第8話 一人じゃない配信
初コラボの日は、始まる前から少し胃が重かった。
一人で配信する時の緊張とは違う。あれは、誰も来ないかもしれない場所に向かって喋る怖さだった。今回はもっと具体的だ。相手がいる。しかも、向こうは配信に慣れている。コメント欄だけじゃなく、その相手にも返さないといけない。
ノートPCの前に座って、時計を見る。
まだ数分ある。
その数分が長い。
「別に面接じゃないんだけどな……」
口に出しても、胃の重さはあまり変わらなかった。
事前に送られてきた通話用の案内をもう一度開く。接続先は問題ない。音量も確認した。マイクも大丈夫。カメラも、今日は最初から入れる前提で位置を整えてある。そこはもう事故じゃない。
なのに落ち着かない。
朝比奈結衣。登録者二十万。雑談、軽い企画、コラボ。アーカイブで見た限り、明るくて、拾うのがうまくて、相手を置いていかない人だった。ちゃんとしている。ちゃんとしているからこそ、余計にこちらの不慣れさが目立ちそうでもある。
通話がつながる。
「あ、もしもし? 聞こえる?」
明るい声がイヤホンから入ってきた。
「あ、はい。聞こえます」
「大丈夫そうだね。思ったより普通に落ち着いてる」
「始まる前なんで、まだです」
そう返すと、通話の向こうで朝比奈さんが笑った。
「それ、もうちょっと緊張してる人の返しなんだよなあ」
その一言で、少しだけ肩の力が抜ける。
押しが強そうな人ではある。でも、ぐいぐい来るだけじゃない。ちゃんとこちらの返しを待ってくれる。その感じは、事前のDMやアーカイブで受けた印象と近かった。
「今日はそんな構えなくていいからね。変なとこあったら拾うし」
「それ言われると、逆に変なとこ出そうで困るんですけど」
「いいじゃん。そこ見に来てる人もいるでしょ、たぶん」
それもそうかと思う。
俺の配信を見に来る人は、たぶん最初から完成品を求めてはいない。若い顔で妙にくたびれているとか、飯が渋いとか、反応が少し古いとか、そういうズレを見に来ている気がする。
それを自分で認めるのは少し複雑だが、事実としてはそうなのだろう。
「じゃ、そろそろいこっか」
「はい」
返した瞬間、胃がもう一段だけ重くなる。
画面が切り替わる。
配信が始まった。
「こんばんはー。今日はちょっと、最近じわっと気になってた人を呼んでます。朝比奈結衣です。よろしくお願いします」
朝比奈さんの声は、通話で聞くより配信の中の方が少しだけ華やかだった。テンポがいい。コメント欄もすぐ反応する。
【きた】
【コラボだ】
【朝比奈さんだ】
【例の男】
「で、こっちは橘湊人くん。……くんでいい?」
「そこ確認されるんですね。橘湊人です。よろしくお願いします」
【ちゃんと名乗った】
【湊人きた】
【例のAI疑惑の男】
【返しが若くない】
【今日は期待してる】
「その呼び方で定着するの、まだ嫌なんですけど」
言うと、朝比奈さんが笑う。
「いやでも、ちょっと浸透してるよね」
「浸透してほしくないです」
「今の返し、だいぶそのまんまでいいね」
コメント欄がまた流れる。
【もう空気おもろい】
【思ったより会話になる】
【朝比奈さんと並ぶとズレが分かる】
【返しが若くない】
「最後のやつが毎回あるな……」
「だってあるもん」
言い切られて、少しだけ困る。
一人の時は、自分がどう見えているかをコメント欄越しにしか受け取れなかった。でも今日は違う。朝比奈さんが目の前で、かなりはっきり輪郭を出してくる。若い見た目なのに返しが妙に落ち着いている。少し疲れているような喋り方をする。たぶん、そういうことなんだろう。
「じゃあ一応、自己紹介っぽいことする?」
「した方がいいなら」
「その“した方がいいなら”がまずちょっと変なんだよね」
【草】
【そこなんだよ】
【受け身すぎて逆にいい】
【思ったより相性いいな】
朝比奈さんが、そこで無理に畳みかけないのが助かった。
「まあ、そんなに固くなくて大丈夫。最近、弁当の話とか自炊の話してたじゃん。あのへん見て、普通に話してみたかったんだよね」
「その入口、だいぶ地味じゃないですか」
「でもあれが一番気になったんだよ。若い顔してるのに、弁当の感想が妙にくたびれてて」
「自分では普通の感想のつもりだったんですけど」
「そこだよね」
朝比奈さんがそう言って笑うと、コメント欄もすぐに乗る。
【それ】
【自覚ないのがいい】
【あの弁当回は妙に残った】
【ちゃんとしてるのに寂しい弁当】
「それ、まだ残ってるのか……」
「残るよ。普通あんまり言わないもん。ちゃんとしてるのに寂しい、って」
「でも実際そうだったんですよ。食べる分には何も問題ないのに、妙にうれしくないというか」
「はい、そこ。今のそこなんだよ」
言われて、自分で少し止まる。
何が“そこ”なのかはまだ完全には分からない。けれど、朝比奈さんは俺の返しの中で、人が反応しそうな場所を見つけるのがうまかった。俺はいつも通りに喋っているだけなのに、その中から引っかかる部分を拾って前に出してくれる。
「しかも次の日、自分で飯作り始めるのがまた渋いんだよね」
「昨日の弁当が引っかかってたんで」
「二十歳の顔して、その答えが出るのやっぱ変なんだって」
【二十歳の顔で飯が渋い】
【若いのに味噌汁で落ち着く男】
【見た目と中身のズレが今日も強い】
【この二人だと見やすい】
コメント欄の流れが、一人の時より少し速い。
でも不思議と置いていかれない。
朝比奈さんが速いからだろうか。いや、速いだけならたぶん置いていかれていた。速いのに、ちゃんと待つ。待って、俺が返したものを拾ってくれる。それで会話が転がる。
「朝比奈さんから見て、そんなに変なんですか」
「変っていうか、珍しい。若い男性配信者ってだけでも目立つのに、その上で生活感が強いのが面白い」
「生活感、やっぱり強いんですね」
「強い。しかも嫌な生活感じゃないんだよね。見せようとしてる感じじゃなくて、普通に暮らしてる空気がそのまま出てる」
「普通に暮らしてるだけなんですけど」
「だからいいんじゃない?」
その返しに、少しだけ救われる。
今までは、生活感があるとか、ちゃんと暮らしてそうとか言われても、それが褒め言葉なのかまだ半信半疑だった。何か地味と言われているだけの気もしていた。
でも朝比奈さんは、そこをちゃんと価値として言葉にする。
普通に暮らしている空気がそのまま出ている。
それがいい。
そう言われると、少しだけ自分の配信の輪郭が見える。
【朝比奈さん拾うのうまい】
【湊人も思ったよりちゃんと返す】
【このテンポいいな】
【一人の時より人付き合いの不器用さが見える】
「それ、だいぶ雑に刺してきてますね」
「でも分かるかも」
「そっちが言うんですか」
「だって、一人の時ってもっと自分のペースじゃん。今日は相手いるから、ちょっと遅れて返す感じとか、考えてる間とかが見えやすいんだよね」
なるほど、と思う。
一人配信では、自分の間は自分のものだった。黙っても作業でつなげるし、コメントを読むまでの時間もそのまま流れる。でも二人になると違う。相手が振る。こちらが返す。その間にある一拍が、そのまま“自分の癖”として見える。
人付き合いが上手いわけではない。返しだって速くない。少し考えてから喋る癖がある。朝比奈さんみたいに、目の前で起きたことをすぐ言葉にできる方ではない。
けれど、それを隠しきれないのが、今日はむしろ悪くなかった。
【思ったより相性いい】
【朝比奈さんが速くて、湊人が遅いのがちょうどいい】
【噛み合ってないのに噛み合ってる】
【この組み合わせ普通にまた見たい】
コメント欄のその言い方が、妙にしっくり来る。
噛み合ってないのに、噛み合っている。
たぶんそういうことなのだろう。朝比奈さんは前へ出る。俺は少し遅れて返す。そのズレを、コメント欄が面白がる。朝比奈さんもそれを分かった上で、こちらを急かさずに待つ。だからたぶん、会話としてちゃんと残る。
「でも、今日は思ったより話しやすいです」
口に出すと、朝比奈さんが少し目を丸くした。
「お、珍しく素直なこと言った」
「珍しいんですか」
「ちょっとね。もっと一回飲み込んでから言うタイプかと思ってた」
「……それは、まあ、あるかもしれません」
【今の返し好き】
【認めるのも遅い】
【そこがいい】
【なんか親しみ湧いてきた】
親しみ。
その言葉には少し驚く。
今までの俺の配信は、どちらかと言えば“観測される側”だった気がする。変だとか、AIっぽいとか、ズレてるとか、そういう引っかかりで見られていた。
でも今日はそれだけじゃない。
返しが遅いとか、少し不器用だとか、そのへんが“分かりやすい弱さ”として見えて、それが距離を縮めている感じがある。
朝比奈さんがいるからかもしれない。一人では出にくかった部分が、二人の会話の中で自然に見えている。
配信はそのままゆるく続いた。
弁当の話から自炊の話へ、そこから一人暮らしの飯の話へ、さらにコメント欄のおすすめの具や味噌汁の話に広がっていく。特別な企画ではない。派手な笑いもない。なのに、不思議と流れは途切れなかった。
終わってみれば、思ったより時間が経っていた。
「じゃあ、そろそろ今日はこのへんで」
「ありがとうございましたー。いやでも、やっぱ面白かったね」
「そうですか?」
「そう。思ったより、じゃなくて普通に。コメント欄も回ってたし」
【おつ】
【よかった】
【また見たい】
【一人じゃないと出ない感じあった】
【このコラボ当たりだったな】
「当たりって言われると、ちょっと安心しますね」
「そこも素直に言うんだ」
「今日くらいは」
そう返すと、朝比奈さんが笑った。
終了ボタンを押す。
画面が静かになる。
その瞬間、どっと疲れが来た。けれど悪い疲れではない。人と会って帰ってきた時みたいな疲れ方だった。配信なのに、少し不思議だ。
椅子にもたれて息を吐く。
「……疲れた」
口に出してから、少し笑う。
一人配信の後とは違う。あれは部屋で喋り続けた疲れだった。今日はもっと、相手に返して、拾って、空気を読んで、でも思ったより悪くなかった、という疲れだ。
配信の記録を見る。
コメント欄の反応もいい。普段より人も多い。何より、「相性がいい」という言葉がいくつも残っていた。
それが少し意外だった。
俺は一人でいる方が気楽だと思っていた。今もたぶん、基本はそうだ。でも、人がいるからこそ出る面があるらしい。朝比奈さんがいたから、俺の遅さも不器用さも、そのまま会話の味になった。
一人では見えにくかった自分の形が、相手がいることでようやく見えた気がする。
「こういうのも、ありなんだな」
誰に言うでもなく呟く。
部屋は静かだった。
でも今日は、その静けさが少しやわらかい。
次も一人配信かもしれないし、また誰かと話すこともあるかもしれない。まだそこまでは分からない。けれど、一人じゃないから出る面白さがあることだけは、もう分かった。
当たり前のことなのに、今さら初めて、自分のものとしてそれを知った気がした。
スマホを手に取る。
少し迷ったあと、朝比奈さんとのやり取りを開く。
配信が終わったあとに礼を返すのは、たぶん今の俺の年齢より前の癖だ。こういうのは、早い方がいい。そこだけは体が覚えている。
文面を考える。
軽すぎるのも違うし、かしこまりすぎるのも変だ。少し迷って、結局かなり無難な形に落ち着いた。
◇
今日はありがとうございました。
一人の時とは違う形で話しやすくて、かなり助かりました。
自分では気づいていなかった部分も見えた気がします。
また機会があれば、よろしくお願いします。
◇
読み返して、少しだけ笑う。
「こういうとこだよな……」
三十五歳っぽいと言われる理由が、たぶん今ここに出ている。
でも、まあいいかと思う。
送信する。
返事はすぐには来ない。来なくても別にいい。礼を返したことで、今日のことが一つきれいに片づいた感じがした。
誰かと一緒に配信して、終わったあとに礼を送る。
そんな当たり前みたいな流れが、今の俺にはまだ少し新しい。
けれど、その新しさは悪くなかった。
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