったいないとは思うんだが、結構早く()めてしまう人も多くてね」

佳山部長が近づいてきて俺たちにそう語った。

「まあ君たちも何かあったら相談してくれよ、できるだけ力になるからね」

俺はちょっと決まりの悪い思いをしていた。斎藤のことウザイとかどっか行けとかけっこうひどいこと思ってたけど、ほんとにいなくなるとは思っていなかった。

「俺たちは頑張ろうな」

そう言って広瀬は俺の肩に手を置いた。なんだかその感触が心地よくて

「今夜飲みに行かないか」

俺は広瀬を誘っていた。


「斎藤には驚いたな」

広瀬は一口ビールを飲むとため息を()いた。

「教育係の益川さん、きまり悪そうだったな」

俺もそう言うとゴクリとビールを飲んだ。

「お前家族になんか言われたか?営業に配属された時」

広瀬に聞くと

「いや特には…あ、そういえば姉が変な事言ってたな」

「なんて?」

「同期でライバルになりそうなイケメンはいるか…とか」

「なにそれ、面白いお姉さんだな、ていうかそれ俺のことじゃん」

「まあそうだな、斎藤は辞めちゃったし」

広瀬が(さび)しそうな顔で言うから、「アイツはイケメンじゃねーだろ」と心の中で突っ込んだ。

「彼氏君は元気か」

さりげなく聞いてみると

「ああ、元気だよ。就活が始まってるから大変みたいだけど」

何のためらいもなく広瀬は答える。

「うちの会社受けさせないのか?学部は違うんだっけ」

「違うよ、経済学部。さすがに同じ会社はなあ。俺が仕事にならないよ」

こ、こいつ…臆面(おくめん)もなく…

「実…向こうが卒業したら一緒に暮らそうと思ってさ、今貯金してる最中」

「じゃあ、あまり誘わない方がいいか」

こいつの飲み代くらい俺が払ってやってもいいが、きっと断るだろう。

「そんなことないよ、そこまでカツカツにしてるわけじゃないし、デートだって行ってるし」

「どうしてもノロケたいんだな」

「そういうわけじゃないけど」

「合コンも片端(かたはし)から断ってるもんな」

「岩城だってあまり行かないじゃないか、そういえば聞いてなかったけど彼女いるのか?」

「彼女は…いないかな」

「なんだよ、その間は」

俺は少し考えて

「遊ぶ女は何人かいるけど」

そう言って広瀬の反応を(うかが)った。

軽蔑(けいべつ)したか?」

「いや、まあ人それぞれだし、お互い納得してるんならいいんじゃないのか」

そこまで俺に関心はないか。

「あ、合コン行ってもお持ち帰りはしてないからな」

俺はなぜか、言い訳めいたことを言ってしまった。断りっぱなしは悪いからたまーに合コンに行くこともあるが、社内の女はお持ち帰りしないことにしている。たまに期待するような眼で見られることもあるが、知らん振りを決め込んでいる。

「俺にそんなことを言ってもしょうがないだろう」

広瀬は笑って俺に言った。


 それから数日後、今度は俺にピンチが訪れた。出張先から帰って来る山下さんと合流して取引先に向かうはずだったが、線路に入ったバカがいたとかで山下さんが乗るはずだった新幹線が遅延してしまったのだ。今日は契約の最終段階で内容的にはほぼ決まっているのだが、細かい調整が入る可能性もある。

「困ったな…私は午後から会議だし」

佳山部長も頭を抱えている。営業部で暇な人間はほとんどいないし、みんな人の案件に関わるのは消極的だ。しくったら担当者に顔向けできないからな。

「岩城君一人ではまだ無理か…先方に事情を説明してリスケしてもらうか」

佳山部長がPCで日程を確認する。

(頼めば何とかなるかもしれないけれど、向こうも納入期限がタイトだしいい顔しないだろうな。A社のあの担当者結構気難(きむずか)しそうで山下さんも苦労してたもんな…)

さすがの俺も「一人で行きます」とは言い出せなかった。その時

「俺が行きます」

広瀬が手を上げた。

「新人二人では心許(こころもと)ないと思いますが、一人よりはましかと思います」

「広瀬…」

「別件ですがA社の案件には関わっていますし、少しは事情が分かっています」

広瀬の教育係の大野さんは、今日休暇を取って不在だった。佳山さんは少し考えてから

「わかった。二人で行ってくれるか。先方にも私から事情を話しておくから。難しそうなら無理せず一度引き上げること。山下君が間に合うかどうかはわからないが、連絡は入れておくから」

「お願いします。岩城、行こう」

「お、おう、よろしく頼む」

俺たちは部長に一礼して急いで会社を出た。


 A社はうちの会社から比較的近い場所にあり、タクシーを手配して早く着くことができた。が…A社の担当者氷川(ひかわ)さんは(にが)い顔をしている。

「前回はこの内容でご了解いただけるということでした。山下にも確認は取れています」

俺はもう何回も同じような説明を()り返している。

「だからね、この追加分の取り扱いのことを言ってるんだよ」

 精密機器の種類は色々あるが、ものによってはかなり高額になる。ネジ1本追加するのとはわけが違う(※ネジでも高額なものもあります)。ざっくりいうと工場で使う機器の追加分、これは万一の時のための予備なのだがそれに不具合があった時どちらが責任を負うかということなのである。初期不良とか元々が不良品だったとかいう話なら、当然こちらの責任だ。だがユーザー側のメンテナンス不足とか使い方のミスとかなら先方の責任になる。氷川さんはそこのところを曖昧(あいまい)にしたがっているというか、なんなら全面的にこちらの責任にしたいと考えているらしい。

(こんなの小学生でもわかる理屈だろう)

 おそらくこちらが新人二人と(あなど)って、自社に有利に話を進めようとしているのだ。どんなに理不尽(りふじん)な内容でもいったん契約を()わしてしまえばそれが有効になる。

「どうしてもご納得頂けないようなら、改めて山下同席の上調整させて頂きますが」

広瀬が提案した。

「それじゃ、遅いんだよ」

氷川さんはまたゴネる。そもそも今日の日程だってA社の都合で無理に組んだものだ。だから山下さんが出張先からここに直行するなんていう強行スケジュールになっている。全くもって(らち)が明かない。氷川さんの隣には部下の浅野さんが付いていたが、さすがに上司の無理難題に困惑した顔を見せている。

「氷川部長、前回のご提案内容でよろしいのでは…」

浅野さんが恐る恐る口を挟んだが、氷川さんはぎろっと(にら)みつけ、

「大体ね、大室さんはうちと違って大手なんだから少しくらい融通(ゆうづう)してくれてもいいんじゃないの。今日だってこんな大事な商談に新人二人を寄越(よこ)すなんて見くびられたもんだ」

と、声を(あら)げる。

確かに会社の規模で言えばうちの方がずっとデカい。たが今回はこちらが買ってもらう立場だ。

「それについては申し訳なく思っています。佳山からご説明があったと思いますが、不測(ふそく)の事態でしたので」

広瀬がまた落ち着いて話をする。だが氷川さんは意に(かい)さない。それどころか

「君たちみたいな美男子を寄越されてもねえ、私にそういうシュミはないから無駄(むだ)だと思うよ、私が女ならよかったんだけどねえ」

と、セクハラまがいのことを言い出した。「美男子」という言い方がいかにも昭和っぽい。おれはもうブチ切れる寸前で

「見た目をお()め頂いて光栄です。こちらも女性を連れてくるべきでしたね」

と余計なことを言ってしまった。

「なんだと」

さすがに氷川さんは顔色を変えた。目の前のペットボトルのお茶を右手に(つか)んだ。瞬間べそをかいた斎藤の顔が浮かぶ。

(ヤバイ、俺もお茶をぶっかけられる)

思わず身構(みがま)えた瞬間

「わかりました」

そう言って広瀬が立ち上がった。

「当社としてもこれ以上の譲歩(じょうほ)は致しかねますので、この件はいったん白紙にさせて頂きます」

広瀬は目の前の契約書をカバンに入れ、帰る支度(したく)をしている。白紙って…無理するなとは言われたけれど、俺たちにそんな権限はねえぞ?

「おい、何を…」

「部長の佳山は今会議中ですが、氷川様がお望みなら連絡を取ってみます。ただ確認が取れても、御社(おんしゃ)のご希望通りの契約では許可が()りないと思います。交渉が難航(なんこう)した場合は持ち帰るように言われておりますので」

広瀬は氷川さんの反応を見ているようだ。

「佳山に連絡を入れますか?」

広瀬は再度確認した。氷川さんは返事をしない。浅野さんはオロオロしている。

「では失礼させて頂きます。本日はお忙しいところお時間を頂戴(ちょうだい)し、ありがとうございました。岩城行くぞ」

(うなが)されて俺が立ちかけると

「ま、待て…わかった、最初の内容通りでいい。それで契約する」

氷川さんは今まで以上に苦々(にがにが)しい表情で、こちらを見ずにそう言った。

「さようでございますか」

広瀬は座り直して、カバンから再び契約書を取り出した。こんなクソな相手でも、こいつのサインがないと契約は成立しない。氷川さんは(くや)しそうな表情で契約書を受け取った。


 俺たちは帰りのタクシーで部長と山下さんに連絡を入れ、帰社した。

「ご苦労さん、無事契約できたみたいだね」

佳山部長が笑顔で迎える。広瀬が俺の腕を小突(こづ)いた。お前が担当なんだから自分で報告しろという合図だろう。

「は、はい。広瀬のおかげでなんとか…当初の内容通りの契約になりました」

「氷川さんゴネただろう。あの人は必ず難癖(なんくせ)をつけるんだよ」

難癖っつーか、ほとんど駄々(だだ)っ子だったけどな。そこへ山下さんがぜーぜー言いながら入ってきた。

「すまん、今戻った。契約取れたって?よくやったな」

山下さんはまず俺たちを見てそう言い、それから部長に向き直った。

「ただ今戻りました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

頭を下げる山下さんに

「お疲れさん、交通トラブルだったんだから仕方がないよ」

部長は(ねぎら)いの言葉を掛けた。

「氷川さんゴネたんだって?」

「ゴネたってうか…新人二人が行ったんで、有利な条件に持って行こうとしたんだと思います」

「これ岩城と広瀬にお土産(みやげ)…っても、東京駅で買ったんだけどな」

そう言って山下さんは俺と広瀬にひとつずつ紙の手提(てさ)げを渡してくれた。中には()ビールが3本入っている。重かったろうに。

「ありがとうございます。遠慮なく頂戴(ちょうだい)します」

俺と広瀬が頭を下げた。

「じゃ、部長に報告に行ってくるから」

そう言って山下さんはカバンと部へのお土産を持ったまま、部長のデスクへ歩いて行った。

「助かったよ」

俺は広瀬に素直に礼を言った。

「俺も斎藤の二の舞になるかと思ったわ。もう取引先に行くときはタオル必須(ひっす)だな。それにしても度胸(どきょう)あるよ、お前」

「最後の方はほとんど(おど)しだったけどな」

広瀬は笑う。

「俺もA社の別案件に関わっていたって言ったろ?A社は社内でのトラブルがあって、新規(しんき)プロジェクトの進行がかなり遅れていたらしい。だから向こうに時間的な余裕はないと思って(いち)(ばち)かハッタリかましてみた。『どうぞお帰り下さい』って言われてたら、終わってたわ。まあ2度は通用しないな」

「ホントに助かった…あのままお茶ぶっかけられてたら、俺も斎藤みたいに辞表書くところだったよ」

俺は椅子(いす)に腰かけた広瀬を見つめながらそう言った。

「お前はあれくらいのことで辞めたりしないだろう」

広瀬の言葉になんだか俺は感動していた。こいつがトラブルに巻き込まれた時は、俺が絶対助けてやる。ガラにもなく心の中で俺は誓ったのだ。


   (うわさ)の出どころ


 7月半ばになって暑さも本格的になってきた頃

「なあ、週末映画にでも行かねえ?」

俺は思い切って広瀬を誘ってみた。男二人では色気がないが、ちょっと距離を()めてみたい気持ちもあった。

「あー、悪い。今度の週末は母親に頼まれた用事があって」

広瀬は申し訳なさそうに言う。彼氏君とのデートで断られるかもとは思っていたが、意外な返事だった

「いや、いいけど。オフクロさんって…反対してる人だろ?」

俺はあえて(くわ)しく言わずに聞いてみた。

「ああ、なんか知り合いのお子さんの就活相談に乗ってほしいって。うちの母親華道とか茶道とかやってて、付き合いが広いんだよ」

「就活相談ねえ、ま、恩を売っておくのもいいんじゃないか」

「そうだな」

そんなやり取りをして、映画の方は延期にしておいた。

そして次の週明け

「おはよう広瀬…」

いつも通り声を掛けたが、広瀬はえらく不機嫌(ふきげん)な顔をしていた。珍しいな。

「彼氏君とケンカでもしたか?」

小声で聞いてみた。

「違う」

ぶすっとして広瀬は答える。

「どうしたんだよ、そんなツラして。せっかくのイケメンが台無(だいな)しだぞ」

俺がおどけた感じで聞いてみると

「……見合いを仕組(しく)まれた…」

広瀬はなおも不機嫌そうにそう答えた。

「はあ!?お見合い?」

ちょっと大きめの声で言ってしまったので周りを見回したが、幸い近くに人はいなかった。

「なんだよ、お見合いって…あー、あれか、お前はオトコが好きってわけじゃないから、素敵(すてき)な女性とお見合いさせて彼氏と引き離そうって魂胆(こんたん)か」

俺は声のトーンを落として(ささや)いた。

「そんなところだ」

「オフクロさんもよっぽどお前に期待してるんだな。まあ気持ちはわかるけど」

「わからなくていい。俺が実…恋人以外に心を向けることはない」

広瀬は彼氏に(から)むことでヘンな冗談を言うと、真顔(まがお)になって怒る。それは数か月の付き合いの中でわかっていた。

(愛されてるねえ、彼氏君。羨ましい…)

ん?「羨ましい」はおかしいだろ。俺は広瀬の友達ポジだ。広瀬の過去の交友関係は知らないが、少なくとも社内では一番の友達、なんなら親友のつもりでいる。こいつの恋愛相談に乗れるのも、家族以外では俺くらいだろう。

 広瀬とそんな会話をした数日後のことだった。そろそろ昼飯にしようかと思った頃2,3人の人影がこちらに近づくのが見えた。

(隣の課の連中だな)

そのうちの一人がニヤニヤしながら広瀬に話しかけてきた。

「あれー、男の恋人がいる広瀬君て、キミかー」

そいつは周りにも聞こえるように、わざと大声を張り上げた。周りの人が何事かとこちらに注目し、ざわついている。

「ホントにイケメンだねえ、オトコにモテちゃうのもわかるよー」

「な…」

俺はとっさに立ち上がってそいつに反論しようとしたが、広瀬に手首を掴まれて止められた。ちなみに斎藤が抜けて俺と広瀬のデスクは隣になっている。それぞれの隣に山下さんと大野さんのデスクがある。二人とも早めの昼食で席を(はず)していた。部長も今不在だ。それを見計(みはか)らって来たんだろう。広瀬は落ち着いていて、俺の方が頭が真っ白になっていた。


(油断してた…)

入社した当初は広瀬のあの件がどこからか漏れるのではと危惧(きぐ)していたが、約4か月()ってもその気配がなかったので、安心していたのだ。

「キミってホモなの?あ、ゲイっていうのかな、それなんだ」

そいつはしつこく話しかけてくる。完全にプライバシーを侵害している。IDカードには「矢森」と書かれている。「ヤモリ」ね、そんなカオしてるわ(※全国の矢森さんごめんなさい。ヤモリは縁起(えんぎ)のいい生き物です)。

「違います」

広瀬は通常モードで答える。

「でも男と付き合ってんでしょ?」

「はい。でも男が好きなのではなく、恋人のことが好きなだけです」

広瀬が何のためらいもなく答えたので相手は少し言葉に詰まったが、気を取り直したように

「たくさんの女性社員が泣いちゃうねえ、今年一番人気の広瀬君にカ・レ・シがいたなんてさ。罪だねえ」

と、なおも絡んできた。さすがに腹に()えかねて

「あの、俺たちまだ仕事中なんですけど、それ、仕事と関係ない話ですよね。邪魔なんで帰ってもらえますか」

俺は矢森に向かって言ってやった。

「おやおやこっちもイケメン君だね。彼とも付き合ってんの広瀬君」

しつこいな、こいつ。

「おたくがさっきから言ってること、プライバシーの侵害だしセクハラにも該当(がいとう)しますよね。コンプラ違反じゃないですか。今自分たちが周囲の人からどんな目で見られているのか、わかってます!?」

俺がそう言うと矢森御一行は辺りを見まわした。営業部の社員たちが不審(ふしん)面持(おもも)ちでこちらを見つめている。さすがにきまりが悪くなったのか、

「おい、昼飯行くぞ」

子分?達を促して営業部のフロアからそそくさと出て行った。辺りはしんとしている。その時鳴り始めた電話の呼び出し音がやけに響いて聞こえた。

「ありがとう、岩城」

広瀬は俺に礼を言った。俺はそれには答えず

「誓って、俺じゃないぞ」

そう断言して、椅子に座り直した。俺が漏らしたのではないと言いたかったのだ。

「わかってる。いつかこうなるとは思っていたから。遅かったくらいだよ」

広瀬は苦笑(にがわら)いをした。あいつら大方(おおかた)俺と広瀬が女性社員に人気なのをやっかんで、嫌味(いやみ)を言いに来たんだろう。

「気にしてないよ」

広瀬はそう言ったが俺は気になった。どこのどいつが口を(すべ)らせたんだ。


 噂が広まるのはあっという間だった。俺が知る限り営業部で広瀬に直接何か言う人間はいなかったが、どことなく()れ物を扱うような雰囲気が(ただよ)っていた。

「何かあったら俺に言えよ、絶対」

俺はなぜか広瀬を守らねば、という使命感に燃えていた。意外なことに、何か皮肉を言いそうな大野さんも何も言ってこないという。

「大野さんはいい人だよ、言い方ははっきりしているからきつく感じる時もあるけれど、丁寧(ていねい)に仕事を教えてくれるし」

広瀬はそう言った。第一印象が良くなかったので、俺が勝手に”ヤな奴”認定していたらしい。悪いことをした。

 俺と広瀬が二人で社内を歩いている時も、以前とは明らかに違う視線を感じる。俺は犯人を突き止めないと気が済まなくなっていた。そんなある日、廊下を歩いていると見知った顔が向こうからやって来た。

(あれは…)

面接で同じFグループだった女子だ、ええと大塚さんだっけ?向こうも俺に気が付いたみたいで、話しかけてきた。

「久しぶりー、今更(いまさら)だけどお互い採用されてよかったね。研修の時岩城君たちを見かけたんだけど、声をかけそびれちゃって…」

あの研修の時にいたのか、気が付かなかったな。

「もう一人の子は?」

「ああ、彼女も受かって今は関西の方で頑張ってると思うよ。私は今葛西(かさい)営業所勤務で今日は本社の第一会議室に用があって来たんだけれど、迷っちゃって…」

「後で案内する。ところでちょっと聞きたいことがあるんだけど」

俺は周囲に人がいないのを確かめた。

「なに?」

「同じグループだった広瀬の…あの話、誰かに言ったか?」

「あの話…」

大塚さんは少し考えて、

「ああ、恋人のこと?もちろん話してないよ。あの時約束したし。もう一人の子も話していないと思うけどな」

そうだよな、彼女が話したとすると営業所発信ということになるが、そういう感じではなさそうだ。

「え、どうしたの、噂でも広まっちゃったの?」

俺は黙って頷いた。

「なにそれ、ひどいじゃない。私絶対話していないから。でもそうすると…あと可能性があるのは面接官の人たちだよね」

「やっぱりそうなるよな」

時間もなかったので話はそこまでにして、俺は大塚さんを会議室まで案内して別れた。

(あの面接官の中で、一番口が軽そうなのは…)


 しばらくして噂を流した犯人はあっさりと判明した。俺と広瀬が社食に向かう途中、見覚えのある人に呼び止められた。面接官の一人、40代女性だ。IDカードを見ると名前は金沢さん、なんと秘書室の所属だった。

(え…この人秘書なの…?)(※失礼です)

「ごめんなさい広瀬君」

金沢さんはいきなり広瀬に向かって謝った。え、まさかこの人が噂を広めたの?確かに面接の時なんだか挙動(きょどう)不審だったけど。金沢さんは俺の方をチラッと見て、次の言葉を発するのを躊躇(ためら)っていた。

「岩城なら大丈夫ですよ、信頼できるので」

広瀬―、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。

「広瀬君の噂が広まっちゃてることは…知ってるわよね」

「はい」

「はい」

俺もちょっと不本意(ふほんい)という雰囲気で返事をする。

「実は…馬場さんが口を滑らせちゃったみたいで…本当にごめんなさい」

金沢さんは深々と頭を下げて謝罪した。広瀬は頭を上げるように促す。

馬場…あの太った外れガチャのオッサンか―!いかにもだわ。いかにも口滑らしそうなツラしてるわ。

「面接内容のことはもちろん守秘(しゅひ)義務があるから外に漏らしてはいけないんだけれど、先日会社の飲み会があった時に酔った勢いで話してしまったらしくて…」

金沢さんは申し訳なさそうに説明したが、

「でも明らかにコンプラ違反ですよね、いくら酔ってたからって許されることじゃないでしょう。あれから広瀬がどんなに(つら)い目にあったと思ってんですか」

俺は腹が立って、()みついてしまった。

「岩城、気持ちは嬉しいけど金沢さんが悪いわけじゃないから」

広瀬が俺を(なだ)める。

「すみません、ついカッとなって…」

俺は金沢さんに謝った。

「いいのよ、怒って当然だわ。岩城君は友達思いなのね」

「本当にいい男です」

広瀬にまた褒められてちょっと…かなり嬉しかった。まあ、それは置いといて。

「お(とが)めなしですか」

俺ははっきり聞いた。

「それは…本人も反省しているし、口頭(こうとう)での注意はあると思うけれど…」

金沢さんは言いにくそうだったが、12時になって社食に向かう社員が増えてきた。昼休みは1時間だが、営業部は仕事柄食べるタイミングは各自の自由になっている。他部署はほぼ12時が昼休みの始まりだ。

「ごめんなさい、また詳しく話すわ。広瀬君に先に謝っておきたかったの」

金沢さんはそれだけ言うと会釈(えしゃく)をして社食とは反対の方へ戻って行った。

「あのクソデブオヤジ…」

俺は犯人の顔を思い出すとムカムカしてきた。そして金沢さんに詳しい話を聞く前に、俺はやらかしてしまったのだ。


   友情のため?1


 8月(なか)ば、その日は特に暑かった。外回りはかなりキツイだろうが、広瀬は大野さんと一緒に商談に出かけていた。お盆休みでも会社は通常通りだが、さすがに休暇(きゅうか)を取る人が多かった。明確な基準はないが、新入社員は入社して半年は有休を取らないという暗黙のルールがある。余程の事情がない限りは連休を取りにくい。

(広瀬はいないし、山下さんは帰省(きせい)中だし、一人でメシ行くか…)

そう思って社食に向かう途中、前方から不快な人影が近づいてきた。ぞろぞろ取り巻きを引き連れている。

(あのデブ…)

広瀬の噂を広めた張本人(ちょうほんにん)がデカい声でしゃべりながらこちらに歩いてきた。一言文句を言ってやりたかったが、所詮(しょせん)は新入社員だ。俺は我慢して通り過ぎることにした。それにしてもあいつ、たかが部長だろ?なんであんなに幅きかせてるんだ。

 俺はなるべく目を合わさないように歩いていた。その時である。

「あれえ、キミ、面接の時の人だよねえ、あの()と付き合ってるっていう男子と一緒だった…名前なんだっけ、忘れちゃったなあ」

こいつ…反省してるんじゃなかったのかよ、金沢さん!

「…岩城です」

俺は怒りを(おさ)えて答えた。

「あー、そうそう岩城君だっけ。君あの広瀬君と同じ営業部なんだって?気を(つか)って大変だねえ。普通じゃない人と一緒だと」

俺の中で何かが完全にプツッと切れた。なんなら音まで聞こえたような気がする。

「広瀬は仕事もできるし優秀で、常識人ですよ。少なくとも酔った勢いで人のプライバシーベラベラ喋ってなんとも思わないような、厚顔無恥(こうがんむち)(やから)とは違います」

一気に言ってやった。あー、気持ちがいい。

「な、なんだと…」

さすがに自分のことだとわかったのか、クソ馬場は顔色を変えた(※全国の馬場さんごめんなさい)。

「私が厚顔無恥だと言ったのかね」

「他に誰かいますかね」

取り巻き連中も青ざめている。

「き、きみ…失礼なことを言うもんじゃないよ」

震える声で取り巻きの一人が注意してきたが、そんなものは知ったこっちゃない。

「失礼なのはどちらでしょうか。面接の内容は守秘義務があるんじゃないですか。それを酒の席で新入社員のプライバシー吹聴(ふいちょう)して、その方がよほど失礼じゃないですか。いや、失礼どころの話じゃない。プライバシーの侵害・セクハラで、コンプラ違反も(はなは)だしい。広瀬が訴えてもいいレベルです。広瀬が普通じゃないって?ふざけてもらっちゃ困る、広瀬ほどまともなやつはいませんよ、あなたがやっていることの方がよほど非常識だ!」

馬場は正論をぶつけられて反論できずにいたが、怒りのあまりゆでだこみたいになっていた。ゆでだこっていうより酢だこ?(※地域によっては馴染(なじ)みがなくてすみません)。こいつよく見たら、頭も(さび)しいことになってんな。

 お盆で社員が少ないとはいえお昼時だ。さすがにこの騒ぎに気が付いて、廊下の両端には人だかりができ始めている。

「う、訴えるって大げさな…たかがあれくらいのことで…」

「ああそうですか、じゃあおたくが不倫してて、たまたま俺がそれを目撃して、酒の席で暴露(ばくろ)してもどうってことないって話ですよね」

馬場は今度は青くなった。ほんとに不倫してたのかよ、このオヤジ。物好きもいたもんだ。

 もう俺は腹を(くく)っていた。直属でないとはいえ上司にこれだけのことを言ったら、ただでは済まないだろう。斎藤に続き退職第2号になるかもしれない。まあそれでもいい。こんなクソオヤジがふんぞり返っているような会社は俺の方から辞めてやる。俺くらい優秀なら勤め先はいくらでもある。なんなら広瀬を誘って起業(きぎょう)してみるのもいいな。俺たち二人なら、きっとうまいことやっていける…俺が自分のアイディアにに酔い始めた時、

「廊下を開けて頂いてよろしいですか」

(りん)と響く女性の声がした。人事部のクールビューティ堀越さんだった。

「両端の方々が通れなくて困っています」

「あ…すみません」

俺は素直に謝って端に寄った。馬場と取り巻きも少し動く。

「馬場部長」

堀越さんは馬場に向かって声を掛けた。

「明日10時専務室に来るように、浅見専務から言付(ことづ)かっています」

「せ、専務室に…なんの用件で…」

「さあ、そこまでは存じ上げておりません」

堀越さんは切って捨てるように言った。

「い、行くぞ」

馬場は取り巻きに声を掛けてこそこそと離れて行った。それをぼんやり見送っていたが、

「岩城さん」

堀越さんに呼びかけられて、ハッとした。

「あ、はい」

「大体は拝見していましたけれど、あなたにも何かしら注意があるかもしれませんね」

「注意で済みますかね」

「それは…わかりかねますが、ただ、私には先程のことを目撃者として上に報告する義務がございますね」

そう言う口元に少し笑みが浮かんだ気がした。この人が笑ったのは初めて見た気がする。

「広瀬さんも岩城さんのようなお友達がいて幸せですね。それでは失礼します」

そう言って堀越さんは去って行った。あまり余計なことは言いそうもない堀越さんの言葉が、なんとなく俺はひっかかった。

(友達…友達か、そうだよな…)


   友情のため?2


 次の日の朝オフィスに行くと、すでに広瀬の姿があった。昨日広瀬と大野さんは直帰だったため、俺とは会っていないのだ。

「岩城、お前…聞いたぞ昨日のこと、馬場さんに食って掛かったって…なんて無茶を…」

早くも誰かから昨日の顛末(てんまつ)を聞いたらしい。

「岩城君、ちょっと来てくれるかな」

俺は佳山部長に呼ばれた。昨日の件でのお小言(こごと)かー、お小言で済むかな。

「昨日のことだけどね」

「はい」

すでに出社した社員がみんなこちらを見ている。

「進退を(かえり)みない君の勇気というか男気(おとこぎ)には敬意を表するが」

「はい」

進退と来たかー、これクビになるやつか?

「まあ社内の廊下だし、場所と言葉はもう少し選んだ方がいいかな」

「はい?」

「君が友情に(あつ)い男だということはよくわかったよ。これからも広瀬君と二人で協力して営業部を盛り上げていってくれ」

「はあ…」

「じゃあもう席に戻っていいよ」

「あのー、クビじゃないんですか?」

「クビ?なんで?これ以上新卒が減ったら困ってしまうよ」

始末書(しまつしょ)とかは…」

「特に指示はしないけど、書きたかったら書いてもいいよ」

「あ、いえ、遠慮しておきます」

拍子(ひょうし)抜けして俺はデスクに戻った。

「なんだって?」

広瀬の方が(あせ)った顔をしている。

「いや、場所と言葉は選べって」

「それだけか?」

「ああ」

男気とか友情とか言われたが、恥ずかしいのでそれは黙っておいた。

「よかったー、お前に厳しい処分が下ったら、抗議しようと思ってた」

「大げさだな」

「大げさじゃないよ、俺のせいだぞ」

お前のせいっていうか、お前のためっていうか…

「あ、そうだ岩城君と広瀬君」

部長が何かを思い出して俺たちに声を掛けた。

「はい」

「今日お昼の後1時頃でいいから秘書課に行ってくれる?」

「秘書課…ですか?」

「うん、ちゃんと勤務扱いになるから時間は気にしなくていいけれど、外回りがあるなら遅れないようにね」

部長にそう言われ、俺たちは顔を見合わせた。


 昼食後二人で秘書課に行くと、奥の部屋に通された。

(さすがに洗練(せんれん)された美人が多いな。男の秘書もいるんだ。広瀬とか似合いそうだな)

部屋に入ると金沢さんと堀越さんが待っていた。

「お呼び立てして申し訳ありません。どうぞおかけ下さい。人事部は人の出入りが多いのでこちらをお借りしました」

堀越さんに促されて俺たちはソファに腰かけた。

「最初に馬場さんの処遇(しょぐう)についてご報告しますが、沖縄支社に異動になりました」

「え、それって()せ…」

「沖縄支社の方に失礼ですよ」

「…すみません」

堀越さんにぴしゃりと言われて俺は謝った。続いて金沢さんが

「ええと、何からお話しすればいいかしら、面接の時からかしら」

と話し出す。え、そこから?

「あの日馬場さんが面接官を務めたのは実は代役だったんです。予定していた面接官が1人体調不良で欠席してしまって…」

「この際ぶっちゃけて(うかが)いますけど、他に人はいなかったんですか?何もあの人でなくても…」

「ご自分が立候補なさって…」

…面接官に立候補って…何がしたかったんだよ。

「立候補したって断ればいいじゃないですか、あんなに適性(てきせい)がない人」

「岩城…」

広瀬が俺のシャツの端を引っ張って止めてきた。

「馬場さんは社長の縁故(えんこ)入社なんです」

堀越さんがそう言ったのを聞いて

「はあ?コネ入社だからあんなにデカい顔してたんですか?」

俺は(あき)れてしまった。コネ入社なんてがっかりだ。

「岩城、今朝部長に言葉には注意するように言われたんだろ」

広瀬か再び俺を(たしな)める。

「正確に言うと社長のお知り合いのご親族ということになります。その方は社長の大学時代のご友人でやはり会社経営をなさっており、会社同士も緊密(きんみつ)な関係になっています」

「それならそっちの会社に入ればよかったじゃないですか、何もうちに来なくたって…」

言いかけて俺は気が付いた。縁故があって優秀だったらもっと上の役職についていてもいいだろう。それなのに部長止まりってことは、あんまり能力がないってことだ。部長職だってちゃんとやれてたか怪しいもんだ。その上あの性格…

厄介(やっかい)払いされたってことですか」

「岩城」

つまり人のいい社長は問題児を押し付けられたってわけか。それでも社長の縁故者ってことになれば発言力も強くなるから、取り巻きもできる。面接官に立候補してきても断りにくいって寸法だ。

「とんだ外れガチャだな」

「岩城いい加減に…」

「お前が怒っていいんだぞ、広瀬」

俺は金沢さんと堀越さん相手にもう取り(つくろ)う気はなくなっていた。堀越さんは俺の発言は(とが)めずに説明を続けた。

「実は馬場さんの問題行動は広瀬さんの件だけではありません」

常習犯(じょうしゅうはん)だったってことですか」

「これまでも人事に相談がありました。その度に口頭注意をしていたのですが…」

何をやらかしても口頭注意だけで済んでりゃ、反省なんてしないわな。

「もちろん上層部の方でも問題視する声は出ていました。さすがに厳しい対応が必要ではないかという意見もあったのです」

堀越さんの説明に金沢さんが付け加える。

「あの面接の件も上には報告したんですが…」

「いや金沢さんも結構突っ込んだこと広瀬に聞いてましたよね」

俺はつい言ってしまった。

「ごめんなさい…あの時はつい感動して…決して興味本位じゃなくて…」

ウソつけ、絶対興味本位だろ。まあ金沢さんに悪気がなかったのはなんとなくわかったから、俺はそれ以上追及(ついきゅう)しなかった。

「実は先日の岩城さんと馬場さんのやり取りをスマホで撮影していた者がおりまして」

「えっ」

それは俺にとってもヤバイのでは…「厚顔無恥」とか言っちゃったし。

「こういう言い方はあれですが、人事に証拠として提出されました」

「証拠…って」

「馬場さんのコンプライアンス違反の証拠として」

あ、そっちか。

「岩城さんの言動も褒められたものではありませんが、そちらは佳山部長からの口頭注意にしてもらいました」

キツイなー、堀越さん、さすが人事のクールビューティ。

「本来なら隠し撮りは許容(きょよう)できる行為ではありませんが、社内での問題行動の証拠ということで済ませています。元々本日浅見専務から馬場さんに厳しい対応がとられることになっていました。専務はこういう問題には厳しい考えをお持ちの方ですので」

確かに入社式で見た感じでは社長は人の良さそうなおじさんで、専務は怖そうな印象を受けた。いずれにしろ俺とのひと悶着(もんちゃく)がクソオヤジ排除のダメ押しになったっていうことか。自業自得(じごうじとく)だな。

「私も動画を見せてもらったけれど、岩城君の広瀬君に対する熱い思いが伝わってきて、本当に感動してしまったわ」

金沢さんはしみじみと言う。

「はあ…」

俺はそう言うしかなかった。この人の感動のツボは今ひとつわからないな。


   執着(しゅうちゃく)系彼氏


 あの一件の後俺は同期の同僚のために戦った熱い男として、社内でちょっとした有名人になってしまった。本来はそういうキャラじゃないんだけど。馬場に苦い思いを(いだ)いていた人は案外多かったようで、そいつを成敗(せいばい)?した俺はヒーロー扱いになってしまった。それに俺の方が目立ってしまったせいか、広瀬の噂の方は印象が薄くなっていった。それならそれでいいんだが、不思議と女性社員の広瀬人気はあまり衰えなかった。同性が恋人ならまだ付け()る隙があるとでも思っているのだろうか。それに金沢さん(いわ)く、別のファン層も付いているとかいないとか…「別のファン層」ってなんだよ。あと一応言っておくと俺は秘書課に呼ばれたあの日、ヤモリのこともチクッておいた。大した処分にはならないだろうが、減給でも食らえばザマアミロだ。

 何よりも嬉しかったのは、広瀬の絶対的信頼を勝ち取ったことだ。俺の行為は例えていうなら戦国武将が落ち行く城から味方を逃がし、一人討ち死にしたようなものだからだ(※討ち死にはしていません)。広瀬からはお礼がしたいとしつこく言われたが、俺は固辞(こじ)した。そんなものが欲しくてやったわけではないし、広瀬に頼まれたわけでもない。言ってみればあくまで成り行きで、俺が勝手にやったことだ。それでも広瀬の気が済まないならと、「じゃあ一杯(おご)ってくれ」ということで、二人で飲みに行くことになった。

 その日広瀬が選んだのは居酒屋ではなく、おしゃれな雰囲気のバーだった。

「本当にこんなことでいいのか?」

広瀬が聞いてくるので、

「お前もしつこいな、逆の立場だったらお前は俺に何か要求するのか?」

と言ってやったら、

「それもそうだな」

やっと納得したようだった。義理堅(ぎりがた)いやつだ。今日は金曜日で珍しく二人とも定時上がりだったから、ゆっくり飲める。山下さんと大野さんが気配を察して「今日は早く上がれ」と言ってくれたのもありがたかった。


「そう言えば先月のお見合いの件、詳しくは聞かなかったけれど、どうなったんだ?まあお前のことだから断ったんだろうけれど、オフクロさんおとなしく引き下がったのか?」

俺は少し立ち入ったことを聞いてみた。広瀬が話したくないなら無理()いするつもりはない。

「ああ、あれね。まあ大変ではあったんだけど…」

広瀬はおかしそうに笑い始めた。

「なんだよ、笑うようなことがあったのか?」

「いや、今回のこととちょっと似てるなって思って」

「今回のことって…馬場の一件か?」

「そうだけど…呼び捨てはやめておけよ岩城」

「構わないだろ、来月からは沖縄だ」

沖縄支社の社員には心底(しんそこ)同情する。

「それより聞かせろよ、何があったんだ、話しにくいなら別にいいけど」

「俺のために…俺と実央(みお)のために戦ってくれる人がいるっていう話だよ」

広瀬は俺の前で初めて恋人の名を口にした。実央君というのか。可愛い名前だ。

「お見合いで戦いがあったのか?」

「姉がね、お見合いの席に乗り込んできて母親を一喝(いっかつ)してくれた」(※『弟の恋の話』をご参照下さい)

「詳しいことは(はぶ)くけど、他にも面白いことがあってさ」

色々思い出してきたのか、広瀬は笑い続けている。

「お姉さん…すげえな、お前のお姉さんなら美人だろ、会ってみたいわ」

「美人だとは思うけど…気が強くて迫力あるぞ。姉と実央のお母さんは、初めからすごく応援してくれて心強い。感謝している」

ああ、面接の時頭が上がらないとか言ってたっけ。

「相手はどんな人だったんだ?」

「素敵な人だったよ、才女できれいで、出版社勤務だって言ってたかな」

勿体(もったい)なかったんじゃないか?」

「怒るぞ、まあ、友達としては付き合えそうな人だったけど」

広瀬はそこで真顔になった。

「男同士で付き合う難しさをつくづく痛感したよ。俺なんか恵まれてる方だと思うけど、理解を得るっていうのは簡単じゃないな」

「……そうだな」

社内でも(かげ)でこそこそ噂している奴はまだいるだろう。広瀬は人気があるし優秀な男だから、(めん)と向かって言わないだけだ。

「実央の卒業後の同居もさ、そういうことを考えると難しくて。男性二人はNGって物件もあるし、実央の勤務地にもよるし」

「彼氏はどこを目指してるんだ?」

「それがまだはっきり固まっていないみたいで…エントリーシートはいくつか書いたみたいだけれど。俺のところに永久就職してくれてもいいんだけどな」

こ、こいつ、何言ってんだ。相手の都合が合えば毎週でも会ってるようなこと言ってたけど、永久就職だと!?

「いや、さすがにそれは彼氏君がかわいそうじゃないか?家事が悪いとか簡単だとか言うつもりはないが、今時は男女の別なく社会に出て働きたいっていう人は多いだろ」(※家事は大変です)

「それはそうだけど…できれば家に閉じ込めておきたいくらいに思ってるから」

「!!!?」

広瀬は当然のような顔をして、サラッと言った。大丈夫か、コイツ。いつか馬場のオッサンに「広瀬が普通じゃないって?ふざけてもらっちゃ困る、広瀬ほどまともなやつはいませんよ!」と啖呵(たんか)を切った俺だったが…訂正した方がいいかもしれない…アブナイわ、こいつ…。とんでもねえ執着男だ。

 そういえば広瀬は入社当初毎日同じネクタイを()めてきて、不思議に思ったことがあった。社員の中には「連泊疑惑」を(ささや)く者もいた(もちろん恋人の家に)。連泊したってネクタイくらい替えてもよさそうなものだが、なんていうことはない、単に彼氏がくれたネクタイを締めたかっただけだというオチだ(お姉さんに注意されてやめたらしい)。

「ま、まあ男同士は色々難しいよな、女と付き合うのとは勝手が違うし」

俺は気を取り直して話を続けた。

「確かに、俺も何も知らなくて最初はネットとかで調べたよ」

何を…とは聞かなかった。俺はしばし考えた。

「実はさ…俺、一度だけ男と寝たことがあって」

誰にも話していなかったことを広瀬に明かした。

「えっ、そうなのか!?」

さすがに広瀬は驚いている。

「1回だけな、酔ってその場のノリと好奇心で…悪くはなかったけれど、やっぱり女の方がいいなって思った」

「ノリでって…男同士は簡単にできないだろう…その…準備とか、色々…」

デリケートな話なので、広瀬は言いにくそうだった。

「俺の場合、相手がそっちの人で慣れてたからわりとすんなり」

「そうなのか…」

広瀬がなおも不思議そうな顔をしているから、俺は聞いてみた。

「お前、ミックスバーって知ってるか?」


   ミックスバー


「ミックスバー…聞いたことはあるけれど…ああ、ネットで調べた時もなんか見かけた気がする。でもスルーしていたな」

広瀬は答えた。

「以前大学の先輩に面白いからって連れて行かれたことがあってさ。様々なセクシャリティの人が集まるんだよ。もちろんノンケもOK」

「そうなんだ」

「そこで知り合った人とその場限りの1回だけ。オネエで面白い人だったな。一度一緒に行ってみるか?ゲイバーでハードル高かったら、そこで参考になる話が聞けるかもしれないぞ、俺の行ったところは危ない感じはなかったし。あ、無理()いはしないから気が進まなかったら別に…」

俺が軽く誘ってみると、

「行きたい、行ってみたい」

広瀬は食い気味に即答(そくとう)した。

「そうか、いつにする?まだ時間が早いから俺は今日でもいいけど」

「今日行きたい、連れて行ってくれるか」

広瀬は大まじめな顔つきで俺に頼んできた。


 まさか広瀬とまたここに来ることになるとは思っていなかった。” Fairy(フェアリー) tales(テイルズ)”と書かれたくすんだ金のプレートがついた木の扉をゆっくり開けると、パッと明るい空間が広がった。

(ちょっとレイアウトが変わってるか?)

店内は意外と広く、右の方にカウンター席がいくつかある。あとは立って談笑(だんしょう)できる小さなテーブルが5つ、壁側にはゆったり座れるソファとテーブルがやはり5組作られていた。

「広いな」

と、広瀬が(つぶや)いた。バーと聞くと広々と明るいイメージはそれ程ないから、意外だったらしい。俺たち二人が店に入った瞬間、中にいた客のほとんどがこちらに注目してきた。そりゃそうだろう、スーツ姿のこんなイケメンが二人も入ってきたら、セクシャリティに関係なく目を引くのは当然のことだ(※多分に自意識過剰(じいしきかじょう)です)。

「奥が()いてる」

運よく一番奥のソファ席が空いていたので、広瀬をそちらに連れて行った。広瀬はお手拭(てふ)きを使いながら辺りを見まわしている。周りも何となくこちらの様子を窺っている。男二人で入ったから、ゲイだと思われているかもしれない。

「何飲む?俺頼んでくるよ」

俺が広瀬に声を掛けた直後、

「アラー、(りょう)ちゃんじゃなあい!」

トーンの高い男の声でいきなり呼びかけられた。

「すごーい、久しぶりー、元気してた?」

「ユウさん…」

俺はその顔に見覚えがあった。俺が唯一(ゆいいつ)経験した同性の相手だった。よく覚えてたな。

「1年以上…もっとかしら?また来てくれるといいなって思ってたのよ」

そう言ってユウさんは俺の隣に座りしなだれかかる。そのまま反対側に座る広瀬の方にぐっと顔を近付けて

「やだー、すごいイイ男♡諒ちゃんのカレシ?カレシができたから来てくれなかったの?」

「いや、違うって、こいつは会社の同僚の広瀬」

「広瀬です、よろしく」

広瀬はユウさんの登場にちょっと驚いていたが、自然に挨拶をした。

「よろしくー、もう、諒ちゃんと同じくらいのイケメン♡そっかー、前に会った時は大学生だったけれど、就職したのね、オメデトウ」

「ありがと。広瀬、この人はユウさんと言って…その、さっき話した俺の唯一の…」

「ああ」

広瀬はすぐに理解したらしい。

「えー、唯一って、諒ちゃんあれからオトコとしなかったの?アタシ下手だったかしら。自信なくしちゃうわー」

会ったのは1年以上前でしかも今回2度目なのに、ユウさんの距離の詰め方はすごかった。

「いやまあ、下手ではなかったよ、悪くなかったし。でも俺は女の方が向いてるかなって」

広瀬の前でさっきと同じことを語るのは、恥ずかしかった。

「諒ちゃんタラシだもんねー、それでそっちのカレは?どっちが好きなの?」

「こいつは…ノンケなんだけど」

「アラー、残念」

俺は一応広瀬の方を見て、「話していいよな」と目で確認した。広瀬も頷く。

「同性の恋人がいて…相手もノンケで…」

「ノンケでカレシがいるの?え、それって純愛?ピュアなラブじゃない!」

“純愛”も”ピュアなラブ”も同じことだろうと思ったが、そこは突っ込まなかった。

「もちろんゲイにだって純愛はあるわよ。でもノンケ同士は珍しいかもねえ」

ユウさんはまじまじと広瀬を見つめて感動している。

「それで色々相談に乗ってほしくて。生活面のこととか、その…()()()の話とか?」

「それはいいけど…付き合ってどれくらいなの?」

「ちょうど2年くらいです」

結構長いな。

「それじゃあうまくいってて心配ないじゃない。今時はネットもあるから大体わかるでしょ」

「そうなんですけど…相手のわからないSNSでの対話はちょっと苦手で…。ちゃんと相手を満足させられているのか不安なんです」

こいつ、あれだけノロケてたのにそんなこと考えてたのか。

「広瀬君は…あ、名前はなんて言うの?」

暁人(あきと)です」

「ステキ♡じゃあ、暁ちゃんね。暁ちゃんはタチよね?」

「タチ…は抱く方ですよね、はい」

こいつ…あっさりそんなことを…、ていうかなんだよ「暁ちゃん」て、俺だって名前で呼んでねえぞ(※広瀬もです)。

「アタシはネコだからお相手さんのことはわかるかもだけど…どんな子なの?」

「2つ年下の大学生で…可愛い感じです」

「写真とかねえの?」

俺が聞くと

「写真…あるけど…」

広瀬はちょっと難しい顔をした。あまり人に見せたくないらしい。

「ああ、いいよ。無理強いはしないから。プライベートだもんな」

俺は素直に引いた。しつこい奴とは思われたくない。

「いや、1枚だけなら」

広瀬はそう言うとスマホの写真を見せてくれた。ツーショットだ。顔はそれ程大きく写っていなかったが、美少年には違いない。美少年というよりカワイイ系か。

(この子が広瀬の恋人…)

「あらー、カワイイ、アタシといい勝負ね」

いや、どこがだよ。あんたそろそろ三十路(みそじ)だよな。俺はスマホの写真をじっと見つめた。

(この子が広瀬と…)

「ちょっとー、諒ちゃん、何コワイ顔して(にら)んでるのよー」

「え、睨んでなんかいないけど」

「そおー?なんか難しいカオしてたわよ」

「それは…広瀬とこの子の未来のために考えを(めぐ)らせてたんだよ」

「あら、まあ優しいコト。でもタチの話だとアタシより本職の方がいいわよねえ」

そう言うとユウさんは立ち上がって辺りを見回した。

(ふみ)ちゃんは…今日は来てないかー、あのコけっこうやり手なんだけれど、大学4年生だから色々忙しいのかしらね。あっ、健ちゃん、ちょっとねえ、こっちこっち」

ユウさんに呼ばれてガタイのいい男がこちらにやって来た。マッチョという程ではないが、がっちりしたいい体型だ。俺と広瀬は頭を下げる。

「健ちゃん、こっちのイケメン君、暁ちゃんていうんだけど、彼に色々教えてあげてくれない?恋人との()()()()で悩んでるんですって。アタシも一緒に聞くから」

健ちゃんと呼ばれた男は「ちょっと待ってて」と言って一旦(いったん)カウンターに行くと、しばらくしてトレーにカクテルらしきものを()せてやって来た。


「まだ何もオーダーしていないようだったから、適当に作って持ってきた」

健ちゃんという男は俺たちのテーブルにカクテルを置いた。

「あっ、すみません、そうでした。ありがとうございます」

我に返ったように広瀬が健ちゃんに礼を言った。店に入ってすぐユウさんに(つか)まって怒涛(どとう)の攻撃だったから、オーダーする隙もなかったのだ。

「健ちゃんはね、こう見えてサラリーマンなんだけれど、ここのオーナーの知り合いでお手伝いみたいなコトしてるの。カクテルは結構おいしいわよ」

「”結構”は余計だよ」

そう言ってそいつは広瀬の隣に座った。

「広瀬、俺は向こうで飲んでるから色々教えてもらえよ。金曜日だからゆっくりでいいぞ」

「悪いな岩城、ありがとう」

俺はカクテルを一つ持ってカウンター席に行った。広瀬も俺がいては話しにくいこともあるだろう。俺も広瀬の生々(なまなま)しい話は聞きたくなかった。カウンター席に座ると近くから良い(にお)いがしてきた。

(カレーか…そう言えばちゃんと夕飯食ってなかった。広瀬も腹減ってないかな)

俺がカレーライスを食っている客の方を見たのに気が付いたのか、

「お食べになりますか?」

カウンターの中にいた、店のスタッフらしき女性が声を掛けてきた、

「お願いします」

頼んで間もなく俺の前にカレーライスが置かれた。

「うまい」

思わず口にすると

「そうでしょう?専門店ではないけれど、ここのカレーは評判いいんです。メニューは多くないけれど他のオードブルや料理もわりとイケますよ」

女性はそう言ってにっこり微笑(ほほえ)んだ。

「ビールをお願いします」

カクテルを飲み終わってしまった俺は追加でオーダーする。

「お友達と離れてしまって大丈夫ですか?」

女性に聞かれ

「俺がいると話しにくいと思うんで。恋人との関係で悩んでるみたいだから」

そう答えた。関係に悩むというよりは、具体的な…アレコレの話だとは思うが。ビール片手に広瀬の方を振り返るとちょうどソファの角辺りに座った広瀬はユウさんと健ちゃんに(はさ)まれて…ああ!?健とかいうあの男、広瀬の肩に腕を回して抱いている!?

(なんだアイツ、何してくれてんだ、お前タチだろう?広瀬だってタチだぞ?なに肩なんか抱いてんだ!?広瀬もなんで気が付かないんだよ、振り払えよ!)

広瀬は全く気にしていない様子で、スマホを見ながら熱心に二人と話している。なんだか俺はムカムカしてきた。

「あの角にいるリーマンにもカレー持って行って下さい。俺の奢りで」

俺は向かいでグラスを拭いていた女性に頼んだ。俺の言い方がちょっとキツかったのか、少し驚いた様子で、

「かしこまりました…」

女性はそう言うと、盛り付けたカレーライスを広瀬のところに運んで行った。女性から俺の奢りだと聞いたのだろう、広瀬は俺の方を見て笑って手を上げた。その笑顔に俺はきゅんとしてしまった。え、「きゅん」?「きゅん」ておかしいだろう。


 駅へ向かう道すがら、広瀬はやや興奮気味に喋り始めた。

「ありがとう岩城、すごく勉強になったよ、あの店に連れて行ってくれて本当に感謝してる」

「ああ、よかったな…」

俺はぼんやりとしたまま答える。”勉強”って…なにを勉強したんだ…。

「カレーもうまかったよ、腹減ってたし。俺が奢るはずだったのにお前にごちそうになっちゃって。また何か奢るな」

「うん」

「また行こうかな、あの店」

「う…また行く!?」

「明るい雰囲気で楽しそうだし、知見(ちけん)が広がるっていうか…ユウさんも面白い人だよな」

“知見”て…なんの知見だよ!?

「ユウさんはあれで大手のデザイン事務所に勤めていて、普段は普通の男として()()っているらしい。見た目は別にオネエっぽくなかっただろ?ただあれが()だから、あの店にいるときがラクなんだと…いや、そういう話じゃなくって、今お前『また行く』って言った!?」

「言ったけど…」

「いや、一人で行くなよ?絶対だぞ、行くときは俺に声を掛けろよ!」

「あ…ああ、わかった…」

俺の勢いに広瀬はやや面食(めんく)らっていた。俺は広瀬をあの店に連れて行ったことを少し後悔していた。


   秋の物思い


 11月に入り、季節はいっそう秋の気配を()くしていた。俺たちも新人とはいえだいぶ仕事に慣れてきたし、小規模案件は一人で担当することもあった。

「今年の新人は優秀で助かるよ」

佳山部長の誉め言葉も、満更ではない。まあ早々に一人脱落したけどな。斎藤のやつ今頃どうしているだろう。うざい奴だったが少し気になった。こんな()()()ないことを考えてしまうのは秋のせいなのだろうか。ふと横を見ると広瀬がいない。

(トイレか)

と思ったら、部長のところへ行って何やら話し込んでいる。何か報告することあったか?それともトラブル?部長が軽く頷くのが見えて、広瀬は深く頭を下げるとこちらに戻ってきた。

「何?なんかトラブルか?」

俺が聞くと

「今月の終わりに有休を申請(しんせい)してた」

「有休?旅行でも行くのか」

入社して半年は経っているが、新人が有休を使うのはなかなか勇気がいる。冠婚葬祭とかであれば仕方がないが。

「うーん、旅行と言えば旅行なんだが…」

「なんだ、はっきりしないな」

「実央が捻挫(ねんざ)をしちゃってね」

実央君とは広瀬の彼氏だ。初めはなかなか名前を教えてくれなかったが、今では普通に名前で話してくれている。

「捻挫?またなんで」

「大学で階段から落ちたらしい」

「それで?なんで旅行?」

広瀬は少し言い(よど)んだが、長くなりそうなのか

「昼飯の時にな」

そう言ってPCに向かい始めた。広瀬は部長にどう説明したんだ。


「箱根に送迎(そうげい)?2泊3日で?」

昼飯を食いながら俺は広瀬に詳しい事情を聞いた。

 10月末の学際の時広瀬の恋人実央君は、階段から落ちて足を捻挫をしてしまったらしい。その日ちょうど広瀬はサークルに顔を出すため車で大学に向かっていたらしく、実央君をそのまま病院へ連れて行ったそうだ。実央君は今月の終わり研究室の研修で箱根に行く予定らしい。足の痛みがまだ残っているので、担当の教授に許可をもらい自宅↔箱根の車での送迎を許可してもらうつもりだという。

(普通に考えれば新宿からロ〇ンスカーか。広瀬も実央君も自宅は神奈川だと言っていたし、確かに車の方が効率はいいな)

「お前、車持ってんのか」

「父さんのがある」

親父さんは海外赴任中なんだっけ。

「その頃には足治ってんじゃないのか」

「治らなかったら?捻挫の痛みは結構長引くぞ。(かば)いながら大学に行っているから治りも遅いらしい」

まあ恋人を閉じ込めておきたいって言った男だからな、それくらいはやるか。

「お前も泊まるってことだよな。同じ宿の予約取れたのか?観光シーズンだから今くらいだとどこも一杯だろう」

「運よくキャンセルが出た。ちょっと高かったけど」

貯金してるとか言ったくせに、実央君のためなら躊躇(ちゅうちょ)なく使うんだな。

     (※この辺の詳しい事情は『兄貴の彼氏と俺の話』をご参照下さい)

「俺もラ〇ン送るけど、仕事で何かあったらお前もくれよな」

広瀬が言う。

「わかったよ、ちょっとお茶取ってくるわ、お前は?」

「俺はいいや」

俺は一人で給湯機にお茶を取りに行った。その時近くから、

「やっぱりいいよねー、広瀬君。背も高いし顔もいいし、仕事もできるって営業部のコが言ってたよ。彼氏がいるってホントなのかなー」

と女性社員たちが話す声が聞こえた。

「合コンに誘っても全く乗ってこないって、先輩が嘆いてた」

(そうだよ、あいつにはそれはそれは大事にしている彼氏がいるんだ。お前たちなんか鼻にもかけないよ)

俺は席に戻ってお茶を勢いよく飲んだ。

「熱っ」

「何やってんだ、ほら」

広瀬がハンカチを差し出す。

「きれいなやつだから、使え」

「悪い…洗って返すな」

(こいつ面倒見がいいよな。いつだったか辞めた斎藤にもタオルを貸してたし)

実央君はこいつにものすごく大切にされているんだろうな…そんなことを考えると、なぜか少し(せつ)ない気分になった。


 それから数日後、例によってまたあの「ヤモリ」が広瀬に絡んできた。二人で会議室からデスクに戻る途中のことだった。

「広瀬くーん、新入社員なのに早速有休使っちゃうんだって?優秀な人は違うなー、彼氏君と旅行でも行っちゃうの?」

こいつはあれからも時々こうして広瀬に嫌味(いやみ)を言う。人事は注意してくれなかったのか?だが広瀬の方は全く相手にしない。

「そんなところです」

あっさり答えてそのままデスクに向かって行った。

「チッ、すかしやがって」

ヤモリは忌々(いまいま)しそうに()き出す。

「遊びに行くわけじゃないですよ。けがをした恋人の手助けです。まあ有休を使ってデートする相手もいないような人にはわかんないですよね」

俺はヤモリにそう言って広瀬の後を追った。悔しそうなヤモリの顔が目の端に映った。

 奴のいる課は営業部と関わりが深く、営業のための下調べ・資料作成・契約成立後のサポートなんかをしてくれる。もちろん自分たちでも事前準備はするが、大企業相手だったりすると契約規模が大きくなるのでミスを防ぐための体制だ。だから広瀬の有給取得の情報も入ったのだろう。

(あいつなんだかんだ、広瀬に興味あるんじゃねえのか?)

俺はヤモリを疑ってしまった。


 11月の終わり、広瀬は予定通り有休を取った。平日に3日広瀬に会えないのは初めてだった。

(なんか広瀬がいないと張り合いがねーな…)

俺は広瀬のデスク一つ置いて向こうの大野さんに声を掛けた。

「広瀬の休みの理由、聞いてます?」

「聞いてるよ、お前だって聞いてんだろ」

「まあ、一応」

「余計な事、他で喋るなよ」

意外にも大野さんは広瀬を庇うようなことを言った。その日は少し残業して上がったが、飲んで帰る気分でもなかった。ちなみに実家は埼玉だが、俺は都内で一人暮らしをしている。

(学際でけがとか実央君もドジっ子だな。俺学際なんて1年の時妹にせがまれて連れて行ったくらいで、あとは全部スルーで女と遊んでたもんな…。今頃広瀬は実央君としっぽりか…)(※違います。別の部屋です)

俺はポケットからスマホを取り出した。

(久しぶりに誰かに連絡してみるか…)


 シャワーを()びて出てくると、女友達はベッドの上でスマホをいじっていた。

「諒さあ、今日はイマイチノってなかったよねー、すごーく久しぶりだったから期待してたのに」

「え、よくなかった?」

「よくないことはなかったけどー…なんか心ここにあらず?みたいな」

「それは失礼しました」

「まあ社会人になって、忙しいんでしょ。仕事のことでも考えてた?」

「そんなとこかな」

面倒なので、そういうことにしておいた。ホテルを出て家に帰ったが、何か満たされない気分だった。

(なんか疲れただけだったな)

その夜は缶ビール1本空けて眠りについた。


 週明けオフィスに行くとすでに広瀬は出社していて、女子社員にお土産を渡していた。

「こんなにたくさん、ありがとう」

「お茶の時間に皆さんで食べて下さい」

昼食とは別に3時頃午後休憩(きゅうけい)があるので、オフィスにいる社員は一服(いっぷく)する。もっとも営業部は外回りが多いからティータイムにいない社員も結構いるが、広瀬はそれも見越(みこ)して多めに買ってきたのだろう。こちらに戻ってきた広瀬は、

「おはよう岩城、休み中は世話になったな」

と、声を掛けてきた。

「何もしてないよ。他社からの連絡メールは転送しておいたし、電話で連絡入ったものはそこにメモを置いてある。緊急の用件はなかったと思うけど」

「助かったよ、これ…」

広瀬は辺りを見回しながら俺に何か包装されたものをくれた。

「お前の分だけ別に買ってきたから、見つからないように持って帰ってくれ」

小声でそう言って、笑顔を見せた。

 広瀬が俺だけに特別に土産を買って来てくれたことに、俺は優越感を持ってしまった。俺はまた「きゅん」としてしまう。いや、違う。これは絶対「きゅん」じゃない。俺が広瀬に…男に「きゅん」とかあり得ない。なんなら女に「きゅん」としたこともほとんどない。

「箱根はどうだった?」

俺は気を(まぎ)らわすように広瀬に聞いた。

「良かったよ、2日目は伊豆をドライブした」

「一人でか?」

「うん、弟と行く予定だったんだけれど教授の声が掛かって、弟が急遽(きゅうきょ)研修に参加することになって」

「弟と行ったのか?」

「あれ、言ってなかったか、そうなんだよ、一人で泊まるのももったいないから弟も連れて行ったんだ。大学サボらせちゃったけどな。弟は実央と同じ学科で一つ下なんだ」

「実央君と同じ部屋じゃなかったのか」

「何言ってんだよ、実央は研修で行ったんだぞ、俺と同じ部屋のはずないじゃないか」

それもそうか…大学の人だって、広瀬と実央君の関係を知ってるわけじゃないだろうし…てか、教授にどう説明したんだ?

 それにしても広瀬にここまでさせる実央君というのは、どんな子なんだろう。会わせてほしいと言ったところで、広瀬が会わせてくれるわけはないか。


   ハプニング


 俺と広瀬が大室精密に入社して営業部に配属されてから、1年が経った。同期の斎藤がすぐ辞めちまったり、取引先にごねられたりしたこともあったし、他にもトラブルやゴタゴタはいくつもあった。それでも同期入社の女子社員二人は頑張っているようだし、俺と広瀬もそれなりに(たくま)しくなったと思う。今年は男子3人女子3人の新人が配属され、俺たちもめでたく先輩になった。とはいってもまだまだヒヨッコだから、教育係なんてできないが。

 「彼らが一つ上の先輩だよ」と佳山部長に紹介された時、新人女子3人は俺たちをキラキラした目で見てきた(※これも自意識過剰です)。悪いな、どっちもミャクなしだよ。G.Wが過ぎた辺りで新人女子の一人・野村さんの欠勤が目立つようになってきた。5月病というやつかもしれない。教育係の羽田(はた)さんが色々気を遣っていたが、改善しないようだった。

(去年斎藤がドロップアウトしたのも6月くらいだっけなあ)

 久しぶりに顔を見せた野村さんは、青い顔色でPCに向かっている。

「おはよう野村さん、調子はどう?」

出社した広瀬が明るく声を掛けると、野村さんはいきなりポロポロと泣き出してしまった。

「あ、ごめん、驚かせた?」

広瀬が(あわ)てて(そば)に寄る。

「すみません、違うんです、広瀬さんの言葉がうれしくて…」

うれしくてって…広瀬は朝の挨拶をしただけだぞ?まあ野村さんのことは部内でもみんな遠巻きに見ている感じだったから、普通に接してもらったことが嬉しかったんだろう。

 広瀬はそれ以降野村さんから相談を受けることが増えたようだ。さすがに野村さんの教育係羽田さんに悪いと思って報告したらしいが、羽田さんから

「悪いけどできる範囲でいいから話を聞いてやってくれるかな。広瀬君の方が話しやすいのかもしれない。具体的なことは対処しないで私に知らせてくれていいから。私もできるだけ頑張ってみるけど」

そう言われたという。だからお人好(ひとよ)しもほどほどにしておけと言ったんだ。後でややこしいことになっても知らねえぞ。


 もっともそんなお人好し広瀬も最近機嫌がよろしくない。実央君の就活も佳境(かきょう)を迎えているので、思うように会えないのだろう。しかも実央君は、広瀬にはあまり詳しく相談したり報告したりしてこないらしい。学部が違うせいもあるかもしれないが、そこは実央君も男のプライドってものがあるのだろう。なんか「男のプライド」って表現が、似合わない子ではあるが。広瀬は一人でやきもきしているというわけだ。俺は実央君が本当に広瀬に閉じ込められる日がくるんじゃないかと、心配になってしまった。

「久しぶりに今日飲みに行かないか。金曜日だし、ちょっとくらい遅くなっても大丈夫だろ?」

俺は気分転換に広瀬を連れ出すことにした。二人とも残業があってスタートがやや遅れたが、よく行く繁華街(はんかがい)に足を運んだ。

「さてと…どこにするか。ちょっと出遅れたからどこも混んでそうだな」

二人で辺りを見回すと、少し先の店からグループ客が出てくるのが見えた。

「おっ、あそこ()いたんじゃねえか、行こうぜ」

俺が広瀬の腕を引っ張って連れて行くと、店を出た大学生らしいグループが路上でたむろしていた。どうせ2次会に行くかどうか話してんだろ。二人で店に入ろうとすると、

「あっ」

という声が、同時に複数聞こえた。

「兄貴!?」

「暁人さん!?」

「実央!?篤紀(あつき)も…」

広瀬と何人かが顔を見合わせている。俺も(あっ)と思った。はじめは暗くてよくわからなかったが、グループの一人は広瀬の恋人・実央君だった。瞬間

(確かに可愛いわー)

と感心したが、すぐに広瀬からただならぬ気配を感じた。見れば学生の一人が酔っぱらって後ろから実央君に抱きついている。

「んー?だれー?」

そいつはかなり酔っているらしく、

「実央君、すげーイイ匂いー」

と、実央君の顔に自分の顔を摺り寄せていく。

「あ、あの、兄貴…今日は研究室の飲み会で…今年の研修の相談とかがあって…お、おいっ、海里(かいり)!実央君から離れろよ!」

“兄貴”ってことは広瀬の弟君か。広瀬に似ているな。弟君は二人の関係を知っているからか、慌てて酔っぱらった学生を実央君から引き離そうとした。

「えー、だって実央君いいニオイなんだもーん、ところでダレー、あー、篤紀のお兄ちゃんー?」

俺は恐ろしくて広瀬の顔が見られなかった。他に二人ほど学生がいたが、こちらも酔っているのかいまひとつ状況が分かっていないようだった。頼むからこんな所で暴力沙汰は勘弁(かんべん)してくれよ。

「広瀬…」

俺が言いかけた時、

「実央!!」

広瀬の鋭い声が耳に響いた。広瀬はいきなり実央君の手首を掴むと勢いよく引っ張って、元来た方へと足早に消えてしまった。

(あちゃー)

実央君に抱きついていた学生は急に支えを失ってバランスを崩し、弟君に助けられた。

「海里―、頼むから実央君に絡むなってー」

「えー、絡んでないヨー」

俺たちはしばし呆然(ぼうぜん)として顔を見合わせたが、

「あ、あの兄の会社の方ですよね、俺広瀬暁人の弟で篤紀って言います。いつも兄がお世話になっています」

弟君は酔った友達を支えながら、頭を下げて俺に挨拶した。

「ああ、同期で同じ営業部の岩城です。こちらこそ広瀬君にはお世話になっています。よろしく。ええと…研究室の飲み会だって?」

「営業部…あ、はい、1次会がお開きになって、後は自由に2次会に行こうっていう話になって…」

「なるほど…」

仕方ないので俺は弟君と他の3人を連れ、別の店を探して入った。あいにく金曜日で混んでいたがかろうじて4人席が1卓空いていた店に入り、俺と弟君はカウンター席に座った。テーブル席に座った3人は弟君と同学年だという。

「なんか…兄がスイマセン…」

この流れじゃ俺の奢りになりそうだが、まあいいか。他の3人はテーブル席で(にぎ)やかに喋っている。

「ええと…弟君の名前はなんだっけ?」

「篤紀です」

「篤紀君か、改めてよろしく」

「よろしくお願いします」

篤紀君は再度頭を下げた。


 10秒くらいの沈黙を置いて

「あの…岩城さんは兄と実央君…あ、さっき兄に引っ張って行かれた男子ですけど、二人のことは…」

「知ってるよ」

篤紀君はそれを聞いてホッとしたような顔になった。

「やっぱりそうでしたか、兄が面接でカミングアウトしたって言ってたから」

「それも知ってるよ、一緒に面接受けたからね。お兄さん、勇気あるよね。多分本社の人間はほとんど知ってると思う」

「そうなんだ…」

「でも心配いらないよ、うまくやってるから。たまに余計な事言ってくる奴もいるけれど、全然相手にしてないし俺もいるから」

「あざ…ありがとうございます。心強いです。家族も会社の中までは助けてやれないから…」

「お兄さん思いだね」

「へへ…ところで兄は営業部だったんですね」

篤紀君はいきなりとぼけたことを言ってきた。

「え、もう2年目だよ?知らなかったの?」

「聞いたかもしんないですけど、ちゃんと認識してなかったです」

なんか面白い子だな。

「そっかー、営業部かー、岩城さんみたいなイケメンと営業部の同期…」

「え、何か問題でも?」

「問題はないですけど…もしかして二人で営業成績のトップを争ったりしてます?」

篤紀君は変なことを聞いてきた。

「いや…俺たちはまだ2年目だからさすがにトップ争いは無理かな。まあお兄さんは優秀だからそのうち目立ってくるかもしれないけれど」

「そうですか、そうですよね」

え、なに、これ何の質問なの?(※腐男子の質問です)

「それにしても実央君…大丈夫かなー…」

篤紀君は心配そうに言った。広瀬は最近実央君となかなか会えなくてイラついていた。それなのに実央君が研究室の飲み会には参加して(何かの相談だとは言っていたが)、さらには年下学生に抱きつかれた挙句頬ずりまでされて「イイ匂い」とか言われたら、そりゃあもう「怒髪天(どはつてん)()く」というやつだろう。

「あー、そうだねえ。お兄さんてかなりの執着系だよね」

「岩城さんもそう思います!?」

「思う思う、実央君結構大変だと思うよ」

「ですよねー…実央君今日壊れちゃわないといいけど…」

けっこう(きわ)どいこと言うな、この子。俺たちは1時間くらいその店で喋って、その後別れた。学生に払わせるわけにはいかないので、もちろん俺が奢った。


 週明け広瀬は俺と顔が会うとすぐに

「弟たちがごちそうになったって聞いた。迷惑かけてすまない。俺が払うから」

そう言ってきた。

「あー、いいいい、大した額じゃないから。篤紀君と話ができて楽しかったよ」

「本当に悪い、岩城には世話になりっぱなしで…」

お前の世話しかしてないけどな。

「それよりお前の方はどうだったんだよ、実央君、大丈夫だったのか?」

ちょっとニヤついて聞いてみた。

「んー、それが…」

広瀬はデスクにつくと両腕に顔を埋めて()()した。

「実央が可愛すぎてしぬ…」

はあ?何言ってんだ、コイツ。

「”可愛すぎてしぬ”とは?」

「教えない」

ま、大体は想像つくけどね。俺は今日実央君がちゃんと起き上がれたか心配だよ。「想像つく」とは思ったが、なぜか想像したくはなかった。広瀬と実央君の()()()()を考えると、なんとなくもやもやするのだ。

「実央君、話せなかったけど、カワイイ子だなあ」

ちょっと大げさに言って、広瀬の反応を見た。

「…お前にはやらない」

「誰が取るか、お前にコロされたくねえよ」

俺は笑って仕事についた。この「もやもや」の正体が、俺にはまだわかっていなかった。


   自覚


 7月に入って本格的な暑さになった。その日俺は営業先で飲みに誘われ遅くなったので直帰の予定だったが、忘れものに気が付き仕方なくオフィスに戻ることにした。

(さすがにもう誰もいないか、守衛(しゅえい)さんがロックする前でよかったな)

俺は時間を確かめてエレベーターに乗り、営業部に急いだ。見ると薄く明かりが漏れている。

(まだ誰かいるのか?)

そっと様子を窺うと、そこには広瀬と野村さんがいた。

(このシチュは…)

俺はすぐにピンときた。息をひそめて聞いていると、

「好きです、広瀬さん」

やっぱりなー、こうなると思ったわ。羽田さんも広瀬に野村さんの相談役なんか頼んだら、こうなるってわかりそうなもんなのに。

「辛い時に広瀬さんに優しくして頂いて、私…」

あーあ、玉砕(ぎょくさい)覚悟ってか。野村さんはわりとカワイイ子で、男性社員にも注目されているから他の男なら悪い気はしないだろう。でも広瀬じゃダメだ。

「勘違いさせたのならごめん。それはあくまで先輩社員としての優しさで…それに俺には恋人がいるし」

「知ってます。同性の方ですよね。皆さんご存じで驚きました。でも…広瀬さんはゲイじゃないって…それなら女性の方は私じゃダメですか?」

ん?何を言ってるんだ、彼女は。「女性の方」って…広瀬に男女両方と付き合えって言ってんの?実際そういうやつもいるのかもしれないけれど、昔の殿様じゃあるまいし。それともそのうち自分の方に傾くって自信でもあるのか?

「そんなことはできないよ。僕は彼を愛しているから。彼以外の人は愛せないから」

広瀬ははっきりそう言った。その言葉は俺に向けられたように聞こえて、ズキンと胸が痛んだ。

「そうですか…」

野村さんは力なく(うつむ)いて、オフィスを出ると俺の脇を通り抜けていった。

(え、俺のこと見えてないの?)

彼女がエレベーターに乗るのを確かめてから、俺はオフィスに入った。一人(たたず)んでいた広瀬が、

「岩城か、どうした」

「忘れ物」

俺は自分のデスクからスマホを取り出した。社用の携帯は持っていたが、私用のがないと落ち着かない。

「聞いてたか?」

「聞いてたよ、お人好しも過ぎるとああいうことになるんだ」

「そうだな」

広瀬はほうっとため息を()く。

「野村さんカワイイじゃないか、両手に花で付き合っても良かったんじゃないか」

俺は思ってもいないことを意地悪く広瀬に言ってしまった。

「バカいうな、そんなことできるか」

「確かに実央君は可愛かったな。俺も『抱けそう』って思ったわ。だけどな、いくらカワイイ男の子だってオッサンやジジイになるんだぞ?その時近くに女もいた方がいいんじゃないか?」

俺はわざと広瀬の怒りを(あお)るような言い方をした。(なぐ)られるかもしれないと思った。だが広瀬は落ち着いた声色(こわいろ)

「そんなことは100万回考えたよ。弟にも同じことを言われた」

そう言った。100万回は大げさだろう。

「でも俺だって一緒に(とし)を取るんだ」

「男と女は違うぞ。女なら歳取ったってイチャコラできるし(ピーッ※自主規制)だってできる。男同士じゃそうはいかないぞ、ゲイならいいかもしれないがお前はそうじゃないだろう」

「それでも俺は実央しかいらない。実央がいればいい。それにそういうことも俺と実央だってちゃんと話し合っている」

広瀬の実央君への愛情に俺は完敗(かんぱい)した気がした。

「勝手にしろ」

俺はスマホをシャツのポケットに入れると、そのままオフィスを出た。途中守衛さんとすれ違って

「まだどなたか残っていらっしゃいますか?」

と聞かれた。

「一人」

俺はそう答えるとさっさとエレベーターに乗り込んだ。


 広瀬にひどいことを言ってしまった。理解者だと思っていた俺にあんなことを言われて、広瀬は今どんな顔をしているだろうか。頭の(しん)がカーッと熱くなった状態で、俺はひたすら歩いていた。どこへ行こうかなんて考えていない。さっきの自分の最低な言動にも、実央君しか愛さないという広瀬の言葉にも無性(むしょう)に腹が立った。気が付くとあの店の近くに来ていた。

(“Fairy tales”…)

他に当てもなかったので、ゆっくり扉を開けて入った。

「アラー、諒ちゃん」

例によってトーンの高いユウさんの声が聞こえた。

(ユウさんはいつもいるな)

俺と広瀬はあれから2回ここに来た。その時もユウさんは俺たちを出迎えてくれた。よほど居心地(いごこち)がいいのだろう。

「今夜はだいぶ()いてるね」

「深夜から雨が降るって天気予報だったから、みんな早めに帰っちゃったのよ」

ユウさんは俺をソファ席に(いざな)った。

「…どうしたの諒ちゃん?」

「え」

「泣きそうな顔してるわよ」

ユウさんは今まで見たことのないような神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで、まじまじと俺の顔を見た。

「泣いてないよ」

「そお?ならいいんだけれど、ビールでも頼む?」

「お願いします」

ソファに腰かけるとやっと少し頭が冷えた気がした。

「今日は一人なのね」

「ああ、うん」

広瀬がいない理由は特に説明しなかったが、

「なんかあった?」

ユウさんは俺にビールを渡しながら聞いてきた。

「何もないよ。仕事で疲れてるだけ」

「…違ってたら謝るけど…」

「なに」

「諒ちゃんて、暁ちゃんのこと好きよね」

俺は一瞬ビクッとしたが、すぐに

「もちろん好きだよ、友達だから」

と答えた。

「そうじゃなくて」

ユウさんは苦笑いして言う。

「恋してるでしょってことよ」

正面から真実を突きつけられて、俺は言葉に詰まった。

「どうしてそう思うの」

「どうしてって…見てたらわかるわよ、誰かが暁ちゃんにちょっかい出すと不機嫌になるし、アタシが”暁ちゃん”て呼ぶのも気に入らないみたいだし、初めて暁ちゃんをここに連れて来た時から気が付いてたわよ。暁ちゃんの彼氏の写真、スゴイ顔で睨んでたもの」

「やっぱりそうなのか…」

「やっばりって?」

「俺もさっき気が付いた」

白状してしまった。違うと思いたかったからずっと(ふた)をしてきた感情だ。相手が男だということもあるが、絶望的に(かな)わない恋なんて認めたくなかったせいもある。

「しんどいわねえ」

「しんどいな」

「いつから好きだったの?」

「いつ…」

はっきり自覚したのはさっきだが、俺はいつから広瀬を意識していたんだろう。広瀬との記憶が逆回転で走馬燈(そうまとう)みたいに流れていく(※しぬわけではありません)。すると最初に広瀬を見た、面接の待合室まで(さかのぼ)った。

(マジか…)

俺は頭を抱えたくなった。頭を抱えたくはなったが、少し冷静にもなった。

「でも俺、広瀬を抱くとかムリなんだけど」

「逆は?」

「逆なんてもっとムリ」

はーっとユウさんはため息を()いた。

(まれ)にいるのよねえ、こういう人。体をつなげることはムリだけど気持ちの上ではすっごく好きになっちゃう人って…」

「それって…」

「諒ちゃんは今まで逆のことをしてきたんでしょ」

「逆…」

そうだ、俺は単に欲を満たすだけのために、たいして好きでもない不特定多数の女たちと散々(さんざん)好き放題してきたんだもんな…(※言葉で表現すると本当にクズです)。

「バチが当たったのね」

ユウさんはグラスワインを飲みながらおかしそうに笑う。

「バチ…」

本当にその通りだ。抱くこともできない相手を好きになるなんて、地獄じゃないか。

「でもキスとかハグくらいはできるんじゃないの?」

ユウさん、完全に俺をからかってるな。

「それは…したいかも」

「んま、素直なこと」

そこへ傘を(すぼ)めながら背の高い男が入ってきた。


「アラ(ふみ)ちゃん、久しぶり、ヤダ雨降りだしちゃったの?」

「今晩は、ユウさん、久しぶりだね」

「仕事は慣れた?いじめられてなあい?」

「大丈夫だよ、親族の会社だし」

史ちゃんと呼ばれた男はハンカチで肩のあたりを軽く拭いている。なかなかいい男だ。俺はルッキズムじゃないけどな(※どの口が…) 。

「諒ちゃんとは初めてだったかしら、この子史ちゃん。今年から社会人になったの。こっちは諒ちゃん、史ちゃんの1コ先輩よ」

ユウさんが勝手に紹介するので、俺たちはお互い頭を下げた。

「この子もねえ、最近辛い失恋を味わったばかりなのよ」

「ユウさん僕のことペラペラ話さないでよ。最近でもないし、まだ(あきら)めてないし」

「あらー、そうなの?でも久しく会ってないんでしょ」

「大学には手土産持って、たまに顔出してるよ」

「史ちゃんはねえ、ゲイなんだけど相手はノンケで、しかも恋人がいるんですって、かわいそうでしょ?」

俺に向かってユウさんが話す。

「ユウさんにかかっちゃ、プライバシーも何もあったもんじゃないな」

史ちゃんという男は苦笑する。相手がノンケで恋人がいるって…まんま俺のことじゃね?俺はゲイではないけどな。

「ここはそういう店でしょ、ねえ、諒ちゃん」

ユウさんが俺にくっついて話し始める。

「ここにはねえ、色々な人が来るの。精神的には恋愛ができるのに触られるのはムリっていう子もいるし、仲のいい夫婦でもあっちの方はすごく淡白(たんぱく)だったり。何が正解で何が間違いってことはないのよ、恋愛の形は人それぞれ。不倫はちょっと応援しにくいケド」

「そうだね」

「これはアタシの持論なんだけど、恋愛ってしようと思ってできるもんじゃないと思うの。気が付いた時には好きになってるものなのよ」

確かに、そうかもしれない。今までまともな恋愛をしてこなかったツケが一気に回ってきた気分だ。

「諒ちゃんも史ちゃんもまだ若いんだから、これから好きになる人がいくらでも現れるわよ」

「だといいけど…」

俺は力なく笑う。

「失恋ですか」

史ちゃんという男が聞いてきた。

「そうですね、自覚した途端(とたん)失恋した感じです」

「それは辛いですね。僕もまあ似たようなものかな。好きな人は恋人に夢中で全く気付いてもらえなかった」

「告白はしなかったんですか」

「…しようかなというタイミングもあったんですが…」

史ちゃんは何かを思い出したのか、くすりと笑って

「女神様に止められました」

「女神様ですか、女神様では仕方ないですね」

何のことかよくわからなかったが、俺は話を合わせておいた。


   抱擁(ほうよう)


 翌日はさすがに広瀬と顔を合わせるのが気まずかった。まず謝らないといけない。どうやって謝ろう。昨夜は取引先との付き合いで酒を飲んでいた。そうだ、酒のせいにしておこう。何なら酔ってあまり覚えてないってことにしておこう(※とことんクズです)。

 ところが今日広瀬は直接取引先のところに行くということで、出社は午後からだという。ほっとしたような落ち着かないような、妙な気分だ。オフィス内を見ると野村さんも出社して、すでに仕事を始めている。なんか吹っ切れたような表情だ。女性は強いな。

「なんだかそわそわしてるけど、何かあるのか?」

山下さんに聞かれてしまった。

「いや、なんにもないです」

「デートの予定でも入ってるのか」

デートだったらどんなにいいか…

「俺は11時になったら出るから、何かあったら連絡しろよ」

「はい」

山下さんは今でも俺の教育係的なポジションだったが、さすがに1年以上経って二人ペアで動くことは減ってきた。

(なんだか頭がぼーっとしてるな…)

キーボードを打つ手の動きも鈍い。”Fairy tales”を出て、アパートに帰ってからもずっと広瀬のことを考えていた。重症だ。一度「好き」を意識すると、こんな風になってしまうのか。

(俺の初恋っていつだったっけ…)

そんなことまで考え始めてしまった。なんだかいやな汗が出て、ポケットからハンカチを取り出した。

(あ、これ…)

お茶をこぼした時に広瀬から借りたハンカチだった。もちろん洗ってあるが、返すのを忘れてしまっていた。たまらなくなって自分の口に押し当てる。乙女か俺は。

「おい、吐きそうなのか?」

大野さんに勘違いされてしまった。

「違います、汗拭いてただけです」

そうごまかしたものの、昼近くになっても食欲が出なかった。

「ちょっとトイレ行ってきます」

大野さんに声を掛けて廊下を出ると、エレベーターを降りてこちらに向かって歩いてくる広瀬が見えた。近づく俺に気が付いて

「岩城…」

広瀬が言いかけたところで、俺は広瀬にハグをした。というより抱きついた。広瀬はびっくりして、

「どうした」

カバンを持ったまま俺を抱きかかえようとする。

「広瀬…昨日はごめん…」

ああ、広瀬は良い匂いがするな。あの時の大学生の気持ちが少しわかる。俺は広瀬を抱く腕に力を込めた。

(キスしたいな)

なんならその先もできそうな気がしてきた。

「お前、熱があるんじゃないか?」

広瀬は上半身を引き離すと、俺の額に手を当てた。

「あれえ、廊下でラブシーンかあ」

ヤモリの声が聞こえた。今聞きたくねえ声だな。

「どうした」

大野さんの声もした。たぶん昼飯で出てきたんだろう。

「岩城の具合が悪いみたいです、医務室に連れて行きます」

「どけ」

大野さんはヤモリを押しのけると、広瀬と同じように俺の額に手を当てる。

「熱あるな、広瀬、帰って来たばかりで悪いが岩城を医務室に連れて行ってくれ、朝から調子悪そうだった。広瀬は午後からまた外だったよな」

「はい」

「俺は部長に知らせてから医務室に行くから」

そう言って大野さんは一旦オフィスに戻ったようだ。

「岩城、行くぞ」

広瀬は俺を抱えてエレベーターの方に戻る。ぼんやりと廊下を(なが)めると、ぽつんと立っているヤモリの姿が見えた。


「熱があるわね」

体温計を見て医務室の先生が言う。

「お医者さんに行く?ここでも薬は出せるけど」

「行かないです、ここでお願いします…」

「朝ごはんはちゃんと食べた?」

「あんまり…食欲がなくて…」

考えてみると昨夜”Fairy tales”を出る時に小雨が降っていて、店の人が傘を貸してくれると言ったのに俺は断ってそのまま帰宅してしまった。あれが悪かったのか。寝不足も手伝って段々意識が朦朧(もうろう)としてきた。悪寒(おかん)も少しする。

(広瀬…)

広瀬と先生の話す声が聞こえたが、医務室のベッドに横になって安心したのか、俺はうつらうつら眠ってしまった。

 それからどれくらい眠ったのだろう。ふと目を()ますと横に大野さんが座っていた。

「起きたか、具合はどうだ」

「少し…楽になったような気がします」

「そうか、よかった。気になって様子を見に来たんだ。先生は会議中に体調不良の人が出たとかで、そっちに行ってる。何かあったら呼んでくれって」

「大丈夫です」

「広瀬はまた外回りに出てるけど、戻ったらここに寄るって言ってたぞ」

「そうですか…ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「お前にしちゃ殊勝(しゅしょう)だな」

大野さんは笑っている。

「大野さん、優しいんですね、仕事抜けてきてくれたんでしょ」

「ちょっとキリがよかったからな、部長にも声かけてきたし」

「俺はじめは大野さんてイジワルなのかと思ってました」

「なんでだよ」

今度はムッとした顔になる。

「俺たちが配属された日、『顔で選んだのか』って言ったじゃないですか」

「あんなの()め言葉だろうが、あれくらいで気にしてたら営業なんかやっていけねえぞ」

「そうですね、広瀬も大野さんはいい人だって言ってました。あの時も広瀬のこと庇うようなこと言ってたし」

「あの時?」

「去年の秋広瀬が有休取った時、『余計な事言うなよ』って」

「ああ、あれか…」

大野さんは少し考えこんで口を開いた。

「広瀬のやつすごいなと思って。ふつう同性と付き合ってて、あんなに堂々とできないだろ」

「はい」

「俺さ…兄貴がいて同じサラリーマンなんだけど…ゲイなんだよ」

「えっ」

さすがの俺もこれには驚いた。

「あ、これオフレコにしてくれな」

「はい」

「兄貴はカミングアウトしてないから会社じゃ普通に振る舞ってるけど、けっこうしんどいらしい。そういう事ってわからないとみんな異性愛者として接するだろう?」

「そうですね」

「正直家族の反応も微妙でさ。面と向かって非難(ひなん)はしないけどなんか()れ物扱いで…正直俺もどう接していいのか困ってた」

「…」

「でも広瀬を見てたらさ、あ、広瀬はゲイじゃないってわかってるよ。でも社内に噂が広まって色々言う奴らが出てきて辛かったろうと思うけど、何も変わらなかっただろ?」

「はい」

「まあお前も守ってやってたしな、いいコンビだよ」

コンビ…という表現は少々複雑だった。

「広瀬を見てて俺も兄貴に対する態度を少し改めたんだ。特別なことをしたわけじゃないけれど、普通にしたっていうか、少し優しくしたっていうか…」

大野さんはちょっと言葉に詰まった。

「そしたらさ…兄貴のやつ泣いたんだよ、『ありがとう』って…」

大野さんは涙ぐんた。俺もちょっと涙腺(るいせん)にくるものがあった。

「悪いな、こんな話して。具合よくないのに」

「いえ、(うかが)ってよかったと思います」

「俺近いうちに結婚するんだよ」

「え、おめでとうございます」

「ありがとう、それで彼女に兄貴のこと言った方がいいのか迷ってて」

「あー、それは難しいですね…でも」

俺は少し考えてから大野さんに言った。

「お兄さんに聞いてみたらどうですか。黙っててほしいっておっしゃったらそうすればいいし」

「そうだな、そうするわ。言いにくいことでもちゃんと話すのが家族だよな」

広瀬もそうしたんだ、それも大学生の時に。すごいなアイツ。お母さんにはわかってもらえないみたいだけど、弟君はいい子だったしお姉さんはなんか面白そうだし。

「岩城、具合どうだ?」

その時広瀬が入ってきた。それを見た大野さんは

「じゃあ俺は戻るわ。ここでダベった分今日はサービス残業だな。広瀬が帰って来たことは部長に言っておくよ」

そう言って立ち上がった。

「お願いします」

広瀬が頭を下げると、大野さんは医務室を出て行った。


「大野さん、目が赤くなかったか?」

「さあな、花粉症じゃねえの」

「この時期にか?」

広瀬は怪訝(けげん)な顔をしたが、すぐに俺に向き直って

「ところで熱はどうなんだ。スポドリとかおにぎりとか買って来たけれど食えそうか?本当はお粥の方がいいんだろうけれどレトルトしかなくて…」

ごそごそとコンビニの袋から色々取り出した。ゼリーまである。

「何か食った方がいいだろ」

「広瀬」

あー、なんか無性にキスしたい。

「ん?」

「昨夜は悪かったな」

俺は素直に謝った。

「ああ、気にしてないよ、お前酔ってたんだろ。山下さんに聞いたよ、取引先に付き合わされたって」

「まあ酔ってはいたんだけれど…」

「”実央を抱ける”発言はちょっと許せないけどな」

今抱きしめたいのはお前なんだけど。

「ああ、実央君可愛かったからな」

広瀬はむっとした表情になる。

「実央の可愛さは俺だけがわかっていればいい」

「執着系は嫌われるぞ」

「執着系じゃないぞ、俺は」

どの口が言ってんだ。すると今度は山下さんが入ってきた。もう帰社しているらしい。

「具合どうだ、しんどいなら早退しろって部長が言ってるけど」

「戻ります、なんとか動けそうなので」

戻ってもすぐ定時になりそうだけど。

「そうか?ムリすんなよ」

「俺、先生にメモ残しとくな、オフィスに戻りましたって」

広瀬は医務室の先生にメッセージを書いて机の上に置いた。

「じゃあ行くか」

山下さんの言葉に促されて、3人で医務室を出た。

「食えそうなら、これ食っとけよ」

広瀬がコンビニの袋を持ち上げる。

「サンキュ、後でもらう」

山下さん、広瀬、俺の順でエレベーターに向かう。

(後ろから思いっ切りぎゅーっと抱きしめたいな)

そんなことを考えていたら、広瀬が急に振り向いたので心が読まれたのかと思った。

「元気になったらまた”Fairy tales”に行こうな」

広瀬は笑って言う。実央君のためにまだ「勉強」したいのかよ。

「そうだな」

俺も笑って広瀬の後に付いて行った。


                      終わり


お読み下さった方、ありがとうございます。今回も過去作同様、岩城をBLカップルの傍観者に位置付けるつもりで書き始めました。でもストーリーを作っていくうちに、「あれ、これ岩城は広瀬に惚れちゃうな」という感じになってしまいました。決して格好をつけるわけではありませんが、本当に岩城が勝手に動いてくれたという印象です。こんなことってあるんですね。

 終わり近くの「史ちゃんの女神様」については、作中敢えて注釈(というか私の心の声?)を付けませんでした。気になった方は前作『研究室の三松さん』をお読み下さるとご理解いただけると思います。

 本作では「腐女子」は要素として入っていませんが、一人潜り込ませておきました。

 なお冒頭の面接描写ですが、あんな面接は現実的にはありえませんよね。あってはいけないと思います。そこはお話として楽しんで頂けると幸いです。

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